第3話 少女と病
家の中は、外観に比べれば、いくらかマシな程度には片付いていた。それでも、人が住んでいる気配はしない。当の昔に朽ち果てた木造りの椅子や机が何個か無造作に脇に置かれて、ほこりを被っている。端の方に目を向けると、地面に直に置かれている皿があった。
その皿だけは、ホコリをかぶっておらず、人が使用した形跡があった。
どうやら最近住み着いた住民がいるようだ。部屋を見渡すがガラは見当たらない。奥の方から何やら話し声が聞こえてきた。ガラと住民は、奥の部屋にいるようだ。
特に隠れるつもりはなかったので、ギシギシと床を踏み鳴らしながら、声のする方へ歩を進める。
一定の距離まで近づくと、ガラが足音に気付き、こちらの方に顔を向けてくる。
「お、おい!」
ガラが慌てた様子で、こちらに近寄ってくる。影人は、向かってくるガラを無視して、部屋の奥にいる住民に目を向ける。
若い女だった。年は二十代に見えるが、この世界のことを考えると、もしかしたらもっと若い・・10代後半かもしれない。
女は戸惑いの視線をこちらに投げかけていた。すぐに、ガラに、肩を荒々しくつかまれ、部屋の外へと連れ出された。
「おい!外にいろと言っただろ!」
影人は、視線を部屋の奥にいる少女へと向けた。
「あれが客なのか?」
「・・・ちっ・・お前・・意外と詮索好きだったんだな・・」
「街の外の離れたところまで連れてかれて、こんな家に立ち寄れば誰だって気になるだろ」
「・・・確かに黙っていたのは悪かった。だが・・金はちゃんと払う。門の外まで来た手間賃として、今回はいつもより多めに払うつもりだったんだ。だから、これ以上・・詮索するな・・」
影人は、ガラの予想以上の剣幕に、気圧されてしまっていた。正直、ちょっとした興味本位と騙されていた腹いせにちょっと困らせてやろうと、覗いてみただけなのだ。
しかし、どうやら、ガラの態度から察するに、影人が立ち入ろうとしている問題は、かなり深刻な事柄のようだ。中途半端な心根で関わってよいものではないらしい。
出ていこうかと足をちょうど外に向けたところで、少女がガラに話しかけてきた。
「お父さん。その人は・・」
「いや・・こいつは・・」
少女に声をかけられて、ガラの力みが解けてしまったようだ。ガラは、ふうと息を吐くと、影人の肩にかけていた手を離した。
そして、じっとこちらの目を見てくる。その眼差しは真剣そのものだ。
「まあ・・いい・・・ここまで知られて、下手に隠したままだと、かえって面倒なことになりそうだ・・・」
ガラは、少女の方を振り返り、一刻間を置いた後、再び前を向き、顎を傾ける。
「おい。こっちで話すぞ。」
ガラに促されて、入り口の方に移動し、外へと出る。
「お前のことは・・・それなりには信用している。だから、この家まで連れて来たんだ。だが・・・こっちの事情まで話す気はなかった。けど、お前は自分から足を突っ込んできた。だから、これから、俺が話すことは当然、黙っててもらう。誰にもいうなよ・・・」
ガラは苛々しげに、体にまとわりつく小虫を手で追い払い、先ほどより、さらに迫力を増した視線をこちらに向けてきた。
影人は、軽い気持ちで、この家に立ち入ってしまったことを後悔し始めていた。実際、ガラに見咎められた際に、部屋から出ていくつもりだったのだ。
それなのに、どういう訳か、あっという間に後戻りできない状況になっていた。ガラの迫力を前に、影人はただ重力の赴くままに首を力なく縦に振る以外できなかった。
「あ、ああ・・わかったよ。」
「よし・・・いいだろう。と言っても、さっきので、だいたいの事情はもうわかってるだろう?あそこにいる子は俺の子で、今は・・・見てのとおり、病にかかっている・・・。だから、ここで匿っているんだ。」
その後、説明がまだ続くものと思って、影人はただ黙って話に耳を傾けていた。が、いくら待ってもガラは話の続きを言わない。ただ、じっと探るようにこちらを見てくるだけだ。しばらく間が空いた後、沈黙に耐えきれず、影人の方から切り出す。
「・・・それで他には?」
「・・・他に話はねえよ・・これで全部だ」
「・・・そう・・なのか・・」
影人はすっかり拍子抜けしていた。肩透かしもいいところだ。ガラの態度から、何かよっぽどの事情があるのかと思いきや、単に病気の娘を看病しているだけだったのだから。
ガラに娘がいたことは初耳だったし、何故街から離れたこんなところに一人で住まわせているのかは不明だが、それ以外は、別に変なこともない。要はどうってこともないような話だ。
ガラが、こんなことを何故頑なに隠そうとしていたのか、不思議でならない。影人の間の抜けた態度に気づいたのか、ガラが怪訝そうな表情を浮かべる。
「おい・・お前今の話わかってるのか?」
「え?ああ・・しっかり聞いていたよ。病気の娘さんを看病しているんだろう?でも、何だってこんな場所に一人で住まわせてるんだ?」
ガラは、あっけにとらわれた様子で、目をパチクリさせていた。そして、やれやれとこれ見よがしに大げさにかぶりをふって、ため息をついた。
「お前が世間知らずだとは知っていたが・・これほどとはな・・本当どこから来たんだか・・」
随分と、小馬鹿にしたような言い草だった。その態度に苛立ちがつのり、思わず、声が上ずる。
「・・・何が言いたいんだ?はっきり言ってくれよ」
「言ったとおりだ。いいか?俺の仕事は何だ?金貸しだ。そして、その娘が病にかかった。悪いことに、ついこないだも近くの街で、流行り病で、かなりの人数が死んだばかりだ。まあ・・・娘の病気は実際、大したことはない。だが、街の奴らは病にたいして今は大分過剰になっている。そんな時に、俺みたいな金貸しが、病気の娘を連れていると知られてみろ。天罰だのなんだの言われて、街の奴らに吊し上げにあっちまう。下手すりゃ憂さ晴らしに、リンチにあいかねない。」
ガラは今までの鬱憤を発散するかのように、早口で影人にまくしたててきた。影人は、ガラの話から、自分なりに必死に頭を働かせて、考えをまとめようとしていた。
どうやら、この街では影人が思っていた以上に、金貸しは嫌われているらしい
しかし、それだけの理由で、人々は暴走するものなのか・・・
影人は、いまだに当惑していたが、ガラは、そんなのはお構いなしといった様子で、誰に話すでもなく、言葉を紡いでいた。
「くそ・・・やっと・・この街の生活にも慣れてきたんだ・・けっこうな金も払って、正式な居住権も獲得したんだ・・それなのに・・」
ガラはこのことを、これまで誰にも言うことができずにいたのだろう。予期せずとはいえ、影人に話したことがきっかけで、今まで内に抑えてきた恐怖、怒り、そんなごちゃまぜになった様々な感情が、堰を切ったように溢れ出てきて、止まらない様子だった。
影人は、ガラがここまで感情的になっている様子をはじめて見た。冷静で合理的な人間・・・というのが、これまでのガラの印象だった。
そういった特徴は、影人がついこないだまで生活していた世界を思い出させるものだった。だから、ガラの元で働くことにしたのだ。
だが、今影人の目の前にいるガラは、狼狽し、取り乱している。こんなに感情的になっている人間を生で見るのは影人にとっては、数えるほどしかない。
大の大人が、公の場で感情的になり、大声を上げるなど、前の世界では考えられない行為だ。
ひとしきりに言い終わって、少し落ち着いたのか、再び影人の正面に顔を向き直した。そして、バツが悪そうに、片手を頭でかく。
「・・・まあ・・なんだ・・このことは絶対人に知られちゃならねえって訳だ。わかったな!」
「あ、ああ・・わかっ・・」
入り口の扉にひょっこりと浮かぶ小さな顔に気付いて、思わず言葉を止めた。先ほど、奥にいた少女だ。酷く不安そうな表情でこちらから隠れるようにわずかに顔を覗かせている。
影人の視線を追って、ガラも少女の存在に気付く。
「タリ。外には出るなと言ったろ。誰かに見られちゃまずいだろ。」
「・・・・その人は大丈夫なの?」
「・・・まあ・・こいつは・・・大丈夫だ・・俺の仕事を手伝ってもらってる奴だからな・・・」
「そう・・・ならよかった・・」
少女はそう言いながらも、影人に対する警戒の構えをまるで解いていなかった。じっと、こちらを凝視し、顔を曇らせている。影人は戸惑いながらも、とりあえず挨拶とばかりに、少女の方を向いて、無言で頭を下げる。少女も影人の挨拶に答えて、わずかに顔を縦に振った。
「さて・・と・・・俺はちょっと娘と話しがあるから、お前はここにいろ。いいか、今度こそここにおとなしくしてろよ」
「わかってるよ。」
ガラは、再び少女とともに家の奥へと戻っていく。少女は、奥に引っこんで行く際にも、何度もこちらを振り返り、こちらをチラチラと見ていた。どうやら、相当怖がらせてしまったようだ。
二人が視界から消えると、影人は再び今後の方針について、考えを巡らませようとした。だが、そういった意思とは裏腹に、影人の思考は、今やすっかり脇道に逸れてしまっていた。というのも、あの少女のことで頭がいっぱいになってしまったからだ。
少女は、この世界で〜といってもこの街のみだが〜影人が見た中では、外見が一際美しかった。表情は暗く、とても健康的とは言い難かったが、それでも、影人の心に印象を焼き付けるには十分だった。
しかし、あくまでこの世界では・・・という注釈がつく。影人がいた前の世界では、あの少女程度の外見をした女性は珍しくなかったからだ。
それでも、こんなにも少女の外見が、影人の心を占めているのは、相手と直接接しているからなのか・・・それとも、単にここでの生活に慣れて、自分の美的基準もこの世界の水準に近づきつつあるからなのか。
そんな風に少女の外見に心が奪われていたため、肝心なこと〜この問題にどう対応するか〜をまるっきり考えない内に、ガラが家の中から出てきた。
「・・・そろそろ行くぞ。暗くなる前に街に着きたい。」
よく見ると、ガラの後ろに少女が隠れるようにいた。無理やり連れてこられたように、嫌そうな表情を浮かべていた。ガラは、何故か影人の方をチラッと見た後、少女の方に向き直った。
「また来るから、それまでおとなしく家にいろ。」
そう言うと、再び影人の方を向き、首を傾ける。どうやら、先導しろということらしい。
日はまだ落ちてはいないが、大分傾いていた。のんびりしていると、下手をしたら、街に着く前に夜になってしまうかもしれない。
急ぎ足で、再び藪の中を掻き分けながら、街道目掛けて突き進む。道中は二人とも無言だった。夕方になり、虫の動きが活発になったのか、音につられてうんざりするくらいの小さな羽虫がよってきた。
数秒おきに片手をブンブンと振り回しながら、前へと進む。ようやく藪の中から抜け出て、街道に着こうかというところで、不意にガラが後ろから声をかけてきた。
「・・・あの子は美人だったろ?」
予期していなかった質問だったので、すぐには反応できずにいた。結局、出てきた言葉は、「まあ・・」と生返事を返すのがせいぜいだった。
「だろう?まあ・・あの子のことは黙っててくれよ。」
ガラは、そう言いながら、含みを持った笑みを浮かべる。なるほど・・あの家を出る際に、少女を玄関に連れてきたのはそのためだったのか・・・どうやら、もういつもの合理的で計算高いガラに戻っているようだ。
藪を掻き分けて、街道まで戻ってくる間に、日はますます傾き、あたりは目に見えて、薄暗くなってきていた。
「急がねえとな・・」
ガラは先ほどまでの笑みを引っ込めて、空を見上げて怪訝な表情を浮かべる。
夜に二人で、街の外にいるのは危険極まる。野党の類も心配だが、獣の方もやっかいだ。少し道から外れてしまえば、先ほどのようにあたりは自然の勢力圏になる。月明かりもほとんど入ってこない真っ暗闇の森の中で歩き回った挙げ句に、腹をすかせた獣の遠吠えを近くで聞く羽目にはなりたくない。
「・・・ああ・・先を急ごう・・」
お互い無言で、街道沿いに街を目指して早足で歩く。街道といっても、この時間になると、行き交う者はいない。街まであと半分といったところで、影人の前方に数人の集団が見えた。
嫌な予感がする。こんな時間に街道にいる輩は二種類しかいない。影人たちのように日没前までに街へ急ぐ商人たち、あるいはそういった者たちを狙う野党たちか・・・
街まで行くには、この街道を通るしかない。一歩一歩近づくにつれて、影人の不安は高まっていく。
ガラが、「おい・・あれは・・・」と声をもらす。どうやら、後ろを歩いているガラも、前方の集団に気付いたようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます