第5話 宗教、ヒューマニスト、無神論者

 この時点で、影人はベッドから飛び起きて、短剣を握り占めていた。身を隠すところなど、この部屋にはないから、入り口からもっとも離れた窓の隅にかがみ込む。

 音は、階段を登りきったからなのか、いったん止んだが、すぐにまた鳴りはじめた。

 物取りか。それとも、さっきの奴らが仕返しに来たのか。いつの間につけられたんだ・・

 様々な思考が目まぐるしく影人の脳裏に飛び交う。

 音は、影人の部屋の前で止まった。

 影人はいつ飛び出してもいいように、中腰になり、ドアをにらみつける。

が・・予想に反して、ドアは動かなかった。

 代わりに、ドアの隙間に動くものがあった。布か何か小さなものが、隙間から滑り込んできた。そして、音が再び鳴りはじめた。その音は、影人から遠ざかっていき、しばらくすると完全に聞こえなくなった。

 音が聞こえなくなって、しばらくしてから、影人は溜めていた息を吐き出し、壁にもたれかかる。

 そして、先ほど入れられた布切れを拾う。丸められた布を広げると、何かの塗料で、文字が乱雑に書かれていた。


 不浄な存在には近づくな。


 翻訳機能が正常に稼働していることを信じるならば、この文字はそんな意味合いを持つらしい。それにしても、どういうことだ・・・何らかの脅迫文であることは明らかだが、抽象的な文言のため、いまいち意図がわからない。

 そもそもこのことは、今日の襲撃と関係があるのか。だとすると、あの襲撃は偶然ではなかったのだろうか・・・

 様々な可能性が頭をかすめるが、何度も緊張状態にさらされて、もう限界だった。こんなにも精神を疲労したのは、この世界に来てから初めてだった。

 ベッドに倒れて、目を閉じる。今日は色々なことが起きすぎた。考えるのは明日にしよう。今まで経験したことがない疲労の恩恵なのか、影人は、この世界にきて初めて、一度も目覚めることなく、朝まで泥のように眠ることができた。


 窓の外から聞こえる耳触りな音で目が覚めた。元の世界に戻れているのでは・・とぼんやりとした頭でいつものように一瞬期待するが、目を開けばその期待はあっけなく裏切られる。

 視界には汚らしい薄茶色の壁が広がる。影人が今いる場所は間違いなく昨日から連続している殺伐とした現実だ。窓から差し込む光が部屋の床に作る影を見る。どうやら、ずいぶんと寝ていたらしい。影から判断するにおそらく昼前といったところだろう。

 ヨロヨロと起き上がり、出かけるための身支度をする。もっとも、支度をするといっても、単に小袋と短剣を身につけるだけだ。今の懐具合では、替えの衣服を購入するという贅沢はできないから、服を着替える必要もない。

 今日も昨日と変わらないウンザリする毎日が続く。堅いパンを胃袋に詰め込んで、ガラのところに顔を出して、金をもらうだけだ。

 それ以外に何ができると言うのか。こんな世界では日々生きていくだけで精一杯だ・・

 外に出ると、そんな想いを抱いているであろう人々が、しかめっ面をして通りを歩いていた。空は住民の気分を反映しているかのようにどんよりと曇っていた。この地方の気候なのか、快晴という日は滅多にない。

 影人は、大通りの終点にあたる街一番の大きな建物である教会を横目にみながら、昨日の脅迫文のことをあらためて考えてみた。

 不浄な存在・・・つまるところあの差出人は教会関係者なのか・・・

そして、「近づくな」ということは、問題としているのは、影人の身近にいる人物だろう。

・・・ガラしかいない・・・

 ガラは、教会から目をつけられているのか・・・なるほど、金貸しなのだから、教会から好かれている訳ではないだろう。だが、ガラの商売は今に始まった訳でもないし、少なくとも影人が知る範囲では、ここ最近手を広げた話しも聞かない。何故今になって、彼らは、強硬策を取ってまで、ガラを排除しようと思ったのか。

 ガラに探りを入れてみる必要がある。何にせよこのまま放置して良い問題ではない。昨日のような襲撃がこれからも続くと考えただけで、全身を締め付けられるような気分に襲われる。

 ただでさえ、見知らぬ野蛮な世界で生き抜く重圧で、いっぱいいっぱいの精神状態なのだ。それに加えて、今度は見知らぬ第三者から命を狙われる羽目になるなど到底耐えられたものではない。

 それに・・・もしあの脅迫文の差出人が教会関係者なのだとしたら、かなり厄介だ。この世界において、教会がどれほどの影響力を持っているのか正確なところはわからない。ただ、少なくともこの街においては、街の象徴になるほど巨大な建築物を建てられるほどの力を持っている。

 それは、すなわちこの街屈指の金、権力、組織を持っているということだ。そんな教会から狙われることになるくらいなら、今の仕事を続けていくのも考え直さなければならない。

 といっても、代わりの仕事を見つけるツテがあるわけではないが・・・


 裏路地にある店舗兼住居に着くと、当のガラは影人の深刻な表情とは裏腹に、いつもと何ら変わった様子はなかった。

 やわな心の持ち主とはもとより思っていなかったが、昨日の襲撃はガラにとっても、稀な出来事のはずだ。だから、それなりの動揺はあるものだと踏んでいたのだが、どうやらそうでもないらしい。

「今日は遅かったな。昨日は珍しく酒でも飲んでたのか。」

「・・いや・・少し寝すぎて・・」

 完全に出鼻をくじかれた。呑気な様子のガラを前にして、昨日の脅迫文のことを切り出そうという勢いがそがれてしまった。

 てっきりガラの方から、襲撃のことを話してくると思っていたのだが、その話題についてはまるで触れてこない。

「昨日のことだけど、何か襲われる心当たりはあるか?」

「・・・何言ってるんだ?心当たりもなにもない。あいつらはごろつきだ。街道を根城にして、昨日の俺らみたいに少人数で歩いている奴らを誰かれ構わず、襲うだけだ。あんなのがいるんだから、やっぱり門の外になんて出るもんじゃないな」

そう吐き捨てた後、ガラは、影人の肩を力強く叩き、笑みを浮かべる。

「まあ・・・だが、お前のおかげで、この通りなんともない。」

 どうやら、ガラは自分が狙われたとは露ほども考えていないらしい。昨日の襲撃は単なる野盗の類だとはなから思い込んでいるようだ。

 確かに、あの脅迫状を知らなければ、そう考えても無理はないか・・・

「なあ・・教会の奴らはこの商売のことどう思ってるんだ?」

 突然、あさっての話題に話しを向けたためか、それとも触れられたくない話題なのか、ガラは眉間にシワを寄せる。

「なんだ?今さら?お前意外と信心深いのか。」

「いや・・そういう訳じゃないけど・・・色々と・・あるだろう?」

 とってつけたような適当な言い訳だったが、これが意外とうまくいったようだ。ガラは「なるほどな・・そういうことか・・」と、お前の考えはよくわかったと言わんばかりに、うなずいている。

「・・・・安心しろ。教会の奴らは俺たちの商売を好いちゃいないが、黙認してる。モグリでやっている奴らはどうか知らんが、俺は評議会から許可までもらってるんだ。心配いらない。それに・・・」

 これ以上は話し過ぎだと判断したのか、ガラは一呼吸おいて、話しを途中で打ち切る。

「まあ・・あれだ・・俺の用心棒をやってるからといって、死んだら地獄行きになるってこともない。何せ教会は一応俺の商売を認めているんだからな。俺だって、現世でのつかの間の商売で、あの世で永遠に苦しみたくはないからな。」

 影人にとって、地獄云々については、まるで興味はない。元の世界でも、来世、神、魂の存在を肯定する旧来型の宗教は、未だに根強い信奉があった。だが、信奉者の多くは、影人よりの祖父母世代、古き良き時代という幻想に囚われている人々だ。

 

 ガラの言いぶりには興味を惹かれた。教会の件に関して、ガラに気を遣って、あまり聞いたことはなかったが、ガラが、教会の教義を大真面目に信じているのは意外だった。

 いずれにせよガラのような末端の人々にまで教会が掲げる価値観が浸透している・・・ということは、この世界では、やはり教会の影響力はかなり大きいようだ。

「ところでだ・・・ひとつ頼みがある。」

 影人が教会の件について、もう少し突っ込こもうとしたところで、今度はガラが、話しの流れを変えてきた。

「いつもの仕事はしなくていいから、俺の代わりに娘のところに必要な物を届けに行ってくれないか。」

「え・・」

 予想外のことだっただけにしばらく、無言になってしまった。ガラはその様子を見て、影人が逡巡していると思ったらしく、説得を試みてきた。

「お前の懸念もわかる。病気をうつされるのが心配なんだろ?だが、あの子の病気は、前に言ったとおり、たいしたことはない。すぐ治るものなんだ。俺も長い間一緒にいるが、この通りなんともない。それに・・金も・・・いつもより余分に出してやる。」

 ガラは、どこか媚びたように、こちらの顔色を伺っている。その様子は、何やら切羽詰まっているように見えた。どうしても、影人に娘のところに行ってもらいたいようだ。

 昨日の襲撃はやはりガラの心にも禍根を残していたのかもしれない。たとえ、娘のためとはいえ、門の外に行くリスクをこれ以上は負いたくないということなのだろうか。

 とはいえ、この頼みを聞いてもいいものだろうか。門の外に行くのは、言うまでもなく影人にとっても危険なことだ。

 しかし、昨日の襲撃の際のことを考えると、思った以上に、自分の身体能力はこの世界では飛び抜けたものらしい。だとすれば、またあんなことがあっても、切り抜けられる可能性が高い。一人ならば、戦わずに逃げることだってできそうだ。

 それに・・・この仕事をいつまで続けられるかわからない。貰える金は多いにこしたことはない・・・

 頭の中で、様々な打算をする中で、昨日会った少女の顔が脳裏に写った。自分でも意外だったが、それが、最終的に影人の心の振り子を動かす決め手となったらしい。ガラが行った小細工も案外的を得ていたという訳だ。

「・・・わかった。昨日の家に物を届ければいいんだろ。報酬は、昨日と同じ額くれるのか?」

「ああ。その条件でいい。報酬もその額を払ってやるよ。」

何食わぬ顔で頷いたが、ガラのこの返答に、影人は、内心かなり驚いた。昨日もらった報酬は、いつもの約二倍だ。

 この時点で、脅迫文のことは影人の頭の中からほとんど消えていた。人間の心は都合がいいもので、状況の変化によって、やろうとしていたことがあっさりと180度変わってしまう。

 つまるところ、影人は、脅迫文のことは当面先送りにしようと考えていた。脅迫文の事を伝えて、ガラの気が変わっても困る。考えてみたら、脅迫があったことを信じてもらえるかどうかもわからない。

 それよりも、昨日のようなことがまた起こったら、その時何か行動を起こせばいい。今は、報酬が倍になったことを素直に喜んだ方が得策だ。そう都合の良い解釈を考え出して、影人は、考えを変えたことを強引に正当化した。

 ガラは、「持っていくのはそれだ」と部屋の奥の方に顔をやる。その方角に目をやると、床の隅にズタ袋が置かれていた。

 近づいて、袋の中を見ると、パンと保存が効きそうないくばくかの食用の穀物類が入っていた。一人分と考えると、数日分はありそうだ。

「頼んだぞ。日が落ちる前くらいに、またここに来てくれ。俺もそろそろ行かないとな」

ガラは、いつもの集金用の布袋を持って、出かける準備をする。

「一人で行くのか?」

「見知った常連客のところにしか今日はいかないからな。一人でも問題ない。」

 影人はズタ袋を持ち、肩に担いで、ガラと共に家から出る。路地から出た大通りはいつもどおりの喧騒だったが、少しだけ様子が違う。

 門の入り口から教会まで続く大通りのちょうど真ん中あたりになりやら人垣ができていた。

 ガラがその様子に気付き、「おい。ちょっと見にいこう」と、興奮したように人垣の方に向かおうとする。「おい・・」と止める間もなく、ガラはもう走りだしている。影人も仕方がなしに、その後に続く。

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