第10話 教会と高利貸

ガラの仕事だけでなく、もう一つ仕事が増えて、今より稼げるようになるのは魅力的だ。それに、アニサのような教会関係者と懇意になれるのも、この世界で生きていくことを考えれば、今後色々な場面で役立つかもしれない。

 だが、もちろん、良いことばかりではない。アニサの護衛を引き受ければ、命を狙うほどに殺伐としている教会内部の権力闘争にモロに足を突っ込むことになる。

 それは、これからも暗殺まがいの襲撃に何度も遭うことを意味する。だから、アニサも、護衛の依頼をしてきたのだろう。

 またあんな目にあって、無事に切り抜けられるのか。体内のナノロボットが、今度も傷を上手いこと修復してくれるとは限らない。当然治せる傷には限度があるはずだ。

 手にするリターンが報酬、賭けるリスクが命なら、答えは決まっている。

 断るべきだ。

 自分の命より大事なものなどこの世にはない。

「すいません。その話しはお断りします。」

 アニサは、一瞬驚いた顔をすると、すぐに表情を変えて、すっかり見慣れたキツイ視線を送ってくる。

「へえ・・・断るの?意外だわ。まあ・・・いいわ。でもいいのかしら?あなたのその悪魔じみた体のことを正式に告発しても別にわたしはいいのよ」

 先ほどとは態度をガラリと変えて、一転して、こちらを脅してくる。その変わり身の速さに舌を巻く。

 まったく命の恩人じゃなかったのか・・・

 断って、教会全体を敵に回すより、護衛を引き受けて、一部から狙われていた方がまだマシか・・・

 それに、脅迫状の件を考えれば、実はもう狙われていたのかもしれない。ガラがアニサのパートナーなら、対立する勢力にとっては、ガラも排除の対象にされていても何ら不思議ではない。

 それなら、どの道、この件を引き受けようとも危険はさして変わらない。リスクが変わらない以上、仕事を引き受けて、報酬をもらった方が得だ。それに、アニサの側にいた方が情報も入るだろう。

「・・・受ける以外の選択肢はなさそうですね。」

 アニサは、その言葉を聞くなり、意地悪い笑みを浮かべる。

「そう。それが正しい判断よ。どちらにとってもね。さてと・・・それじゃ早速護衛をしてもらおうかしら。」

「えっ?もう・・ですか?」

「あなたの雇い主のところに一緒に行くだけよ。この件、ガラにも話しをしておかないといけないでしょ?付いてきて。」

 アニサは、そう言うなり、部屋を出て、足早に前を歩いていってしまう。慌てて、こちらも後を追う。少し歩くと、アニサが何かを思い出したように急にこちらを向いて、目の上を見てくる。

「ああ・・そうだわ。その額に書かれている死者の紋様は消しておきなさい。そんな姿で歩き回られたら、大騒ぎになるわ。」

 そう言われて、額を触ると、白い粉のようなものが手についた。これが、修道女がこちらを見るなり悲鳴を上げた原因か。

 アニサはそう言いながらも、スタスタと先に行ってしまうので、慌てて額を何度も擦りながら、その後をついていく。


 建物を出ると、敷地内は、縦横それぞれ数十メートルはあり、通りの一区画を専有するほどの広さを誇っていた。よく見ると、修道女以外の人々もチラホラと目につく。そうした人々は、みな足取りが重く、目は窪みがちで、顔の血色も悪い。なかには一人では歩くことができずに、修道女に、体を支えられている者もいる。

 影人の視線に気づいたのか、アニサも同じ方向に顔を向ける。

「彼らは、みな病人よ。本来、家族が見るべきなんでしょうけど、そんな余裕がない者も多いし、そもそも身寄りがいない者も多いわ。体が弱って働くこともできない・・そんな人達をこの修道院で保護しているのよ。」

 そう言うとやれやれと両手を振って、「まあ・・あなたが言う帝国の医術とやらが本当にあるのであれば、彼らも再び元気になるかもしれないわ。このゴタゴタが片付いたら、あらためてあなたの体のことを詳しく聞かせてもらうわよ。」と、話しを蒸し返してくる。

 適当な話しをして、誤魔化そうと思ったが、アニサの横顔を見て、言葉につまってしまった。その表情は、先ほどの軽い口調とは裏腹に、酷く神妙な面持ちだった。現状を変えようにも、なんともできない自分の無力さを呪っている、そんな悲痛な顔つきだった。

 返答できずにいると、「さあ・・・行きましょう」と、アニサは、影人の返事を待たずに、そのまま敷地の外へと歩いて行く。その寂しげな後姿に、初めて修道女らしい慈悲深い一面を見た気がした。


 人で賑わう大通りを選んで歩いたかおかげかどうかはわからないが、ガラの店に行く道中、特に変わったことは起こらなかった。唯一何かあったと言えば、アニサから、注文がついたことだ。

「街中では、少し離れてついてきて。修道女が世俗の男と仲良く肩を並べて歩く訳にはいかないでしょ。もちろん・・・離れていても、しっかり私の護衛はしなさいよ」

 修道院を出るなり、そうきつく言明されたのである。

 おかげで、影人はほとんど心が休まる暇がなかった。アニサから付かず離れず後ろを歩き、その間、絶えずあたりを警戒する。それにしても、護衛の仕事がこんなに大変だとは思わなかった。

 ガラの集金の際にも用心棒として、連れ立って歩いているが、常に警戒している訳ではない。神経を使うのは、せいぜい戸口に立って、債務者とやりとりをする時くらいだ。

 それに比べて、アニサの護衛の場合は、どこからくるかわからない危険に対して、常に神経を張り巡らせなければならない。

 こちらに近づいてくる人間、全てが怪しく見えてしまう。もしかしたら、少し、神経過敏になっているのかもしれない。だが、それもやむを得ないだろう。なにせ、ついさっき襲われて死にかけたのだから。

 そんな訳で、ガラの店まで時間にして数十分といったところなのだが、そんな短い時間にもかかわらず、すっかり精神が疲弊してしまった。

 それにしても、強化された体という保険を持っている状態でも、こんなにビクビクしてしまうのに、ピュアな体であるアニサが、こうも堂々としていられるのは驚きだ。

 アニサだって、つい先ほど街中で、襲撃にあい、命を狙われたばかりなのだ。怯えて当然のはずなのに、ガラと軽口を言い合っている今の姿からは、そんな様子はまるで感じられない。

 

 アニサがひとしきり経緯を話すと、二人とも挨拶代わりとばかりにさっそく酒をあおりだす。そのおかげで、口の滑りがよくなったのか、お互いの近況に話しが移り、花を咲かせている。

 ガラは、アニサが襲われたことを聞き、幾分か驚いてはいたが、「そうか。いよいよそこまでになってきたか」と返事をするだけだった。どうやら、そうした事態になることも、司教の選定をめぐる教会内部の争いについても、いくらか知っているようだった。

 アニサは、影人が、自分を助けてくれたことをガラに話したが、刺されたことや、その傷が完全に消えて、回復したことなどには触れず、うまくはぐらかしていた。

 二人の会話から、襲われて意識を失って、目覚めるまで、ほぼ一日近く経っていたことを知り、背筋が冷たくなった。せいぜいが、数時間だと思っていたのだ。

 意識が覚醒するまでにそれほどの時間を要したということは、実はかなり危険な状態だったのではないか・・

 死が自分の近くに忍び寄っていたことを実感し、思わず身震いしてしまう。もっとも、二人は、そんな影人の心情にはお構いなしに、調子の良いことを好き勝手に言っている。

「言っただろ?とびきり腕の立つ男を雇ったって。お前も俺の言っていたことが本当だってわかっただろ?」

「まあ・・腕が立つかは別にしても、役に立つ能力を持っているのは確かね」

と、アニサはこちらを一瞥すると、からかうようにニンマリとした顔を浮かべてくる。

「そうだろう?それにこいつは頭だってなかなかのものだ。文字を読むことはもちろん、書くことだってできる、数字の計算だってできるんだ。さすが貴族様だよ。」

「いや・・・だから貴族じゃ・・」

 たまらず、横から話しに割って入るが、二人ともこちらの話しはまるで聞いてくれない。

「貴族?この人が?」

「ああ。どう見たってどこかの貴族のせがれか何かだろうよ。まあ・・・この通り本人は否定しているがな。」

「貴族かどうかはわからないけど、あなたみたいな男たちと違って、下品な目でこちらを見てこないのは評価できるわね。」

 ガラはアニサのその言葉が気に入ったのか、一際大きな笑い声を上げる。

「ははは!!!そりゃそうだ。こいつは酒や女にもまるで興味がない変わり者だからな。なあ?」

 勝手にしてくれとばかりに、無言で手をふる。

「それでよ・・こないだの件はどうなった?」

 ひとしきり馬鹿笑いをした後、ガラは声のトーンを急に落として、アニサの方をジロリと見る。

「ダメだったわ。当然でしょ?先方がどれだけの危険を負っているかわかっているの?あなたのようなギルドにも所属していない庶民相手の高利貸なんて、吹けば飛ぶような存在なんだから。金を出資するだけでもありがたいと思いなさい。」

「そうか・・まあ、そうだわな」

 ガラは、声を落として、仕方がないとばかりに酒をあおる。

「どちらにせよ。先方はまだあなたのことを信用していないわ。債務の支払いはこれまで通り必ず期日までに行いなさい。一日でも遅れたら、すぐに切り捨てられるわよ。あなたの、いえタリちゃんのためにも約束はしっかりと守りなさい。」

 タリという言葉に、思わずギクリとしてしまう。アニサはタリの病気のことを知っているのだろうか・・・

「・・わかってるよ。安心しろ。今のところ商売は順調だ。今度の期日、聖人の生誕日には、しっかり借りた分の利子は返す。」

「利子ではないわ。手数料よ。言葉には気をつけなさい。私達は利子を取ることはないわ。」

 ガラは教会から金を借りて、高利貸の商売をしているということか。これが、アニサが言っていた現実というやつなのか。確かに、金貸しを禁止している教会が、自ら金貸しをしているなんて、矛盾しているにもほどがある。

「ふう・・さて・・辛気臭い話しはここまでにしましょう。そう言えばタリちゃんはいないの?最近あまり見かけないけれど。」

 ガラは、一瞬言葉に詰まったように見えた。だが、それは事情を知る影人にしかわからない程度のほんの僅かな違和感だった。

「あいつは・・その・・最近、織物の修行をはじめたから、日中はほとんどそっちの現場で朝から晩まで働いているよ。もういい年だから、嫁に行くにしても、手に職をつけておかねえといけねえからな。」

「そう・・・まあ、タリちゃんみたいな娘なら、どんな男でも喜んで結婚するでしょうけどね。まったく、あなたには似ても似つかないくらい出来た娘なんだから、大切にしなさいよ。」

「ああ・・・わかっているよ・・・」

 ガラはこちらを再度見ると、ジロリと睨む。余計なことは言うなということだろう。タリの病気のことはアニサにも隠しているのか。

「さてと・・そろそろ仕事に行かねえとな。おい。行くぞ」

 ガラは、この話題にこれ以上触れられたくなかったのだろう。不自然なくらい突然に話しを打ち切って、席を立つ。

「ちょっと・・・修道院までは、彼に送ってもらうわよ。今は、私の護衛役でもあるのだから。」

「かまわねえよ。どうせ方向は同じだからな。」

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