第4話コドモノクニノアリスガワサン

 有栖川さんは、プライドで出来ているような人だった。


 そして、人生のほとんどを「先生」と言われて生きてきた。

 もちろん、私が出会った頃の有栖川さんは既に先生ではなかったし、私や私と同じような立場の人間にとっては先生というよりも、むしろ子ども返りしてしまった困った老女であった。 



 認知症の症状には様々あるが、脳のどの機能が衰えてしまうか、それによる周辺症状も人によって様々だ。

 有栖川さんの場合、新しいことを記憶しておく短期記憶というものが侵され、その日の出来事を記憶しておくことが苦手だった。

 しかし、彼女が今までで培ってきた、一般常識や知識はしっかりと保たれており、計算や漢字の読み書きも誰よりも速くできるし、よく

「私にこんなものをさせて、馬鹿らしい」

 と私は彼女に罵られたものだ。

 しかし、数回に一回は、

「おもしろそうね」

 と言って子どものように取り組む有栖川さんもいた。


 彼女は自分の記憶力が低下していることを少なからずは気付いており、日課である日記の内容に身に覚えのない自分に対して、頻繁に混乱することがあった。

 そのときの彼女は見ていてとても気の毒であったが、私たちにはどうすることもできず、ただ彼女の話を聞き、彼女の記憶の断片や部屋に染み込んだ痕跡を一緒に探すことしかできなかった。それが彼女のリハビリにもなる。


 彼女は昔取った杵で(学校の先生をしていた)、人の名前や顔を覚えるのが早かった。

 先に述べたように、彼女の短期記憶力は低下していたが、それでも何度も繰り返せばまだ覚えられることもあるのだ。彼女は比較的頻繁に彼女の前に顔を出す私の顔を忘れないでいてくれた。


 施設で暮らすということは、今まで自由にできていた行動が少なからず制限されてしまうことを意味する。それが「保護する」ということである。


 危ないから駄目、転んで怪我をしてしまっては大変、道に迷ってしまうから外出は無理――。そういう行動制限が、有栖川さんの性には合っていなかった。

 もちろん、施設に上手く適合する人にとっては、多少のストレスはあるにしても、そういった規制をさして気にせず生活でき、むしろ「なんでもしてもらえてありがたい」と言う人もいる。

 そういう人はどちらかといえば、集団生活による他者との相性や職員とのちょっとしたトラブルをいつまでも気に病み小言をいいながら生活するのが常だ。


 有栖川さんは、他者の悪口は決して言わなかったが、自由を奪われることや自分を否定されたときに並々ならぬ癇癪を起こした。

 その癇癪の姿は、誰が見ても三、四歳児のそれであった。

 床に寝転がり手足をばたつかせ、叫ぶ。また時には持っている杖でスタッフを叩く、スタッフに噛み付く。スタッフの制止を振り切るように逃亡、など……。

 その姿だけを見たら過去の有栖川さんを知る人は、この人は完全に壊れてしまった、と思うかもしれない。

 けれども、しばらくして落ち着くと、また経済新聞に目を通し、若いスタッフに学を説こうとする彼女が戻ってくる。



 私は、一対一で有栖川さんと接しているとき、幸いにも一度も彼女をコドモに戻したことはなかった。

 それは私の職業柄、彼女を敬い彼女の話を傾聴する時間を十分に与えられているからであろう。

 こちらが余裕を持って彼女に接すると、彼女はとても知識人であり、話も面白く、そして子どもが好きな優しい面もあることが分かる。



 有栖川さんは結婚しておらず、子どももいなかった。

 けれども、面会に来た他者の家族に小さな子どもがいたときには、すかさず寄っていき、

「可愛いね、何歳だい?」

 と、声を掛けていた。

 面会人の中には、得体の知れぬ老女が近づいてきて子どもに危害を加えないか、と怪訝な表情をする人もいたが、そんな大人の様子に有栖川さんは気付いていない。

 私は、面会人と有栖川さんの間に立ち、一緒に話をしたりお母さんに声を掛けたりした。そうすることで安心してくれる。有栖川さんも、子どももお母さんも、穏やかな表情でひとときを共有できる――。



 有栖川さんは、この施設に入居して三年くらいは、有栖川さんのままであったが、それでも認知症は少しずつ進行し、最近は、コドモ覚醒が頻繁になってきた。


 認知症が進行していく中で、彼女はきっと、今までできていたことが一つ一つできなくなっていくことが恐ろしかったんだと思う。

 だから、打開策で閃いたことはなんでも試し、「よし、これはまだできる」と確認して安堵する。それをスタッフに見せつけるように、わざわざ走ったり、腕立て伏せをしてみたり、家電をいじって壊したりしてしまった。

 それらの行為をいちいち「危ないから」と妨げられると、癇癪をおこし強行する、を繰り返した。

 その行為は、少し離れてみると、とても切ない行為だった。

 ひどく滑稽で救いようがなく、よるべなく、哀しい行為だ。

 私は、そう心の底で思っていたにもかかわらず、他のスタッフの疲弊した表情を見ていると言い出せず、

「全く、あの人には手が掛かる」

「別の施設へ行ってほしい」

 というすスタッフの愚痴に適当に相槌を打っていた。



 そんな有栖川さんが、いつもの強行の結果、骨折して入院してしまった。


 入院先の病院でもやはり余されていたため、わりとすぐに施設へ戻ってきたのだが、有栖川さんは車いすに乗っていて、記憶力も抑制力も今までの知識すらも失っていた。

 私が印象に残っている姿は、車いすに分けも変わらずちょこんと座って、つい先日のお祭り行事でもらったヨーヨーを無邪気にリフレインで突く有栖川さんの姿だった。

 脚と脚の間に杖を挟んで、ときどき思い出したように「私は歩けるんですよ」と呟く。



 あれは、いつだっただろうか。あのお祭り行事が終わってしばらく経ってからだったと思う。

 施設の入居者たちと集団で体操をしていたときだった。少し遅れてスタッフに連れてこられた有栖川さんは少し萎み始めたヨーヨーをリズミカルに弾ませ、体操にはまるで参加する気配はなかった。

 周りの状況というものを理解できていないのかもしれない。

 彼女は今、完全に自分の世界に入っている。

 スタッフがブレーキを掛け忘れたので、体操の補助に回っていた私は有栖川さんへ近づき、車いすのブレーキを掛けようと思った。

 そのときだった。

 それは私の完全なる過失であった。有栖川さんのヨーヨーを操る手がブレーキの近くにあったことを見落として、そのままブレーキを掛けてしまったのだ。

「痛ーーい!」

 突然のことだったので目で確認はできていない。

 けれども私は有栖川さんに痛い思いをさせてしまった。

 それまで自分の世界の中でご機嫌だった有栖川さんは、突然こちらの世界に引き戻され、苦痛を伴った驚きの表情で目の前の私の頭をぶった。

「何すんのよ!」


 一瞬、空気が冷凍され、気付いた両隣の入居者たちは何事かと私たちの方を見遣った。


「ごめんなさい、皆さんもなんでもないんです、お騒がせしてすみません」


 私は、体操の指揮を取っているスタッフの声を遮らないよう、できるだけ小さな声で呟き、有栖川さんの指先を確認した。

 幸い、怪我はなく、血や赤みも確認されなかった。

 有栖川さんは暫く私の顔を殺意の表情で睨んでいたが、隣の人にくすくす笑われるのを気にしてか、何事もなかったような顔をした。

 私は今まで、そんな表情で有栖川さんに見られたことも、暴力を受けたこともなかったので、内心ではずいぶん落ち込んでいた。


「すみませんでした」

 私がもう一度謝ってたが、そのときにはまた彼女の世界に舞い戻っていた。

 鼻歌を歌いながらヨーヨーと遊ぶ有栖川さん。

 叩かれた私の頭にだけ、彼女の存在していた痕跡がしばらく解けずに残り、私は船に乗っているような感覚が暫く消えなかった。





 それからすぐに有栖川さんの転居が決まり、きっかけは家族の都合であったが、私は有栖川さんときちんと話す機会がなく彼女とお別れした。

 有栖川さんに叩かれてから、なんとなく彼女のことが苦手になってしまった私は、彼女がどこかへ行ってくれることで少しすっきりしていた。

 あのときの彼女はやっぱりコドモみたいだった。

 私は一体誰に叩かれて、誰に謝っていたのだろう。

 かつて私を認識し、色々語ってくれた彼女はどこに行ってしまったのだろう。私は、もう一度、「先生」であった彼女と話がしてみたかった。だってこれからは何度叩かれようとも、何度挨拶しようとも、私が知っていた有栖川さんではないのだから――。そう思うと、彼女との物理的な別れはそう心を打たなかった。

 別れは、転居が決まるとうの昔に、すでに訪れていたのだから――。


 かつての彼女は消失し、私の彼女への思いもまた、この日常に拡散し塵になって行方不明だ。

 こういう仕事をしていると、興奮した患者さんに叩かれたり抓られたり、罵声を浴びせられたりといった経験は珍しくないと思う。

 私も理不尽な言葉で罵倒されたりしたことも何回かあったが、叩かれた経験は今まであの一回きりだ。

 それはとても幸運なことなのだろう。

 そういう意味で、有栖川さんは私の特別となった。


 あのことを別に恨んだりはしていないし、むしろ自分の過失を悔やむことはあるが、あの瞬間は本当に、びっくりして感情が浮かんでこなかった。

 無理矢理にでも言葉を当てはめるとすると、私は寂しかった。

 あのときのことを思い出すと、私は寂しい。

 あの痛みと寂しい記憶は、今でも鮮明に頭から消えてくれないのだった。




 有栖川さんはもちろん、コドモノクニへその体験を持っていかなかっただろう。

 いつか私もコドモノクニへ行くのだろうか。そのときには何を持っていくのだろう。何を持っていけるのだろうか。


 有栖川さん、お元気ですか。そちらは楽しいですか。

 アリスみたいに途方に暮れて泣いてはいませんか。

 帰り道があるかは分かりません。私が指し示すこともできません。

 心は自由でいいんです。けれども、あなたは本当に骨が脆いので、身体は大事にしてください。無茶だけはしないでくださいね。

 さようなら――。

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