第12話 利己的行動と利他的行動
住民たちを連れて、修道院に戻ってからのアニサの動きは、迅速で有無を言わせぬものだった。傷だらけになってもどってきたアニサを見て、何ごとかと修道女たちが集まり、一時騒然となった。
だが、アニサは、彼女たちの問いかけに答える代わりに、毅然とした態度で指示を出した。当初は、混乱していた修道女たちも、アニサの冷静な態度を見て、徐々に平静を取り戻していった。修道女たちの様子を見る限り、アニサは修道院の中でそれなりの地位にいるのだろう。
そんな訳で、住民たちの受け入れは比較的スムーズに運んだ。修道女たちは、アニサの指示を受けて、穀物庫から荷物を運び出させて、あっと言う間に即席のスペースを確保する。そして、そこに住民たちを移送し、既存の病人たちと隔離する。修道女たちの心のケアにも余念がなかった。病人たちの肌を見て、動揺する修道女たちには、仕事をあてがい、とにかく体を動かさせていた。なるべく考える暇を与えずに、彼女たちの間に恐怖が伝播しないようにするという配慮からだろう。
修道院はたちまちにあたりを忙しく駆け回る修道女たちでてんやわんやの状態になった。アニサもその間、病人たちの側につきっきりで付き添い、念入りに体をあらためていた。おそらく、彼らが本当に死病にかかっているのかどうかを確認しているのだろう。
それは彼女にしかできないことだった。いくら神に仕えている修道女でも自分の命は惜しいらしい。病人たちの側に近づき、彼らに触れているのは、今もアニサただ一人だけだった。
アニサは、修道院のどこからか使い古された本を取り出してきて、ベッドの脇に置き、しきりにその内容を確認している。そして、しばらく本を真剣な表情で読むと、また病人たちの方を向き、体を調べるといった動作を繰り返していた。
影人はその様子を数歩離れたところから、黙って見ていた。さっきまでは、今いる即席の隔離室を設営する際の荷物の出し入れを手伝っていた。だが、今はそれも一段落し、手持ちぶさたになっていた。
しばらく様子を眺めていると、アニサは、作業を続けながら、こちらを見ずに、「意外だった?」と声を掛けてきた。自分の今思っている気持ちをズバリ見透かされていたので、思わずシドロモドロになってしまう。その返答ぶりで、答えを吐露しているようなものだった。
「いや・・ただ・・・感心しているだけです。どうして・・・そこまで他人のためにできるのかと・・」
これも本音だった。何故、他人を・・それも見ず知らずの者のために、自身の命、唯一かけがえのないものを失うリスクを負ってまで、助けようとするのか、理解できなかった。
「自分のためよ」
「えっ?」
「私だっていつ病にかかるかわからない。どんな強大な王だって、富を持った商人だって、病は等しく人々の元に降り掛かってくる。そして、あっけなく命を失ってしまう。そうなった時に、後悔したくないの。その後、どうなるかは全て神の御心次第ですもの。できる限りの徳を積んでおきたいじゃない?」
冗談なのか本気なのか、アニサの表情からはそれは、読み取れなかった。ただ、たとえ、神、来世、魂のようなものを信じていたとしても、そこでの自分の利益のために、今の現世での自身の命を犠牲にできるだろうか。
そもそもそういった存在を信じる程度には、限界があるはずだ。少なくとも、自分の存在、現世での命よりも確信を持つことはできない。
それは人々の行動を見れば明らかだ。先ほどの人々だって、ここの修道女だって、程度の差はあれども、神の存在は信じているだろう。だが、そうした人々も結局は、自分たちの現世での利益、つまり自身の命を危険にさらしてまで、他人を助けるというようなことはしない。
実際、今ここで病人の看護をしているのは、アニサただ一人なのだ。だから、彼女の動機は、単純な信仰心では説明がつかない。彼女の行動を促しているのは、もっと、別なところにあるはずだ。
死が当たり前のように身近なものとして存在していて、常に死について、考えを巡らさざるを得ない環境、そして、その救いとして神という概念が広く受け入れられている世界、そういう社会に長く生きてきた者にしか、アニサの価値観は理解できないのかもしれない。
少なくとも、死は避けられるもので、遠く離れた場所にある自分とは関係のないものと漠然と捉えていた影人には、とてもわかりそうになかった。
そんなことを頭の中でグルグルと考えを巡らせていたら、何も返答できなかった。アニサは、こちらの返答はさして期待していない様子で、別の件を話し出す。
「この人達・・・おそらく死病にかかっているわ。文献に書かれている特徴と明らかに一致しているもの。」
両親と子供は三人とも熟睡している。ずっと緊張状態を強いられている反動で、気が抜けたのだろう。
「その・・彼らは・・どうなるのですか?」
まだ三歳くらいの子供は、先ほど体験したことが、よほど怖かったのだろうか。寝ている時も母親にしがみついていた。
「・・・死病にかかっているとわかった以上、街に置いておけないわ。死にゆく者として、同じ運命を背負った者たちと、しかるべき時まで、静かに暮らしていくしかないわ。」
街から追放するということだろうか。そうした病気で追放された者たちが身を寄せ合って暮らす村がどこかにあるのだろうか。だとすれば、家族が離ればなれになることはないだろう。それだけは救いに思える。
だが、それでも、外部から隔離されている以上、街から追放された病人たちが暮らす村の環境はここよりさらに劣悪なように思える。この家族を待ち受ける運命はあまりにも過酷なものになるはずだ。
「そう・・ですか・・」
安心したように眠る両親と子の寝顔が視界に入る。一瞬、胸が痛くなるが、すぐにそうした感情を脇へと追いやる。
どうせ・・・何もできやしないのだ。
この世界の住民より優れた身体能力と知識を持っていたとして、それがどうなる。せいぜいが自分の生活を成り立たせるのが精一杯なのだ。人助けなどできるはずもない。結局一人の力で出来ることなどたかがしれている。
病人たちから逃げるように顔を反らすと、アニサが何かを思い出したように首をかしげている。
「そう言えば・・ガラはどうしたの?さっきから全然見かけないけど」
確かにガラを見ていない。修道院に一緒に戻ってきてからも、ずっと様子がおかしかった。
「ちょっと探してきます。」
この場から離れる口実だった。幸福そうに寝ている家族たちと一緒の空間にいつまでもいたくなかった。ここにいると、何も行動しないことを責め立てられている気分になってしまう。
ガラはすぐに見つけることができた。修道院の敷地で、何もせずに座り込んでいる人間は、病人くらいしかいないが、彼らは今やみな建物の中に入っている。だから、庭で、頭を抱えて、座り込んでいて、ましてや、遠目からでもわかるほど鬱々とした雰囲気を纏っている者はすぐに目についた。そして、それが、ガラだった。
すぐ近くにまで来ても、ガラはこちらの様子に気付いていなかった。眼窩は窪み、目は虚ろなままだ。たった数時間で病人になってしまったかのような変わりようだ。どうみても、ガラの状態は、異常だった。
大声で話しかけると、ようやくノロノロと顔を向けるが、まるでこちらのことは視界に入ってはいないようだ。すぐに顔をもとに戻し、焦点の合わない目で遠くを見て、「・・どうすればいい・・」と、ぼやいている。
このままじゃラチがあかない。上体をかがめて、ガラの正面に立ち、体を強く揺さぶる。
「おい!ガラ!しっかりしろ!何があったっていうんだよ!」
「・・あの住民たちな・・・知っている奴らなんだ・・俺の家のすぐ近くに住んでたんだよ・・・アイツラが死病になっていたなんて・・タリは・・俺は・・」
ガラは、ようやく絞り出すような声で、訥々と話し始めた。そして、こちらと視線を合わせる・・・確かに目は合ったはずなのだが、合った気がまるでしない。生気がないのか、心は別のところを見ているからなのだろうか。ガラは、何かに気付いたのか、急に素っ頓狂な声を上げて、しがみついてきた。
「なあ?お前見に行ってくれよ!娘のところに!!大丈夫なはずだ!!絶対あいつは!!なあそうだろ!!頼むよ!!」
掴まれた両肩はズキズキと傷んだ。それほど目一杯の力が込められていた。こちらを見る目はすがるような眼差しだった。たとえ、何も根拠がなくても、娘は大丈夫、心配ないと誰かに言ってもらいたいのだろう。ガラの精神は明らかに追い詰められていた。
「少し、落ち着けよ。見に行ってくるから。娘さんの状態を確認してくるから、それから今後のことを考えればいい。」
「あ・・ああ・・いや・・そうだ。そうだな・・俺は・・大丈夫・・・・・寄進もしてるんだ・・・」
「娘さんのところに行ってくるから、お前はアニサさんの手伝いをしてくれ。こんなところで、ぼけっとしててもしょうがないだろう。」
なんともない素振りを見せるために、できるだけ自然な顔を作って、ガラの肩を叩く。
ガラは、「ああ・・」としきりに何度も頷いた後、トボトボとアニサがいる隔離小屋に歩いていく。
その後姿を見送りながら、顔は徐々にこわばってきた。少しでもガラを落ち着かせようと、弾みで安請負をしてしまった。だが、タリの様子を見に行って、それでいったいどうすればいいのか。
タリがあの住民たちと同じように死病に感染していたとしたら、どうすればいい。ガラにはああいったが、実際のところタリが死病に感染している可能性は高いのではないだろうか。
街からあんなに離れた朽ちた空き家に彼女を隠していたのは、そもそもガラ自身そのことに薄々気づいていたからではないのか。それに、初めて合った時のタリの突拍子もない振る舞いも、自分には先がないと考えていて、自暴自棄になった上でのことなら、説明がつく。つまり、タリ自身も自分が死病にかかっていることに気付いているのではないか。
暗い気分を少しでも紛らわせようと、空を見上げる。日は大分傾き、少し肌寒いくらいだった。今の季節〜といってもこの世界ではこの季節しか知らないが〜は日が落ちると、めっきりと寒くなる。出発するのなら、早い方がいい。少女の・・タリの顔が脳裏に浮かぶ。どんな表情をして、彼女と向き合えばよいのかわからない。
街を取り囲む壁を目印に、門へと向かう途中、街全体がいつもと違う空気に覆われていることに気づく。住民たちの陰気な目はいつもにも増して、鋭くなっていた。そして、口ぐちに何かを話し合い、家族以外の人間に対しては、誰彼構わず警戒しているように見える。壁の周囲にはりつくように林立している貧民街〜先ほどの騒動があった場所だ〜では、その傾向が特に強かった。
貧民街を横目にして、各種の店が立ち並んでいる通りを見るが、どこも静まりかえっていた。食料品店のやかましい呼び込みの声も、冶金業者の職人が金属を打ち鳴らす音も聞こえない。なめし加工業者が集まっている通りも、今日は大した匂いがしない。この通りは、いつもは、動物の皮をなめす際の薬剤の影響なのか、口呼吸をしなければ歩けないほどの異臭を放っているのだ。
まだ日が落ちていないにも関わらず、肉屋やパン屋といった食料品店から織物業者や皮革業者といった加工業者まで、ありとあらゆる商店が早々と店じまいをしている。
教会の前に日が落ちるまでたむろしている物乞いまでもが、姿を消している。よく見ると、いつも外部に広く解放している教会も、その門扉が頑丈に閉められていた。
通りに面している店の入り口は全て、鎧戸が締められていて、外部からの侵入を拒むように厳重に閉鎖されていた。当然、通りを歩く者はほとんどいない。たまに衛兵に出くわすくらいだ。遠方の街から交易でやってきた商人の集団は、閑散としている街の様子を見て、困惑気味の顔を浮かべていた。
影人も困惑していた。こんな街の様子は今までで見たことがない。その原因が何なのかは想像がつく。だが、街の人々がここまでの反応を示すことには驚いていた。そして、その噂が広まるスピードにも。
あの地区での騒動から今までわずか数時間といったところだろう。それなのに、今や街中が、死病の発生を知っていて、街全体が活動を止めてしまったかのような様相を呈している。この街の人口がどれだけいるのか正確なところはわからないが、体感的には数千人はいるはずだ。
決して少なくない規模だし、伝達手段だって人を介した口づて以外ないはずだ。それがあっという間に広まってしまう。それだけ、死病というものがこの世界の住民にとっては恐ろしい災いで、そしてこれだけ敏感に反応できるほど、死病の発生は、頻繁に起こっていることなのだろうか。
静まり返った街を足早に駆け抜けて、門までたどり着く。さすがに、門の前の衛兵は逃げ出さずに仕事をこなしていた。しかし、彼らにしても大分いつもと様子が違う。いつも油断のない鋭い目つきで、入出場する人々をジロジロと一瞥していたその目は、いまやこちらを見ようともしない。
落ち着きがない様子で、ソワソワとあたりを見回しながら、もうひとりの衛兵と話しをしている。
「おい・・死病が出たって聞いたか・・」「ああ・・門の近くの街区らしいぞ・・」「本当か!・・おい・・こんなところにいて大丈夫かよ・・」
衛兵たちは人目もはばからず、大声で話しているから、その内容ははっきりと聞き取ることができた。
混乱している衛兵たちを横目に、門を抜けると、入り口近くで検問待ちをしている人々も何やらざわついていた。これから一商売をしようと遠方の都市からはるばる遠征してきた商隊連中は、共通して渋い表情を浮かべている。
耳を向けると、
「クソ・・・ここまで来たっていうのに・・・」
「商品が無駄になるのはしょうがないが、命には変えられない」
「当分この街には来ない方がいいな」
「下手すりゃ・・この街はもう終わりかもな」
と、今後の方針を話し合っている。
それを聞いて、思わず背筋が冷たくなった。死病というのは、街一つ消滅させるほど危険な代物なのか・・
合理的な商人たちの言葉だからこそ、妙に説得力があった。
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