第72話

 大戸島会長が家に来たのは、子猫が生まれて三日目のお昼だった。

 

「るぅーりぃー」

「あ、おじいちゃん。今子猫のご飯タイムなのぉ。黙っててね」


 にっこり微笑み、鬼のようなセリフを口にする大戸島さん。

 そして可愛い孫に「黙ってて」と言われた会長は涙目。だがミャーミャーあむあむ聞こえてくると、その顔はでれぇっと緩み始めた。

 やっぱり……赤ちゃん言葉で子猫に接するのだろうか?


 しかし突然の来訪で虎鉄を隠すことも出来ず……さて、どうしたものか。

 今はご飯に夢中で虎鉄もにゃーにゃー言ってるが。


「生まれたのは一昨日じゃったか? おい、浅蔵」

「あ、はい。気づいたのが早朝なので、夜中のうちに生まれていたんじゃないかなって思います」

「では丸二日は過ぎたということか……普通でいえば生後20日……もう昼じゃから、25日近いか」

「そのぐらいかと」


 嫌だ……。上司に書類の報告しているようで嫌だ。

 いやれっきとした上司なんだろうけど……でも冒険家と協会員ってそういう関係じゃないし!


「里親を探すならもう少し先のほうがいい。本来ならワクチンの接種をしたあとなのじゃが、のんびりしておってはあっという間に時間が過ぎてしまうが」

「そ、そうなんですか。自分はハムスターしか飼ったことが無く、猫のことはサッパリでして」

「トイレの躾は?」

「あー、なんとなく分かっているようで。ご飯のあとトイレに連れて行くと、ちゃんとそこでしてくれます」


 チラっと横目で会長を見ると、鼻の下伸ばしてご飯食べてる子猫見てるし!


「とりあえず生後二か月……えぇっと、10倍の速度だからあと4日程か。それまではここで面倒をみてやれ」

「はい。まぁその方が大戸島さんたちも喜ぶでしょう」

「うむ」


 だからあと4日面倒みろってことなのか!?

 

 会長は生後二か月でまず一本目のワクチンを打つのだと話す。それから一か月後に二本目だ。それ以降は一年に一本か、二年に一本だ。その辺は飼い主次第らしい。

 ワクチンか……病気を防ぐためなんだろうから必要だろうなぁ。虎鉄にもワクチン接種しておきたいが……そうなると会長に虎鉄のことを話さなきゃならない。

 どうしよう。


『るりのじーちゃんにゃか?』

「おぉおぉ。儂が瑠璃のじいじじゃ。上手に喋るの――」

『にゃー。ほめられにゃにゃー』


 ……俺の心配をよそに、虎鉄のほうからバラしてやがった!

 しかも会長、最初は普通に返事していて、途中で気づいたようだ。白目になってるけど大丈夫だろうか。

 まぁ虎鉄は誉められて嬉しいようだ。直立姿勢で万歳して喜んでいる。

 ただ直立姿勢はまだ難しいようで、ちょっとバランス崩すとそのまま後ろにこてんと転がる。


『うにゃっ』


 今みたいに。

 そしてじたばたともがき、ミケに転がされてようやく起き上がるのだ。

 はぁぁぁ、萌え死ぬだろおい!


「はぁぁぁ、かわゆいのぉ」


 はっ!? か、会長が……会長がめちゃくちゃデレてる!

 こわっ!


 子猫のランチタイムが終わると、会長がリビングに通された。


「それでね、おじーちゃん。あの子の事なんだけどぉ」

「……喋る猫か。ダンジョンで生まれた影響なのか?」

「だと思います。これを見てください」


 こうなったら隠していても仕方がない。まぁいつかは知られることになっただろうし、早い方がいいか。

 子猫のことが書かれた図鑑の2ページを会長に見せ、虎鉄が『ダンジョン猫』であることを話す。

 喋る。後ろ足で立つ。あと前足が割と器用だ。

 今のところ他の子猫と違うのはそんなところか。


「特にモンスターっぽさもありません」

「いい子なんだよぉ。言葉の勉強が好きみたいで」

「うぅーむ……ダンジョンに動物を連れ込んだ事例が無いが……母親はただの猫なのだろう?」

「図鑑に載っていませんから、そうなんだと思います」


 ミケの産後の回復が早いということはまったく無い。そこは元獣医さんに診て貰っているので間違いないだろう。


「スキルの獲得も可能……か。つまりダンジョン内でペットを出産させれば、スキル持ちのパートナーとして役立てられるのか」


 あ、そういう事も出来ちゃうのか?

 でも確実にダンジョンペットが生まれるとは限らなさそうだしな。今回だって2匹の雌猫、小梅と小桃は普通の猫だった。

 ダンジョン猫やダンジョン犬が出来るまで番を用意――って俺、何考えてんだ。


 出来るとか、用意するとか……道具じゃないんだ。


『あさくにゃぁ……かーにゃんは仕方なくここにぇあっしらを産んだんにゃあ』


 虎鉄が俺のズボンのくいっと引っ張りながら言う。

 そうだ。ミケはきっと元々野良で、地上で子供を産めない事情でもあったのだろう。他の野良猫に追いかけられたとか、犬に追いかけられたとか、そういうことがあって。

 でも、俺や会長が想像しているものは違う。

 動物の意思なんて関係なく、モンスターと戦わせるために、ダンジョン動物を作ろうとしている。


 家畜とはまた違う話だ。家畜は……生きるために必要だから。

 

 でもダンジョンペットの件は生きるのに必要というより、冒険家が楽をするために……そんな存在として扱われるはず。

 それにダンジョンペットにならなかった、普通の子はどうする?

 地上ですら猫や犬が毎年のように大量に捨てられているってのに。

 ダンジョンペットより普通の子の出生率が高かったら? 地上で里親を探してくれるのか?

 ダンジョンペットをさらに番にさせたら、年で何回出産する?

 何十何百と、パートナーに出来ない子猫や子犬を量産しまくるだけだろ。


「会長。今の話は無かった事にしませんか?」

「ぬ? ダンジョン猫の件か? 何故じゃ。これが可能であれば、ダンジョンペットを量産させ――」

「でもそれは動物を道具としてしか見ていない、そういう事じゃないんですか?」

「ぐぬ……」


 ぷるぷる震える我が子を慰めるためか、ミケが優しく虎鉄の頭を舐めてやっている。


「ごめんな虎鉄。お前のことは誰にも知らせない。ペットをダンジョンに連れて来て繁殖させようなんて……絶対しないよ。会長――」

「おじいちゃん。虎鉄ちゃんだって好きでダンジョン猫になったんじゃないの。牛さんや豚さん、鶏さんは……私たちには必要な物だけど、ダンジョンペットは本当に必要なの?」

「大戸島のおじさん。私からもお願いします。望んでもいないのにダンジョンペットにされて、スキルを習得させられ、望まないのにモンスターと戦わされて……。そんなの奴隷と同じです」

「ぐぬ……そう……じゃな」


 ぷるぷると震えながら、お祈りポーズで会長をじっと見つめていた虎鉄。

 その虎鉄に会長が手を伸ばす。


「こんな可愛い猫ちゃんを、人間のエゴで戦わせるわけにはいかんな。のぉ、虎鉄ちゃんや」


 と言って頭を撫でようと手を掛けた。その手に白いものが猛スピードで重なる。


『シャッ』


 ミケの手だ。

 可愛い我が子を怯えさせた会長を、どうやらミケは敵と認識したようだ。


『シャーッ』

『かーにゃんは、おまえわるいにんげん。こどもにさわるにゃって言ってるにゃ』


 ケロっとした顔で虎鉄が通訳する。

 会長涙目。本気の涙目だ。


「儂、帰る……。この事は誰にも話すなよ。四日後にまた来るけの」


 哀愁漂わせた背中を見せながら、会長はミケに引っ掻かれた手をさすりながら帰って行った。


 その後、畑仕事を終えて戻ってきた武くんにも、虎鉄の事は内緒にするようにと伝える。

 そして虎鉄の事は――。


「ダンジョンでテイムした、レア種の猫モンスターってことにしようと思っている」

「テイム? そんなこと出来るんですか?」

「そういうスキルが実際にあるんだ。あとそういう特殊アイテムもね。消耗品だから、失敗すればそれでおしまい」


 ノートパソコンを持ってきて、そこにあるデータを見せる。

 ネットには繋がらないが、ダウンロードしたファイルでダンジョン情報がこの中にはある。

 テイミングスキルは珍しく、感知スキルのように持っている人は少ない。しかも成功率が低いので、実際にモンスターをテイムして連れ歩いている――というのは、俺は見たことが無かった。


 そして猫型モンスター。

 普通の猫同様に四足歩行で、尻尾が2本ある『猫又』というモンスター。あと虎鉄のように二足歩行のケットシーの存在が確認されている。

 その中でもケットシーはかなり珍しいモンスターで、かなり深い下層に生息しているが、攻撃的ではない。こちらから何もしなければ襲ってこないという、それだけでも珍しいモンスターだ。


「虎鉄にはケットシーの振りをして貰おう。いいか、虎鉄?」

『にゃー。あっしはめずらしいケットシーにゃあね』

「そう。ケットシーだ。このダンジョンに一匹しかいない、レアモンスター。それを俺がテイムしたってことにする。あー、テイムっていうのは、懐かせて仲良くなるっていう意味な」

『にゃー』


 よし。これで虎鉄を表に出して見られた時にも、一応の誤魔化しが出来る。

 そう思った。


 だが――


「ちょっと待って浅蔵さん。どうしてテイムしたのが浅蔵さんになると? 私やったらダメなん?」

「そうですよぉ。私だって虎鉄ちゃんゲットしたいですぅ」

「あ、俺も俺も」


 え? 俺だったら何か問題でもあるの?

 いいじゃん俺で。


 それからしばらく俺たちは、虎鉄を賭けた熾烈な口論を続けるのであった。


『あっしって罪なねこにゃね~』

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