第29話

「ぷふぅ。に、似合ってますよ、浅蔵さん」

「わ、笑っちゃダメよ瑠璃。あ、浅蔵さんは真面目に着てるんだか……ぷっ」


 ……セリスさんだって笑っとるやん!

 俺だって好きで蛙の着ぐるみ着とるんやないと!

 これは……これは……。


「脱出の為やけん!」


 振り上げた拳は緑色で、じたばたする足には水かきが付いている。

 これ、着ぐるみと言うか、まさに蛙スーツじゃないか?

 質感とか、蛙そのものなんですけど?


 歩くたびにペタペタ鳴る。そして女子二人が笑う。

 くっ。こんな辱めを受けるぐらいなら、殺せ!

 じゃなくって、早く脱ぎたい!!


「そーれ!」


 スーパーへと引き返して集めたタバスコや七味といった、とにかく辛い物を手あたり次第プールへと放り込む。

 一度は集まって来るスライムたちだが、水に浮かんだ粉末に触れただけで体をみょんみょん伸ばして逃げて行った。


「まずは大戸島さんからだ」

「はぁい。ごめんね、セリスちゃん」

「ど、どうして謝るのよっ」

「セリスさんは周辺に一味唐辛子の粉末を撒いて」


 こうすることで、ひとりになっても狙われないようにする。

 すぐさま大戸島さんを抱きかかえ、俺は水の上を走った。


 実際に水面を走れるかという実験は、スーパーの外にあった水溜まりで行っている。

 それでもちょっと心配ではあった。


 が、そんな心配を他所に、俺の足は確かに水の上を走っていた。

 対岸まで25メートルほど。

 人を抱えているとはいえ、距離としては短い。

 十数秒で渡り切ると、彼女にリュックを渡して引き返す。

 リュックには一味唐辛子の粉末が入っている。それを大戸島さんは周囲にばらまき、スライムが寄って来るのを防ぐ作戦だ。


「お待たせ、セリスさん」

「は、はい」

「じゃあ追加のタバスコを――」

「ハバネロもありますよ」

「うわぁ。それは……辛そうだ」

「ついでですし、コチュジャンも投げますね」


 どぼーんっとプールに瓶が投げ込まれると、スライムがやっぱり一度は集まって来る。そして体を膨れさせ、跳ねるようにして逃げて行った。


「走るよ! しっかり掴まって!!」

「は、はいっ」


 落ちないよう、彼女が俺の首に腕を伸ばす。

 赤いエキスが染み出たプールの上を、俺はペタペタと音を立てながら走った。

 スライムたちが逃げて行った先――あの右端に視線をちらりと向けたとき、とんでもない物を見てしまった。


 数十匹のスライムが山積みとなったその場所から、人の手が――生えていた。


 その手は助けを求めるかのように開かれ、何かを掴もうとして掴めなかった……そんな風に見えた。


 あれはもう生きていない。

 生存者だった、今は死者の手。


 ウォータースライムの説明を思い出す。

 体温を奪い、弱らせてからじわじわ溶かして食う。


 俺たち以外にも生存者がいたんだな。だけどここで……。

 僅かに通れそうな場所を歩いている最中に襲われたんだろうな。そして今も奴らに……食われている。


 セリスさんは気づいてないようだ。

 無事対岸へと到着すると彼女を下ろして直ぐ、視界からあの場所が見れないようにして立つ。

 そのまま大戸島さんとも合流し、俺たちは奥の通路へと足早に向かった。


 一度だけ俺は振り返った。


 遅くなって申し訳ありません。もっと早くに俺たちが到着していれば……そしたら、助けられたかもしれない。

 どうか、安らかに眠ってください。


 俺の前を行く二人には、決してあんな目に合わせやしない。

 絶対に――俺たちは無事、脱出してみせる。






 まるで海岸沿いの岩場を歩いているような、そんな道のりを進むこと十数分。

 水溜まりがあればタバスコをピュッピュと振りまき、ウォータースライムを撃退。

 時々スライム以外のモンスター『ダンジョンアメフラシ』も出てきたが、やっぱりタバスコがお嫌いらしい。

 楽勝――のように思えたが、気づくのが遅れればねっちょねちょした粘液を吐かれ大変。しかもこれ、つきたて餅みたいにひっついて伸びるから、具体的に怪我をするわけではないがかなりいやらしい攻撃だ。

 

「じわじわと食う……か」


 つい溢した声と共に、さっきの光景を思い出した。

 この階層のモンスターの攻撃手段こそは生温いが、相手を弱らせて動けなくさせる……それに特化しているのかもしれない。

 弱らせて、食うために。


 はぁ……げんなりするな。


「浅蔵さん?」


 大きなため息を吐いたからか、後ろのセリスさんが心配そうに声を掛けて来た。


「いや、なんでもない。お、凸凹道も終わりみたいだぞ」

「ふえぇ~、やっとですかぁ」


 ようやく比較的・・・平らな道へと出た俺たちは、セリスさんのアイテムポケットから自転車を取り出し、それに跨って移動を再開。

 数百メートル進むと、地面は更に走りやすい状態になった。

 岩が無くなり、土だけの地面に。出てくるモンスターも様変わりした。


「いやあぁぁっ」

「ふえぇ~ん。ここ嫌ぁ。早く帰りたいよぉ~っ」

「ちょ、待って!」


 カサカサと後ろから追いかけてくるのは、8本足の昆虫――蜘蛛だ。

 ただし体だけでも俺たちの顔より大きい。

 そんな奴が、通路の至る所に開いた小さな穴から這い出てくるのだ。

 流石にこれは俺でも気持ち悪いと思う。思うんだけどさー。


「二人とも、落ち着け! ちゃんと前を見て漕ぐんだっ」

「無理ですっ」

「無理でも前を向け! それが嫌なら俺の後ろを走って、俺だけを見ろ!!」


 蜘蛛は糸を吐き、それで獲物を絡めとる。

 福岡ダンジョンの5階にも居るが、恐らく同じ特徴を持っているはずだ。

 糸で絡め取って、毒針を打って痺れさせてから、生きたまま貪り食う……そんな話を聞いたことがある。


 ったく。ここの階層のモンスターは、そんなのばっかりかよ。

 24階や23階が温かっただけに、ここの奴らが凶悪に見えるぞ。


 前を走る二人を追い抜く前に、リュックから取り出したキュウリボムを後ろに投げ、更にピーマンボムを二つほぼ放り投げた。

 天井や壁を走る蜘蛛たちは種ミサイルで撃ち落として、つるつるローション上に落下させる目的だったんだが……。


『キシェーッ』

『キ……キィ……』


 ちらりと振り返ると、全身から体液を垂れ流してピクピクする蜘蛛が……。


 ピーマンボム……威力が半端ないなおい。

 

 追って来る蜘蛛の群れが無くなったところで、俺は二人を追い抜き速度を落とす。


「蜘蛛は暫く来ない。速度を落とせっ」

「ほ、本当ですか?」


 大戸島さんがちらりと振り返ったのだろう。

 小さな悲鳴を上げ、それからほっと胸を撫でおろすような仕草をする。


「大丈夫みたい」

「そ、そう」


 大戸島さんの言葉にセリスさんも安堵の表情を浮かべ、ようやく二人は漕ぐ速度を落とした。

 幸い、小さな穴はさっきの通りにだけ集中していて、前方の通路には一つ二つ見える程度だ。

 もちろん、穴の中には蜘蛛が居る。感知しているので分かる。


 穴の真下を通らないよう自転車を走らせ、やがて目指す物が見えて来た。


「階段だぞ!」


 ダンジョンに落ちて19日目が終わろうとしていた。

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