21話 黄金の激情
旧校舎の屋上。
雲一つない青空の下、佐助はクロエと対峙していた。
クロエの少し波打った黄金の髪は太陽の光を眩く反射し、澄んだ碧眼は晴天を思わせる。
作り物のような光景に佐助ですら思わず息を飲みそうになるくらいだ。
それが、こんな状況でないならば。
「佐助……」
クロエは潤んだ瞳で佐助を見るが、それに騙されるつもりはない。
目の前にいる少女は佐助が作った要警戒リストに載っている一人だ。
佐助は敵意を込めた視線をクロエの碧眼に送り続ける。
クロエ・エドワーズ。
外国からの留学生で、親日家。
そして、大国の大統領の娘でもある。
言ってみれば遥香の家よりもよほど力のある家の娘だ。
しかし、華々しい見た目の裏側では闇の世界の人間を操っている。
二日前、佐助を尾行していた西洋人。
確かアルファと名乗っていた男だろうか。
あれはクロエの護衛だ。
他にも四人、クロエは護衛を陰に潜めていた。
その全ては佐助が先ほど気絶させたばかりだが。
「質問に答えろ。俺のことについて、知っているな?」
「……はい、知っています」
クロエは佐助の問いにゆっくりと頷いて答える。
「何を知っている」
「佐助が忍者であること。それと、遥香の護衛をしていること。遥香は佐助が忍者だと知らないことを」
クロエ個人にそこまで調べる能力はないだろう。
しかし、クロエの陰にいる者達は別だ。
彼らは玄人だった。
その筋の者が調べればすぐに分かることではある。
「何故調べた」
「……それは、その……いつの間にか、彼らが調べてたんです」
クロエの知らぬ間に影の者達が暗躍することはあるだろう。
実際、佐助も自発的に要警戒リストを作成している。
そこについては言及するつもりはない。
「二日前、俺の後を尾けさせたな? 指示を出したのは誰だ」
「……私です」
「何故だ」
「佐助に、興味があったんです」
クロエは淡々と佐助の質問に答えているが、その顔は今にも泣きそうになっている。
だが、佐助はそれで追求を止めることはない。
「俺の何に興味があった」
「だって……忍者なんですもの」
クロエはまるで叱られている子どものように俯いて目を逸らす。
「それは理由になっていない。忍者に限らず、裏稼業の者の後を尾けるという意味が分かっているか?」
「それは……」
闇の世界の住人は同じ闇の者にすら言えない秘密を持っている。
守秘性の高い仕事内容、自らの能力、そして後暗い過去。
これを他人に知られることは即ち死を意味する。
表面をなぞるだけでは出てこない裏の裏。
それを調べるには、本人に確認するしかない。
「分かっている……つもりでした」
「それなら口封じされても文句は言うまいな」
「……っ!?」
佐助の言葉にクロエは身構える。
いや、怯えたという表現の方が正しい。
一歩引いて肩を強ばらせているが、身体の震えを隠せていない。
佐助はその様子を見て敵意を抜くと共に溜息を零した。
「これで分かっただろう。二度と同じことをするな」
「はい」
「俺のことも口外するな。それをしたらどうなるか、分かるな?」
「……はい」
佐助としてもクラスメイトの女子を虐めたいわけではない。
もっと言えば、クロエの後ろにいる存在――国を相手取るつもりなど毛頭ない。
今回のことはクロエ個人の問題だとしても、実際にクロエに危害が加わればそんなことは関係ないだろう。
「お前の護衛達も今回は命までは取ってない。気絶させただけだ。安心しろ」
こうしてクロエと話すために彼らには気絶してもらったが、それでも問題にされる可能性はある。
佐助は自身の正当性を主張しつつ、これ以上は穏便に事を済ませたいという打算があった。
クロエは佐助の話を聞き少しだけ安堵した表情を浮かべる。
ここから糾弾がないか佐助はクロエの出方を見る。
そしてしばしの沈黙の後、クロエが口を開いた。
「佐助は、どうして昨日来てくれなかったんですか? 手紙は見たんでしょう?」
昨日の朝、そして今日。
佐助の下駄箱の中には手紙が置かれていた。
なんの変哲もないメモ帳に、丁寧に書かれた明朝体を模した文字。
「見たが、女生徒が書いた物には見えなかったのでな」
多くの女子の文字は丸く砕けている。
佐助はそういう印象を持っていた。
黒板の落書きがいい例だ。
その他にも女子のノートが目に入ったことはある何度かあるが、一様に砕けた文字だった。
それに比べると差し出された手紙はなんと異様なことだろうか。
そのことを由宇に報告し迎え打つと決めた後、由宇に猛反対されたものの、この結果を見ればその反対を押し切った甲斐があるというものだ。
「……あれは、私が書いたものです」
「む、そうなのか」
「確かに私の文字は他の子みたいに可愛くないですけど。あんな風に書けるほど練習もしてません」
生来から扱っていない言葉で、あれだけ綺麗な字が書けるなら十二分だと佐助は思う。
そもそも砕けた文字は練習するものでもないだろう。
「失礼、話が逸れましたね。佐助が昨日来なかった理由を知りたいんです。私、ずっと待っていたんですよ」
「それは知っている。俺はお前に付いている護衛の位置を把握するために動いていた」
佐助は屋上には直接行かず、遠くからクロエのことは見ていたのだ。
「一昨日に尾行され、その翌日に違和感のある手紙を見た。それ故に、俺を狙う何者かからの罠である可能性を考えた」
「そんなつもりじゃ――」
「だとしても、それを俺が知る術はない」
佐助はクロエの言葉を遮る。
匿名での呼び出した相手の意図など知る
そうでなくても信用できるものではない。
「それでも……私は悲しかったです」
クロエはその表情に影を差した。
佐助はそれに答える言葉を持たない。
「最初の質問に戻るが、俺を呼び出して何をしようとしていた? まさか俺に好意を抱いたわけではないだろう」
「……好意?」
「好き――英語のラブだ」
「いえ、そういうわけでは……どうしてその質問を?」
クロエの目を丸くしているその様は、何も知らないと言わんばかりだ。
「ここが男女の告白の場に使われていると知らないで俺を呼んだのか?」
「いえ、大事な話をする時に使うって聞いてました。私はそれだけの意味で捉えてて……日本語って難しいですね」
「そうだな」
告白も大事な話といえば大事な話だろう。
ただし、狭義の意味でなら。
それを教えたのは誰かは知らないが、外国人のクロエには少し婉曲な表現と言わざるを得ない。
「しかし、話自体はあったのだろう。この状況でいいのなら聞こう」
「……いいんですか?」
「内容による」
そもそもこんな罠にかけるようなやり方でなければ話自体を聞くのは
聞いた話をどうするのかは、また別の話だが。
クロエは大きく深呼吸してから口を開いた。
「私は……佐助に私の護衛になってほしかったんです」
「何故だ。護衛なら他にいくらでもいるだろう」
「だって、佐助が忍者なんですもの」
その言葉は先ほども聞いた。
しかし、それが理由になるとは佐助には思えない。
「忍者って、漫画の中だけの存在だと思ってたんです。佐助も少し読んだでしょう?」
クロエと書店で一緒に読んだ漫画。
あれは忍者を題材にしたものだった。
「あれは俺の知る忍者ではない」
「でも、私はあの漫画が大好きです。すごくクールだと思います」
残念ながら佐助にはその感性は理解できない。
創作漫画の忍者は派手すぎる。
「そしたら、同じクラスに本物の忍者がいたんです。近くにいて欲しい、仲良くなりたいって思っちゃったんです。子どものようだって、笑いますか?」
「そうだな」
「手厳しいです」
佐助の淡白な肯定にクロエは眉を下げて微笑む。
しかし、実際そうだろう。
クロエは創作の世界を夢見て、それと同じ紛い物に憧れを抱いている。
「遊び半分だったのは認めます。貴方達が嫌がるマナー違反をしたのも謝ります。でも、私はやっぱり佐助に私の護衛をして欲しいです」
佐助の返事を待たず、クロエは間髪入れずに続けた。
「だって、私の護衛を簡単にやっつけてしまいました。佐助が優秀なのがよく分かります。それに……」
「それに?」
「私、すごく緊張してたんですよ。……うん、すごく緊張してました」
クロエは気持ちを確かめるように、自分の言葉に頷いた。
「憧れの忍者とお話できるって思うと嬉しかったんです。もちろん佐助とは話はしてましたけど、クラスメイトとしてでしたから」
「俺はそんな特別なものではない」
佐助も中身は普通の人間だ。
確かに他から見れば特殊な技能を持ち、育ちも違う。
しかし、こうして高校生として表の世界に潜伏できる程度には普通のつもりだった。
「そうですね、佐助は佐助でした。こうして話をしても無表情だし、こっちの言葉だとぶっきらぼうって言うんでしたっけ。とにかく不愛想です」
「悪かったな」
「はい」
佐助は本当に悪いとは思っていない。
むしろ嫌味のつもりだった。
その嫌味を、クロエは言葉通りに謝罪のように受け取って処理をする。
「私、昨日も今日もすごくドキドキしながら待ってたんです。それがずーっと来なくって。手紙だってファンレターを書くような気持ちで書いたんです」
「あれでファンレターのつもりなのか」
「はい。その方が送られた側は喜ぶって聞きました。それを真に受けて、バカみたいです」
自分を卑下するように言うクロエだったが、その顔に表情はない。
先ほどまでの萎縮していた表情とも違う。
「でも、手紙は精一杯書いたんです。少しでも綺麗に見えるように、慣れない日本語を頑張って書いたんです。それが罠に見えたんですよね。笑っちゃいます」
言葉とは裏腹にクロエは笑っていない。
淡々と無表情に口を動かす人形のようにすら見える。
「それなのに佐助は昨日も今日も朝からずーっと無表情で。私がどんな気持ちでいたか分かりますか?」
「……俺の知る所ではない」
クロエの表情は変わらない。
当時の気持ちはもちろん、今のクロエの心情も読み取れない。
「そうでしょうね、分かってます。これは私が勝手にモヤモヤして、勝手にイライラしてるだけですから。でも言わせてください」
「……なんだ」
クロエは大きく息を吸った。
「この、おたんこなすっ!!」
どこでそんな言葉を覚えたのか、クロエは佐助すら使わない言葉で罵倒する。
「さっきだって怖かったんです! 映画みたいな悲鳴が聞こえて、人がバタバタ倒れていって! 怖い目で睨まれて!」
「……それは」
致し方ないことだった。
相手は武装している集団で、これでも穏便に済ませた方なのだ。
佐助からすればそう言う他はない。
「いいんです、分かってます。元々は興味本位で足を突っ込んだ私が悪いんです。そのくらいは分かってます」
「だったら――」
「でも!」
クロエは止まらない。
両目に涙を溜めて、叫んだ。
「この気持ちを、どうすればいいんですか!」
それは佐助にはどうしようもない。
どうしようもできない。
「それならせめて、佐助は私の物になってください! 私のことを守ってください!」
「どういう理屈でそうなるんだ……」
「そんなの、私にだって分かりません!」
クロエの頬を伝う大粒の涙を見て、佐助は頭を抱えるしかなかった。
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