16話 忍者に放課後遊ぶ時間ができた

 昼休み。

 佐助は自動販売機で飲み物を購入していた。


 いつものようにスマートフォンを光るパネルに当て、事前に選択していたミネラルウォーターが落ちてきたのを確認する。

 いざ出てきたペットボトルを取り出そうとしたその時に、持っていたスマートフォンが震えた。


 通知を見れば、由宇からのメッセージだ。

 仕事の内容だろう。


 佐助はペットボトルを取り出しながら、慣れた手付きでメッセージアプリを起動する。


『本日、お嬢様は虎太郎様との会食が入りました。放課後は迎えが来ますので、本日の護衛は不要です』


 由宇から来ていたメッセージはこんな内容だった。


 各務虎太郎。

 佐助の依頼主のことであり、遥香の祖父にあたる人物だ。

 世界を代表する企業の創業者にして、現役の取締役。

 第一線から退いた身なれど、その発言力は偉大。

 一代で従業員数万名もの会社に成長させた立役者であるが、その過程で敵も多く作ったと聞く。


 虎太郎が佐助を遥香の護衛に付けたのは、虎太郎の敵が遥香に手出しをする可能性を考えてのことらしい。

 実際に虎太郎の子ーーつまり遥香の父は過去に襲われたことがある。

 その際、護衛についていたのは同じく忍者である佐助の父だったため、遥香の父は健在なのだが。


 ともあれ、その虎太郎との会食だ。

 当然護衛は十分についているし、佐助の出る幕はない。


「予定が空いてしまったな……」


 佐助の放課後の時間は、遥香が無事に帰宅するまでの時間を護衛にあてている。

 遥香も夜遊びをしているわけではないが、友人達と出歩くことは少なくないため佐助が自由にできる時間は多くない。


 佐助が護衛についてからこのような連絡があったのは初めてだ。

 以前にこういうこともあると聞いてはいたが、実際に起こるとなると手持ち無沙汰である。


 そろそろ定期考査も近いし勉強に勤しむべきか。

 それとも忍者としての修練に励むべきか。

 どちらも空いた時間にやっているので不十分ということはなく甲乙つけ難い。


 まだ午後の授業があるし、それが終われば改めて考えよう。


 そう思いながら佐助は教室へと戻っていった。


 $


 そして放課後。

 最後の授業が終わり、佐助は机の上にある教科書やノートを纏めて帰り支度を始める。

 ちょうど荷物を学生鞄に詰め込み終わった所で隣席の方から声がした。


「遥香、行きましょう」

「うん」


 由宇が遥香の席まで来たようだ。

 それに伴い、準備を終えた遥香も心なしか急いでいるように席を立った。


 遥香はいつもは放課後しばらくクラスメイト達と談笑を楽しむことが多いが、この後すぐに迎えが来るのだろう。


「じゃあね、佐助くん。また明日」

「ああ」


 去り際、いつもの花のような笑顔で遥香は佐助に挨拶を送った。

 佐助は簡単な言葉を返すのみだったが、遥香はそれに満足したようで目を細める。


 その隣では由宇が佐助に向けて会釈をしており同様に会釈を返す。

 二人は近くのクラスメイトに挨拶しながら教室の外へ出ていった。

 この後ろ姿を見送れば、佐助の今日の仕事は完了だ。


「……さて」


 どうしたものかな、と佐助は考える。


 この後の予定はまだ佐助の中で決めかねていた。

 ひとまず家にでも帰ろうかと席を立とうとしたその時、前方から声がかかった。


「朧、この後空いてるか?」


 声の主は赤司だった。

 クラスの席は名前順であり赤司の席は佐助の前方に位置する。

 取り急ぎで佐助に声を掛けたのか赤司の手は手ぶらだった。


 赤司とは本日の体育で話をしたのをきっかけに東京見学で同じ班になることになっている。

 遥香の方には途中の休み時間でその旨は伝えており、快く迎え入れるとの返事はもらっていた。


「今日は……」


 反射的に予定が埋まっていると答えようとした所でそういえば空いているんだったと思いだす。


「いや、この後の予定はない」

「おっ、それならちょっと寄り道してこうぜ! 今日は俺も部活がオフなんだ。和泉も来るぞ」

「何か用事でもあるのか?」


 友人同士が放課後に連れ立って出歩くことは佐助も知っているが、あくまでも仲が良ければの話だろう。

 佐助は赤司、そして和泉と東京見学の同じ班になるとはいえ、あまり会話した回数は多くない。


 佐助の予定は空いてはいるものの、わざわざ声を掛けるのだから用くらいはあるのだろう。


「作戦会議をするんだってさ」


 そう言ったのは、ちょうど学生鞄を肩に掛けて佐助の方に向かってくる和泉だ。


「……何のだ?」

「東京見学のだよ。これから見学ルートとか決めるだろ?」

「それはホームルームで決める内容じゃないのか」


 赤司は内容を他の者に聞かれたくないのか佐助に近寄って声を細めて言った。


 赤司の言う通り、今後班ごとに見学する名所を決めることになっている。

 ただし、それはあくまでも授業としてのコマを使ったホームルームで、班全員揃っている状態で行われるべきものだ。


「違う違う。ルートを決めようって話じゃなくて、その話合いに持ってくための内容を決めようぜって話だ」

「それをする必要があるのか?」

「ある!」


 佐助は必要性が薄いと考えるが故に質問したのだが、赤司が断言で返したことに虚を突かれてしまう。


「いいか朧、会議の内容は会議中に決まるんじゃない。その前の準備で決まるんだ」


 赤司は人差し指を佐助に向け、肉食獣のような顔をして言う。


「仮に女子達が美術館に行きたいと言ったらどうする?」

「それでいいんじゃないか?」

「朧、お前は分かってない……」

「どういうことだ」


 正直、佐助としては行き先はどこでも構わないのだ。

 そも遥香と別班であれば行事を休むつもりだったため、見学自体を楽しもうという考えを捨てていた。

 遥香と同班になった今も気抜かりなどできはしない。


「美術館なんて行ってもつまらんだろうがあ!! せっかく女子達と一緒にいるのに話もできないんだぞ!? 意味あんのかそれ!!」


 赤司は先ほどまで声を潜めていたのも忘れたように教室中に響くような声で叫んだ。

 教室に残っているクラスメイトから何事かと驚いたような視線が集まるが、その発信元が赤司だと分かるとそれらが一様に生暖かくなっていく。


「赤司君、東京見学は女子と話すためにあるんじゃないんだよ」

「だったら男女別班にしてくれってんだ!」

「それは流石に暴論かな……」


 赤司のあくまでもぶれない主張に諭しに入った和泉も苦笑いを浮かべる。


「ともかくだ。相手の提案に打ち勝つためには準備が必要だ。そして、そのためには男同士で団結する必要がある」

「僕はないと思うけどね」

「あるんだよ!」

「まぁそれでもいいけどさ。別に暇だし」


 和泉は途中で議論を投げ出すが、そうしたくなる理由は分かる。

 赤司が梃子でも動きそうにないからだ。


「とにかく行こうぜ。朧もそれでいいだろ?」

「まぁ、問題はない」

「んじゃ決まりだな。まずは本屋寄ってこうぜ。観光雑誌買ってこう」


 佐助と和泉は赤司の声に頷き、それぞれ鞄を持って歩き出す。

 すると、教室の真ん中から佐助達に向かって声をかける者が現れた。


「あれ、もしかしてあんた達これから一緒に帰るの?」

「千浪か。これから男の作戦会議だ。お前はお呼びじゃないんだよ。しっしっ」

「ほっほー。なんか企んでるの?」


 声を掛けてきたのは依織だった。

 その隣にはクロエがいる。

 授業が終わり、二人で世間話でもしていたのだろう。


 依織は赤司の邪険な態度を受けて嫌な顔を浮かべるでもなく、むしろ口端を上げて面白い物を見るようにしていた。


「東京見学で行きたい場所でも調べに行くのかな?」

「な、何故それを……!」

「さっきあれだけ大声で叫んでましたしね。そんなものはまるっとお見通しだってやつです!」


 依織に見事に狙いを読まれ、赤司は驚愕している。

 しかし、ポーズとともに聞いた事のあるような台詞を言っているクロエの言う通り、赤司の言葉は教室中に響いてたわけで、内容が東京見学絡みなのは明白だろう。


「だったらなんだってんだ」

「私もついていきたい!」

「ダメに決まってんだろ。男だけの作戦会議だからな!」

「ふーん、そういうこと言うんだ。遥香から聞いてるよ。赤司達も東京見学の班一緒になるつもりなんでしょ? 私は味方に付けておいた方がいいと思うけどねぇ?」


 依織も遥香から東京見学の班に誘われている。

 つまり、依織も佐助達と同じ班になるということだ。

 その自分を、味方につけろと依織本人が言っている。


 赤司は依織の同行を断ったが、依織は余裕の表情を崩さない。

 口を三日月の形にして流し目を送っている。


「なんだよ。どういうことだ……?」

「単純な話、赤司達にあの由宇を説得できるのかね?」

「ほ、北条か……」


 赤司は女子と意見が対立した場合に備えるつもりらしい。

 つまり、それは遥香か由宇と対立する可能性を意味する。


 遥香の態度は柔和であるため、やりようはあるだろうと佐助も思う。

 しかし、由宇が相手なら話は別だ。

 あの雪のような表情で睨まれたら、多くの男は説得する気概が失せるだろう。


「……和泉が頑張る」

「いやいや、僕には無理だよ赤司君」


 自力での説得は難しいと悟ったのか赤司は和泉に話を振るも、すげもなく断られてしまった。


「じゃあ朧が頑張る」

「自分で言うのもなんだが、俺は喋るのが得意ではない」

「だよな。知ってた」


 佐助も自分の短所くらいは把握している。

 由宇と議論しても勝てないのは、ゴールデンウィークでも実感したばかりだ。


「さて、赤司君や。どうする?」

「ぐぬぬぬ……」


 依織は勝ちを確信したのだろう。

 腕を組んで、笑いを堪えながら赤司を見ている。


「……いや、ダメだ! これは男同士での結束も強める意味があるからな!」

「強情だねぇ。それなら私にも考えがあるよ」

「ふん。何をしようと無駄だぜ。俺はもう決めた」

「じゃあ仕方ないね」


 決意を固めた赤司だが、依織もその表情を崩すことはない。

 依織は佇まいを正すと隣にいるクロエの肩に手を乗せて言った。


「私を連れていけば、今ならクロエも付いてくる!」

「よし、みんなで行こうぜ!」


 どうやら赤司の決意は砂上の城のように脆かったらしい。

 意見を正反対にして、依織達を歓迎するようだ。


「赤司君、そういうとこだよ。君がモテない理由」

「うっせ! うっせ!! 可愛い女子がいた方がいいに決まってるだろ!」

「あら、可愛いなんて嬉しい評価です」


 赤司の言葉にクロエは恥じらいもなく朗らかな笑顔を返す。

 おそらく言われ慣れてるのだろう。

 佐助から見てもクロエの容姿は人形かと見間違うかのように整っている。


「そもそも、クロエさんをおまけ扱いするのもどうなの」

「何言ってんだ和泉。おまけは千浪。メインがクロエだ」

「それはそれで納得いかないんだけど。最初にクロエをおまけ扱いしたのは私だが」


 依織は自分のことを棚に上げて不満を漏らす。


「依織もとってもキュートだと思いますよ」

「クロエ大好き! クロエもめっちゃ可愛いよ!」


 しかしクロエのフォローで機嫌を良くしたようで、ぬいぐるみのようにクロエを抱きしめ頬ずりし始める。

 それをされたクロエの側も少し困った顔はしているが素直に受け入れてるようだ。


「まぁ、僕も大勢の方が楽しくていいとは思うけど。千浪さんとクロエさんは僕達と一緒でいいの? 二人でどこか行くとかだったんじゃ」

「いいのいいの。私とクロエで遊びに行こうとは話してたけど目的なんてないし、他に誰か誘おうかって話してた所だし。いいよね、クロエ?」

「はい、私もみんなで一緒の方が楽しいと思います。私も東京のこともっと知っておきたいですし」


 結果的には事後承諾に近い形だが、クロエもそれで問題ないらしい。


「んじゃ行くか。あ、朧もそれでいいよな?」

「ああ、問題ない」

「オーケーだ。じゃあ行こう」


 あまりの早い会話の展開に口を挟むことができなかった佐助だが、そう問われれば否やはない。


 赤司の号令を受けて各々が教室の外へと出て、廊下を歩く。

 最後尾を歩いていた佐助に、前にいる依織が後ろに振り向いて言った。


「いやー、楽しみだなぁ。佐助っちと放課後遊べるなんて中々レアだよ」

「遊びではなく、作戦会議だろう」

「そうだった。後ろに括弧笑いが付きそうだけどね」


 佐助の発言のどこかが面白かったのか、依織は屈託なく笑う。

 そして依織の隣にいるクロエも振り向いて会話に混ざってきた。


「私も佐助との作戦会議、楽しみです」

「俺もクロエとの作戦会議楽しみだぜ!」

「私も斗真と……いや、普通ですかね?」

「なんでえ!?」


 クロエの言葉に反応した赤司だったが、残念ながら期待していた答えを得られなかったらしい。

 赤司は肩を落とすがクロエに揶揄されたのだろう。

 クロエは赤司の様子を見てからからと笑っている。


 そんなクラスメイト達の様子を見ながら、佐助は何か忘れているような気がしていた。

 確か放課後まで考えていたことだ。


「……ああ」


 そうだ、思い出した。

 胸のつかえが取れたことで、思わず足が止まる。


 今日の空いた時間を何に使おうかと決めかねていたのだった。

 結果的にこれから赤司達と出歩くことになったので決める必要はなくなったが。


 足を止めた佐助に気付いた皆が振り返る。


「どうした朧。何か忘れ物か?」

「待ってるから取っておいでよ」

「……いや、なんでもない」


 いつもは責務のために時間を使っていた佐助だが、そこから外れた行動を取るのは初めてかもしれない。

 そう考えると一抹の不安を覚えるが、たまにはこういうのもいいだろう。

 表の世界のことを学ぶいい機会でもある。


 そんなことを思いながら、佐助は皆に追いつこうと歩き出した。

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