第8話 大聖堂と修道女

 ガラから、報酬を受け取り、酒場を後にする。薄暗い店内とは打って変わって日光が、まぶたにしみる。こんなに早く仕事が終わることは、随分と珍しい。

 いつもの用心棒の仕事の場合、集金が完了した後も、金勘定やら帳簿の管理やらを手伝わされているから、なんだかんだで全てが終わる頃には日が暮れている。

 あんな時間から、酒場にいたということは、ガラはそういういった業務を明日影人にまとめて頼むつもりなのだろう。

 これでは、用心棒なのか小間使いなのか、よくわからないが、読み書きができると知られてから、有無を言わさずに手伝わされている。考えてみれば、その時のガラは、「読み書きができる用心棒はお前が初めてだ!」と終始興奮した様子だった。この世界では、読み書きができること自体、それこそ貴族と間違われるくらい珍しいことなのだろう。

 それにしても、仕事が早く終わったのはいいが、どうにも時間が余ってしまった。自由時間があるのは本来嬉しいことなのだろうが、この街ではそういった時間を潰す娯楽というものがほとんどない。

 もちろん、あるにはある。ただ、それは主に三種類しかない。ガラが今やっているように酒を煽ること、女を買うこと、あとは賭け事といったものだ。だが、この見知らぬ世界で、いま手元にある金を、そんなことに費やすほど、大胆には慣れない。

 この世界で、無一文になっても、今までとは違い国はおろか誰も助けてはくれないのだ。だから、金はなるべく手元に残すことにこしたことはない。

 金をかけずに、やれること・・・といったら、せいぜい寝ることくらいだが、あの狭く、汚い借家に日中帰っても、気が滅入るだけだ。

 とすれば・・あとできることと言えば、この街をぶらつくくらいだ。集金業務で、毎日街中を歩いているとはいえ、借り手は街の外れの貧民街の住民が大半だから、街の中心部はまだあまり見れてはいない。

 それに、中心部には、今気になっている場所がある。大聖堂だ。棚上げしている脅迫状の件もあるが、この街で生きていくためにも、宗教、その担い手の教会について最低限の知識は知っておいた方がいいだろう。活動の中心となっているであろう大聖堂に行けば少しは役に立つ知見を得られるかもしれない。


 大通りの終点にある大聖堂は、文字通り街の中心にある。当然、その周りは、この街一番の賑わいを見せている。その集まった人間目当てに、ちょっとした食べ物や小間物を売る露天商たちが大聖堂の周りにたむろしていた。

 影人は、それらの露天商の一人から、適当な食べ物を買い、腹の足しにする。手にした食べ物は、小麦粉を加工した一見すると菓子のような見た目だったが、まるで甘さはなく、味は恐ろしく薄かった。それでも、いつも食べているパンに比べれば、柔らかい分だけマシだった。

 これで、パンの半分の値段なのだから、たまに食う分にはいいかもしれない。菓子モドキをパクつきながら、露天商の男に大聖堂のことをそれとなく聞いてみる。

「この建物はかなり大きいですが、これはいつ頃できたものなんですか?」

「さあな・・・俺もこのあたりの生まれで、この街にはガキの頃から仕事で来てるけど、そん時からあるから、かなり昔のものなんだろうけど・・もしかしたら、かの帝国が作ったものかもなあ」

 男は、側に立つ大聖堂を見上げながら、その大きさに圧倒され、畏怖さえしているようだった。それにしても・・・また帝国か。この街の住民は、口癖のように、ことあるごとに「帝国」について言及する。

なんでも、かつて〜どれくらい前なのか、明確な年数を知っているものは話しを聞いた中では、いなかった。そもそも、この世界の住民で客観的な数字として年数を意識しているものなどいない〜はこのあたり一帯を含めて、広大なエリアを支配していた帝国が存在していたらしい。

 いわく、その帝国の時代は、人々にとっては、「黄金の時代」で今よりもよっぽど良い暮らしができた・・・というのが、この街の人々が思い描く共通の逸話のようなのだ。

 影人も、露天商の男と一緒になって、大聖堂を見上げる。確かに、大聖堂は、他の街の建物と比べて、大分古めかしく、重厚な趣がある。吹けば飛ぶような大通りに林立する粗末な建物とは素人目で見ても、明らかに作りが違う。街の周囲を取り囲む城塞も、大聖堂と似たような趣があるから、もしかしたら、城塞と大聖堂は同じ時期に作られたものなのかもしれない。

 視線を下の方にやると、大聖堂の入り口にあたる部分は多くの人の出入りがあった。どうやら、広く門戸は解放しているようだ。そういうことならばひとつ入ってみるか、と影人は入り口の方へと足を向ける。


 高さが三メートルほどある開け放たれた巨大な扉をくぐると、中は、天井まで吹き抜けた広大な空間になっていた。天井や壁には小さな小窓が何個かあり、そこから入る光が地面や壁に色とりどりの影を描いている。

 荘厳な建物の持つ力なのか、あるいは光陰入り混じった幻想的な光景のせいなのか、思わず神聖な何かを感じてしまう。無神論者の影人であってもこうなのだから、信仰篤い人々がここを訪れれば、神の存在をその胸に感じることができるのだろう。

 実際、普段は静かにするという行為を知らないのではないかというほど、騒々しい人々も、この中では、従順な羊のように終始おとなしくしている。多くの人々は、ただその場にひざまずき、目を閉じ、思い思いにそれぞれの胸の内に去来した神と対話をしているようだった。

 影人は、そうした祈りを捧げる人々を横目にして、何とも言えない感慨を抱いてしまう。この世界に来て、初めて秩序立った行動する人々を目にしたからだ。今隣にいる人々は、普段の無秩序な行動をする人々とは同一の存在とは思えないほど、整然としている。

 

 しばらく、辺りを見渡していると、ふと自分の方に視線を向けている女の存在に気づく。女は、顔の部分を覗いて、上から下まで全身を紺色の服で覆っている。さしずめ、修道女といった出で立ちだった。

 最初は、たまたま見られているだけかと、思っていたが、数秒経ってもその視線は外れることはない。こうなると、こちらの存在を意識して、視線を向けているとしか思えない。

 その視線に気づかないふりをしていたが、長時間に渡って、見つめられるというのはどうにも居心地が悪い。しかたがないので、真っ直ぐ修道女の方を見る。

 はっきりと視線が合った。すると、修道女は、微笑した後、顔を入り口の方に向けて、またこちらに向き直る。どうやら、一緒に来いと合図をしているようだった。

 どうしたものか・・・と一瞬悩むが、修道女の指示に従い、その後に続く。何か良からぬことを企んでいたとしても、ここは街の中心部だ。まさか白昼堂々、襲ってくるということはないだろう。それに、相手は修道女だ。

 影人と修道女は、大聖堂を出て、少し離れたところにある路地へと入っていく。修道女は、しばらく行ったところで、立ち止まり、影人の方に向き直る。そして、「どうも。はじめまして。」と微笑みかけてくる。

修道女の外見を間近で見た時、抱いた第一印象は、冷徹な美女といったところだった。容姿は、美しいが、それ故に余計に眼光鋭い目が妙に悪目立ちし、冷たい印象を受けてしまう。その外見のせいなのか、妙に大人びて見える。

 何を言われるのかと身構えていると、「あなたが、影人さん?」と確認するようにこちらの様子を伺う。

「えっ?・・何で名前を?」

名前を呼ばれたことに戸惑っていると、その様子を見て、修道女は怪訝な表情を浮かべている。

「あら?ガラの使いで来たのではないの?」

「えっ?ガラの?・・いえ・・・」

「なんだ。そうだったの?まあ・・考えてみれば、まだ期日は先だしね。でもちょうどよかったわ。これから一緒に仕事をしていくのだし。お互い自己紹介をしておいた方がいいでしょう?」

修道女は勝手に話を勧めていくが、当の影人はまるで話に追いついていけない。

「えっと・・・あの・・あなたは、ガラの仕事のパートナーなのですか?」

「パートナー?そう・・ね。まあ・・・そんな関係かしら。お互い同じ種類の仕事をしている同業者といったところだし。」

修道女が高利貸の仕事を手伝っているのか。そんな矛盾に、思わず首を傾げてしまう。

「腑に落ちないって顔をしているわね?」

「えっ・・いや。まあ・・」

修道女は、抜け目なく、表情の変化を読み取ったようだ。

「どんな組織にも、理想と現実があるでしょ。教会だって例外ではないわ。そういう現実の汚い仕事をするのが、わたしのような女の役目という訳。」

そう言われても、前提となる知識が欠けているから、いまいち要領がつかめない。しかし、そんな疑問を考えるよりも先に、修道女が向ける妙な視線に気が散ってしまう。

「それにしても・・ふーん・・・あなたが・・ねえ・・」

修道女はこちらを上から下まで、おかまいなしに、まるで商品の質を検査するように、ジロジロと見つめている。

「あの・・・何か・・・」

その不躾な視線に戸惑っていると、女はようやく視線を元に戻す。

「いえ・・頭も腕も立つ用心棒を雇ったって最近会う度に自慢してくるから。どんなものなのかな・・と思っていたのだけれど・・」

どうやら、たいしたことなさそうね・・・とその後に続きそうな言い草だ。

「まあ・・いいわ。それより、ガラに伝えといて。こないだの件だけど、先方は利率を下げる気はないわ。あと、これはわたしからの助言だけど、先方は、高利貸し風情に足元を見られたと酷く怒っているから、この話は蒸し返さない方がいい・・・ってこともね。」

修道女は一方的にそう告げると、「それじゃ。今後ともよろしく」と踵を返して、さっさとその場から離れてしまう。が、しばらく行った後、急に立ち止まる。

 

 修道女が無言でじっと見つめている方に視線を向けると、男が二人いた。男たちは、修道女を見ると、何やら会話を交わす。そして、こちらにゆっくりとにじりよってくる。男たちの手には、それぞれ短剣のようなものが握られている。

 修道女は前を向いたままジリジリと、後ずさりをして、こちらに戻ってくる。男たちの顔から表情を読み取ることはできなかったが、何をしようとしているのか、状況を見れば明らかだ。

 どうやら、かなり不味い事態に巻き込まれてしまった。

「・・・逃げましょう。」

 修道女は、影人のところまで戻ってくると、男たちを背にして、走り出す。影人もつられて、勢いよく駆け出す。それが合図だったかのように、男たちもこちら目掛けて駆け寄ってくる。男たちとの距離はまだ十メートルはある。それに、前を行く修道女は、その服装の見た目からは意外なほどに、素早い。このまま走って、大通りまでたどり着けば、うまいこと逃げ切れるかもしれない。

曲がりくねった路地を数十メートルほど行ったところで、修道女が何故か急ブレーキをかけて、止まってしまう。何故・・との想いが脳裏を掠めるが、すぐにその理由はわかった。

数メートル先を見て、心臓がざわつく。

 商品の木箱やら、肉や野菜の残飯やらが、うず高く積まれていた。高さにして二メートル程度だが、両手を広げることがやっとの幅の路地を完全に塞いでしまっている。

 後ろを振り返ると、止まっていた合間に、男たちとの距離は、見る間に縮まり、もう目と鼻の先にいた。

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