忍者と留学生

15話 忍者はクラスメイトと雑談する

 ゴールデンウィークも終わり、学校内はやや倦怠した空気になっていた。

 連休という学業から解放され、そしてまた戻ってきた生徒達は未だに本業に戻る気分にはなれないようで、授業には中々身が入らないらしい。

 学校の教員達もこの時期に生徒がこうなるのは分かっているようで、連休明けは弛んだ気持ちを緩やかに引き締めるような、穏やかな授業が進められていた。


 ただひとつの教科を除いては。


「ほれ、頑張れ和泉いずみ! あと少しだぞ!」


 今は体育の授業中。

 その授業の内容は、長距離走であった。

 連休明けで心身ともに弛んだ生徒にとっては中々にこたえる授業である。


 当の佐助は遥香の護衛の傍ら普段からトレーニングを欠かしていないため淡々とこなすのみなのだが。

 体育は二クラス合同で行われるが、その中でも運動部の長距離走が得意な者達と肩を並べ先頭集団を走りゴールしている。

 今は後続の者達が苦しい顔をしながら走っているのを校庭の真ん中で心の中で応援していた。


 やがて最後の一人がゴールすると、先生から「しばらく休憩して息を整えろ」と全体にお達しがくる。

 佐助を始めとした先行した者達は既に息が整っているわけだが今ゴールしたばかりの者達にとっては必要な休憩時間である。


「ぜぇ……ぜぇ……」


 苦しそうにゴールから佐助の近くまでやってきたのは先生に応援されながら走っていた和泉いずみ洋輔ようすけ

 佐助のクラスメイトの一人である。

 学校指定の体育着から覗く手足は平坦で、長距離走に限らず運動が得意そうには見えない。


 俵でも背負っているかのように重い足取りでクラスの皆がいる輪に戻ろうとしている。

 しかし、ちょうど佐助の前を通ろうとした所で足をもつれさせた。


「っとと」

「大丈夫か」


 佐助は転びそうになった和泉を片手で受け止めると、男にしては軽い身体を支えながら座らせてやる。


「無理をするな。ここで座っていた方がいい」

「ありがとう、朧君」

「気にするな」


 和泉は滴る汗を体育着の袖で拭いながら息を整えているが一向に動悸が収まる様子がない。


「大丈夫か?」

「うん、どうして、も……運動は苦手で。もう少し休めば、楽になる……はず」

「そうか」


 あまりの様子に佐助も心配になって声をかけるが、しばらくすると和泉の言う通り息遣いが静かになっていった。


「いやぁ、連休明けでこれは辛いね。足もだけど、腕にも力が入らないよ」

「走るのは全身運動だからな。慣れないと辛いだろう」


 ランニングは全身の筋肉をくまなく使う。

 といっても、過負荷がかかるような運動でもないので一定以上の筋力があれば和泉ほど疲れを見せることもないのだが。


 佐助が見る限りでは和泉は筋肉も足らなければ無駄な力が入る走り方であるため、こうなるのも致し方ないだろう。


「朧君はすごいね。帰宅部だったよね?」

「ああ」

「僕も同じ帰宅部だけど、差がすごい」


 佐助の場合は部活をすれば護衛任務に支障が出るからなのだが、これは公にできない話である。


「はぁ、女子はいいなぁ。羨ましい……」


 和泉が羨望の眼差しを向けるのは女子達の授業風景だ。

 千城高校での体育は男女別に授業が行われている。

 女子の方の内容は走り高跳びのようだ。


「僕も走るよりはあっちの方が良かった。高飛びが得意なわけでもないけど」

「まぁ、あっちの方が疲れはしないだろうな」


 走り高跳びに必要なのは瞬発力なので持久力が求められる長距離走よりは苦しくはないだろう。

 だからといって楽な競技ではないが。


「お、とうとう和泉も女子に興味が出てきたか」

赤司あかし君、お疲れ」

「おう、お疲れさん。朧もな」

「ああ、お疲れ」


 文字通りご挨拶に揶揄を入れてきたのは赤司あかし斗真とうまだった。

 彼もクラスメイトの一人で、いくら人付き合いの悪い佐助でも挨拶くらいはする。


 赤司と和泉は名前順で席が近いこともあり二人同士で会話しているのを佐助はよく見かけていた。


「いいよなぁ……女子は」

「多分、僕が言った意味と違うと思う」

「俺もあっちに混ざりたい」

「絶対僕が言った意味と違う」


 赤司は和泉の近くに座り女子の授業風景を眺めながら鼻の下を伸ばしている。

 赤司は端的に言えば軽薄で女の尻をよく追いかけている男だった。

 とはいえ、不思議なことにいやらしさを感じさせず女子達から嫌われているというわけでもない。

 佐助もどういうわけか不快に思うわけでもなく生暖かい目で見たくなるのだ。


「で、和泉はどの子がいいんだよ」

「何度も言うけど、僕が言ったのはそういう意味じゃないからね?」

「んなこと分かってるよ。でも和泉からその手の話全然聞かないからな」

「興味がないわけじゃないけどね。でも僕からしたら、この学校の人達ってみんな高嶺の花って感じだし」


 佐助は遥香の護衛をするにあたりクラスメイトのことはある程度事前に調べている。

 その記憶を辿れば和泉は有り体に言うと少し裕福な一般家庭の育ちだったはずだ。


 この学校の生徒はどこぞの企業の社長令嬢や由緒正しきお家のお嬢様も少なくなく、和泉の感覚は間違っているとは言えないだろう。

 一方で、赤司も和泉と似たような境遇のはずだ。


「夢がねぇなぁ和泉は。上手く行ったら逆玉だぜ?」

「高校生で恋愛して、そのまま結婚って相当レアだと思う」

「だとしても青春しろよ青春」


 現実的な和泉に対して赤司は情熱的で夢想家なのだろう。

 下心を隠さないのはどうかと思うが。


「朧とかはその辺どうなんだ?」

「む?」


 二人の会話を我関せずで聞いていた佐助だったが思わぬ所で飛び火が来る。


「この子可愛いとか、朧はそういうのないのか?」

「特にはないな」

「お前達本当に男か? 男子高校生か?」


 赤司はわざとらしく嘆いたように言うが佐助は恋愛などしている暇はない。

 忍者としての仕事が最優先なわけで他に目移りしている余裕はないのだ。


「例えばお前の席の隣の各務。ほれ、あっちの方に並んでるぞ」


 赤司が顎で指す方向を見れば、遥香が列に並んでいるのが見える。

 順番待ちをしながら、前後の女子と雑談しているようだ。


「どこぞのアイドルよりよほど可愛いし、家は大金持ち、それを鼻にかけることもしないし性格もいい。俺のリサーチによれば狙ってる男はごまんと居るし、既に何人かが玉砕しているらしい。あんな子が隣で何か言うことはないのか」

「席は名前順だ」

「んなこた知ってるよ!」


 そうは言われても、実際名前順で今の席になっているのだから佐助にはどうしようもない。

 護衛する身としては多少ありがたいが、それだけだ。

 遥香が学年問わず男から人気があるのも知っている。


「あれで勉強もできるし運動もできるらしいぜ? 天は二物も三物も与えるんだな……」

「ちょうど各務さんの順番だね」


 和泉が言うように遥香は列の先頭にいた。

 普段から笑顔を絶やさない印象がある遥香だが今は真剣な表情で高跳びのバーと相対している。


 遥香は緩やかに弧を描くように走り、そしてバーの手前に来ると地面から足を離す。

 それと同時に身体を捻って天に向くと胸を大きく張ってバーを飛び越した。


「すごいね。綺麗な背面跳び」

「ああ、すごかった。ただでさえ大きい胸が強調されていたな」

「どこ見てるのさ……」


 赤司の下心満載な視線など露知らず遥香はいいジャンプができたことに満足したのか、にこやかに背中から着地したマットを降りる。

 その様子を佐助も見ているとちょうど遥香と目が合う。

 佐助の視線に気付いた遥香は満面の笑みを浮かべ佐助の方に向かって小さく胸元で手を左右に振りながら列へと戻っていく。


「お、おい……今俺に手を振ったか……!?」

「違うと思うよ」

「そこは違うと思ってもそうだと言ってくれ!」

「多分、朧君に手を降ったんじゃないかな」


 赤司の願いは届かず和泉は淡々と事実を告げる。

 佐助から見ても遥香の焦点は佐助に合っていた。


「なんだよなんだよ。やっぱナンパを撃退したのが大きいのか?」

「いやぁ、実際そんなことされたら惚れちゃってもおかしくないんじゃないかな」

「はぁ~。俺もサッカー辞めて、空手とかそういうの始めるべきか」

「サッカーやってる赤司君は結構かっこいいと思うけど」

「男から言われても嬉しくなんてないぞ」


 赤司は小学生の頃からサッカーをしているらしい。

 やや細身な上半身と比較すると足腰が鍛えられた筋肉に覆われていることが分かる。

 先ほどの長距離走も佐助と同じ先頭集団で走り抜け、ゴールした後も涼しい顔をしていた。

 一朝一夕で身につくものではないだろう。


「で、朧は各務と実際の所どうなんだよ?」

「どう、と言われてもな」

「朧君、いつの間にか下の名前で呼ばれてたよね」

「なにぃ!?」


 ゴールデンウィークから遥香は佐助のことを下の名前で呼ぶようになったのは事実である。


「おおおおおおお前……各務とそんな仲良くなってたのか……!?」

「そう言われれば、各務さんが男子を下の名前で呼んでるのは聞いたことないかも。女子には名前呼びがデフォルトっぽいけどね」


 佐助は呼び名に拘ったことがないため驚かれるのは腑に落ちないが、和泉の補足で佐助が例外であることは理解できた。

 とはいえ、仲がいいかと言われると別だ。

 少なくとも佐助よりも由宇や依織の方が遥香と親しいだろう。


「多少は話すが、親しいというわけではない」

「お前……各務と話したくても話せない奴なんていくらでもいるんだぞ」

「各務は誰とでもよく話しているように思うが」


 遥香の対人能力は非常に高い。

 何せ佐助と楽しそうに話すくらいだ。

 佐助も人生経験が豊富というわけではないが、中学以前で佐助と話して笑う人間をほとんど見たことがない。


「北条がよく一緒に各務といるだろ? 下手に近付くとすごい目で睨まれるんだよな」

「あー、北条さんが怖いって話は聞くね。北条さんもものすごく美人だけど、だからこそ睨まれたら怖そう」


 睨みを利かせるとはこのことを言うのだろうか。

 流石は幼少期から女性ながら遥香を守ってきただけのことはある。

 実際に睨まれたことがあるだろう赤司は当時のことを思い出してか顔を青くしている。


「まぁその目にやられたって男も何人かいるけどな」

「……やられたとは?」

「惚れちまったってことだよ。特殊な性癖に目覚めたらしい」

「被虐趣味ということか」

「そういうこと。つまりMっ気だな」


 一瞬やられたという言葉から物理的に撃退したのかとも思ったが、やはりそういうことではなかったらしい。


「ともかくだ、各務はめちゃくちゃモテるんだよ」

「そのようだな」

「で、朧はその各務に名前で呼ばれているし、隣の席で話もできる」

「ふむ」

「つまり朧はこの学校の男全員を敵に回した」

「言ってる意味が分からん。俺に敵対する意思もない」


 遥香に名前で呼ばれて話をするだけで敵が増えるというのは理不尽な話だ。

 仮に事実としても実際に戦えば忍者としての厳しい修練をこなしている佐助に到底敵うまいが、無駄な争いは避けたい。


「敵に回してるかはともかく、各務さんを好きな男子から嫉妬される可能性はあるかもね。各務さんが気を許してるってことは北条さんも気を許してるってことだろうし、北条さんが好きな人からも」

「……なるほど」


 和泉からそう言われてみれば、心当たりがないわけではない。

 クラス会の次の日から何故か敵意を含む目で佐助を見る者がいるのが徐々に増えていっているのは佐助も気付いていた。

 まさかそれが嫉妬によるものだとは思いもしなかったが。


「これから東京見学の班決めもある。各務は北条と一緒になるだろうし、朧の出方次第じゃ荒れかねないぜ……?」

「そんな悪い顔して言わなくても。でも実際競走は激しそうだよね。各務さんの周り可愛い女子多いから、北条さん以外にも人気がある人が入りそうだし」

「ああ、それなら千浪が同じ班になるらしい」


 佐助は遥香から東京見学で同じ班になろうと誘われている。

 その時に依織がいることも遥香から聞いていた。


「マジかよ! 各務から聞いたのか?」

「ああ」

「男は!? 男の枠はまだ空いてるか!?」

「一応、俺が入ることになっている。他の枠は知らん」


 佐助は淡々と自分の知っていることを述べた。

 こうして少し話せばまた赤司から十倍くらいになって返ってくるだろう。

 そう思っていたが、一向に返事は来ない。


 どうかしたのかと赤司の方を見てみれば、そこには先ほどの活力に溢れていた様子とはうってかわり、魂が抜け落ちたような表情の赤司がそこにいた。

 和泉の方も開いた口が塞がらない様子で目を丸くしている。


「……はあぁぁぁ!?」

「……朧君、それマジなの?」


 ようやく生気が戻った様子の赤司と和泉だったが、とにかく驚いている様子だ。


「お、俺もその班に入れてくれ!! 今なら和泉もつける!」

「なんで僕まで!? しかもおまけ扱いとか!」

「いいだろ別に! どうせ誰ともそんな話してないだろ!?」

「それはそうだけど!」


 赤司は唾を吐きながら必死の形相だ。

 しかし、残念ながら佐助に決定権はない。


「それは各務に聞いてみないと分からんが……」

「それでもいい!! 俺にチャンスをくれえ!!」

「お、おう……」


 ここまで言われてしまえば、佐助と言えど断りにくい。

 ここまで言われなくても遥香に打診するくらい厭わないのだが。


 佐助の返事を聞いた赤司は拳を握りしめて打ち震えている。


「っしゃあ!! これで俺も青春ができるぜ!」

「まだ決まったわけじゃないけどね。同じ班になれても北条さんから冷たくされるだけかもしれないし」

「それはそれで嬉しい。問題ない」

「君も特殊な性癖に目覚めた側の人間なんじゃないか……」


 ともあれ、こうして赤司と和泉が東京見学の同行班に内定したのだった。

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