第4話 予想外の力と死

 ガラが、集団の存在に気付いた時、影人は既に、集団の素性に気付いていた。影人の目に写っていたのは、どうみても商人の格好をした輩ではなかった。誰もが、斧や剣、弓を携帯している。

 影人が、歩を進めるのを止めると、前方の集団に動きが見られた。集団は、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 影人は、後ずさりしながら、必死に行動の選択肢を考える。といっても、逃げるか、闘うか、二つしかない。一人なら逃げられるが、ガラを連れて逃げるのは無理だ。

見捨てて、逃げるか・・・という選択が、脳裏に浮かんだ。

 「くそ・・ついてねえな・・」とうめき声が後方から聞こえた。後ろを振り返ると、ガラが苦虫を噛み潰したような顔をしている。ガラの視界からでも、相手の服装がわかるほど、両者は既に接近していた。

 ガラの表情を見ていたら、逃げるという選択肢はなくなってしまった。ガラに情が湧いたからとかそういう高尚な感情からではない。ただ、この世界で一人になることに酷く不安を感じたからだった。


 この時点で、ようやく影人は、闘うという決心を下した。相手との距離が、数メートルにまで接近した時、前方の男から、声をかけられた。

「ようやく戻ってきたか。こんなに待たせやがって・・・」

 集団のリーダーなのか、男はその後、「おい!」と周りの男たちに、手で指示を出し、男二人を前に出させる。残りの二人と、リーダーの男は、二人が逃亡するのを防ぐためなのか、後方で睨みをきかしている。

「若い奴は殺れ。後ろの奴は、金のありかを聞き出すから、生かしておけ。」

 ジリジリと二人の男がそれぞれ武器を持ち、近づいてくる。初めて経験する命の危機を前に、猛烈な不安と恐怖に襲われる。この言いようのない全身を駆け巡る不快感に影人はあと数十秒とて耐えられそうになかった。

 全身はブルブルと震えて、まともに立っているのもやっとの状態だった。握り占めている短剣は、かろうじて、手に収まっていたが、脂汗で湿って、いまにも手元から落ちそうな有様だった。これでは、とても二人の攻撃を受けられるとは思えなかった。

 この極度の緊張状態から一秒でも早く逃げ出したい。考えられることはそれだけだった。

 それに対して男二人は、自分たちの数の有利もさることながら、怯えおののいている影人を見て、自分たちよりはるか格下だと判断したのか、表情に余裕があった。

 とはいえ、彼らは、こういった場数を何度か踏んでいる経験があるのか、決して油断はせずに、二人で歩調をあわせて、ゆっくりと間合いをつめてくる。


 限界だった。


 瞬間、影人は短剣を握りしめて、目の前にいた二人の内の一人を目掛けて、飛び出す。

 男たちの表情は当初は、先ほどと変わらず、余裕の表情だった。だが、すぐにその顔は、驚愕と戸惑いの色を帯びることになった。

 すれ違い様に、棒立ち状態の男の無防備な首元に、短剣を突き刺す。心の動揺とは裏腹に、体は自動的に動いていた。

 刺された男は、一瞬呆気に捕らえられた表情を浮かべた後、目の焦点が乱れて、そのまま膝を折り、地面に倒れ込んだ。

 影人自身も、戸惑いながら、倒れていく男の様子を呆然と見ていた。影人にとっても、意外なことに、その時、恐怖を感じていなかった。むしろ興奮していた。

 影人が想像していた以上に、強化されている人間とそうでない人間との身体能力の差は大きいようだ。


 いける・・これなら乗り切れる。


 男が倒れてから、数秒間、その場は、しんと静まり返り、ガラも含めて、その場にいた誰もが狐につままれたような呆けた表情を浮かべていた。

 その静寂を破ったのは、リーダー格の男のつぶやくような一言だった。

「おい・・・お前・・何をしたんだ・・・」

 その声を合図にしたかのように、場の空気が再び動き出した。対峙していたもうひとりの男が、影人に向き直る。その表情からは完全に先ほどまでの余裕の表情は消え去っていた。

 倒れた男を呆然と見下ろしていた影人も我に返る。未だに極度の興奮状態のままだが、それでもなんとか頭を働かせようと、心の中で何度も同じことをつぶやく。

 落ち着け、落ち着け・・やることは、さっきと、同じだ。男の首元を目掛けて、飛び出すのみだ。

 心の中で、その言葉を言い終える前に、影人の身体は既に動いていた。

 だが、先ほどの場合と違って、今度の男は、影人の動きを警戒して、両腕を上げて、防御の姿勢を取ろうとした。

 それでも、影人の能力は男の予想を上回っていた。男がわずかに両腕を動かしたときには、既に影人の短剣は男の首元に達していた。男は、そのまま両腕をブランと力なく、投げ出し、その場に倒れる。

 残された野党たち三人は、前の時と同様にその様子を呆然と見ていた。ただ、その顔には、先ほどと異なり、恐怖の表情がはっきりと見て取れた。

リーダー格の男は、必死に現状を把握しようと独り言のような言葉を発していた。

「・・何なんだ・・いったい・・・・・」

未だにこの状況が、信じられないといった様子だった。

「・・おいここまでだ・・この仕事はこれで終わりだ・・クソ・・割りに合わない仕事を受けちまった・・」

吐き捨てるように言い放ち、影人の方を見て、警戒しながら、話しを続ける。

「おい・・・俺たちはこれ以上はやらねえ・・それで・・・いいな・・・」

 影人は、男の方を見て、ゆっくりと首を縦に振る。闘いを終わりにしたいのは、こちらも同様だ。有利に事が進んでいるとはいえ、賭けているのは自分の命だ。やらないにこしたことはない。

 影人の了承に、男は心底安心したように顔を一瞬頬を緩めた。だが、すぐにまた険しい顔に戻る。後ろの部下二人は、弓を構えて、影人の動きを牽制していた。

「よし・・・こいつらはこのままにしていくが・・・武器は回収していく・・値が張るからな・・後のものはお前らにやる・・それでいいな?」

 影人の様子に、交渉の余地があると見たのか、抜け目なく自らの要求を飲ませようとする。とはいえ、この緊張状態を一刻も早く解消したい影人にとっては、武器のことなどどうでもいい問題だ。すぐに、影人は、二つ返事でうなずいた。

 男は満足したかのように、頷き返し、部下たちに倒れた男二人の武器回収をするように目で促した。

 武器の回収を終えたことを確認すると、影人の方を見ながら、ゆっくりと後退していく。そして、数十メートルほどの距離が広がると、すばやく踵を返して、街道の向こうへと消えていった。


 野党たちが視界から消えたことを確認すると、影人は、「ふうう・・・・」と深い息を吐き、構えを解き、両腕を下げる。思わずそのまま、その場に座り込んでしまいそうなくらい、力が抜ける。

「・・・お前・・・すごいな・・・」

 後ろから、絞り出すようなガラの声が聞こえてきた。振り返ると、ガラが呆然と突っ立っていた。影人の方を一応見てはいるが、心ここにあらずといった様子だ。

「大丈夫か?」

 外見上は怪我をしていないようだが、完全に呆けているガラの様子が気になり、声をかける。影人の呼びかけにも、「ああ・・・」と生返事を返すだけだった。

「おい・・本当に大丈夫か?早くここから離れて、街に戻ろう。」

「ああ・・そうだ・・そうだな・・」

 未だに、ガラの様子は少しおかしいが、とりあえずその場からは離れることに異論はないようだ。

 ガラはおもむろに歩き出し、倒れている男二人に近づくと、その場にしゃがみ込み、体をあらためだした。

「お、おい・・何してるんだ・・・」

「何って・・・売れるものがないか探してるんだよ。お前ももうひとりの奴を調べてくれ」

「・・・え・・それは・・」

 生命の危機にさらされていた極度の緊張状態から、解放された今、影人は自分が倒した二人をあらためて見る。


 彼らは死んでいる・・自分が殺したのだ・・・


 

 この世界では、死は特別なものではない。そのことを今また身を持って体験してしまった。

 ガラにしたって、彼らの死について、何か特別の意味を見い出している様子はない。至って、日常そのものだ。現に今も食事をするかのように当たり前のこととして、亡骸の体を漁っている。

 こんなにも死が日常の世界にいると、酷く不安になる。自分の命も、この日常にあっさり呑み込まれてしまうのではないかと感じてしまう。

 影人がいた世界では人の死というものは、特別で滅多に起こりえないことだった。だから、自分が死ぬということを深く想像したことはなかった。宝くじに当たる確率程度の不慮の事故にでも合わない限り、

 ガラは、そんな影人の心情などどこ吹く風で、二人目の骸を物色していた。

「あんまり・・いいものはねえな・・・こんなもんだろう・・そろそろ行くか」

「・・・こんなとこからは早く離れよう・・」

 影人は骸から背を向けて、ガラが立ち上がるのを待たずにさっさと歩きだした。とにかく、少しでも「死」から遠ざかりたかった。


 幸いにも、そこから街に戻るまでは、特段のトラブルはなかったし、門が閉鎖される夜までには入り口に辿り着くことができた。街の門がまだ開いているのを確認した時には、おもわず安堵のため息が出てしまった。

 ガラもこれまで終始無言だったが、門の中に入ると、安心したのか、口の滑りがだいぶよくなる。

「これから酒場に・・といきたいとこだが、お前は飲まないんだよな・・まあ、俺も帳簿の整理もしないといけないしな・・ここらで解散するか・・それと・・・」

 ガラがズタ袋から、乱雑に硬貨を何枚か取り出し、手渡してきた。いつもより枚数が多い。が、どの硬貨がどれくらいの価値があるのかすぐには判断ができないため、今日の報酬がいつもと比べてどれくらい多いのかは判断できない。

 ガラは、影人の顔を見ながら、ニヤリと笑い、「今日のお前はこれくらいの報酬をもらって当然の働きをしたからな」としたり顔を浮かべている。

 どうやら、ガラの言を信じるならば、いつもよりはかなり多いらしい。借家に戻ったら、もらった銅貨、銀貨の種類でも確認してみるか・・・

 この街では、何種類もの硬貨が流通していて、しかも、その時々の情勢の変化で、価値も目まぐるしく変わるから、把握するのは難しい。

「それじゃ・・・」と背を向けて、別れようとすると、ガラが呼び止めてきた。

「あ・・ちょっと・・待て・・・今日は助かった・・本当にな・・」

 振り返ると、ガラは見たことがないほど神妙な面持ちをしていた。

 「・・・そ、そうか・・・」

 ガラが言葉にして、感謝を伝えているのだから、どうやら今日の一件は、相当ガラの琴線に触れることができたらしい。ただ、予想外のことに、どう返せばよいのかわからず、ただ気のない返答をするしかなかった。

 なんとなく気恥ずかしくなり、「じゃ・・また明日・・」と足早にその場から離れる。


 大通りを抜けて、居住している借家へと向かう。日はすっかり落ちて、あたりは、夜の帳が下りている。大通り沿いは酒場や店が立ち並んでいるから、夜でもその周りは、まばらだが人通りはある。しかし、そんな大通りですら、影人の感覚からすれば、圧倒的に暗い。店の中から漏れる僅かな光が近くの道を照らすのみで、そこから外れれば、月明かりくらいしか光源はない。

 何度か夜に街を歩いたことはあるが、それでもこの漆黒にはなかなか慣れない。この暗闇の中にいると、歩く速さは、自然と早くなる。ましてや今日は、あんなことがあったばかりだから、いつにもまして、スピードは早くなる。

 影人が住む家は、街の中心部から少し離れた区画にある。住んでいる一帯の区画は、ガラいわく、「お前みたいな流れ者が、あんなとこに住んでたらあっという間に金が無くなるぞ・・」というほど値が張るエリアらしい。

 本当のところは、もう少し安宿に居を構えるべきなのだろうが、一度そういったところに泊まった時に酷い目にあったため〜一泊だけといえども耐えられる衛生環境ではなかった〜に、今のところを定宿としている。

 

 大通りから、何度か角を曲がり、影人の家の前へとたどり着く。家の外観は、住んでいる影人ですら、なかなか見分けがつかないほど周囲の建物と似通っている。建物に個性を持たせることはここでは、過剰な贅沢なのだろう。

 玄関の扉を開けて、階段を登り、借りている二階の部屋へと向かう。家の中も真っ暗闇だが、このころになると、目が闇に慣れてきて、急勾配の階段もなんなく昇れる。

 短い廊下の奥にある部屋のドアノブを回し、部屋に入る。使い古したベッドが一つあり、部屋の面積のほとんどを占める。その他の家具といえるものはない。当然、洗面所やトイレといったようなものはない。

 見慣れた暗く狭い部屋に入り、ベッドに座る。これが、今の影人の現実の生活なのだ。以前暮らしていた政府管理の部屋に「無個性でつまらない」と不満を垂れていた頃の自分に見せてやりたい。

 こんな部屋に住んでいても、ガラが言う通りに、今の影人の収支は、常にカツカツの状態だ。週払いのこの家の家賃だけで、唯一の収入源たるガラからもらう報酬の8割ほどはなくなってしまう。

 残りの二割をあのバカみたいに硬いパン代に回せば、それですっからかんだ。唯一救いなのが、こんな不摂生極まる生活をしても、意外にも体調を崩さないことだ。以前は不満の種だった政府が影人の身体に施した医療システムの性能に感謝せざるを得ないだろう。

 国民全てが、施術を無料で受けることができる必要最低限の低スペックのシステムだと、思っていた。だが。そのおかげで、病気にもならず、強化された身体能力は、この世界では、十分過ぎるほどの性能を発揮している。

 家、食料、健康、娯楽、それらが全て揃っていた前の生活が酷く懐かしい。もっとも、当時は、そんな生活に多少なりとも不満を感じていたのだが・・・

 昔を回想しても、状況は一向に改善しないのはわかっているが、それでもこの世界で街中を歩く度に、食事をする度に、部屋に戻る度に、過去の生活を追い求めてしまう。

 そして、今の生活において、極めつけに不幸なのは、常に感じるこの不快な思いを任意に変えることができないことだ。

 脳にアクセスして、感情操作をすることなど当然この世界ではできない。だから、原始的な方法で感情をコントロールしかない。

 少しでも気分を紛らわそうと、ガラからもらった硬貨を小さな布袋から取り出して、ベッドの上に広げる。

 頭の中の知識を整理して、四苦八苦しながら、暗算を行い、硬貨の価値を計算する。なるほど、たしかにガラが言ったとおり、いつもの報酬のおよそ二倍程度はあるようだ。頭をいじめたかいもあり、金の力は、ほんの一瞬、影人の気分をわずかに向上させた。

 そのままベッドの上に寝転がる。この余韻を利用して、早く寝てしまいたかった。この世界に来てからは、安眠できたためしがない。


ガタ・・と、物音がした。

 一階の入り口の方からだ。嫌な予感がした。この建物には他にも住民はいるが、こんな夜中に帰ってくることなど滅多にない。床がきしむ音が続き、その音は徐々に近づいてくる。

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