22話 錆びていく

 クロエの心の中はぐしゃぐしゃだった。

 口から出る言葉は何を言っているのか自分でもよく分からなかった。


 理屈では自分に落ち度があるのは分かっている。


 憧れだけで忍者の佐助に興味を持った。

 その興味のままに、佐助のことを人に調べるように頼んだ。

 それが裏社会では敵対するのに近い行為だとは分かっていた。

 いや、相手が誰だろうがそんなのは失礼なことだ。


 それで警戒するのは当たり前のことだ。

 それは分かってる。


 クロエが書いた手紙が誤解を招いたのも理解した。

 しかし、それで納得できるほどクロエはいい子ではない。


 そう、クロエはいい子ではないのだ。


 父は今は大統領なんで要職についているが、それまでは普通の実業家だった。

 いや、普通というのは語弊があるかもしれない。

 そのお陰で随分裕福な生活をしていたし、少しわがままに育ったとクロエ自身もそう思う。


 欲しいものはなんでも手に入ったし、クロエが欲しいと言わなくても用意されることだっていくらでもあった。

 その中でも日本の漫画とアニメが大好きで、それらを通して日本のことも好きになった。


 クロエは好きなことに夢中になる性格だった。

 好きなことは何でも知りたかった。

 だから、日本のことも勉強した。


 クロエにとって、漫画は日本語の教科書でもあった。

 英語版と日本語版のページを見比べて、読み書きを覚えた。

 アニメはリスニングの教材だった。

 日本語のスクールにも通った。


 知れば知るほどに、日本のことが好きになった。


 それでジュニアハイスクールの卒業をきっかけに、日本に留学したいと親に打診した。

 日本語は十分に喋れるようになっていたし、クロエは勉強も苦手ではない。

 それができる実力は十分に備えていると自負があった。


 しかし、タイミングが悪かった。

 父は大統領選挙に当選し、華々しくもありながら命を狙われかねない要職についたのだ。

 それは娘であるクロエにも関係がないわけではない。

 クロエに危険が及ぶ可能性は否定できなかった。


 父は言った。

 国内にいるべきだと。

 せめて任期が終わってから海外に行くべきだと。


 それもクロエは理屈では分かっていた。

 でも、好きなことを諦めるのがどうしても嫌だった。

 やってやれる実力があるのに、諦めないといけないことに納得ができなかった。


 クロエは父と何度も喧嘩した。

 自分がいかに日本が好きなのか、どうやって日本で生活をしていくのかのプレゼンも何度もした。

 何度も何度も話し合い、最終的に父が折れる形になった。


 クロエは勝ち取ったのだ。

 自分の意思で選んだ道を、自由を勝ち取ったのだと誇らしく思った。


 自信を持ってクロエは日本の地を踏んだ。

 一緒に何人かの護衛も一緒についてきたのだが。

 日本は平和だから不要だと断ったのだが、父がこれだけは譲らなかった。


 ともあれ、日本での生活は順調だった。

 友人達とのコミュニケーションで困ることはなかったし、何より日本人はみんな優しい。

 中には悪人もいるのは分かっているが、クロエの周りに集まる人達はみんな優しかった。


 漫画も母国で売られていないものが沢山あるし、料理もおいしい。

 クロエにとって、日本は天国だった。


 そこへ、護衛達からとある報告があった。

 何気なく目を通していた資料に、こんな記述があったのだ。


『朧佐助は裏稼業で忍者をしている。現在は秘密裏に各務遥香の護衛の任務に就いている』


 一瞬、こいつらは何を遊んでいるんだとクロエは思った。

 忍者が漫画の世界から飛び出してくるわけがない。

 クロエですら分かっていることを、この護衛達は分かっていないのかと。


 しかし、確認してみれば真実だと彼らは言う。


 クロエの胸は踊った。

 まさか本当に、日本に忍者が存在していたなんて。

 こんな奇跡があるのかと神に感謝した。


 もし叶うなら、佐助を自分の護衛にしたい。

 父が用意したよく分からない傭兵達よりもよほどいい。

 クラスメイトの遥香には悪いとも思うが、優秀な人材をヘッドハンティングをするのも当然だ。

 ヘッドハンティングだって成功させてみせる。

 クロエには自信があった。


 それから、護衛に佐助のことを調べさせながらもクロエ自身が接触の機会を伺っていた。


 ただ、佐助は他の日本人とは違った。

 佐助は優しくないわけではないが、人と接するのを避けているようにクロエは感じていた。


 連絡先を交換して、メッセージを送ってみても会話になんてならない。

 普段も誰とも会話をしようとしない。

 クロエから話しかけようとも思ったが、その前にクロエ自身が他の人に声を掛けられるので中々機会に恵まれなかった。


 そこで、クロエは行動に移すことにした。

 直接佐助と話をしようと思ったのだ。


 とはいえ、周りに人がいる場所で裏稼業の話をするのは良くないだろう。

 だからといって、大事な話をメッセージで済ますわけにもいかない。

 だから日本伝統の方法で屋上に呼び出した。


 ――これで、きっと忍者と話ができる。


 その作戦を決行しようとした前日に、放課後佐助と接触する機会ができてしまったのは少し皮肉だが、それはいい。

 他の友人もいたし、楽しみは後に取っておけばいいだろうと考えた。


 しかしいざ実行に移してみると、こんなやり方でいいのかという不安になった。

 匿名で手紙を出して、来るかどうかドキドキしながら待って。

 遠回りにもほどがある。


 ――その結果が、これだ。


 クロエなりに努力した。

 日本の流儀に合わせたつもりだ。


 でも結局、佐助は来なかった。

 それどころか誤解される始末だ。


 あんなに期待して。

 あんなに待って。

 あんなに不安になって。

 あんなに自分を励まして。

 あんなに悲しくなって。


 ――それまでの努力も積み重ねて。


 なのにまったく思い通りに事が運ばない。

 当の佐助は何を言っても動じない。

 それどころか、ものすごく怖い目で睨まれた。


 こんなことがあっていいのだろうか。

 努力は報われるべきじゃないのか。

 自分はそれだけのことをしてきたつもりだ。


 そう思ったら、止まらなくなった。


「私に雇われてください、佐助」


 今までのことは忘れてもいい。

 ただ、結果が得られるだけでもそれでいい。


 こぼれ落ちる涙を拭くこともなく、クロエはただ結果を求めた。


「断る」

「……なんでですか」


 またこの男は無表情でこんな残酷なことを言うのだ。

 そんな返事が聞きたいわけではない。


「俺には仕えるべき主がいるからだ」

「私だって、立派な雇用主になってみせます」


 佐助が望むならそうしよう。


 優秀な労働者には、優秀な使用者が必要だ。

 これは実業家である父も言っていたことだ。


 自分ならそれができる。

 それだけのことを今までやってきた。

 これからもやるだけだ。


「そういう話じゃない」

「……じゃあ、どういう話なんですか。ヘッドハンティングが嫌なんですか」

「それも違う」


 まったく要領を得ない。

 何を言いたいのだ、この男は。


 いつしか涙は枯れていた。


「お給料の心配ですか。それなら今の金額を教えてください。それ以上の額を用意します」


 金は父が払うことにはなるが、それは説得すればいいだけだ。

 佐助は優秀な忍者だから難しくないだろう。


 少なくとも父が用意した五人以上の価値がある。

 それは佐助が身をもって証明した。


「違う」


 金の話じゃないならなんだ。

 人の話か。


「遥香のことが、そんなに好きなんですか。佐助のことを忍者だって知らないのに」


 佐助は確かに遥香の護衛だ。

 しかし、遥香本人は佐助の正体は知らないはずだ。

 そんな人物を守りたいと思う理由が分からない。


「佐助がどんなに頑張ったって、遥香は佐助を認めてくれません。だって、遥香は佐助のことを何も知らないんですから」


 そう言ってしまえば、なんともおかしな話だ。

 報われない努力をこの男はしている。


 自分なら佐助の努力に報いることができるのに。

 それが、他人のことなのに悔しくてたまらなくなった。


「私は佐助のことを知ってます。佐助が頑張った分だけ、それを認めることができます。努力は報われるべきです。そう思いませんか?」

「努力は報われるべき……か」

「そうです。私ならそれができます。佐助のことを知ってますから」


 何をどう考えても、佐助が遥香に仕える理由が分からない。

 自分の方がよほど相応しい。

 そうとしか思えない。


「それは、そうなのだろう」

「だったら!」

「でも、そういう話じゃない」

「――っ!!」


 またそれか。

 そんな言葉を聞きたいわけではないのだ。


 我慢の限界だった。

 理に適わないことはたくさんだ。


 これまでの鬱憤が。

 どうしようもない苛立ちが。

 理解のできない焦燥が。

 混濁とする感情が。


 耐えきれなくなって、吐き出した。


「だから! どういう話なんですか!」


 叫ぶ。


「私の何がいけないって言うんですか!」


 感情のままに口にする。


「遥香の何がいいんですか!」


 惨めだ。


「そんなに遥香のことがいいんだったら、私が遥香を……」


 こんなにも、惨めな思いをするだなんて。


「私が、遥香を……!」


 それもこれも全部、各務遥香の所為だ。


「各務を、どうする」


 私にそんな思いをさせる奴なんて。


「――――っ!!」


 いなくなってしまえ。


「やってみろ」

「……え?」


 思いがけない言葉に、クロエの口が止まる。


「お前がやりたいなら、やってみろ」


 この男は自分が何を言っているのか理解しているのだろうか。


「もちろん実行に移すなら俺が阻止する。だが、お前がやりたいならやってみろ。その覚悟があるのなら」

「覚悟……ですって……」


 無いわけがない。

 これまでもいくつも障害を乗り越えてきた。


「俺を敵に回す覚悟がお前にあるのか」

「そんなもの!」

「ならば俺の目を見ろ、クロエ」


 言われて、顔を上げる。

 そうしてやっと、クロエはいつからか佐助の目を見て話していなかったことに気がついた。


「……っ」


 そこにあるのは、闇だった。


「お前が各務に危害を加えようとするならば、お前は俺の敵だ。実際に危害を加えたならば、お前は討つべき仇だ」


 吸い込まれそうな黒。

 全てを飲み込む深淵。


 先ほどの目ともまた違う。

 怖いだなんて、生温い。


「お前がどれだけ警戒しようが俺はお前の背後に立つ。どれだけの護衛を用意しようが無駄だ。どれだけの犠牲を払っても、どれだけの時間がかかっても。お前の首を、必ず落とす」


 息が詰まる。

 身体と首が繋がってるかが分からなくなる。


「どう……して……」


 身体中の力を振り絞って、声を出す。

 それができたことで、よくやく首が繋がってるのだと認識できる。


「俺には仕えるべき主がいるからだ。それ以上の理由はない。忍者は忠義でしか動かない」


 気付けば、クロエは佐助に見下ろされていた。


「忠義とは己の魂に刻むものだ。俺は俺の正義のために動く。お前はお前のやりたいようにすればいい」


 黒い瞳が、硝子の瞳を覗き込む。


「お前が俺の敵になるならそれもいいだろう。だが、これは遊びじゃない。行動する前に覚悟を持て。それができればいくらでも相手をしてやる」


 そう言うと佐助は背中を向ける。

 もうそれ以上何も言わなかった。

 無言で屋上から去っていく。


 クロエは何も言えずに、見送ることしかできなかった。

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