第158話

「はぁぁぁぁぁ……浅蔵さん、ちゃんとご飯食べとるんやろうか」


 福岡02ダンジョンを出て二日目。

 セリスは昨日から懐かしの我が家へと戻って来たのだが、嬉しいはずが意外とそうでもない。

 もちろん理由は浅蔵と一緒ではないということだ。


 恋する乙女は家族よりも彼氏が大事なのだ。


「姉ちゃん、ご飯ばい」


 弟が部屋の外で声を掛けようが上の空。


「姉ちゃん、具合悪いと? 急に地上に出れるようになったけん、体がおかしいんやないと? 姉ちゃん、姉ちゃん!」


 反応のない姉を心配した弟ハリスが、ドアをバンっと開けて入って来た。

 彼が見たのは、クッションを抱きしめ、ベッドの上から窓の外を見つめる姉の姿。

 窓に映る視界の遥か先には、あの福岡02ダンジョンがある。もちろん見えはしない。


「……クラ」

「え!? あ、浅蔵さん来とると!? なんではよ言わんと!!」

「おらんたい」

「なんちぃ?」*


 これは重症だと、ハリスは思った。

 そして今やレベル51の姉に、絶対悪戯をしてはいけないとも思った。


「ご、ご飯ばい。こ、今度クラを誘ったらいいんじゃね? 親父もお袋も喜ぶやろ」

「え、いいのかなぁ。誘ってもいいのかなぁ。ふふ」


 途端に笑顔になるセリスを見て、ハリスはややドン引きする。

 これまで男の気配など一切なく、だがアホほどラブレターは貰っていたりした。

 家まで来た同級生もいるが「うざいわよ」の一言で撃退してきている。

 なんなら同性女子からもバレンタインチョコも大量。毎年姉弟でチョコの数を競えるぐらいに貰っていた。


 色恋なんて、姉には不要の産物だとずっと思っていたが、変われば変わるものだ。

 だがハリスは少しだけ納得もしている。


 姉は同年、もしくは一つ二つ上程度の男には興味を持たないだろうと、ずっと思っていたからだ。


 姉は強い。

 亡くなった祖父が幼いころ、合気道の道場に通っており、そして拳法の真似事などもやっていた。

 その祖父から鍛えられていた姉は、物理的に強かった。もちろん中身もだ。


 だがそんな姉だからこそなのか、守られたいという気持ちもあったことを知っている。


 もちろん彼女に告白する男たちの中には「俺が君をダンジョンから守るよ」というような言葉を口にする者も大勢いた。

 だが現実的に考えて、それが本当に可能かどうか怪しいものだ。いや怪しいなんてものじゃない。絶対に無理だろう。


 浅蔵はそれをやってのけた。

 セリスが惹かれたのはそこなのだろう。


「クラが兄貴かぁ」

「え? なんか言うたと?」

「なんも言うてない。早くご飯食べようぜ」

「そ、そうやね。お母さんに浅蔵さん呼んでいいか、聞かんとね」


 呼ぶつもりだ。早くも呼ぶつもりなのだ。

 うきうき気分で階段を下りていく姉を見送りながら、自分に兄ができるのはそう遠い未来ではないなと思うハリスだった。






 その二日後。

 ガチガチに緊張した浅蔵が、セリス宅を訪れた。


『んにゃー。セリスの家にゃかー』

「そうよ虎鉄。地上はどんな感じ?」

『にゃー。どうって、別に普通にゃよ』

「そう? で、でもダンジョンの中とは全然違うでしょ。空が高いとか、風があるとか」

『ダンジョンの中にも空はあるにゃし、風も吹くにゃよ』


 そこまで聞いてセリスは思い出す。

 オープンフィールドの階層には、空があるし、白い雲も流れている。そして風だって吹いていた。


 地上のありがたみって、なんだろうと真剣に悩む。

 虎鉄にとって地上は、オープンフィールドと同じなのだ。


「あらあらいらっしゃい。キャアァァー、虎鉄ちゃあぁぁん」

『ふぎっ。いにゃにゃぁーっ』

「あああ、あの、ほ、本日はおまネギいただき、あ、ありがとうごじいますっ」


 緊張でガチガチに固まった浅蔵は、予め用意してあったセリフを噛みながらも口にした。

 だが──


「お母さん、逃げる虎鉄を追いかけて二階に行きました」

「……そ、そう」


 セリス母は聞いてはいなかった。


「お、お父さんは今日も仕事やけん、夕方に帰ってくるばい」

「そ、そうなんだ。あ、今日って平日?」

「そうたい。ふふ、曜日感覚無くなっとるよね」


 二人はダンジョンでの暮らしが半年以上にもなり、ダンジョンの中では平日も土日祝日も関係ない。

 カレンダーを付けてはいるが、逆にカレンダーを見なければ曜日を忘れるほどだった。


 二階から虎鉄の悲鳴が聞こえる中、二人はリビングのソファーへと座り──

 そしてガチガチに緊張して、ただただココアをすするだけであった。

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