第163話

「じゃあ今日は入れんかったと?」


 母屋にあったゲームコーナーでひとり遊びをして部屋に戻ると、二人は温泉から上がって寛いでいた。

 虎鉄は岩盤浴の隅のほうで、体を濡らさない温泉の楽しみ方を見つけたらしい。

 虎鉄用に持って来た猫用布団の上では、いつもより二割増しでふわっふわになった彼が眠っている。


「今夜は予約がもう入っていたんだ。だから明日の夜にしたよ」

「朝風呂もあったんじゃないですかぁ?」

「朝はゆっくり寝たい派なんだ」


 朝風呂も気持ちいいだろうけど、俺は寝ていたい。

 それでなくても朝食の時間は8時だ。ご飯食べて、それから風呂となるとお腹がきつい。10時過ぎればそれも解消されるだろうけど、その時間に風呂に入ろうって気には俺はなれないんだよな。


「なんで明日は21時から貸し切りに行ってくるよ」

「は~い。それじゃあ明日の予定はぁ──」


 明日は湯布院の町をぐるりと一周する辻馬車のツアーに行く。

 それから金鱗湖に行って、そこから湯の坪街道をゆっくり散策しながらご飯を食べ、宿に戻って来る──という計画だ。


「明日は久々に歩くから、今日のうちにゆっくり休もう」

「浅蔵さん、ダンジョンの攻略が終わってから体鍛えてないんですかぁ?」

「……おやすみぃ~」

「あ、鍛えてないんだぁ。あのねぇあのねぇ、お兄ちゃんが言ってましたけどぉ、鍛えるのさぼるとすぐ太っちゃうってぇ~」


 聞こえない聞こえない。大戸島さんの言葉は聞こえない。


「そ、それ本当なん!? 私、あれから全然体動かしてないとよ」


 同士がいた。






 翌朝の朝食は母屋の食堂でのビュッフェ。

 チョコスコーンが美味しかったなぁ。


 暫く宿でゆっくりして、それから由布院駅に向かって辻馬車に。


『うにゃー! ミノタウロスかにゃー!?』

「いや、あれは牛じゃなくって馬だから」

『あれが馬! そういえば図鑑で見たにゃ』


 馬車に繋がった馬を見て大はしゃぎの虎鉄。

 喋る猫なんて不気味がられるから大人しくしてろと言ったんだがなぁ。

 

 御者の人に説明をしてなんとか了解を得たが、ペットの犬は料金を取らないのに対し、虎鉄は大人一人分の料金を請求されてしまった。

 馬車に乗り込んでいると、JRの駅に電車が入って来た。

 緑色の車体──ゆふいんの森号かな。


「あ、特急列車だぁ。この辺りは電車がちゃんと通ってるんですねぇ」

「そうだな。福岡は地下鉄がダメになったが、地上の鹿児島本線とかは北九州も含めて無事だもんな」

「日豊本線は大分市で途切れとる。あそこは市の中心部にダンジョンが出来たけんなぁ」


 辻馬車に同乗していた他の客がそう教えてくれた。

 

 そうか。大分市に出来たダンジョンでは、天神同様に被害が大きかったというからな。

 都道府県すべてにダンジョンがある訳ではないが、今やダンジョンのない県のほうが珍しい。

 そして県での一つ目のダンジョンは、だいたい人口密集地に出来ていた。


 裏ステージをクリアした後の、あの自称神とかいう奴の話がまともであるならば……。

 ダンジョンは地球上の人間の人口を減らすために生成されている。

 だけど絶滅させる気がないようだ。させる気なら、さっさとスタンピードを起こしているだろうし。


 増えすぎた人口を減らして、調節……しているんだろう。

 腹の立つ話だ。

 勝手に他人の世界に干渉して、その世界に住む人間の数を調節なんて。


 でも──増えすぎていたのは事実なんだろうな。


「浅蔵さん、楽しんどると?」

「あ。いや、うん、楽しんでるよ」

「嘘ばい。真面目な顔しとったもん。浅蔵さんが真面目な顔するときは、ダンジョンのことで考え事しとるときばい」

「……つまり普段の俺は不真面目な顔ってこと?」

「そうですよぉ~」

「……えぇっと、あ、ほら! 由布岳ですよっ」


 誤魔化す気すらない大戸島さんと、誤魔化すのが下手なセリス。

 そんなに俺って不真面目そうなのか……。


 パカパカと馬車に揺られて市内観光は続く。

 3月とはいえ、すっきりとした青空で気温もやや高め。

 御者のガイドの人曰く、湯布院は盆地であるため気温はやや低く、九州でも比較的寒いところなんだとか。

 若干標高もあるので天気の移り変わりも激しく、天気予報があまり充てにならないとも。


 ぽかぽか陽気に、馬車の微妙な揺れ。

 最初は馬に興奮していた虎鉄も、すっかり日向ぼっこモードで眠ってしまっている。


 1時間で辻馬車は終了し、駅から金鱗湖へと思ったのだが──


「こんにちはーっ。観光ですか? 人力車、どうです?」


 と、爽やかな笑顔のお兄さんが。


「乗ろうよぉ。ねぇ浅蔵さん」

「いや、でも金鱗湖に行くんだろ? お昼は帰りの湯の坪でって決めていたじゃないか」

「あ、金鱗湖がゴールのコースもありますよ。ここから歩いて金鱗湖に向かうと、20分は掛かりますねぇ」


 と、人力車のお兄さん、ここぞとばかりアピールしてくる。

 くっ、20分か。


 大戸島さんはお兄さん側にそっとついている。セリスは迷っているようだが、俺を見て「どうする?」というような顔を。


「おじいちゃんのお金だし、パァっと使っちゃいましょうようぉ」

「……会長の……タダより安いものは無い」

「そうです! タダ乗りです!」

「え、タダ乗り!?」


 人力車のお兄さんの勘違いだ。

 俺たちがお金を出すわけではない。大戸島会長のお金で乗るということだ。

 よし、タダより安いものは無い!


 金鱗湖を終着地点として30分コースで二台の人力車に分かれて出発。

 辻馬車では通れなかった狭い道を進み、湯布院の住宅街を進んで行く。

 ときおり止まって景色を堪能したり、湯布院の話を聞いたり、のんびりとした時間を過ごした。


 ただ……

 人力車のお兄さんと一対一だったのが悔やまれる。

 人力車ってひとり乗りか2人乗りしかなかったんだよ!

 しかも虎鉄はあっちに乗り込んじゃったし!






「今日の晩御飯も美味しかったぁ~」

「昨日はお肉、今日は海鮮。はぁ、幸せたい」

「大分だと関アジ関サバが有名だもんな。昔は関サバなんて、1匹で1万もするとか聞いたぞ」

「うわぁっ、高級魚だぁ」


 午前中は金鱗湖まで行って、宿に戻りつつ湯の坪街道を食べ歩き。

 途中、ヨーロッパ風の建物が並ぶところがあって、そこでフクロウを見たり触ったり、あちこち見て回った。

 宿に戻って来たのは、なんだかんだと夕方。


 部屋でゆっくり休んでいれば、早くも夕食に。


「ご飯前に温泉入ればよかったぁ~。今お腹いっぱいで入れないぃ」

「9時までゆっくりしていればいい。俺もその時間までお腹を休めたい」

「そうします~」

「わ、私ちょっと、そ、外でジュース買ってくるけん」

「うん、いってらっしゃ~い」


 財布を持ってそそくさと部屋を出るセリスに、自販機なら母屋にあったぞと伝える。

 振り向かず頷いた彼女が出ていくと、大戸島さんが「ふふふぅ~」とニヤリ顔。


「な、なに?」

「ふふぅ。なんでもないですよぉ」


 何かあるだろ!

 その笑い方はあるだろう!!


 暫くしてセリスがジュースを持って戻って来た。


「瑠璃、お風呂あがりにどうぞ」

「わー、ありがとう。ふふふぅ」


 また笑ってる。しかもセリスも笑ってる。

 な、なにがあるんだ?


 そうこうするうちに9時となり、俺は着替えを持って貸切風呂へと向かった。


 向こう側が見えないしっかりとした竹の柵で囲まれた小さな小屋。その向こう側に露天風呂があるようだ。

 すぐ隣に同じような柵に囲まれた小屋がある。もう一つの貸し切り風呂かな。


 当たり前といえば当たり前だが、誰もいない。

 俺だけの露天風呂だ。


 風呂はそれほど広くもないけど、それでも3、4人が入れる広さはある。

 それをひとりで使うんだ、贅沢だろう。しかも追加料金もなしなんて、幸せ過ぎる。


 夜空を見上げて星を眺めていると、隣のほうで物音がした。

 隣の貸し切り風呂を予約した人がいるんだろうな。


「はぁ、気持ちいいなぁ」


 そんな声がつい漏れる。


「そうですね~」


 そんな声が返って来──


「セリスか!?」

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