3話 忍者は高校生

 桜の花が散り、青い葉が芽吹き始めた季節。

 佐助の通う千城高校では入学式を終えて約二週間ほどが経った。


 クラスの面々も少しずつ打ち解け始めた頃である。

 つい昨日、親睦を深めるためのクラス会をやったばかりで、それに参加した者同士は尚更だろう。

 ゴールデンウィークも間近に控えおり来たる連休をより充実させようと交流を広く、深くしているようだ。


 一方、クラス会に参加しなかった黒い髪を散切りにしたクラスメイト。

 すなわち佐助といえば、朝のホームルームの時間が近づき賑わい始めた教室の中で、ポツンと一人自席で教科書を開いて自習していた。


 闇の世界に生きる者――忍者。

 その末裔である佐助にも表の顔は存在する。


 表の顔はなんの変哲もない高校生。

 裏の顔である忍者としての活動のために交友関係は一部犠牲にしているが、制服を着て机に座っている姿を忍者だと疑う者はいないだろう。


 主から遥香の護衛を依頼され、こうして同じ教室で普通の高校生になりすまして任務に従事しているというわけだ。

 といっても、佐助の年齢自体は高校一年生のそれであり、この護衛依頼さえなければ別の高校で学生をしていた可能性はかなり高いのだが。


「おはよー! 昨日は楽しかったねー。赤司くんめちゃくちゃ歌うまかったじゃん!」

「おう、ありがとよ。古澤も中々のもんだったぜ」


 ともあれ、教室ではこんな会話がそこかしこで繰り広げられており、話題の中心であるクラス会に参加していない佐助には会話に混ざることも難しい。

 そうでなくても佐助は口数が多い方ではなく、今時点で友人と呼べる仲になっている者はいなかった。


 会話する相手がいなければ、他に学生がやることと言えば勉強しかない。

 ただでさえ佐助は放課後任務に時間を割いているわけで、こうして勉学に勤しめる時間は貴重だった。


「…………」


 それにしても今日は集中しにくい。

 複数人からの視線を感じる。

 やや居心地が悪くなり、佐助は頭を搔いてそれを誤魔化す。


 佐助の朝の自習は通例化しており、入学式当日こそしていないものの以降は欠かしたことがない。

 二週間経った今では他のクラスメイトにとって珍しいことではないはずなのだが。

 少なくとも、昨日よりも感じる視線が多いのは間違いない。


 視線の種類は好奇と……そして敵意。


 修練を積んだ忍者である佐助をどうにかできる者はこの学校内にはいないし、殺意まで混ざっていないのは分かっている。

 それ故に捨て置いているが、中々に落ち着かない状況だった。


 もうホームルームが始まる時間も近い。

 今開いているページで昨日受けた授業の範囲も終わる。

 朝の自習はこれまでにしよう、佐助がそう思ったその時。


「おはよう、朧くん」

「おはようございます」


 声に反応して静かに机から目を上げると、そこには二人のクラスメイトが佐助を見ている。


 一人は散ることのない満開の桜のような笑顔を浮かべ、背中まで栗色の長髪を垂らした女子。

 忍者としての佐助が護衛を任されている少女、各務遥香だ。

 遥香は小さな掌をいっぱいに開いて、手首で佐助に手を振っている。

 遥香のこれは生来の人懐っこさだとは思うが、護衛対象にこうして接せられるのは佐助にとっては中々むず痒いものがある。


 そしてもう一人は、けして溶けない雪のような静けさを携えた同級生、北条ほうじょう由宇ゆうだった。

 こちらは軽く会釈するのみで、佐助にとってはこのくらいの方が気が楽だ。


「ああ、おはよう」


 自習中とはいえ挨拶されたら挨拶をし返す。

 そのくらいの常識は佐助にもある。

 手を振り返すのはどうにも気恥ずかしいのでやらないが。


 ともあれ、言葉とともに遥香と由宇に軽い会釈を返し、佐助は最後の一ページを終わらせるべく自習に戻る。

 といっても、護衛対象の遥香が登校してきたわけで、意識は遥香へも向けるのだが。


 佐助はノートにシャープペンを走らせ、手早く最後の問題を片付ける。

 そして開いていた教科書を閉じた所で再び遥香から声がかかった。


「あ、あの……朧くん」

「どうした?」


 遥香はどうやら佐助が勉強を終えるまで声をかけるのを待っていたらしい。

 遥香が登校してから今まで視線を感じていた。


 由宇の方は挨拶だけ済ませたらそそくさと自席まで行ったようだ。

 今は一学期も始まったばかりで、席は男女それぞれ名前順になっている。

 朧と各務で互いに順番としては前の方で、二人は隣同士の席だった。


「昨日は、本当にありがとうございました」


 どうやら話は昨日のクラス会前に悪漢から遥香を助けたことのようだ。


 遥香はわざわざ佐助を正面にして、昨日と同様に頭を下げる。

 気安く接せられるのもむず痒いが、こうして殊勝にされるのは比較にならない。


「昨日も言ったが頭を下げる必要はない。当然のことをしただけだ」


 佐助の任務は遥香の護衛であり、ただそれを全うしただけのことだ。

 そうでなくても正義の心を持った忍者である佐助には、放っておける事ではない。


 しかし、それをそのまま伝えるわけにもいかず佐助は端的に言えることだけ伝えるしかなかった。


「そっか。でも、ありがとう」


 あまりにも簡素な物言いだと佐助自身も思うが、遥香は満開の笑顔を佐助に向ける。

 佐助は向けられた感情の処理に苦慮し、とうとう「ああ」とまたもぶっきらぼうな返事をすることしかできなかった。


「おっはよー! 遥香、朧っち!」

「依織ちゃん、おはよう」


 話を割るように今日一番の元気さで挨拶してきたのは千浪ちなみ依織いおりだ。

 日本人らしい漆のような黒髪に、流星の如く銀のメッシュをあしらった派手な頭。

 制服も着崩されており、つい先日入学したばかりの新入生とは思えないほどに慣れた着こなしをしている。


「おはよう」

「昨日は大活躍だったみたいだねぇ、ヒーローくん」

「何の話だ」


 佐助が一拍遅れて挨拶を返すと、依織は口を三日月型にして佐助の心当たりがない呼び方をする。

 最初から朧っちなどと馴れ馴れしい呼び方をされていたが、流石にヒーローと呼ばれる筋合いはない。


「謙遜しちゃってー。昨日、遥香がナンパされてるところを助けてあげたんでしょ?」


 実際はナンパなどという表現では生温い事態ではあったのだが、心当たり自体はある。

 先ほど遥香本人から礼を言われたことだろう。


 その遥香の方をちらりと見れば、手を合わせて申し訳なさそうにしている。


「ごめんね、口を滑らせちゃって」

「いや、人に話されて困ることではない」


 本当のことを言えば、クラス会に参加せずに近くにいることをクラスメイトに知られるのは具合が悪い。

 とはいえ、遥香に正体を明かす決断をしたのは佐助本人であり、口止めしようにもどう言い繕えばいいのか分からなかった。

 この状況は身から出た錆だ。

 少なくとも遥香に謝られることではない。


「みんな驚いてたよ。あの謎の男が、大人三人をのしちゃうくらい強かったなんて!」

「依織ちゃん、本人の前で謎の男呼ばわりは……」

「んじゃあ無愛想?」

「それもダメなんじゃないかな」


 依織の歯に衣着せぬ言い方に、遥香は苦笑いを浮かべている。


 一方の佐助は、朝から感じていた視線の正体に納得していた。

 この話を他のクラスメイトも聞いていたのだろう。

 それ故に好奇の目を佐助に向けていたのだ。


 敵意の方は……その大人三人と戦ったという話を聞いて佐助と手合わせしたい男子がいるかもしれない。

 存外にも血の気が多い者がいるものだ。


「ともかくさ、普段は寡黙な男が乙女のピンチに颯爽と現れて不埒な男達をドガッバキッボカッ! そしてトドメに首をトーンッ!」


 興奮した依織は空中に向かい、細い腕で突きを三発、最後に手刀を繰り出した。

 それらの動きは無駄な力が入っているし、脇も甘い。

 佐助のように悪漢達を倒すには至らない攻撃だが、クラスメイト達の視線を集めるのには効果があったようで、好奇の目が依織に集中した。

 その視線に佐助の方がいたたまれなくなるのだが、依織は意に介さすことなく話を続ける。


「人は見た目によらないもんだねぇ」

「多少、武術を嗜んでいる」

「朧っちはパッと見で結構細く見えるから意外だったよ」

「技を磨けば体格は関係ない」


 佐助の言葉を聞いて、依織は口笛ではなく言葉で「ひゅぅ〜」と鳴らすと、今度は白い歯を見せて小悪魔の笑顔で遥香の方を見る。


「こりゃあ、助けられた側も胸がドキドキしちゃうよね〜」

「そうだね。私喧嘩とか初めて見たし、怖くてドキドキしちゃったよ」

「いや、そういうことじゃなくてね?」


 言葉とは裏腹に遥香はにこやかに答えるが、この反応は依織が期待したものではなかったらしい。

 どんな反応だったら良かったのか佐助にも想像がつかないが、護衛をしている身として遥香に恐怖を感じさせてしまったこと自体は肩身が狭かった。


「各務を怖がらせてしまったのは申し訳ないと思っている」

「いや朧っちも。そういうことじゃないから」


 ではどういうことなのか。

 不思議に思って依織を見ても、彼女は額に手を当てて溜息を吐いているのみだった。


 しかし、どうやら遥香は依織の様子を見て思う所があるらしい。


「あ、ごめんね。怖かったのはナンパしてきた男の人達のことで、朧くんのことじゃないの。むしろかっこよかったよ!」

「ま、そういうことよ!」

「……そうか」


 何がそういうことなのか佐助には分からなかったが追及する気にもならないため、とりあえずの返事をしておく。

 こうして話が落ち着いた所で始業の鐘が鳴った。


「あ、チャイム鳴ったね」


 依織は「んじゃ」と軽く挨拶して自席に向かったが、途中で何かを思い出したかように振り返る。

 そして先ほどまで何度か見せた小悪魔のような笑顔とは印象の異なる、屈託のない笑顔を佐助に向けた。


「朧っち! また話聞かせてよ」


 それだけ言うと、依織は佐助の返事を待たずに席へと向かっていった。

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