第94話
チビギョ三十匹ほどを狩り、それをビニール袋に詰め込んで帰宅した。
ただ……
モンスターを倒して暫くすると消えるのと同じで、家に戻って来た時には袋の中のチビギョは7匹になっていた。
残りは消滅して、7匹は所謂ドロップした――そういう事なのだろう。
袋の中を見た時の虎鉄は、全身の毛が逆立ち、そのあとシュンっとしおれた。
虎鉄はもちろん、俺もセリスさんもズボンがびちょびちょだし、何より持ち帰ったチビギョをどうするかだ。
「まずは虎鉄」
『にゃ?』
逃げられる前にガシっと抱きかかえ、
「シャンプーな」
『にゃ!?』
「そうね、綺麗に洗わなきゃね」
『ににゃーっ!?』
俺とセリスさんが心を鬼にして虎鉄をわしわしと洗う。
シンク内で虎鉄をシャンプーするのも、サイズ的に厳しくなってきたなぁ。
今度家の外に虎鉄用のシャンプー台でも作るか。材料なら24階と19階のホームセンターに、いくらでもあるし。
シャンプーを終え、ドライヤーまで終わらせると、虎鉄は拗ねたようにミケの寝るカボチャドーム型ベッドへと無理やり入って行った。
お前の体の大きさだと、それはちょっともうきついだろう。
それでもミケは母親らしく、虎鉄を優しく舐めて慰めている。
「さて、一仕事終えて寛ぎたいが……この足のベトベトをどうにかしないとな」
「ダンジョンの海も、しっかり海水やったね」
ズボンが乾くとすっかりパリッパリだし、肌はベトベトする。セリスさんの言う通り、あれは正真正銘海水だ。
彼女とはいろいろ話をしなきゃと思うが、まずはこの足をどうにかしよう。
着替えを片手に家を出て、夕方には利用客の多い風呂へと向かった。
まだ昼前というのもあって、入っている人は片手で数える程度。
ここの風呂にも慣れてしまったが、ひとりで気兼ねなくのんびり風呂に浸かりたいと思うときもある。
温泉にも行きたい。三人で大分の温泉に――なんて話もしたっけかな。
それを叶えるためにも、俺たちはここから脱出する方法を見つけなきゃならない。
さっぱりして家へと戻って来たが、女の子の風呂は長い……よな。
「チビギョ、どうするかなぁ」
『にゃっ。食べりゅにゃっ』
チビギョと聞いてカボチャベッドから出てきたな。
「確かに見た目は普通に魚なんだよ。アジゴっぽく見えはするけど」
『あじご?』
「あぁ、アジの小さいやつの事だ」
そういや釣り番組だと、子アジって言ってることもあるな。まぁ魚の名前なんて、地域によって若干の違いがあるもんな。
しかしこのサイズだもんなぁ。どうすりゃいいんだ。
とりあえず、大戸島さんが帰って来てから見て貰おう。
「洗っておいてたほうがいいよな?」
『そのままでもいいにゃ!』
『んにゃーぉ』
この母子は生のまま食う気でいるらしい。
消毒の意味も込めて、火だけは絶対通しておきたい。
買い物袋からざざーっと取り出し、ボールに入れて水をぶっかける。
あー、こいつら、小さくて鋭い歯、してるなぁ。一応はしっかりモンスターしてんじゃん。
でもあのビッグウェーブ待って、出たらすぐ逃げて――打ち上げられた奴をサクサク止め刺して回ったら、案外楽にレベルを上げられるんじゃないか?
それとも成りが小さい分、経験値も少なかったりするんだろうか?
「浅蔵さん。魚と百面相勝負でもしとると?」
「え? ふひっ、セリスさん!?」
「浅蔵さんって、よくそうやってひとり百面相しますよね」
「げ、マジか」
知らなかった……ひとりでそんな事していたなんて。
お風呂から戻って来たセリスさんの髪はまだ濡れていて、これからドライヤーで乾かすのだという。
「そんだけ長いと大変なんじゃないか?」
「十五分以上は掛かるばい」
「……なんかごめん。俺、たぶん三分も掛からない」
というかなんならドライヤーなんて掛けなくてもいい。冬場はさすがに風邪を引くから乾かすが、夏は放置がデフォだな。
いつもなら自分の部屋で髪を乾かすセリスさんは、今日はリビングでドライヤーを使っている。そのせいか、虎鉄とミケは彼女の部屋に逃げ込んで行ってしまった。
つまり今は二人っきり……。
彼女の長いブロンドの髪。手入れも大変だろうに。
こんなダンジョンの中じゃ、美容室だって――あ、そういや俺も、ダンジョンに落ちてからずっと散髪にも行けてないな。
「誰か美容室経験のある冒険家とか、居ないかなぁ」
「あ、それ! 居たらカットとかお願いしたいですよね」
「やっぱそう思う? 後で上の人に聞いてみるか」
ようやく髪を乾かし終えたセリスさんが、ドライヤーを片付けてリビングへと戻ってくる。
そこへタイミング良く、冷えたレモンティーをそっと出す。
「え? どうしたと浅蔵さん?」
「いつも淹れて貰っているから、たまにはね」
はい。いつも淹れて貰うばかりですごめんなさい。
嬉しそうにそれを飲んでくれるセリスさんを見れば、風呂上りは毎日でもレモンティーを出そうかと思ってしまう程、こちらも嬉しくなってしまう。
「はぁ、美味しい」
「ここは少し肌寒いぐらいだけど、それでも風呂上りは冷たい物がいいよね」
「そうですねぇ。浅蔵さんも何か飲んだんですか?」
「麦茶を飲んだ」
そう答えると、彼女は小さく噴き出すようにして笑った。
あぁあぁ、笑うがいいさ。どうせ紅茶すら飲めないお子様ですよー。
彼女が座るソファーに、少しだけ離れて俺も座った。それでも石鹸の匂いがふわっと漂い、思わず深く呼吸をしてしまう。
もう一度深呼吸して、俺はもう一度自分の気持ちを彼女へ伝えた。
「セリスさん。俺は、君の事が好きだ」
二度目の告白に驚いたのか、セリスさんは口を開いたまま、顔を真っ赤にして何度もまばたきした。
「さっきも伝えたけど、俺が君を地上に連れて行く。大戸島さんと三人で、きっと外へ出よう」
「はい……」
「その為にも、このダンジョンを完全攻略する必要がある。最下層は50階だ。その下がまだあるかは分からないが、とにかく50階を目指さなきゃならない」
セリスさんは頷く。
「君の事が好きだ。誰よりも大切な存在だ。出来れば安全なここで待っていて欲しいとさえ思っている」
「そんなの――」
彼女の言葉を遮るようにして、俺は右手を彼女の口元に差し出す。
分かっている。
待つことの辛さは。
俺がそうだったから。
10年前。両親と姉がダンジョン生成に巻き込まれた時。俺や芳樹たち何人かでダンジョンに向かった。
その時にはもう、警察が規制線を張ってて中はおろか、近くにすら行けなかった。
家族が救出されるのを、ただじっと待つだけだったあの時は、今までの人生で一番つらい時間だったろう。
「待つ者の辛さや苦しみはよく分かる。だから一緒に目指そう。最下層、50階を」
「はい!」
彼女の手を取り、そして引き寄せた。
その背に手を回し、彼女をそっと包み込む。
「俺たちは何よりも、ダンジョン攻略を優先させなきゃならない」
「……はい」
「もしどうしても出れないなら、その時はここで一生暮らすことになる。だけど、それは足掻いて足掻いて、どうにもならなかった時だ」
「……はい。私も、地上に出ることを諦めたくないけん。外に出て、お日様の下で浅蔵さんとデートしたいとよ」
「あぁ。美味しい物食べて、本物の海にも行こう」
「うん」
「だから、今は50階を目指すことを最優先にして――」
それまでは、お互い恋人気分になるのは自粛しよう――そう、二人で約束した。
「瑠璃も相場くんとずっと一緒に居たいんやろうけど、さすがにここで同棲は無理やけん。そんな状況で私たちがその……ていうのは、瑠璃に悪いけんね」
「いや、あの二人は十分イチャついてるように見えるんだけどな」
「そう? 特に手を繋いだり、ハグしあったりとか見たことないけど」
ぐ……そ、そう言えば。
あれ? じゃあ手繋いじゃったしハグもしてる俺たちって、結構進んでる?
なんて考えてたら、なんだかおかしくなって。
「くふふ」
「ふふ」
二人してオデコで支え合って笑った。
笑って……ふと彼女の顔が近いことに気づいて――
今、恋人気分は自粛しようって決めたばかりなのに。ダンジョン攻略を優先させるって決めたばかりなのに。
で、でも、一度ぐらいは、いいよ……な?
「うっらあぁぁぁっ! きさーんっ、姉ちゃんになんしとんのかぁーっ!!」
は?
突然男の声がして玄関の方を見ると、金髪碧眼のイケメンが飛んでいた。
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