1話 忍者は護衛する

 この平和な日本でも、闇に紛れて暗躍する者がいる。

 表の世界で何食わぬ顔で生活し、裏の世界で闘争に身を置く者がいる。


 世の中は表裏一体だ。

 輝かしい表の舞台には、それを支える裏がある。


 その裏の住人――忍者であるおぼろ佐助さすけは、表の住人に悟られないよう気配を消していた。


 時刻は夜、場所は繁華街。

 しかし、闇の世界の時間と言うにはまだ早い。

 太陽は先ほど沈んだばかりだ。

 色取り取りのLEDの灯がそこかしこで光り始め、表の世界の住人が未だ活発に活動している時間である。


「ターゲットが動いた」


 佐助は黒いパーカーのフードを目深く被り、その視線を誰にも悟られないよう警戒する。


 佐助の視線の先には男が三人と、少女が一人。

 距離は目測にして約二十メートル。


「――てく――い」


 少女が口を動かした。

 忍者として鍛えられた佐助の耳にもその全容は分からない。

 街の喧騒は容易く少女の細い声をかき消す。


「やめてください、か」


 しかし、佐助は口を読むことで不透明な部分を補った。

 その言葉からして、男達と少女の仲が良好ではないのは明らかだった。


「他に動く者は……いない」


 夜とはいえ、人通りはある。

 いや、この繁華街という場所においては夜だからこそ人通りがある。

 今の少女の声を聞き届けた者もいるだろう。

 しかし、男達と少女の間に割って入ろうという者はいなかった。


 それを誰が責められようか。

 あからさまなトラブルの種に手を出し、自らも被害に遭うリスクを負いたい者は物好きの類だろう。

 人との関わりが希薄になった現代では尚更だ。


 男達は少女を囲むように立ち、路地裏へと半ば無理矢理連れ込もうとしている。

 誠実さの欠片もない下卑た笑いを浮かべ、戸惑う少女の様子すら楽しむかのようだった。


「仕方ない」


 このままでは、少女は悪漢達にいいようにされてしまうだろう。

 正義の炎が佐助の胸中で燃え上がる。


 佐助は物好きの類であった。

 正義の心を胸に秘め、それを奮う力を持っている。


 忍者。

 武士の時代に存在した、影で日本を支えた猛者達。

 佐助はその末裔だった。


 そうでなくても、佐助には少女を助ける理由がある。


「ターゲットが危険因子と接近。これより救助に入る」


 通りすがる誰にも聞こえないように独り言ちる。

 しかし、この声は聞こえるべき相手には聞こえているはずだ。


 少女と男達の姿が裏路地へと消えていく。

 佐助は静かにその後を追った。


 $


「あ、あのですね……私道に迷っただけなんです。この近くのカラオケに行きたいんですけど……」


 少女の肩はこわばり、声が震えている。

 学生鞄を両手で持ち、盾にするように男達との間に構えていた。


「あー、あのカラオケね。大丈夫、この道が近道だから」

「案内してあげるって」

「俺らも一緒に歌っていい?」


 三人の男が少女に馴れ馴れしく声をかける。

 下心は隠せてないものの、言葉だけならそれなりに親切なようにも聞こえる。

 しかし、その親切な言葉が張りぼてなのは明白だ。


 この小道はカラオケに通じていない。

 それどころか行き止まりである。

 案内する気も、ましてや一緒に歌う気もあるはずがない。

 少女の悲鳴が通りに届かない場所まで行けば、その下心のままに少女を襲うだろう。


「にしてもキミ可愛いね。その制服、どこかで見たことあるなぁ」


 少女の容姿は一般的に見れば可愛い、美人であると評価されるものだ。


 背中まで伸びた栗色の髪は清流のように艶やかで纏まりがあり、暗がりでも白く映る肌には一点のくすみもない。

 すらりと伸びた手足は日本人離れしていて、整った顔立ちは男女問わず多く人を魅力するだろう。


 残念ながら、今はその表情が曇っているが。

 しかしその曇った表情ですら庇護欲を誘う。

 いや、下卑た男達にとっては加虐心を煽る蜜でしかない。


「やっぱりこっちの道じゃない……ですよね? わ、私戻ります!」


 少女は再び勇気を振り絞るが、男達の返事はない。

 幅の狭い道で横に並び、少女の行く手を阻むように立っている。

 男達は静かに口角を上げ、少女を上から下へと舐めるように品定めする。

 品定めが終わったのか視線を少女の顔に戻し、男の一人が頬を吊り上げて口を開いた。


「ここまで来といてそりゃないっしょ。俺達と遊ぼうぜ」


 男の雰囲気が変わった。

 少女はそれを察知し持っていた学生鞄からスマートフォンを取り出すと、男達に突きつける。


「け、警察を呼びますよ!」

「ははっ。バーカ!」

「きゃっ」


 一番前にいた男が嘲笑いながら目の前に突き出されたスマートフォンを手で払った。

 その無骨な手は少女の手に当たり、華奢な身体は衝撃に耐えられずに崩れ落ちる。


「や、やめて……」


 尻餅をついた少女は怯えた目で男達を見るが、その様子は彼らを喜ばせるだけだった。


「大丈夫、悪いようにはしないからさ」

「絶対楽しいから。ね?」


 男達はゆっくりと少女へと近寄った。

 そして、追い詰めた獲物に手を伸ばす。


「――っ」


 少女が悲鳴を上げようとしたその時、男達の手がピタリと止まった。


「ああん?」


 後ろから、靴と地面が擦れる音がする。


 意図せぬ来訪者に男達は苛立ちを隠さずに振り返った。


「なんだぁお前?」

「今取込中だ。失せろ」


 悪漢達が気がついた時には、男が一人、無言で立っていた。

 ランニングシューズに機能的なジャージ。

 地味な黒いパーカーを羽織り、そのフードを目深に被っている。


 背格好は一七〇センチ半ばほど。

 横幅はなく、やや細身と言えるだろう。

 単純な力で男三人を相手取るには、明らかに物足りない。


 フードの中から表情は伺えないが、男の割には綺麗な肌をしており若さが滲んでいる。

 それでいて口は真一文字に結び、言葉でなく態度で意思を示すかのようで、どこか貫禄を持っていた。


 しかし悪漢の一人はその貫禄を気に留めることなく、無遠慮にパーカーの男へと歩み寄る。


「お前も混ざりたいのか? 残念だが――」


 悪漢の言葉は最後まで紡がれることはなかった。

 パーカーの男の腕がる。

 その瞬間、パーカーの男に近づいた悪漢は膝を折り、ドサリと地面に倒れ込んだ。


「な、何しやがった!?」

「てめぇ!」


 仲間をやられた二人は激昂し、パーカーの男に襲い掛かる。


「オラァ!」


 最初に繰り出されたのは拳による突き。

 か弱い少女から見ればそれは十分すぎるほどの脅威だが、玄人から見れば稚拙で技術の欠片もない、ただの突き。


 パーカーの男は突きにそっと手を添えて力を後ろに流す。

 流された力は突きを放った本人の身体すらも引っ張った。

 こうして体勢が崩れた所に更に手を添え、優しく持ち上げれば決して小さくない身体も宙を舞う。


 その背中が地面に叩きつけられることを見届けることなく、パーカーの男は残った一人に向かって一歩踏み込んだ。


「なっ……!?」


 目の前で仲間が宙を舞うという信じられない光景を見ていただけの男には、ただの踏み込みも強襲になる。

 面を食らった表情のやや下、顎に掌底で鋭い衝撃を与えれば、意識を刈り取るのは容易い。


 黒目が白目に変わったのを見たパーカーの男は、その場に留まらず流れるように後ろへ進んだ。

 その先には地面に叩きつけられた悪漢が起き上がろうとしている。


「こ、のや――かはっ」


 敵の体勢が整う前、瞬時に懐へ入り手刀を首に入れる。

 軽くノックしたような華麗な仕草にもかかわらず、怨嗟の声が出切る前に他二人と同様に地面に沈んだ。


 少女が気付いた時には、この場に立つのはパーカーの男ただ一人だけになっていた。


「え……えっ?」


 一瞬の内の出来事に、少女の顔は手品でも見たかのようだった。

 彼女の大きな目は更に見開き、小さな口が塞がらずにいる。


「…………」


 パーカーの男は何も言葉を発しない。

 少女の様子を横目で見ているが、その場から動こうという気配はない。


「あ、あの。ありがとう、ございます?」


 パーカーの男は間違いなく少女を助けたのだろう。

 しかし、先ほど別の男とはいえ襲われかけたという事実が、男に素直に礼を言っていいのかを迷わせた。


「…………」


 紛いなりではあるが、礼を言われても男の口は真一文字を結んだまま。

 しかし、足は動いた。

 パーカーの男は少女に背を向け、音もなく去ろうとしている。


 返事を待っていた少女は呆けながらその光景を見ていたが、黒いパーカーの背が夜の闇へと消えようとしたその時、慌てて口を開いた。


「待って!」


 それは叫びのような声だった。

 やっとパーカーの男の足が止まる。

 男はゆっくりと振り向くと、再び無言で少女の様子を観察し始める。


 すると、少女は強張らせていた頬をへにゃりと緩ませ、それでいて困ったような笑顔を浮かべ、こう言った。


「すみません、腰が抜けちゃって……助けてくれませんか?」

「……そうか」


 ここに来て、やっとパーカーの男が口を開く。

 男は頭を覆っているフードを下ろした。

 そこから現れたのは散切りになった影よりも深い黒髪。

 歳の割には精悍な顔付きの少年だった。


 少年はゆっくりと少女へと近寄り、膝を折って頭の高さを合わせるようにする。


「すまない、怖かっただろう。大丈夫か、各務かがみ


 この少女の名前は各務かがみ遥香はるか

 パーカーの男――朧佐助が彼女を助けた理由。

 それは、彼女が忍者である佐助の護衛対象だからであった。


 しかし、このことは遥香本人は知らない。

 故あって佐助は遥香を陰から見守るように命じられていた。


 ただし――


「ふぇっ? 同じクラスの……朧くん?」


 遥香が知らないのはあくまで佐助が忍者であることであり、クラスメイトとしては互いに顔見知りなのであった。


 遥香はガラス玉のような目を何度も瞬かせ、信じられない物を見たような顔を浮かべている。


 一方、元々は顔を見せずに去ろうとしていた佐助は、どう説明したものかと頭を悩ませるのであった。

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