2話 忍者がクラス会に出ている暇はない

 遥香を襲おうとする悪漢達から助けたものの、佐助は途方に暮れていた。


 佐助は忍者であることを出来うる限り遥香に露見しないように、と厳命されている。

 忍者にとって主の命令は絶対だ。

 街のゴロツキを撃退したぐらいでおいそれと破るわけにはいかない。


 とはいえ、遥香とは同じ高校のクラスメイトである。

 顔自体は認知されているからそこは問題ない。


 しかし、悪漢達を制圧する術――忍術と結び付けられるのは非常に問題だ。

 それ故に遥香の前に出る際にはフードを深く被り、声を出さないように立ち振る舞っていた。


 幸いにして簡単な体術だけで悪漢達は気絶してくれたため、ここについてはどうとでも言えるだろう。


「朧くん、すごいんだね。あっという間に三人もやっつけちゃって」

「少し、武術を嗜んでいてな」


 緊張から解き放たれた影響か、気の抜けたように遥香が言う。

 佐助は用意していた言い訳を無表情で告げた。


 忍者は様々な技術を要求される。

 体術もそのうちの一つだ。

 特に現代では殺生沙汰は大事になるため、比較的穏便に事を済ませられる体術の重要度は高い。


各務かがみ、それよりも行こう。ここにずっといるわけにもいかない。そろそろ立てるか?」


 佐助達はまだ移動できずにいた。

 理由は佐助の護衛対象である各務かがみ遥香はるかが腰を抜かして立てなくなったためだ。


 忍者である佐助からすれば雑兵以下の強さだったが、ただの女子からすれば十分な脅威に違いない。


 当初はまさか遥香が腰を抜かすとは思っておらず、自分が去った後に一人で人通りのある場所まで行けるだろうと考えていたのだが、こうなってはどうしようもなかった。

 気絶しているとはいえ、襲われかけた男が近くで転がっている場所に置いておくわけにもいかない。

 かといって、悪漢に襲われたばかりの少女に、顔を見せない不審な男が手を差し伸べても更に恐怖するだけなのは想像に難くなく、こうして顔を晒して遥香が回復するのを待っているというわけだった。


 しかし、悠長に長話しているのも具合が悪い。

 いくらか言い訳は用意しているものの、細かい追及をされれば違和感が無いように逃れるのは難しい。


 佐助は早々に遥香を安全な場所へと移動させたかった。

 丁重に手を差し伸べると、尻餅をついたままの遥香は小さな手でおずおずと握手する。


「あ、ありがとう」


 佐助は無理矢理ではなく、あくまでも遥香の力で立ち上がれるようにその手を引き上げる。

 なんとか立ち上がった遥香を見て、佐助は悪漢達に払われた遥香のスマートフォンを拾い上げて手渡した。


「次から警察を呼ぶ時は相手に悟られないようにした方がいい。スマートフォンを突きつけただけじゃ脅しにならないからな」

「み、見られてたんだ」


 失敗を指摘された遥香は頬を赤くして居心地悪そうにしている。


 といっても、佐助としてはただ正論を述べたまでだった。

 電話して、警察に場所を正確に伝えて初めて警察は助けにやってくるのである。

 スマートフォン自体にはなんの脅威もない。


「画面がバキバキに……」


 遥香は泣きそうな顔でスマートフォンを見ている。

 スマートフォンは手帳型のケースに入っていたが、地面に落ちた際の衝撃に耐えきれなかったのだろう。

 割れたガラスから漏れるディスプレイの光が仄かに遥香の白くなった顔を照らしていた。


「こればかりは勉強代と思うしかないだろう。他に落としたり取られた物はないか?」

「うう……他は大丈夫……」

「では行こう」


 この小道に入ってきた時に遥香が持っていたのは今も手に持っている学生鞄のみだった。

 今や機能を果たせるか怪しいスマートフォンはその鞄から取り出したものだし、佐助の認識とも合っている。


 簡単にはスマートフォンの画面が割れたショックから立ち直れないのか未だ涙目の遥香だったが、佐助が歩を進めるとゆっくりとだが付いてきた。

 遥香は地面でのびている悪漢達を起こさないように、大げさに避けながら進む。

 心配しなくてもそう簡単に起きたりはしないのだが、護衛対象本人が警戒するに越したこともないので佐助は特に何も言わないでおいた。


 やがて人通りのある所まで戻り、LEDの灯が佐助と遥香を迎え入れる。


「ここまで来れば大丈夫だろう。では俺は行く。もう誰かに声をかけられても付いていくなよ」


 もし同じことがあれば、佐助はまた遥香を助けるだろう。

 そうしたら、今度こそどう言い繕えばいいのか分からない。

 今だって細かいことを追求されては敵わないのだ。

 遥香が安全に過ごしてもらうことが、色んな意味で一番良い。


「あー、そのぉ……」


 佐助が立ち去ろうとした所で、遥香が言いよどむ。

 もちろん本当に立ち去るつもりはなく、遥香から見えない所で見守る予定でいた。


「どうした?」


 佐助の考えられる限り、現状は一人でも特に問題はないはずだ。

 あとは無暗に絡まれないように注意さえしてくれれば、ではあるが。


「私、クラスの皆とカラオケに行くはずがはぐれちゃって……できれば案内してくれると嬉しいなぁ、なんて。スマホも壊れちゃって使えくなっちゃったし……」


 気恥ずかしそうに上目遣いする遥香を見ながら、佐助は「ああ、そうだったな」と遥香に聞こえない声で呟いた。

 スマートフォンの画面はまだ光を放っているが、画面が割れていたらまともに操作ができるはずもない。

 それでは友人達と連絡を取ることもできないだろう。


「そこなら場所は分かる。案内しよう」


 佐助としても、常に誰か他の者といてくれた方が安心ではある。

 何より、クラスメイトの中には同僚――佐助と同じく遥香の護衛任務に就いている者がいる。


 こうして遥香が危険に晒されかけた以上その同僚には一言物申したい気分だが、佐助が解決したのだから結果としては問題ない。

 元々は佐助は有事の際のバックアップなのだ。

 遥香を同僚に引き渡せば、またバックアップに戻るだけである。


「わあ! ありがとう!」


 佐助の返事を聞いた遥香は表情を明るくさせた。

 表情がよく変わる少女だ。

 これまでも遥香の護衛は陰ながら行っていたし、学校のクラスも同じなのだが、こうして会話らしい会話をするのは初めてのことだった。


「こっちだ」


 佐助は護衛対象との初会話の感想を相手に伝えることなく、再び遥香をエスコートをする。

 遥香の足取りは先ほどよりも軽く、目的地までは五分とかからず着くだろう。


「あの、朧くんは……カラオケ来ないの?」

「……用事があるから辞退した。ここにいるのはたまたまだ」


 遥香が行こうとしているクラスの友人とのカラオケ。

 クラスの親交を深めるためのクラス会だそうだ。

 同じクラスメイトの佐助も当然ながら誘われていた。


 しかし、佐助はこういった類の誘いは全て断るようにしている。

 佐助は表向きはただの男子高校生だ。

 表の顔でクラス会に参加でもすれば、遥香ばかりに意識を向けては違和感を感じる者が必ず出てくる。

 それを避けようとして他のクラスメイトに気を向けている間、遥香に危険が迫るようなことはあってはならない。


 事実、佐助の同僚はクラスメイトに混じって護衛をしているのだが、目を離した隙に今の状況になったのだろう。

 そういう時のために佐助がいるのだから、佐助まで一緒に混じるわけにもいかなかった。


「そう、なんだ?」


 佐助の答えに、遥香は心底不思議だという風に首を傾げる。


 一方の佐助は無表情を取り繕いつつも、内心冷や汗をかいていた。

 誘われた際には、確かに「用事があるから」と断った。

 その用事とはこうして遥香を護衛することであって、事情を知らない遥香から見れば暇なようにも見えるだろう。


 謀術も忍者に求められる技術なものの、年若い佐助にとっては少々苦手な分野だ。


「見えてきたぞ」


 遥香の疑問にどう答えようか悩んでいるうちに、目的のカラオケ屋が見えてきた。

 話を逸らすようにそのことを告げると、すぐに見知った顔――クラスメイト達が店の前でたむろしているのも見える。


「俺はこれで失礼する」

「あっ、ちょっと待って!」


 佐助としてはこれ以上の追及されるのは避けたく、逃げるように踵を返そうとするが、こうして呼び止められれば無視するわけにもいかない。

 佐助はすぐに立ち去りたい気持ちを抑えて足を止める。


「朧くんも、よければ一緒にカラオケ行かない……? もし、用事がもう済んでるならだけど」

「……いや、用事はこれからだ。悪いな」


 遥香の護衛はこれで終わったわけではない。

 家路に着くまでは陰に身を潜めて見守った方がより確実だ。

 依頼主からは可能な限り遥香の意志を尊重するようにも言い含められているが、彼女の安全には代えられない。


 こう言ってしまえば遥香もこれ以上無理に誘うのは難しいようで、特に何も言ってこなかった。


「では俺は行く」


 佐助は再び歩き出した。


「あ、あの……今日はありがとう! 本当に!」


 声に反応して振り返ると、長い栗色の髪を垂らして深々とお辞儀をしている遥香がいた。

 遥香と、そして遥香の護衛を依頼した人物は浅からぬ関係であり、遥香は本来佐助に頭を下げる立場ではない。

 しかし、それをそのまま伝えるわけにもいかず、佐助はむず痒い気持ちでその光景を見た。


「頭を下げる必要はない。気にするな。次は不埒な輩に絡まれないよう注意することだ」


 それだけ言って、今度こそ佐助は歩き出した。


 $


 遥香は影のように人混みへと溶け込んでいった佐助の背中を見送った。


「ねぇ遥香、今のって朧っち?」

「ひゃあっ!」


 いきなり耳元で聞こえる声に、遥香の肩が飛び跳ねる。


「い、依織いおりちゃん!?」

「はーい! 私が依織ちゃんでーす」


 呼ばれて底抜けに元気な挨拶をしたのは千浪ちなみ依織いおり

 黒い地毛に銀のメッシュが入ったボブヘアーがトレードマークの遥香のクラスメイトだ。


「で、今のって朧っちだよね? もしかしてデートしてたの?」

「ふぇっ!? ででででデートじゃないよ!」


 顔を真っ赤にしながら、遥香は細い腕をぶんぶん振って否定する。

 あれはどう考えてもデートではないし、ただただ相手に迷惑を掛けただけだ。


「ふーん。いや、朧っち用事があるとか言ってたからさぁ」

「こ、これから用があるみたいで」

「朧っちの予定を把握しているくらいには仲がいい、と」

「さっき偶然ちょっと……いや、かなり助けてもらっちゃって。その時に教えてくれたの」


 依織は小悪魔のような笑顔を浮かべて遥香に詰め寄るが、遥香は実際に佐助か見聞きした事をそのまま口にする。

 が、それが失敗だった。


「へぇ、何を助けてもらったんだろう。今日は根掘り葉掘り聞いちゃおっかな! クラスのアイドル遥香ちゃんと謎の男朧っち! 二人の関係やいかに!!」

「なななな、何もないよ!?」


 更に慌てて否定するものの、依織から遥香の言葉を真に受けている雰囲気は残念ながら感じられない。


「そんなに慌てて怪しいな〜。遅刻の代償は大きいよ! あんなことやこんなことまで聞き出しちゃうんだからねー!」


 依織は無理矢理に遥香を回れ右させると、その細い背中を押してクラスメイト達の元へと連れていく。


「本当に何もないの! 本当に本当!」


 遥香はこうして必死に弁明するが、まともに取り合われることはなく、その後カラオケそっちのけで依織のおもちゃにされるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る