第7話 商人と娘
「少し・・・お話していきませんか・・・その・・・わたし・・・いつも一人でいて・・・人と話すことがめったにないから」
こう言われてしまった以上は、座るしか選択肢はない。影人は再び少女と向き合う格好になる。だが、先ほどの少女の言葉は嘘だったかのように、無言のまま時だけが流れる。
何気ない会話の一つでもして、なんともいえない気まずい空気を変えたかったが、どうにもそんなフレーズは頭の中に浮かんではこない。
それも当然だろう。自分が生きてきた世界と価値観や文化がまるで異なる世界に生きている初対面の異性といったいぜんたい何を話せばいいというのか。
沈黙をやり過ごそうと、そんな言い訳を心の中で並べたてていると、ようやく少女がおもむろに話しだした。
「あの・・・まずは自己紹介から・・・わたしタリっていいます。その・・・影人さんの出身はここから遠い場所だと聞いております。よろしければ・・・その・・どんなところなのか話してくださいますか。遠方の人と話せる機会なんて滅多にないので・・その・・興味があるんです。」
影人の中の少女・・・タリの印象がまた少し変わった。というより、ようやく昨日の印象と合致したというところか。考えてみれば、今日のこれまでのタリの言動や振る舞いは、どこか演技をしているような違和感があった。
「そうですね・・・なんというか。その・・・ここよりはだいぶ暮らし向きはよいかな・・・と思います。」
影人のぼんやりとした答えに対して、タリは目を見開いて驚いていた。
「この街よりもですか!・・そんなところが・・・遠くにはあるんですね・・」
タリは、一人うつむいて、考えにふけっている。しばらくして、我に返ったのか、
「あ!・・す、すみません。少し驚いてしまったので・・・父と一緒に色々なところを放浪していたのですけど、この街ほど豊かなところはなかったので・・・」
タリの言葉に、影人は暗い気持ちになってしまった。薄々気づいていたことだが、こんな街が豊かだと思うくらいなら、この世界はどこに行っても、ここと同程度、いや多くはそれ以下の生活水準なのだろう。
「やはりそう・・・なんですね・・」
「・・・すいません。話しの邪魔をしてしまいましたね。それで・・その・・どういったところがこの街とは違うんですか?」
どこが違うか・・・すべてが違う・・・あまりにも違いすぎる・・・ここに比べれば遥かに平穏で豊かだった。元の世界を想像して、今いる世界とのあまりの違いに、影人は、眉間にシワを寄せて、顔を歪める。
「・・・なんというか・・・言葉ではなかなかうまく・・・表現ができないです。すみません・・・」
タリは、影人のその苦い表情に何かを感じたのか、それ以上突っ込んでくることはなかった。代わりに、一瞬酷く冷めた顔をして、誰に言うでもなく、独り言のようにつぶやく。
「・・・そう・・ですよね・・・まあ・・・いつまでも小娘と話しをしていても退屈なだけですよね・・・さてと・・・」
すぐにその冷淡な表情は隠れて、先ほど入り口で見た時と同じくらい明るい顔を浮かべる。そして、一呼吸置くと、どこか作られたような笑顔で、微笑みかけてくる。
「・・・影人様。街からここまで来るのは大変だったでしょう?お疲れではないですか。奥に寝床を用意しておりますので、どうぞお休みになってください。」
タリは、そう言うと素早く立ち上がり、影人の横に来る。そして、中腰になり体を寄せて、細い腕を絡めてくる。
なんだ・・これ・・・
影人は、その場でしばらく硬直していた。何をされているのかは、理解している。さっきから、横でタリが自分の体をこちらに密着させてきているのだから。この事態を整理して、納得いく理由を考える前に、体が反射的に動いていた。
「な、何してるんですか・・」
こちらにもたれかかっているタリの体を引き離して、椅子から立ち上がり、数歩後ずさりする。タリは、突き放された格好になり、わずかに体をよろめかせて、反対の壁にもたれかかる。その表情は、先ほどの笑顔が嘘のように、険しい顔をしている。そして、その視線は、じっとこちらを見据えている。
「何って・・・あなたが望んでいることをしているんじゃない・・・それとも・・・わたしのような女に・・・病気持ちの女には触れられるのも嫌だというの」
タリのその表情は、街でよく見かけるお馴染みのものだった。純粋無垢な明るい少女の顔ではなく、日々の生活を生き抜くのに必死な女の表情だった。
テーブルを挟んで、お互いに無言のまま対峙する状況が続いた。そんな時間が数分続いた後、タリが、ボソッと声を出す。
「・・・もう・・・いいです・・・帰って・・・仕事は終わったんでしょ。」
タリの有無も言わさない態度に気圧されて、影人は、「え・・あの・・はい・・」と、うめき声のような言葉をなんとか発するのが精一杯だった。そのまま、タリを横目に家の入り口の方へと足早に歩き、半開きの入り口の扉から、外に出る。
ようやくタリの視線から逃れられたので、おもわず「ふうう」と深呼吸をする。
なんだったんだ・・・いったい。
街に戻る道中で、色々と考えてみたが、どうも何かひどい誤解をされている気がする。そして、それはおそらくガラに原因がある・・・ように思う。
昨日、あの家に行った時にガラが何か自分のことについてタリに良からぬことを吹き込んだのではないだろうか。
結局、これらの答えを知るためには、タリと影人をつなぐ接点、つまり、ガラに聞くのが手っ取り早い。
それにしても・・・ガラの奴・・・いったいどんなことを吹き込んだのか・・・
ちょっとした苛立ちを覚えながら、ガラの下へと急ぐ。自分の預かり知らないところで、人からあらぬ誤解をされるというのは気分が良いものではない。
特にトラブルもなく街道の行き来ができたため、太陽の高さを見る限り、ガラとの約束の時間はまだ大分先だった。路地裏の店に行っても、まだガラはいないだろう。
借家に戻って、一眠りという選択肢もあったが、このモヤモヤ感を早いところ解消したかった。それに、ガラの行き先はだいたい検討がついている。どうせどこかの酒場に居るに決まっている。
街の酒場を何件かまわったところ、案の定見慣れた横顔があった。金貸しという仕事は、リスクはあるにせよ、上手く回せばそれなりに悪い商売ではないらしい。庶民たちの大半が、あくせくとキツい労働に勤しんでいる時間から、酒場でクダをまいていられるのだから。
真っ昼間ということもあり、薄暗い店の中にいる客はガラを含めて、まばらだった。ガラの側に近寄ると、「よお〜早かったな。」と、赤ら顔をこちらに向けてくる。
全く・・・こちらの気も知らないで呑気なもんだ・・・
喉まで出かかった恨み事を呑み込んで、「ほら。娘さんに渡して来たぞ」と、ガラにタリからもらった印章が押された布切れを見せる。
「ごくろうさん。で・・・どうだった?」
ガラは、何やら色々な含みをもたせた笑みを浮かべて、こちらを見ている。
「どう・・って・・昨日みたいに誰かに襲われるなんてこともなく、問題なく家まで行って帰ってこれたよ。」
「そうか・・それは・・まあよかった・・・お前も何か飲むか?」
影人の感想に対して、ガラはどこか気のない返事を返す。どうやら求めていた言葉ではなかったらしい。
「いや・・・いいよ。酒は。」
「・・お前本当変わりもんだな。それで・・・その・・娘はどうだった?」
今度は先ほどよりも、あからさまな笑みを浮かべている。
「どうって言われても・・・なんだか色々と誤解されているようなんだが・・・何か昨日彼女に言ったのか?」
ガラは、眉間にシワを寄せて、「誤解されている?いったいどういうことだ?」と詰め寄ってくる。
「いや・・・よくわからないよ。最初は普通だったけれど、いきなり・・・その・・なんというか・・・彼女が、近づいてきて・・それで・・驚いて・・・彼女から離れたら・・急に怒り出して・・」
曖昧な説明を返すのが、精一杯だった。ガラは、タリの父親だ。あなたの娘が突然迫ってきましたとはっきり言うのは気まずいものがある。しかし、そんな気遣いはどうやら無用だったようだ。
ガラは、「はあ?お前・・・まさか誘いを断ったのか?」と、心底呆れたような声を出して、こちらを品定めするようにジロジロと伺ってくる。
「酒も・・女もやらない・・・元坊主とかいうことはないよな・・・いや・・貴族のせがれなら・・・それもありえるか・・」
ガラは、ブツブツと独り言をつぶやいている。
貴族って・・・ガラのやつ、俺のことを貴族だと思っていたのか・・どういう誤解をしたらいったいそうなるんだ・・だけど、それは、今はいい。
それより、問題なのは、タリのあの突拍子もない行動は、ガラが後ろで手を引いていたということだ。
「・・・おい・・・お前が、あの子にあんなことしろって言ったのか?自分の娘だろ。何考えてるんだ?」
影人は、呆れ半分、怒り半分といった気分で、ガラをにらむ。
「おいおい・・・少し落ち着けって。お前のことを思ってしたことなんだ。街の外にいる訳ありの娘のところにわざわざ行ってもらうんだ。何か・・その金以外にもお礼があった方がいいんじゃないか・・と思ってな。」
ガラは、そんなことで何怒ってるんだよと言いたげな表情を浮かべて、たいして悪びれた様子はない。
「・・まったく・・・勝手なことするなよ・・」
いったいガラの頭の中はどうなっているんだ。まるで、物を差し出すみたいに、自分の娘を差し出すなんて。しかも、ガラの態度を見る限り、さも当たり前のことをしただけといった様子だ。
「・・・にしても。変な奴だと思っていたが、ここまでとはな。あんな器量の良い女を拒むなんて。なあ、あの娘はかなりのもんだろう?野良仕事だってたいしてさせてないから、あの年にしては、体だってかなり綺麗なんだよ。それをなあ・・・お前の国の貴族ってのはどいつもそんな変わり者なのか?」
ガラは、まるで自分の商品を売り込むような口ぶりで、得意そうに娘の自慢をしている。そして、あいも変わらず、影人を貴族だと思い込んでいるようだ。
「あのな・・・俺は貴族じゃないぞ・・」
「安心しろよ。別に誰かに広めようなんて思ってない。異国にまで逃げてきているってことは、色々と事情があったんだろうからな。」
本人の知らぬところで、ガラの頭の中には、影人についての確固たるストーリーが出来上がっているようだった。
思わず大きなため息を漏らしてしまう。
「・・・なあ・・そもそも、なんで俺を貴族だと思ってるんだ?」
「そんなのお前・・言葉や素振りを見ればそこらのガキだってわかるさ。訛りがないそんな古代帝国語のイントネーションでしゃべって、読み書きもできる。これでそこらの村の農民あがりだって言われて信じるマヌケはいないだろう。」
言語の変換は、体内のシステムに任せているから、教科書通りの発音になっているのだろう。しかし、そこまでの違いがあるとは思ってもみなかった。服装はその他大勢のものと大差ないのに、未だによそよそしい視線を感じることが多かったのは、発音が理由の一つだったのだろうか。それにしても、考えないようにしていたが、言語の変換が可能・・・ということはやはり・・・この世界は・・・
影人は、ガラから視線を外し、一人考え込む。
「なあ・・・他にはあるのか?俺の・・・その変なところというか、貴族っぽい素振りや行動ってのは?」
「・・・なんだ?お前変なこと聞くなあ・・そうだなあ・・・食べ方がやけに上品ぶってる感じとか。他も、やけに仰々しいところがあるだろう。ツバもはかないしなあ。」
ツバって・・・ガラのやつ、そんなところまで目ざとく見ていたのか。大ざっぱなのか、抜け目がないのか、よくわからない奴だ。
それにしても、自分では普通の行動を取っているつもりだったが、この世界の普通は、影人の価値観とは大分異なるらしい。
元の世界で、人口の大多数を占める無職の一人に過ぎなかった影人の振る舞いが、貴族の所作と間違われるくらいなのだから。
「まあ・・・だいたいわかった。ただ俺は貴族じゃないんだが・・・まあ、それはとりあえずいいか・・それより、また俺が娘さんのところに行っても大丈夫か?その・・・かなり怒ってたぞ・・」
「大丈夫も何も、お前にやってもらうしかないからな。あいつだって、自分の立場くらいはわかってるさ。それに、あの子は、顔じゃなくて、頭の方もそれなりに回るんだ。だから、礼儀作法だって、そこそこ仕込んでるんだぜ。それをなあ・・もったいねえ・・」
ガラは、心底残念そうにして、また娘・・いや商品自慢を始めようとしている。これ以上、この話を続けてもラチが明きそうにない。
「わかった。わかったよ・・・お前がそれで問題ないなら、今後もこの仕事をやらせてもらうよ。」
「頼んだぞ。ところでだ・・・」ガラは、ギロリと鋭い眼光を向ける。
「今日の報酬は、朝話した額じゃないとダメだよな・・・まったく読みが外れたな。お前が女を好かないとはな。」
こいつ・・・娘を差し出して、報酬額をまけようとしていたのか。とんでもない人でなしだ。
「しょうがねえ・・ほら。これが今日の報酬だ。いつもの倍入ってる。それと・・・わかっているよな。この件は、誰にもいうなよ。」
ガラは、名残おしそうに小さな袋を乱暴にテーブルの上に置く。袋の中身を覗いてみると、たしかにいつもの倍近い量の硬貨が入っている。
それにしても、金のために、娘を簡単に利用するのかと思えば、その娘の安全のために金を払う・・・どうにも矛盾しているような気がするが、ガラの中では、娘を想っての行動、いや自分の利益のタネになる商品を守るということで、首尾一貫しているのかもしれない。
もしかしたら、娘を差し向けたのは、秘密を守らせようという考えもあったかもしれない。影人が、上手い具合にタリと恋仲にでもなってくれたら、タリのことを密告するという気もなくなるはず・・・そんな計算も働いていたのかもしれない。
こちらの方をじっと睨んでいる目には、そんな疑り深い男の用心深さが見え隠れしているように思えた。
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