第203話:失った日常は戻らない

 福岡01ダンジョンの入り口は、公園の近くにあった。

 そんなに大きな公園じゃない。オフィスビルの合間にあった、ベンチとトイレがあるだけの公園だ。

 1500人もの人間が避難するには狭すぎる。


 でも、最初に最前線に立った冒険家たちは既に避難している。

 中堅の冒険家も最下層モンスターが出て来たあたりで、避難を開始するよう最初から指示が出ていた。

 避難するべき人数はそう多くない。

 自衛隊の人たちは車で、最後まで殲滅戦に参加していた冒険家は公園へと避難する。

 公園まではちゃーんと誘導用の三角コーンが置かれ、しかもこの一週間で何度も避難練習もしてある。

 

 早く……早くと焦る。


「全員いるな!?」

「大阪4パーティー、オッケーや」

「岡山もオケ」

「広島、全員揃った」

「長崎、怪我したメンバーは自衛隊の人に拾って貰いました。あとは大丈夫です」

「大分全員無事です」

「宮崎も揃いましたっ」

「東京! 全員無事っ」

「福岡……よし、みんな揃ってるな」

「全員、ロープの内側に固まるんじゃ」


 遊具のない公園。

 子供の時は面白みのない公園だなと思っていたけど、今となっては有難い。

 

 カウントがゼロになり、地面が揺れる。

 一瞬目を閉じた後、次に見たのはどこか……どこか見覚えのある景色。


「戻って、きた……」


 今すぐ駆け出したい。

 でも、いいのか?

 調査とか、安全確認とか……


「行ってきなさい」


 そんな声が聞こえた。


「お、大戸島会長!? い、いたんですかっ」

「おったわい」


 こほんと咳ばらいをしてから、会長はもう一度「行ってこい」と言った。


「もう暗くなる、一般の方々は中に入れる訳にはいかん。君たちが安全確認をし、明日11時に天神支部へ報告に来てくれ」

「じ、じーさんいいのか? 職権乱用にならないか?」

「いいから行け。芳樹、ちゃんと木下さんを自宅まで届けてやるんだぞ」

「わ、分かってるよ」


 芳樹が「行こう」と声を掛け、俺たちは小走りに公園を出て行った。


 小走りに……


「――さん。浅蔵さんっ」

「えっ。あ」


 いつの間にか全力で走ってたみたいだ。


「一緒に行く。一緒に、だから――」


 数歩後ろからやってくる彼女が、手を伸ばす。

 一緒に……そうだ。セリスも一緒に――


「お先にぃ」

「うおっ。翔太!? な、なんで自転車――あぁ、そうか」


 アスファルトがあるんだから、自転車での移動の方が早いし楽だ。

 セリスもポケットを広げ、自転車を取り出そうとしている。

 甲斐斗、それから上田さんの分と俺たちの分の四台を取り出し、それに跨った。

 すかさず虎鉄が飛び乗る。


「あさくにゃー、家帰るにゃかぁ?」

「家……そうだ。家に帰るんだ」

「ボクらこっち。由紀ちゃんと木下さんはあっちだから」

「あ、そうか。中学は同じだけど、小学校は違うんだったな」

「豊、俺も木下を送ってくから」

「あぁ。まぁ傍にいてやれよ」


 芳樹は頷き、俺たちは明日の午前中にいつもの場所で落ち合う約束をして別れた。

 

 省吾や春雄、甲斐斗たちとも別れる。


「芳樹と俺はさ、同じマンションに住んでいるんだ」

「そうだったんだ」

「俺んちは6階、あいつは8階なんだ。あ、見えてきた」


 天神のオフィス街から少し離れた所に、俺が暮らすマンションがある。

 駐輪場に自転車を停め、ロビーの方へ。

 おかしいな。自動ドアが開きっぱなしだぞ。


「あとで管理人さんに知らせておこう」

「あさくら……さん?」

「エレベーターはこっちだ」

「浅蔵さんっ。エレベーターは動いとらんけんっ」


 動いて……あぁ、そうだった。

 動いてないんだったな。

 なんで動いてないんだっけ?


 階段で六階まで上がって、家の前までやってきた。

 鍵、あれ? 鍵どこだっけ。


『あさくにゃー、開いてるにゃよぉ』

「え、開いてる!? ったく、誰だよ開けっ放しにしたの」

『あさくにゃ、大丈夫にゃか?』

「虎鉄。今はいいけん。浅蔵さん、中に入りましょう」

「あ、うん。セリスのこと、紹介しないとな」

「そう、ですね」


 少しだけ開いていた玄関ドア。

 それを開け放ち、「ただいま」と声を掛ける。


 誰もいない?

 父さんは夜勤だったはずだし、姉ちゃんは気分悪いって学校休んでたよな。


「おーい」


 リビング――いない。キッチンにもだ。

 父さんたちの寝室のドアは閉まっていて、ノックをしたけど返事はなかった。

 

「姉ちゃん、おる?」


 俺の隣の部屋。ノックをして声を掛けたが、やっぱり返事は帰ってこない。

 開けてみる。

 今朝は気分が悪いって、寝てたはずなのに。


 ――姉ちゃんずる休みぃ。

 ――違うっちゃ。もうほんと、気分悪いんやけん。

 ――俺も休みたい。

 ――はよ学校いき。よし君待っとるばい。

 ――うん。じゃあ行ってくる。姉ちゃん、ゲームしたらダメやけんな。

 ――せんっちゃ。


 そんな会話したっけ。


「姉ちゃん、ただいま。気分どう?」


 開いたドアの先には、姉ちゃんの勉強机、漫画ばかり並んだ本棚、それからベッドもあった。

 だけどそこにいるはずの姉ちゃんはいない。


 いないんだ。


 いるはずないんだ。


 全身から力が抜けるように、その場に座り込む。 

 あの公園からここまで、見てきたのは昔の記憶にある景色。

 マンションも、この家も、何もかもあの時のまま……


 いや、違う。

 

 廃墟同然の街並み。建物のガラスもあちこち割れ、自転車を走らせるのだって気を付けていたじゃないか。

 マンションの駐輪場の屋根もサビだらけで、ロビーの床もひび割れていた。

 エレベーターが動かないのなんて当たり前な。電気が通っていないんだから。


 父さんも、母さんも、姉ちゃんも……分かっていたじゃないか。 


 ずっと、幻想を見ていたんだ。

 いや、願望……か。


「もう……戻ってこないんだ」

「浅蔵さんっ」

「もう……分かっていたのに……あの日、全てを失ったって分かっていたのにっ」

「浅蔵さんっ。浅蔵さん――」


 あの日から13年。

 もう二度と家族は戻ってこないのだと、改めて思い知らされた。


「浅蔵さん……泣いてもいいんばい」

『にゃぁ』

「ため込む方がよくないけん、私が全部受け止めるけん。だから」


 ふわりと彼女の髪が、俺の頬に流れ落ちる。

 柔らかな温もりに――彼女のニオイに――包まれて――


「う……うぅ、うっ……うぁ……うああぁぁぁっ」


 堪えていたものを、全部吐き出した。

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