8話 忍者が笑う

 逢坂を挑発し、遥香から引き離した後。

 そこからは早いものだった。

 心配毎がひとつ減るだけでもかなり動きやすくなる。

 佐助は襲ってくる逢坂達を慣れた手際で気絶させた。


 今は逢坂含めた五人全員が冷たいコンクリートの上で沈黙している。


「各務、大丈夫だったか?」


 脅威を排除しきった所で、佐助は未だへたり込んでいる遥香に歩み寄って手を差し伸べる。


「ありがとう。また、助けてもらっちゃったね」

「気にするな」


 それが佐助の仕事なのだから。

 それに、その仕事もまだ終わっていない。


 これから遥香を由宇に引き渡さないといけないし、事の顛末も別途報告しなければいけない。

 逢坂達の処遇もあるし、むしろこれからが本番だ。

 どちらかといえば、こうして荒事をこなす方が佐助としては気が楽なのである。


 佐助が遥香の手を引きながら先のことを考え内心で辟易していると、そこには不満そうに頬を膨らませた遥香の顔があった。


「気にするよっ。朧くんこそ大丈夫? 怪我はない?」

「見ての通り問題ない」

「見ただけじゃ分からない怪我とかあるかもだし! この辺とか掴まれてたけど痛くない?」


 遥香は半ば意固地になって佐助の怪我を探しているかのようだ。

 ペタペタと佐助の肩や腕を触診している。

 遥香の表情は真剣そのもので、佐助のことを本気で心配してくれているのは伝わった。

 しかし触り方に遠慮があるか、単純に力がないのか、このような触り方では仮に隠れた怪我があっても見つけるのは難しいだろう。


 遥香の様子はどこか小動物のそれに近いものがあり、佐助は失礼だと思いながらも微笑ましくなってしまう。


「ありがとう。どこも痛くはない」


 頬が緩んでしまったのを自覚しながらも、遥香の誠意に礼は言わざるを得ない。


「……え? う、うん」


 佐助の礼を聞いた遥香は一瞬動きを止めると、そのすぐ後に顔を赤くして手を引いた。


「どうした。各務の方こそどこか痛むか」

「な、なんでもない! 大丈夫!」


 逢坂達に手を上げられてはいないはずだが、別の要因で怪我をすることはあり得る。

 佐助はそう思って遥香の顔を覗きこむが、遥香は余計に顔を赤くするだけだった。


「そんな顔も、するんだなって」


 ふと遥香はうつむいて、消え入りそうな声で呟いた。

 目の前にいるのが佐助でなければ独り言で終わっていただろう。


 そんなに変な顔だっただろうか。


 恋愛に興味はないが、護衛している相手に嫌な顔をされるのも困る。

 佐助は遥香の呟きを独り言のままにして、いっそう気を引き締めようと思ったその時。


「はーーるーーかあああああ!!」

「依織ちゃん!?」


 佐助の頬の緩みがなくなると同時、陰に隠れていた依織が走りながら現れる。


「どうしてここに――わぷっ」

「無事でよかったよぉ! 心配したんだからぁ!」


 依織は走ったそのままの勢いで遥香に抱きつき、遥香から出かかっていた問いを止めた。


「ごめんね、依織ちゃんも心配してくれたんだね」

「遥香が謝ることなんてないんだよぉ! うわーん!」

「うん、ありがとう」


 依織の顔を見れば、涙を流している。

 心配していたのは本当なのだろう。


「北条の見立は正しかったか」


 昼休みに由宇が言っていたことを思い出す。


『現状強く警戒する必要はないと考えます。少々デリカシーに欠ける所はありますが、害意はないと思って良いかと。お嬢様にも友好的です』


 二人の今の姿を見れば、互いに好意を持っていることは佐助にでも分かる。


「よしよし」


 依織は遥香の胸の中に埋まっており、遥香から優しい手つきで頭を撫でられている。

 これではどちらが襲われた方か分からない。


「それにしても、依織ちゃんも朧くんもどうしてここに?」

「千浪が、逢坂が各務を呼び出したという噂を聞いてな。あまりいい噂がない男のようだ。それで万が一の時のために、悪いが陰で見させてもらっていた」

「こんなんになるんだったら遥香を行かせなければ良かったよぉ~」


 未だ泣き止まない依織を、遥香は慈母のような眼差しで見つめる。


「んーん。多分、言われても私は行っちゃってただろうから。だから、ありがとう」

「ばるが~~~~」


 依織は遥香の優しさに触れて、涙腺が決壊したようだ。

 涙腺だけでなく、色んな所から何かが流れ出ている。

 さすがに依織もまずいと思ったのか、遥香の胸から離れてハンカチを取り出し、各所を拭き始めた。


 そんな依織を苦笑いで眺めつつも、遥香は改めて佐助の方を見る。


「改めてありがとうね。朧くんがいなかったら、きっと大変なことになってた」

「俺を連れてきたのは千浪だ。礼なら千浪に言った方がいい」


 本当は依織に呼び出されなくても来る予定ではあったのだが。

 しかし佐助は影だ。

 手柄は表の人間が受け取るべきだろう。


 当の依織は今、少し離れた所でこちらに背を向けて鼻をかんでいる所だが。


「でも、昨日も今日も助けてくれたのは朧くんでしょ? こんなことになっちゃって、迷惑もかけてると思うし」

「迷惑とは思ってない。むしろ昨日の今日で災難だったのは各務の方だろうな」


 改めて考えると、連日男から襲われかけるというのもとんでもない話だろう。


「むー」


 どうしても礼を受け取ろうとしない佐助に遥香は不服そうだ。

 佐助の方まで意固地になっても詮無いので、どこかで妥協点を探りたい所だ。


「そうだな。俺が困ってる時があれば、助けてくれると嬉しい」

「……朧くんが困ることってあるのかな?」


 佐助としては妙案を挙げたつもりだったのだが、遥香は何故か苦笑いを浮かべる。


「そうでもない。よく困っている。今日の五限で指された時、ページを教えてくれたのは助かった」


 あの時は依織に呼び出されたことで気が動転していたし、考え事をしていたので全く授業に身が入らなかった。


「ああ、その時の礼ということにしよう。それで貸し借りなしだ」

「あ、あんなんじゃチャラになんてできないよ! 昨日のお礼も、今日のお礼もちゃんとします!」


 遥香は目に力を込めて、誓うかのように言った。


「それでいつか、それ以上に朧くんを助けてあげられたら……いいなぁ、なんて。できるかどうか分からないけど」


 遥香の言葉は徐々に尻すぼみになっていく。

 しかし、意思の堅さは佐助にも伝わった。


「気が向いた時にでも助けてくれたらそれで十分だ」

「うん! 私、頑張るからねっ」


 佐助の回答にやっと満足したのか、遥香はようやく得心したように頷いた。


 とはいえ、遥香が頑張る必要は全くないのだが。

 本当に、何を意固地になっているのか。

 佐助にはよく分からなかったが、女の心は海よりも深いということにするしかない。


 そう考えると、無性におかしく感じてしまって。


「分かった。期待しておく」


 先ほど気を引き締めたばかりなのに、思わず笑ってしまう。


 それを見た遥香はまたも顔を真っ赤にしていた。


「〜〜!! そういうの、ずるい!」


 どうして遥香が怒っているのか分からず、佐助は考えるのを放棄するしかない。

 本当に、女の心は海よりも深いらしい。


 一方その頃。


「なんかいい雰囲気で話に入りにくいわぁ……別にいいけど」


 少し離れた所で、生暖かい目で佐助と遥香を見ている依織が所在なさげに佇んでいた。

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