7話 忍者、戦う

 佐助は堂々と、臆することなく逢坂達と対峙する。


「お、朧くん……」


 遥香の瞳に映るのは恐怖と戸惑い、そして少しの安心感。

 しかし未だ恐怖の割合が大きいようで、足が震えているのが見て取れる。


 早くこの恐怖から解放してやりたいが、まずはその原因の対処からだ。

 敵は五人で遥香を包囲している。

 遥香が見ているため、あからさまな忍術は使えない。

 制約は少なくない。


「人に名乗らせておいて、お前は名乗らないのか?」

「僕の質問に答えろ。どこから来た?」


 逢坂は名乗ることなく、佐助に質問を繰り返しながら取り巻きに目配せする。


「俺達はずっと屋上の前で見張ってた。誰も来れるはずがねぇ」

「つまり、僕達が来る前から屋上でこそこそ隠れてたってことかな」


 取り巻きの言葉を受けて、逢坂はそう結論付けた。


 正解だ。

 そのくらいを考える頭はあるらしい。


「全て見ていた。これ以上の狼藉はやめておけ」

「覗き見するような卑怯者に言われたくないな」

「女子を複数人で囲むのは卑怯と言わないのか?」

「彼女が僕を馬鹿にするのがいけないんだ」


 忍者は目的のためなら手段を問わないこともある。

 卑怯と言われることに佐助はなんら抵抗はない。


 それはさておいても、なんとも自分勝手な男だろうか。

 ここまで自分のことを棚に上げ、他人を責められるとは。


 思わず佐助が意趣返しをしてしまうほどには、見事な棚上げっぷりだった。

 その意趣返しにすら自分にの正当性ががあると主張している。


「随分と身勝手な言い分だ」

「お前も随分生意気そうな奴だ」

「それで結構」

「そうか、それならお仕置きが必要だな」


 逢坂の言葉に取り巻き達の標的が変わった。

 遥香の包囲が剥がれ、四人が自身の前後左右に位置するのを確認する。


「お前は来ないのか?」

「僕はお前が無様にやられるのを見ているよ。君も見たいだろう?」

「そ、そんなの見たくないです!」


 逢坂は加虐的な笑みを浮かべて遥香を見るが、遥香は強く首を振った。

 しかし不安はあるようで、潤ませた目で佐助を心配そうに見ている。


「問題ない。昨日の俺を見ていただろう? そこから動かず待っていてくれ」

「うん……!」


 繁華街の裏路地で、三人を相手取ったのは遥香の記憶にも新しいことだろう。

 それを思い出してくれたのか、遥香の声に力が宿る。


「さあ、来るならとっとと来い」

「大口を叩けるのもそこまでだ。やれ!」


 合図とともに取り巻き達が一斉に佐助に襲い掛かる。


「オラァ!」


 最初の一撃は後ろから。

 躊躇なく死角から攻めてくるのは、いっそ称賛に値する。

 敵を確実に仕留めるのに必要な技術だ。


 もちろん、佐助に仕留められるつもりは毛頭ない。

 それ以前の問題もある。


「不意打ちをするのに声を出すな」


 せっかくの死角からの攻撃を無駄にする掛け声を残念に思いつつ、佐助は半歩横にずれて回避する。


「へへっ」


 佐助の身体が流れてきた場所には次の手が。

 一瞥すれば、顔面目掛けた大振りのテレフォンパンチ。

 これで当たると思っているのだろうか。


「顔がにやけてるぞ。真面目にやれ」


 緊張感もなく笑いながら放たれたそれを、軽く屈んで回避する。


「てめぇっ!」


 続いては蹴り。

 薙ぐように放たれたリーチの長い攻撃は、簡単に避けるのは難しい。

 その相手が佐助でないならば。


「今のは悪くない」


 しかし、佐助はこれも身を滑らせて難なく避ける。


「頭、潰してやる!!」


 明確な殺意と共に放たれたのは、鎖の振り下ろし。

 先ほどドアに施錠したチェーンの余りだろう。


 金属としての重量、固さ、そして遠心力が加われば、鎖も立派に殺傷能力のある鈍器になる。

 だからこそ、使う場合に一番考慮しなければいけないのは安全面だ。


「凶器は取り扱いに注意しろ」


 佐助は一歩踏み込み相手の懐へ潜り込む。

 そして振り下ろされた腕にそっと手を添えた。


 鎖も遠心力の向き先を変えてしまえば味方、あるいは自分をも傷つけてしまう危険な代物だ。

 現に佐助によって力を逸らされた力は、攻撃を外して体勢を崩した仲間の一人に当たってしまう。


「いってぇ! お前気ぃつけろよ!?」

「クソ! 俺じゃねぇよ!」


 不運にも流れ弾をくらった男が、チェーンの男を非難する。


 仲間を攻撃してしまえば、連携を崩すきっかけになりかねない。

 そも、この四人は連携というには拙すぎる単品の動きを合わせただけなのだが。


「仲間割れしてないで、さっさと来い」

「この野郎……!」


 佐助の挑発に、四人は激昂して更に苛烈な攻撃を加える。


 しかし佐助には通用しない。

 相手の攻撃を読み、呼吸を合わせ、己の身体を完全に制御し、全ての攻撃を避けていた。


「お前達、何してるんだ! さっさとやれ!」


 そんな佐助の大立ち回りを見ていた逢坂は苛立った様子で檄を飛ばす。


 一方で、取り巻き達の息は上がってきていた。

 まだ肌寒い季節にもかかわらず四人の額には汗が浮かんでいる。


 佐助はそんな彼らを涼しい顔で眺めた後、逢坂を指でさして言った。


「そこのお前、いつまでそこで見ている。俺の無様な姿を各務に見せるんだろう。俺を捕まえて、お前自ら殴ってみたらどうだ?」


 我ながら安い挑発だ。

 佐助はそう思う。


 しかし、乗ってくる輩もいるものだ。


「上等だぁ!」


 挑発に乗った逢坂は足を鳴らして遥香の元を離れる。


「こいつを捕まえろ!!」


 多対一での戦いで有効な戦法はいくつかある。

 そのひとつは何人かで相手の捕まえてしまい、手の空いている者が攻撃してしまうことだ。


 殴る蹴るよりも、ただ捕まえようとされる方がよほど逃げにくい。

 逢坂の指示はこの場での最適解だ。


 佐助は当然そのことは分かっている。

 だが、甘んじて相手にこの戦法を使わせる。


「待てやコラァ!」


 今度は四人相手に鬼ごっこ。

 相手を傷つけようとする場合、有効打となる箇所を狙ってしまいがちになるのだが、捕まえるだけならどこでもいい。

 服の裾を掴むだけでもいいのだから避ける側の難易度は跳ね上がる。


 こうして取り巻き達の手を掻い潜りながら、佐助は違和感を覚えていた。


「この匂いは……」


 接触が増え、否応なしに体臭が佐助の鼻につく。

 四人とも汗だくだ。

 そうなれば嫌でも体臭は隠しきれない。

 香水に混じり、嫌悪感を覚える匂いが鼻腔を刺激する。


「一斉に行くぞ!」

「っと」


 ひとまずこの違和感の正体を突き止めるのは後だ。

 連携を取り始めた相手を見て、佐助は再び回避に集中する。


「まだ足りない」


 佐助は敵の手を避けながらも、逢坂との距離を測っていた。

 確実にやるならもう少し。

 もう少し逢坂が近づく必要がある。


「朧くん!!」


 一見、先ほどよりも苦戦している佐助を見かねたのか、遥香が佐助に呼びかける。


「わ、私怖くないから! やっつけちゃっていいからね!」

「……む?」


 一瞬、佐助は遥香が何を言っているのか分からなかった。

 しかし、すぐに今朝のやり取りに思い至る。


『私喧嘩とか初めて見たし、怖くてドキドキしちゃったよ』

『各務を怖がらせてしまったのは申し訳ないと思っている』


 こんな会話があったことを。


 心の優しい遥香は佐助が気遣って攻撃しないのだと思っているのかもしれない。

 相手は攻撃してきているので既に喧嘩自体は行われていると言えるのだが。


 ともあれ、遥香の真意は今は置いておこう。

 どちらにせよ守るべき相手に不安な思いをさせているのに変わりはない。

 今の状況では安心するのも難しいかもしれないが、声だけでも掛けておく。


「各務、心配するな」


 だがしかし。


「捕まえたぁ!」


 その途端に佐助の服の端が補足された。

 それで動きが止まった所を、後ろから羽交い絞めにされる。


「朧くん!?」

「バカめ!」


 心配するな、と言った途端に捕まってしまっては世話はない。

 佐助は自分でもそう思うが、これはこれで想定の内なので問題ない。


「はっ。かっこつけてた割にはこんなもんか」

「お願い! やめて!」


 逢坂は拳を作り、関節を鳴らしながらゆっくりと佐助に近づいた。

 遥香が悲痛な面持ちで制止するが、逢坂は聞く耳を持たない。


「僕を虚仮にしたことを後悔させてやる」


 逢坂は佐助の目の前に立った。

 そして拳を振り上げ、まっすぐに佐助の顔へ突きを繰り出す。


「くらえ!」

「ぐへぇ!?」


 次の瞬間、逢坂の突きは佐助を羽交い絞めにしていた男の顔面に刺さっていた。

 身構えずに真正面から渾身の突きを受けた取り巻きは、膝を折って力なく沈む。


「なっ……!? どこに消えた!」


 男が倒れる方向とは真逆。

 誰もが予想だにしない方向から声が発せられた。


「随分と分かりやすい手合いで助かった」

「え? あれ……?」


 佐助が、遥香の前に立っていた。


 殴られる瞬間を見たくなかったのだろう、両手で顔を覆っていた遥香は目を丸くして佐助と倒れた取り巻きを交互に見ている。


「各務、心配させて済まない。俺はこの通り大丈夫だ」

「よ、よかったぁ……」


 緊張の糸が切れたのだろう、遥香はその場にへたり込む。


「おおお……おま、お前……!! 何をした!?」


 逢坂は随分と慌てているが、佐助にとってはなんてことはない。


 忍術の基礎の基礎、縄抜けの応用だ。

 今回の場合は縄が人の腕に変わったのみ。

 佐助を捕まえるその手が素人によるものなので、むしろ縄を相手にする方が難易度が高いくらいだ。


 消えたように見えたのはただの副産物。

 捕まった状態でギリギリまで引き付けられた結果、拳が当たるという思い込みを生み出した。

 それが佐助の動きを意識の外へ追い出したのだ。


 もちろんそれを逢坂に説明する義理はないし、忍術の話を遥香の前でするつもりもない。

 強いて話ができるとすれば、このくらいだろう。


「お前みたいな奴は一人になると人質を取ったりするからな。挑発して、各務から離れた所で間に入った。それだけだ」


 早々に取り巻き四人を倒すことは難しくなかった。

 しかし、佐助は逢坂の悪性を警戒していた。


「自分を正しいと思い込んでる卑怯者が、卑怯な手を使わないわけがない」


 佐助が一番恐れていたのは遥香を人質に取られることだった。

 短いやり取りではあるが、逢坂はそこまで警戒するに値する悪性の持ち主であると佐助は読んだ。


 挑発自体にも当然ながらリスクはある。

 人の動きを操作する謀術は佐助の苦手とする所ではあるのだが、今回は上手くいったようだ。

 失敗していれば、佐助もなりふり構う余裕はなくなっていたかもしれない。


 ともあれ、逢坂の手が届く位置から遥香を遠ざけることには成功した。


「あとは仕上げだ。掛かってこい」

「クソがあああああ!!」


 そこから逢坂達が意識を失うまでに、ものの数分もかからなかった。

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