転生し続けて3000年。スローライフを望みます。

白川ちさと

本編

 ああ、またか。目の前の白い空間を見て思った。ついさっきまで見つめていたシミのついた木目の天井がすでに懐かしい。


「はいはーい。いらっしゃーい。いや、お帰りと言った方が良いかな?」


 そして幾度となく耳にした幼い声。


「やあ、女神さん。久しぶりだね」


「久しぶりだなんて、つい先週会ったばっかじゃーん」


 あどけない幼女にしか見えない女神さんは僕の肩を叩いた。いや、肩らしきところをと言った方が良いかもしれない。僕は既に魂だけになっていて肉体を持っていなかった。


「ま! 天界での一週間だから、君にとっては長い旅路だっただろうけれど」


 女神さんはグッと親指を立てる。


 長い旅路。そう僕は七十数余年の生涯を閉じた瞬間、この空間に再びやってきたのである。


「ここに来たってことはまた転生するの?」


「当たり前じゃん!」


 僕は転生を幾度となく繰り返していた。何十回も。エルフになったこともあるし、鳥になって空を飛んだこともある。女の子になったこともあるし、巨人になって二百年以上生きたこともあった。


「そろそろお役ごめんでいいと思うんだけど」


「えー、でも君以上に転生しやすい体質の魂っていないんだよね」


 女神さんはぺらぺらと書類をめくった。僕に関する書類らしい。転生にも体質というものがあるらしく、僕の魂は転生しやすいらしい。それに目を付けた彼女によって何十回も転生させられていた。転生させるのが天界での仕事で、転生させると女神としての実績があがるらしい。


「だからって、僕はもう十分すぎるほど生を堪能したよ。最初の人生を思い出せないほどに」


「そんなこと言ったってなぁー。あっ!」


「どうかしたの?」


「君、君! 今回の転生でちょうど三千年生きたことになるよ!」


「なんだ。そんなことか……」


 転生を辞めてくれるのではと期待した僕が馬鹿だった。彼女がどうにかしてくれないと僕はこの空間から出ることも出来ないのだ。ここから逃げ出そうとしたのは確か二十一回目の転生の時だった。


「なんだ、そんなことって。私と君は三千年の付き合いってことだよ?」


「付き合いって、この空間にいるときだけじゃない」


「つれないなぁ。それなら転生三千年記念に、今度は君の希望に沿った転生をしようじゃないか」


「え……」


 これまで問答無用で彼女に転生させられていた僕。それまでの苦労が蘇る。ゲームのような世界で魔王と戦わされたり、錬金術師になって荒廃する世界を救う旅に出たり、モンスターのはびこる世界でドラゴンになったり。


「魔法も錬金術も、不思議なことが一切なくて、モンスターとか妖獣とかもそんなの一切ない平和な生活をお願いします!」


 僕はすぐさまそうまくし立てた。女神な彼女は気まぐれで、いつ気が変わるか分からない。しかし、この答えに女神さんは不満そうに口を尖らせた。


「えー、そんなのでいいの? こうもっと血湧き肉躍るような戦乱の世みたいな世界が良くない?」


「いえ、それとっくに経験済みです」


 かつての仲間たちには悪いが、二度と経験したくない。


「まぁ、たまにはスローライフ系もいいかもね」


「スローライフ……」


 なんていい響きだろう。そうだ、そろそろ僕も隠居していい年ごろだ。だってもう、三千年も生きたらしいのだから。


「あ。人間でお願いします」


「大丈夫、大丈夫。間違っても虫とかにはしないって。ちゃんと平和な村の少年として生まれてくるよ」


 よかった。本当によかった。幾度となく世界を救ったんだ。それぐらいのご褒美があっても、誰も文句は言うまい。


「それじゃ、いってらっしゃーい」


 女神さんの異世界への門を開き、僕の魂をそっと押す。僕は意識が閉じ、気が付いたら赤ん坊になって優しそうな両親に囲まれていた。




 ――八年後。


「フィズ! こっちよ!」


「待ってよ、ラアラ」


 僕は小高い丘を登っていた。ラアラというのは僕の新しい幼馴染。エプロンドレスを着た女の子だ。長い茶色い髪をおさげにして揺らしている。僕の見た目はというと、黒髪にくりくりとした目で美少年とはいかないけれど結構可愛い少年だ。


「さっ、ここでお茶にしましょう」


 小高い丘の頂上でラアラは立ち止まって、バスケットの中から取り出した布を広げた。


「さっ、フィズ。手伝って」


「うん」


 転生した僕はフィズと名付けられ、八歳になっていた。ラアラは僕の一つ上の九歳。小さな村で同じ年頃の子供は少ない。一つ年上で家がお隣さんの彼女は最近何かとお姉さんぶる。


 それが僕にとっては好都合だった。僕はラアラどころか両親より軽く三千年ぐらい歳上。幼い演技をしているつもりだけれど、子供の割に何かと賢いだとか、達観しているだとか大人たちに言われた。だけどラアラと一緒に過ごしているだけで、僕は自然と子供らしく振舞える。


「はい。火傷しないようにね」


「ありがとう、ラアラ」


 カップに淹れたお茶と紙に包んだクッキーを渡してくれるラアラ。カップに淹れた紅茶は火傷しそうには熱くないけれど、こぼさないように気を付けた。


 ラアラは気立てのいい子だと思う。三千年生きている僕が言うのだから、間違いない。僕には必要ないとはいえ、年下の僕の面倒もよく見ていた。


 丘の上で二人、クッキーをかじりながら気持ちよい風に頬を撫でられるままにする。


「ここまで来ると、村が全部見渡せるわね」


「そうだね。あの辺が僕たちの家だね」


 僕は赤い屋根の平屋の家を指さした。家の裏には畑もある。近くには水の澄んだ川が流れていて、水車がゆっくりと回っていた。のんびりとした村の風景。これが何千年も望んでいた僕のユートピアだ。


「そうかも。でも、ここからだとはっきり分かるのは教会の鐘の塔ぐらいだわ」


 村の中央には一本煙突が突き出たように鐘の塔が建っていた。


「鐘の音。ここからでも聞こえるかもね。もうすぐ鳴る時間だよ」


「フィズ、遊びに来ているのに時間なんて気にしていたのね」


 しまった。また子供っぽくないことを言ってしまった。普通の子供は時間なんて、頭の中で刻んでいない。僕は規律の厳しい軍隊にいた時代のくせで時間を常に気にしている。


 カラーン、カラーン、カラーン


 その時、遠くから鐘が三回鳴る音がした。


「三時だ」


「本当、ちょうど鳴ったし、この距離でも聞こえるのね。……フィズは頭がいいから三年もしたら、きっと学校に入れられるわ。おばさん自慢していたもの。教えてもいないのに自然と足し算、引き算が出来るようになったって」


「ははは、母さん大げさだから」


 僕の口からは乾いた笑いしか出てこない。この世界の子供たちは全員が学校に行くわけじゃない。十三歳になって、村の長老から推薦を受けた子供だけが、町の学校に行く。


「私も町に行きたいなぁ」


 ラアラは村よりも遠くにある山を見つめた。


「別に僕が行くと決まったわけじゃないか」


 むしろ町に行くなんてとんでもない。僕はこの片田舎の小さな村での暮らしが気に入っている。こんなにのんびり出来るなんて久しぶりだ。大体の世界において僕が十歳になった頃には何かと戦乱やら学校やら冒険やらに巻き込まれていた。


 それに比べてこの村、いやこの世界は冒険者の影も見えない。望みを叶えてくれた女神さんに感謝だ。


 一時間ぐらい、のんびりしてラアラが言う。


「そろそろ、村に戻りましょう」


「うん」


 僕らはバスケットにカップやポットを片付けて、村に戻った。




 村の家の前に戻ってくると母さんと隣のおばさん、つまりラアラのお母さんがなにやら真剣に話し込んでいた。


「おばさん、こんにちは。どうかしたの?」


 ラアラが率先して二人に話しかける。


「ああ、二人ともお帰りなさい。ピクニックは楽しかった?」


「うん」


 母さんに顔を覗き込まれた僕は出来るだけあどけなく頷く。


「それは、よかった。実はね。最近村の畑が夜中に荒らされているそうなの。イノシシだそうよ」


「「イノシシ……」」


 僕とラアラは声をそろえた。この世界に妖精やモンスターの類はいないが、もちろん野生動物ぐらいはいる。それがたまに悪さをするのだ。


「ってなに?」


 そう言うのはラアラだ。森からイノシシが降りてくるなんて滅多にないから見たことはないだろう。


「イノシシって言うのはね。見た目は豚みたいな生き物だけど、凶暴で鋭い牙が生えているのよ」


「ふーん」


 母さんが簡単にイノシシの説明をしたけれど、首をかしげるラアラは何となくしか分かっていないようだ。


「もう少しで野菜も実りそうなのに。どう対策しようかラアラちゃんのお母さんと話していたのよ」


「出来ることと言えば、かかしを立てることぐらいかしらねぇ」


 どうやら具体的な対策はないようだ。


 真夜中。ベッドの中で僕はぱちりと目を覚ました。外で物音が聞こえたからだ。微かな音なので隣で寝ている父さんと母さんはぐっすり寝ている。僕は二人を起こさないように、そっとベッドから出た。


 気配を消して今の台所の方へ。物音が大きくなる。土を削る音だ。


 僕は台所の勝手口を薄く開いた。勝手口をから出るとすぐそこが畑で、星空が輝く闇夜の下、黒っぽい影が蠢いている。間違いない。母さんが言っていたイノシシだ。尖った鼻を地面に押し付けて、土を掘り起こしている。まだ痩せている人参をかじっていた。


 僕は父さんと母さんを呼ぶわけでもなく、勝手口から外に出る。イノシシはまだ気づいていない。僕は躊躇せずイノシシの前に歩いていった。


「フゴッ」


 十歩ほど離れたところに僕が立つと、やっとイノシシは僕の存在に気付いた。だけどすぐに臨戦態勢になる。イノシシは頭を下げて短い前脚で地面を掘った。突っ込んでくるつもりだ。


「生きるためには食べることが必要だろう。だけど、それは僕たちの大事な食糧だ。君は山へお帰り」


 僕はなるべく静かな声で言う。


「フーッ、フーッ……フー……」


 最初は息が荒かったイノシシも頭を上げ、クルリと後ろを向いた。そのまま畑から出て行き、川沿いを走って山の方へ帰っていく。


 どうやら動物たちには僕のことが他の人間とは違う様に見えているようだった。三千年も生きた魂が見えているのかもしれない。森に入れば友好的な動物たちは自然とやってきて、イノシシのような凶暴な動物でも決して攻撃はしてこない。


 畑の方はと言うと、少し荒らされているけれど、大した被害じゃない。これでお世話になっている両親に少しは恩を返せただろうか。


 さて。そろそろ家に戻ろうとした時だ。


 僕を見ている視線に気が付いた。ラアラが隣の家の勝手口からこちらを見ていたのだ。




「フィズ、フィズってば!」


 教会でお祈りを済ませると教会の前にある噴水の所で、ラアラが僕の手を引いた。両親と来ていたので彼らは先に帰っているわねと言って先に行く。仕方なく、僕は歩みを止めた。


「なに、ラアラ?」


「なに、じゃないわよ。どうして昨日の夜、私のことを無視したの」


 昨晩、ラアラは裸足のまま勝手口から飛び出してきたけれど、僕は無視して家の中に入ったのだ。


「昨日ならちょっと、夜風に当たっていただけだよ。何かあった?」


「イノシシがいたじゃない! 今朝、おばさんが畑を少し荒らされたって言っていたし、間違い

ないわ!」


 ラアラは僕に顔を近づけて興奮したようにまくし立てた。


「イノシシなんていた?」


 それでも僕はしらを貫き通す。


「いたわよ! フィズよりも二倍くらい大きなイノシシが!」


 ラアラは手を大きく広げて見せた。


 僕はそれをじっと見つめて思う。失敗したなぁと。


 僕もこの世界ではまだ十歳。図体の大きなイノシシに、ちょっとビビっていたのだ。だから、ラアラの気配に気が付かなかった。


「もしかしたら人間の姿に驚いて逃げちゃったのかもね」


 僕が当たり障りのないことを言うと、むぅっと膨れるラアラ。


「フィズはあくまでも自分の力じゃないって言うのね」


「僕に力なんてあるはずないじゃない」


 現に女神さんからは何のギフトももらっていなかった。ある世界では魔力や体力、運などのステータスを授けられることもあったけれど、この世界は基本的にはのんびりとした世界。三千年生きた僕を動物たちが察知することはあっても、僕は魔力もスキルもない普通の少年だ。


「動物と話せる不思議な力があるのかと思ったのに」


「あはは。ラアラ、小説の読み過ぎだよ」


 僕はぎこちなく笑う。実際、言葉を話せなくても、動物たちはかなり僕の言うことを理解している。動物の方が人間よりも気配に敏感だったり、言葉を理解出来たり、優れている面は多くあった。人間の方が鈍感すぎるのかもしれないけれど。


 ラアラは僕の小さな手を取る。


「もしかしたらフィズ、不思議な力を自覚していないだけなのかも。いいわ。私があなたの力を目覚めさせる手助けをしてあげる!」


「え、ええっ!」


 これには僕も目が飛び出るほど驚いた。


「まずは森に行きましょう」


 まずい。これはまずいぞ。


 動物たちと意志を通じ合わせることができることを隠し通さないと。じゃないと、また神童扱いされてしまう。子供にしては賢いと言って僕を神童として崇めたてられたのはまだ記憶に新しい世界だ。頭がいいだけであっという間に賢者だ。あれは何百年前だったか、魔力が物を言う世界で女神さんが魔力を盛に盛ってしまって、魔王にさせられたこともある。


 とにかく、そんなに役に立たない技能でも何かしらの力は隠し通さないといけない。


 この世界はモンスターも魔法もないけれど、当然国だってあるし、権力抗争だってある。時には戦争だって。そんなものに巻き込まれた日には、念願の僕のスローライフはどうなってしまうんだ。


「行くわよ、フィズ」


「ま、待ってよ、ラアラ」


 大人たちが微笑ましく見守る中、僕らは近くの森に向かった。




 ピピピと鳥がさえずる声がする。村から一番近い森は子供だけでも来ても平気なぐらい明るい森だ。木の実や果実が良く実っている。


「今日はラアラが一緒だからみんな近づかないでって言っておいてね」


 僕はラアラの後ろで小鳥にこっそり話しかけた。僕の肩に止まっていた小鳥は心得たように飛び立っていく。


「ねぇ、フィズ。今日はこっちの道に行ってみましょう」


 ラアラは歩いていた大きな道から森の中に続いている細い道を指さした。


「えー? 森に入る時は大きな道から外れちゃダメって、いつも言われているよね」


「大丈夫よ。ちょっとくらい。二人並んで進めるぐらいだし、迷いそうになったら戻ってくれば

いいわ。それにこの道じゃ、動物がいないもの」


「あ! ラアラ!」


 僕の忠告も聞かずにラアラはずんずん細い道の方へ歩いていく。僕は後を追うしかない。


 細い道の先は確かに大した危険はなさそうだった。大人たちもたまに間伐に来るのか、真新しい切り株がそこかしこに見られる。だけど、動物の姿はどこにもない。僕が小鳥に近づかないように言ったから。と、思いきや。


「あ、ウサギ! それに鹿もいるわ!」


「えっ!」


 僕はラアラの指さす方に顔を向けた。小鳥に近づかないでって言ったのに、伝わっていなかったのか。十メートルほど離れた場所でウサギと鹿は揃ってこちらを見ている。


「ほら、フィズ。あの子たちの所に行って」


「え、ええ!?」


 ラアラは強引に僕の背中を押してくる。ああ、きっと野生のはずのウサギと鹿にすり寄られて、ラアラに不思議な力で懐かれたと思われるんだろうな。


 僕は押されるまま、一歩、また一歩と歩を進めた。すると、動物たちはその分だけ離れて行く。


「ん?」


 離れて行くけれど、すぐに僕の方をチラッと振り返った。また僕らが近づくと、それだけ離れて、またこちらを見る。


「フィズのことが気になるみたい」


 たったこれだけのことでラアラの声は弾んでいる。


「僕じゃなくて、人間の子供が気になるだけだよ。イノシシだって、もうお腹いっぱいだったか、すごく臆病すぎてすぐに逃げちゃったかだよ」


「えー、そうかな? あ! リスもこっち見ている!」


 ラアラが指さす木の上を見るとリスが三匹も並んでこっちを興味津々で見ていた。たぶん、いきなり近づくなっていう伝令があったから、かえって何事かと見に来ているんだな。


「そういえばここってどこ?」


 僕は気を反らすために辺りを見回しながら言う。


「え、えーと……」


 意地悪な質問だったかな。もちろん僕は帰り道を分かっていた。だけど、ラアラの顔はみるみるうちに不安に染まっていく。


「元の道はこっちよ」


 残念。反対側だ。


 そうとも知らずにラアラはお姉さん風を吹かせて、ずんずん森の奥に進んでいく。僕はその後に続く。小さな森だし、太陽の位置で方角も分かっているから、僕は余裕だ。いざとなったら動物に案内してもらってもいい。


「あれ? あれ? どっちから来たかしら……」


 だけど、さすがにラアラの戸惑う様子を見ていたら可哀そうになってきた。


「ラアラ、太陽の位置がだいたい南だから」


「あれ、何かしら?」


 助言をしようとした僕の声をラアラはさえぎる。同時に僕は何かの気配を感じ取った。誰かが落ち葉を踏みしめる音だ。動物たちではない。


「ラアラ、行こう」


 離れた方が良いと思った僕はラアラの手を取る。だけど、ラアラはその何かの方に走って行く。


「見て、フィズ。焚火の後よ」


「焚火……」


 ということは、誰かが火を使ったということだ。煮炊きのためか、暖を取るためか。だけど村の人はこんな所で焚火なんてしない。


「ラアラ、やっぱり離れよう」


 そう言うや否や、ラアラの足元にナイフが刺さった。


「え……?」


 いきなり飛んできたナイフを見てラアラはその場にへたり込んだ。


「ラアラ!」


「おーと、逃げるな。嬢ちゃんに坊主」


 森の奥からガサガサと音を立てて、男たち三人が出てきた。頭には同じ緑色のバンダナをしていて、腰にはナイフを何本もさしている。


「山賊……」


 僕は身構えてから、つぶやいた。


「おお、よく知っているな、坊主。そう俺たちゃ、山賊だ」


「シシシシッ」


 山賊三人組は汚い歯を見せて卑しく笑っている。


「ラアラ! 立って走るんだ!」


「だ、だめ……、足に力が入らない」


 ラアラは地面にしゃがみ込んだまま震えていた。そこに大股で山賊の頭らしい人物がやってくる。


「いい子だ、嬢ちゃん。ちょうどいい所に来たな。俺たちは今からあの村に出向いて金品を奪う。そのための人質になるんだ」


「きゃあ!」


 山賊の頭はラアラの背中のリボンを掴んで、強引に持ち上げた。


「ラアラ!」


 なんてことだ。僕たちが森に入った日に限って山賊がやってくるなんて。


「ラアラを離せ!」


「中々勇ましい坊主だ。お前もこっちに来い」


 山賊がじりじりと近づいてくるので、僕はじりじりと下がっていく。僕は当然ながら丸腰だ。剣でもあれば……、いやあったとしてもこの小さな身体では扱えない。


「うっうっ、フィズ。フィズだけでも逃げて」


 捕まっているラアラはボロボロと涙を流していた。


「このっ、そろそろ大人しく捕まれよ!」


 業を煮やした山賊の一人が僕に掴みかかってくる。その時だ。


「いてててててッ!」


 小鳥たちが三羽飛んできて、山賊の顔をつつき出した。


「みんな!」


 僕をかばったのだ。小鳥たちは山賊たちの手によって追い払われてしまう。


「なんだったんだ。あ。なんだ、坊主。それは……」


 僕が片手で構えているのは短剣だ。小鳥が群がっていた間に山賊の腰から抜き取っていたのだ。短剣はズシリと重みがあり、手入れもよくされている。シュッ、シュッと音を立てて空を切ってみた。


「坊主。格好つけても……、ッ!」


 さすがに武器を使っているだけ感じ取ったようだ。僕が初めて武器を手に取った少年ではないことに。


「よし」


 僕は地面を蹴った。殺気を込めて剣を振る。


「うわあああ」


 山賊の顔の前で彼が掴んでいるラアラのリボンを切った。ドスンと音を立てて、ラアラが地面に落下する。


「早く!」「う、うん」


 僕はラアラの手を取り無理やり立たせる。


「くそっ! 追え!」


 短剣を捨てて走り出した。あんなの持っていても重くて走るのが遅くなるだけだ。僕らは森の中をジグザグに走る。


「待ちやがれ!」


「ね、ねぇ、フィズ。追いつかれちゃうよ」


 いくら走ってもそれは子供の足。振り返ると大人の山賊たちはすぐ後ろに来ていた。


「もうちょっと、頑張って。ラアラ」


 全速力で走りながらラアラの手を引く。森が開けて原っぱに出た。


「観念しろ!」


 山賊が僕らに手を伸ばした時だ。僕の肩に鳥が止まって前方を羽で指す。


「ラアラ伏せて!」


 僕はラアラを抱きしめて地面に倒れ込んだ。


「何をして……、ふぐうう!!」


 ラアラを地面に伏せさせたままチラリと背後を見る。そこには木に叩きつけられた山賊と呆然と立ちすくむ山賊二人。その前には、前脚で地面を削っているイノシシがいた。まるで僕たちを守るように山賊たちの前に立ちはだかっている。


「フーッ、フーッ、フーッ……」


「な、なんだよ。このイノシシ」


「フシュー!!」


「ぎゃ、ぎゃあああ!」「ひいいいいい」


 山賊たちはイノシシに追突されながら逃げて行った。


「フィ、フィズ? どうなったの?」


 ラアラがそろそろと顔を上げる。


「もう大丈夫だよ、ラアラ。山賊たちはいなくなったよ」


 えっと驚いた顔でラアラは飛び起きた。


「イノシシがたまたまいたんだ。山賊たちはイノシシに追い立てられて逃げていったよ」


 本当は偶然いたわけじゃない。逃げている時に鳥に頼んで、イノシシを連れてきてもらったんだ。三千年生きてきたけど、イノシシに助けられたのは初めてだな。今度、何かお礼をしに来ないと。


「すごい、フィズ! やっぱりフィズには不思議な力があったのね」


 僕の顔を興奮した顔で見つめてくるラアラ。僕は笑顔を貼り付けたまま言う。


「ラアラ。イノシシはたまたまここにいたんだ」


「でも私たちを助けてくれたわ」


「たまたま機嫌が悪くて山賊をやっつけてくれた」


「でも、鳥たちとお話していたでしょう?」


「……。」


 今も肩に鳥が止まっていては言い逃れできない。僕は無言で頷いた。


「やっぱり! フィズ、すごい!」


「ぼ、僕もどうしてか分からないのだけれど、動物たちが僕の意思をくみ取ってくれるみたいなんだ」


 さすがに三千年も転生しているとは言えないので、僕も理由は分からないことにした。


「みんな、びっくりするわよ! 動物たちとお話出来るなんて国中で噂になるかも!」


「いっ!?」


 ラアラは今にも村に駆けこんで言いふらしそうな勢いだ。そうなるとすぐに僕は動物と話せる奇跡の少年として祭り上げられてしまう。僕はこの村でスローライフを満喫するんだ。それだけは絶対に避けないと。


「あのね、ラアラ。僕はこの不思議な力を秘密にしたいんだ」


 僕は落ち着かせるようにゆっくりと話す。


「どうして?」


「そりゃ、こんなの普通じゃないだろ。みんながラアラみたいに好意的に取るとは限らないと思う」


 父さんや母さんだって例外じゃない。これまでも僕に何かの力があると分かった途端に目の色が変わったり、逆にあからさまに遠ざけたりすることもあった。


「そうかな? でも、フィズと私だけの秘密って言うのも悪くないわね」


「そうだよ!」


 ラアラ一人ぐらいならバレていても、この村でのんびりスローライフは実現できる。


「それじゃ、黙っている代わりに私のお願い聞いてくれる?」


「お、願い……」


 僕はごくりと息を飲む。こういう場面でのお願いはよかった試しがない。


「うん。私が学校に行けるように協力して欲しいの。勉強を一緒にしたり、お父さんを説得するのを手伝ってくれたり」


「なんだ。そんなことか」


 正直ほっとした。黙っている代わりにその力を使って金儲けをしようだなんて、まだ子供のラアラが言うはずないか。それに勉強を一緒にしようだなんて、ラアラらしいお願いだ。


「もちろん、いいよ。さっ、家に帰ろう」


 僕は立ち上がってラアラに手を差し出した。


「でも、ここがどこか分からないのに、どうやって帰ったら……」


「大丈夫だよ。あそこに川があるだろ」


 僕は原っぱの先に流れている川を指さす。


「あの上流に村があるはずだよ」


「そっか! やっぱりフィズって頭いい!」


 また子供らしくないことを言ってしまった。だけど、動物と意志が交わせることを知られてしまったラアラにならいいか。




 この時の僕は知らなかった。僕が勉強を手伝うことでラアラはメキメキと頭が良くなった。しかも学校に行くどころか、国で神童だと崇められるようになる。そう、僕はやりすぎたのだ。そして、ラアラは言ってしまう。僕に勉強を教えてもらったのだと。


 崩れ去る念願のスローライフ。三千と十三歳の僕は新天地を目指すための逃亡を画策中だ。


 了

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転生し続けて3000年。スローライフを望みます。 白川ちさと @thisa-s

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