4話 忍者は女子に呼び出されても行く暇はない

 昼休み。

 手早く昼食を済ませた佐助は、午後の授業の前に飲み物でも買っておこうと自動販売機に向かっていた。


 護衛の任務といっても、常に遥香の近くにいるわけではない。

 故あって遥香には護衛の存在を悟られないようにする制約があるため、むしろ適度に離れる必要がある。


 遥香から見れば佐助は知り合って間もない隣の席の男子というだけだ。

 佐助が謎の男と揶揄されるくらいに口下手なのも相まって、まともに話をしたのは昨日の夜と今朝くらいのものである。

 それなのに四六時中付いて回るわけにもいかない。


 なにより、護衛自体を一人でこなしているわけでない。

 佐助の他にも護衛の任務に就いている者はいる。


 今の時間は佐助にとっても休憩時間なのである。

 それに少し考えたいこともあった。


千浪ちなみ依織いおり……か」


 誰にともなく独り言ちる。

 今朝、少し会話をしたクラスメイト。

 佐助は依織について考えていた。


 遥香の護衛に伴い、在学生のことはある程度事前に調べている。

 場合によってはこの学校に脅威となり得る人物がいることは想定できた。


 佐助の調べによって作られた要警戒リスト。

 そこには二人のクラスメイトの名前が載っている。

 その内の一人が依織だった。

 現状目立った動きはないが、今朝の様子では遥香とそれなりに交流があるようだ。

 より注意深く警戒しておくべきだろうか。


 佐助は思考を巡らせながら自動販売機の元へたどり着くと、ミネラルウォーターのボタンを押してスマートフォンを光るパネルへと近づける。

 決済が終わった旨を知らせる電子音が鳴ると、続いてガコンと物理的な音と共にペットボトルが落ちてきた。


 そして、それと一緒に招いていない気配も同時にやってくるのを感じる。


「……何か用か」

「お嬢様にお飲み物を買いに来ました」


 ペットボトルを取り出しながら、後ろを振り返らずに佐助が問う。

 それに答えるのは落ち着いた気品のある声。

 北条ほうじょう由宇ゆうの声だった。


 佐助が自動販売機の前から一歩横にずれると、由宇は前に出て操作を始める。


「そのお嬢様が昨日迷子になったばかりだろう。あまり目を離さないようにしてくれ」


 由宇は遥香の世話係兼、護衛である。

 交友の浅い佐助の代わりに、より近い場所で遥香を護る存在だ。


 昨日も遥香と由宇は一緒にいたのだが、遥香がはぐれてしまったために危うく遥香が襲われる所だった。


「すみません、昨日はご迷惑をお掛けしました」

「……いや、こちらこそすまない。責めたつもりではなかった」


 遥香に危険があったことだけではなく、それをきっかけに佐助にも奇異の目が集まるようになっている。

 それで少し居心地が悪かったため、言葉に棘が出てしまったかもしれない。


「こういう時のためのバックアップだ。頼りにしてくれ」

「そうさせて頂きます」


 そもそも佐助と由宇では期待される仕事も少し異なっており、由宇の役割は護衛よりも世話係としての比重が重い。

 こうした小間使いも由宇にとっては立派な仕事なのだ。


 それ故に護衛の穴は必ず出る。

 だからこそ佐助がいるわけだ。

 しかし、意図せずこうして二人して遥香から離れるのは不安はある。


「今は信頼の置けるご友人と一緒にいらっしゃいますので大丈夫かと存じます」

「そうか」


 佐助の不安を先回りしてか、聞いてもいないのに由宇が遥香の状況を告げる。


 佐助が任務に就いたのは高校入学からであるため由宇との付き合いは浅いが、優秀な侍女なのだろう。

 幼少の時分から遥香の側におり、佐助のような立ち位置の者と接することも少なくないはずだ。

 依頼主からも何か困ったことがあれば由宇に頼るように言い含められていた。


「一つ、共有事項が」

「聞こう」


 由宇は自動販売機からペットボトルを取り出しながら新たな話題を切り出す。


「本日の放課後、お嬢様が旧校舎の屋上に行かれます」


 この千城高校には新校舎と旧校舎、二つの校舎がある。

 旧校舎と言っても鉄筋コンクリート製であり、授業にも利用される現役の建物だ。

 現在では新校舎は各クラスの教室がある棟として利用され、旧校舎は特別教室棟として利用されている。


 その旧校舎の屋上は生徒にも常時開放されていた。


「これで五回目……か」


 遥香が旧校舎の屋上に赴くのは高校に入学してからちょうど五回目。

 入学から一ヶ月も経っていないことを考えると、低くない頻度と言えるだろう。


 では屋上に魅力的な何かがあるかと問われれば、回答としては特にない、となる。


 旧校舎は新校舎と比べて背が低い。

 そのため屋上から見える景色の大部分は新校舎に阻まれており、見えるのは校庭の一部と閑静な住宅街くらいである。

 特別景色が良いわけでもない。


 そのため、わざわざ好んで行くような所ではなかった。

 基本的には誰も寄り付かない場所なのだ。

 しかし、だからこそ学生同士の密会には適した場所とも言えた。


 端的に言えば、愛の告白がよく行われる場所なのである。


「相手は?」

「匿名でした」

「またか……」


 名前を伏せて女子を人気ひとけのない所に呼び出す。

 佐助としてはなんとも男らしくない行動だろうと思うのだが、どうやらこれが一般的らしい。

 過去四回も同じだった。


 佐助は手に持っているペットボトルの蓋を開け、口から出そうになった小言とともに水を胃に流す。

 その代わり、常々思っていたことを口にする。


「我々の姫は随分と人気者らしいな」

「魅力的なお方ですから」


 遥香は街を一人で歩けば男から声がかかる程には容姿は整っている。

 そして実際に話してみれば人懐っこく、口下手な佐助にも臆するようなこともない。


 佐助自身のことを棚に上げれば、由宇もけして人付き合いが上手いわけではないだろう。

 それと幼い頃から一緒にいるのだから、遥香の対人能力が非常に優れているのに疑いはない。

 クラスでも男女分け隔てなく接し、様々な好意を持たれているのは隣の席である佐助にもよく分かる。


「私は同席を断られておりますので、教室にて待機しております」


 基本的に遥香の近くにいる由宇ではあるが、遥香も愛の告白の現場に連れていくつもりはないのだろう。

 この感性はさすがの佐助にも理解できる。


 とはいえ、分かっていて護衛対象を見ず知らずの男と二人きりにするのは職務怠慢であろう。


「俺は屋上に潜伏していればいいか?」

「はい、お手数ですがそのように」

「了解した」


 万が一に備え、これまでの四回とも佐助は告白の現場にいた。

 もちろん、佐助といえど馬に蹴られたくはないので身を隠していたのだが。


 屋上は身を隠せる場所は少ないが、佐助は忍者だ。

 学生二人の目を欺くことなど容易い。


「各務が告白を了承した場合、男の生死は?」

「……それくらいで人を殺さないでください」

「心得た」


 高校生活を送る過程で遥香が男女としての付き合いをすることは想定できた。

 それについて依頼主からは相手の男は殺せ、と言われている。

 依頼主にとっては遥香と交際すれば、それは即ち悪のようだ。

 正義の忍者を自負する佐助ではあるが、言われた時は善悪とは難しいものだと自問したものだった。


 そこについての確認を改めてしただけで、何故か由宇から溜息混じりに注意されているのだが、まだ確認を取っているだけありがたいと思ってほしい。

 由宇も依頼主の意向は知っているはずだ。


 ともあれ、現場の指示は由宇の判断に従っておいて問題ないだろう。

 告白が成就したばかりの相手の命を奪うのは気が引けるし、遥香もできたばかりの恋人を失って平静でいられるとは思えない。

 願わくば互いの平穏ため、遥香には今回の告白も断ってほしいと密かに佐助は願う。


「以上です。何かご質問は?」

「特にない。が、別件で聞いておきたいことがある」

「なんでしょうか」

「千浪依織について、どう思う?」


 佐助はこの機会に、由宇と会うまでに思考を巡らせていた人物、依織について聞いておくことにした。

 人間観察は佐助の得意とする所ではないが、同性であり幼い頃から遥香に侍っている由宇から見て、依織がどう映るのかは聞いておきたい。


「貴方が懸念している理由は察せられますが、現状強く警戒する必要はないと考えます。少々デリカシーに欠ける所はありますが、害意はないと思って良いかと。お嬢様にも友好的です」

「……そうか。参考にさせてもらう」


 少なくとも由宇から見て、依織は特に問題はないらしい。

 その通りなら問題はないが、鵜呑みにするほど佐助と由宇の関係も深くはない。

 あくまで参考程度に留めておいて、引き続き要警戒といった所か。


「では私はお嬢様の元へと戻ります」


 そう言うと、由宇はペットボトルを二本抱えて佐助の方を一瞥もせずに教室方へと戻っていった。

 佐助も戻る方向は同じなのだが、女子と一緒に戻るというのも少し気まずい。

 表向きは由宇とは挨拶を交わす程度の中であり、裏の顔においても仕事以外の会話はない。


 佐助はペットボトルの中身を煽りながら由宇のまっすぐに伸びた背中を見送る。

 やがてその背中も見えなくなり、いざ自分の足を動かそうとした所でそれを止めた。


 後ろから足音と視線を感じる。

 振り向いて見れば、先ほどまで佐助の頭の中にいた人物がそこにいた。

 頭に銀の流星をあしらった派手な女子――千浪依織が走ってきている。


「おーい、朧っちー!」


 依織との距離は遠い。

 先ほどまで佐助と由宇の声が届く範囲に人の気配はなかった。

 由宇との会話は聞かれていないだろう。


「いやー、探しちゃったよ」

「千浪か。どうした?」


 佐助と依織がまともに話したのは今朝くらいで、依織から探されるほどの用事を持たれる覚えはない。

 確かに「また話を聞かせて」とは言われたが、よもやそんな用件ではあるまい。


「朧っちさ、今日の放課後って暇?」

「先約がある」


 残念ながら、今日の予定は先ほどできたばかりだ。


「じゃあ明日は?」

「埋まっている」

「明後日は?」

「残念だが」

「じゃあいつ空いてんのよ!」


 佐助の無体な答えに依織は歯をむき出しでお怒りの様子だ。


 しかし、仮に予定がなくても遥香の護衛に滞りが出ないよう、佐助は可能な限り身体を空けてるようにしている。

 依織のために取れる時間は多くない。


「用件があるならここで聞こう」

「うーん……ここだとちょっと話しにくい」


 佐助本人の前で謎の男、無愛想と言うほどには明け透けの依織が言い淀むほどの内容。

 ただでさえ依織に声を掛けられる心当たりがない佐助には、想像だにできなかった。


「あっ、そうだ」


 不意に依織が何かを閃いた様子を見せる。


「……ちょっとこっち来て」


 どこかに佐助を招くつもりらしい。

 依織は首を左右に振って辺りを見回して人がいないことを確認すると、言葉とともに佐助を手招きする。

 心なしか依織の頬が少し赤い。


 佐助は案内されるのを待つも、何故か依織の足は動く気配を見せない。


「どこに行けばいい?」

「そういう意味じゃなくてだね」


 依織は赤くなっていた頬を一気に白けさせた。

 ではどういう意味なのか。


「私に近寄ってってこと」

「何故だ」

「ちょっとくらい良くない!?」


 今でも十分に声が聞こえる距離にいるし、依織も確認した通り人は近くにいない。

 人に聞かれたくない話も今なら問題ないはずなのだが。


「あーもう。じゃあ私から近づくけど」

「それは構わないが」


 近づく意味は分からないが、近寄られることに問題はない。

 職業柄、懐に入られるのに抵抗はあるのだが、時と場を考えれば妥協してもいいだろう。


「ちょっと耳貸してね」


 小さな手で口を覆うようにすると、依織はそれらを佐助の耳に近づける。

 吐息の音さえも聞こえるほど近づいた所で、小さな声が佐助の耳に届いた。


「今日の放課後、旧校舎の屋上に来てほしいんだ」


 どうやら、依織は佐助に旧校舎の屋上へ来てほしいらしい。


「……なに?」


 女子が、男子に、旧校舎の屋上へ来てほしい。


 これの意味する所は佐助にも分かる。

 なにせさっきまで由宇とその話をしていたばかりだ。


 しかし、依織が佐助を呼ぶ背景が見当もつかない。

 まさか目の前の女子が佐助に恋心を抱いているとでもいうのか。

 それともそう思わせておいて、佐助を罠に嵌めようとでもしているのか。


「まっ、そういうことだからさ。ちょっとくらい時間取ってよ!」


 そういうことならそれでもいい。

 いや良くはないが、一旦それで置いておこう。


 しかし今日はまずい。

 今日の放課後は遥香が同じ場所に呼ばれているのだから。


「ちょっと待――」

「あーあーあー! そういうのは聞きません!」


 佐助はせめてどうにか別日にしてもらおうとするが、依織は耳を塞いでしまう。


「んじゃ、とにかく待ってるからね! 絶対来いよ! なるはやで!」


 とうとう依織は話を強制的に打ち切って、走って教室の方向に向かっていってしまった。


 佐助は途方に暮れてその場に立ち尽くした。

 来いよも何も、佐助はどちらにせよ行かざるを得ない。


 そして廊下に備え付けられているスピーカーから、昼休みを終わりを告げるチャイムが無情にも鳴り響く。


「……不覚」


 これで昼休み中に依織を捕まえて、約束の日時を変えてもらうという手段が取れなくなった。


 悪いタイミングでの女子からの呼び出し。

 それも、要警戒リストに載っている者からの。


「もっと、謀術の修行でもしておけばよかったか……」


 自分にもっと対人能力があれば、このような結果になるのは防げたかもしれない。

 佐助は現実逃避をするように、自分の修行不足を嘆くのだった。

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