第2話 思わぬ力

 二人の男の内、小柄な男の方は、じっと影人の方を見たまま動かない。

 一方、もうひとりの男は、おとなしくしているつもりはないようだ。


 「おい!何のつもりだ!」


 大柄な男は、怒りで体をわななかせて、影人を睨みつける。

 そして、怒鳴り声を上げると同時に、勢いよく影人めがけて、殴りかかってきた。

 数秒後、影人と男が接触すると、男は宙を彷徨い、そのまま体を地面にしこたま叩きつける羽目になった。


「うお!!」


 叫び声ともうめき声ともつかない言葉を一瞬発して、男は、体に受けた衝撃にもがき苦しんでいる。

 影人は、地面に倒れている男を見ながら、今まで経験したことのないほどの安堵感を抱いていた。


 ・・・


 目的を果たした影人が、その場から離れようとすると、もうひとりの男、小柄な男が近づき、声をかけてきた。

 その男が、今目の前の路地を歩いている男、ガラだ。


 ガラと影人は、路地を抜けて、大通りへと入る。

 大通りをたどってしばらくすると、都市の入り口である門にたどり着く。


「いつ見てもこの門と城塞には圧倒されるわな。俺たちは街に住めて幸運だな」


 ガラが、門を見上げながら、ぼそりとこぼす。


「そう・・だな」


 ガラは、この都市に居を構える前は、ここらの周辺各地を根無し草のように放浪していたらしい。


 そして、そのガラが、門に来る度に、挨拶代わりに同じ事を言うのだから、今目の前に立っている門や周囲を囲む城塞程度の建築物でも、この世界ではかなり稀なのだろう。


 二人は、門を曲がり、城塞に沿って、歩く。

 ここらの家々は、先ほどの大通りの家よりもさらにみすぼらしく、いつ倒壊してもおかしくないくらいに傷んでいる。


 実際、屋根やら軒やらが崩れて、倒壊している家々も多くある。

 それでも、雨露をしのぐ役割は果たせるからなのか、そんな家でも人々は何食わぬ顔をして、住んでいる。


 影人たちが、今歩いている場所は、この都市の端っこ部分にあたる。

 そして、この都市の端には、文字通り、この社会の末端に位置する人々が集まっている。

 

 そんなオンボロの家というより廃墟が密集している一角を横目にして、しばらく歩いていると、ガラが止まり、顎を降る。


「ここだ。」


 影人はガラの前に出て、指し示された家の扉をノックする。

 この瞬間が一番、心臓に悪い。

 今まで、扉を開けた瞬間に食ってかかられたことが何度かあるからだ。


 もちろん、影人の能力なら避けるのは容易い。

 しかし、感情の方は制御できない。

 突然の襲撃を受ければ、恐怖を感じてしまうことは避けられない。


 


 ギイっと鈍い音がして、扉がわずかに開き、女が体半分出てきた。

 日々の生活に疲れ果てているのだろうか、女の目は窪んでいた。

 こちらを確認すると、まるで、汚物を見るかのように、顔をしかめて、いっそう目のくぼみを深くする。


 女は、いったん扉を閉めて、数秒後に再び扉を開ける。

 後ろから、ガラがすばやく影人の体をぬって、手を突き出し、女からモノを受け取る。

 ガラに手渡すと、女はその手の中を口惜しそうに見つめた後、扉を閉じる。


「次いくぞ・・」


 先ほどと同じような調子で、この区域の家を数戸まわる。

 訪れる家の様子も、その家の住民から向けられる視線も、驚くほど共通している。

 最初は、住民から向けられる敵意に戸惑ってはいたが、今ではすっかり慣れきってしまった。


 ガラの仕事を考えれば、客がこちらを好ましく思わないのも当然だ。

 しかし、そのことを差し引いても、少し反応がおおさげに過ぎる。

 客たちはまるで、不浄なものを見ているかのような視線をこちらに向けてくるのだ。


 この仕事をはじめた当初、そんな疑問をガラに尋ねたことがある。

 すると、ガラは、何を当たり前のことを聞いてくるんだと言わんばかりに呆れた様子で、言い放った。


「そりゃ金貸しだからな」


 ガラの回答は、影人が望んでいた答えではなかった。

 影人の認識では、金融業はそこまで嫌われる類のものではないからだ。

 少なくとも、そういった職業に従事しているからといって、穢れたモノを見るかのような視線を浴びるいわれはないはずだ。


 ガラの答えが意味する真意がわかったのは、普段交わす何気ない会話の端々からこの世界の価値観を学習してからだった。

 つまるところ、この世界・・いやこの都市を含む地域一帯で広く信仰されている宗教において、金を貸すという行為は忌むべき行いらしい。


 その宗教的な教義が意味するところを聞いても、ガラは教えてくれなかった。

 というよりは、知らないようだった。

 もろん、教会のお偉いさんに尋ねれば、長ったらしいウンチクを教えてくれるだろうが、少なくとも、庶民レベルでは、そういう論理は浸透していないらしい。


 ようは、ダメなものはダメという程度の認識だ。

 では、ガラはこの都市で犯罪行為にあたる商売をしているのかというとそうではないらしい。

 いわくガラの商いは都市の評議会〜行政機関にあたる存在らしい〜から正当な許可を得ているそうだ。

 

 どんな規則にも例外や抜け穴が必要ということなのだろう。

 実際、ガラの商売はそれなりに繁盛している、つまり少なくない需要があるという訳だ。

 そして、法律に反しないからといって、人々が求めるものを提供しているからいって、社会から認められるという訳でもないようだ。


 もとの世界に置き換えて考えてみると、宗教が未だに根強い影響力がある貧困国で、亡くなった家族の思考をそっくりそのまま再現したアルゴリズムを販売している人間のようなものなのだろう。


 一通り何件か回り、そろそろ今日は終わりかな・・と思っていたところ、ガラがおもむろに声をかける。


「次の外のやつで今日は最後だ」


 これは意外だった。というより、はじめてのケースだった。

 これまでのガラの客は全て都市の中、つまり城門の中に一応居住している者に限られていた。


「外にも客がいるのか?」

「まあ・・・一応・・な。安心しろ。外と言っても門のすぐ近くに住んでいるやつだ。」


 影人が都市の外に行くのを嫌がっているようにガラは、思ったらしい。

 ガラが、そう誤解するのもやむを得ないだろう。

 なにせ、都市の住民はガラを含めて、城門の外へ行くことを極力避けている。


 その理由は、単純明快、治安の問題だ。門の外を出れば、そこは都市の管轄外になる。

 つまるところ、何が起きても都市の治安機構は介入してこない。

 

 それぞれの都市をつなぐ街道はあるし、その街道には商人たちも行き交ってはいるが、彼らは、みな集団で行動し、武装している。

 影人がいる都市も含めて、この周辺一帯はどこかの王国の勢力圏になっているそうだが、あくまで名目上といったところのようだ。


「この国の王の名前は何なんだ?」といつだがガラに聞いてみたことがある。

 しばらく考えた後で帰ってきたのは、

「さて・なんだったかな・・去年病気か戦争かで亡くなったことは商人たちから聞いたんだが・・最近は数年おきに変わっているからいちいち覚えちゃいられんよ」

 との、なんとも頼りない返答だった。


 それに比べて、都市の評議会のメンバーについて、聞けばそれこそ小一時間話し続けてくるのだから、ガラが実質的に何に所属しているかは一目瞭然だ。

 そういう訳で、都市住民の感覚からすれば、門と外とでは明確な線引があるのだ。だから、ガラが門の外の住民にも金を貸している事実に、影人はいささか驚いていた。


 先ほどまで集金のために回っていた都市の端から中心にある門まで戻る。

 門の前に立っている衛兵たちに、ガラが目を向けて、黙礼をする。

 どうやら、顔見知りのようだ。

 

 彼らが向ける視線も、だいぶマシになっているとはいえ、先ほどの客と同じ種類のものだった。

 門を出ると、都市に入る際の手続きで、待っている行商たちが入り口あたりにごった返していた。


 しばらくそういった集団が何組もいたが、門から少し離れると、あたりは大分閑散とした様子になってきた。

 あたりが静かになるにつれて、ガラの様子が明らかに変わってきた。あたりを警戒し、大分緊張している様子だった。


「なあ・・客の家はそろそろなのか?」


 ガラが纏うピリピリとした雰囲気が伝染して、緊張感がただよう空気をやわらげようと、たまらず声をかける。


「・・・ああ・・もう少しだ」


 そうは言われても、安心できない。

 なにせ、もう街からは大分離れてしまっているのだ。

 石畳で舗装されていた街道もいまやすっかりむき出しの大地になっている。

 既に「街の近く」とはとても言えない。

 

 こんなところで、誰かに襲われたら、間違いなく助けは期待できない。

 もっとも、万が一野党たちに襲われても、切り抜けられる自信はある。

 が・・・集団での闘いは経験がない。


 いくら強化されていない人間相手とはいえ、武装した複数の者たちと立ち回った際に、自分の能力がどこまで通用するかははっきり言って未知数だ。

 影人の疑惑の視線に気づいたのか、ガラはさらに念押しをするかのように言った。


「本当にもうすぐそこだ。安心しろ」


 そう言われてから、さらに十数分後、ようやく目的地に着いたらしい。

 結局、門から出てかれこれ小一時間は歩いた。

 先導していたガラが、「あそこだ」と顎を降る。

 

 指し示された方向に顔を向けると、遠くの鬱蒼とした茂みの奥になにやら家らしきものが見える。

 影人の視覚でも言われなければ家だと認識できないくらい、その家屋は周りの背景に溶け込んでいた。

 

 街道から外れて、茂みの奥にある家を目指して、歩く。

 茂みと言っても、それらの背は、腰の高さほどまであり、かつ野放図に生えているため、掻き分けて行くにしても、大分骨が折れる。

 さらに、近くに水源でもあるのか、地面は、湿地帯さながらに泥濘んでいるから始末に負えない。


 近づくに連れて、本当にこの場所が目的地なのかという疑念が強まっていった。

 というのも、視界にある家は、明らかに人が住んでいるような気配を感じられなかったからだ。

 

 都市内の家もオンボロではあるが、それでもそこで住民が日々暮らしている生活感が端々に漂っていた。

 しかし、いま目の前に広がる家・・というより廃墟にはまるでそういった温もりは感じられなかった。


 その家は、周りの草木に外壁のほとんどを侵食され、内部まで入り込まれており、どこが入り口なのかもわからないほどだった。


「本当にここなのか?」


 影人の問いかけに、ガラは無言で雑草を掻き分けて、玄関らしき場所へと足を運ぶ。

「ここは・・・俺が対応するからお前はそこにいろ」

「えっ・・・お、おい・・」


 影人の返事を待たずして、ガラは半開きになっている扉の間に体を入れて、家の中に入ってしまう。

 影人はしばし、あっけにとらわれた後、どうしたものかとあたりを見渡す。


 そして、その場を行ったりきたりしながら、この状況を考えてみる。

 どう考えても、ガラの行動はおかしい。

 貸した金の回収業務の一環でこの家に来たとは到底思えない。

 

 用心棒役の影人をおいて、ガラ一人で対応しているのがその証だ。

 それに、こんな都市から離れた場所に住んでいる者に、ガラが金を貸す訳がない。

 どう考えても、リスクの方が大きくて、見返りが少ない行為を、商売上やるとは思えないからだ。

 

 となると・・商売以外のこと・・なにかガラの私事にまつわることなのかもしれない・・・

 

 単に金をもらって、用心棒をしているという間柄、つまりガラと影人は、雇用関係があるだけに過ぎない。

 だから、ガラが何をしようと影人にはまるで関係ない。

 しかし、それでも・・嘘をつかれるのはどうも気に食わない。

 

 そういう感情がふつふつと湧き上がっていることに、驚いてしまう。

 どうやら思っていた以上に、ガラのことを信用していたようだ。


 


 予測できない関係というものは、こういう感情が付随するものなのか。

 知識としては知っていたが、経験したのは初めてだった。

 

 ここで、ガラが戻ってくるまで、言われたとおり、待っているべきか・・・

 

 だが、好奇心と苛立ちを抑えることはできそうになかった。

 影人の足は、ガラが先ほど入っていた扉へと向かう。そして、中に入る。

 

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