めぐり始めた輪ー始まりの神話
大神はそのあまりにも親密な様子に咳払いをすると、頭に飾られていた蔦の冠をはずして、赤子に差し出しながら言いました。
「お前の名を火神としよう。火を灯すもの、火を絶やさぬもの、そしてその火を護るもの。お前の火がいつまでも美しいきらめきを放つことを祈ろう」
赤子はその冠を受け取ると、冠は一瞬にして炎に包まれました。赤子は嬉しそうに笑い、冠をその頭に乗せました。そして地神の腕に抱かれた赤子は全身が炎と化し、火の玉となって飛び出しました。放物線を描いて地上に降り立った火球はその場で大きな火柱となり、その中から燃えるような赤い髪と真っ青な瞳をもった、少年が出てきました。少年は最初自分の手足や身体になれないのかおずおずと歩き出しましたが、数歩でコツがわかったのか急に駆けだして、側転や宙返りを披露しました。軽やかに着地すると満足したのか、火神は大神達のもとに駆け寄りました。
「生み出してくれてありがとう。祝福してくれてありがとう。名をつけてくれてありがとう。全部燃やしてしまいたいくらい、嬉しいよ」
火神は少年のような無邪気さで、早口でしゃべりました。その短慮さに水神はつい口を挟みました。
「そんなことしたら、消してやるわよ、坊や。節度を知ってちょうだい」
火神はすこし後ずさりましたが、肩をすくめて応えました。
「冗談だよ。今全部燃してしまったら、次に燃すものがなくなってしまうもの。わかっているさ。なにぶん生まれたばかりだから、冗談の善し悪しがわからないだけで」
少年の白く輝く顔にはそばかすが散り、次々に見せる表情の変化は見るものを魅了しました。大神はほほえみながら口を開きました。
「火神よ、お前に渡された冠は穣神によって編まれたもの。木が火を乗する故に渡された契約の印だ。お前も火として、乗するものに契約の印を与えなければならない」
火神は頭に戴いた冠に触れました。それは燃え尽きてしまうことなく、火神の額や耳先を明るく飾っています。火神はぶつぶつと呟きながら考えていましたが、やがて考えるのが辛くなったのか、手のひらで小さな火をおこして転がし始めました。
「難しいことを考えるのは、正直苦手みたいだ。具体的にどんなものがいいのか、教えてくれよ」
「いや、その小さな火球でよいぞ」
地神は火神に近づき、その手で転がされている火を慎重に両手ですくい上げました。火は地神の手に渡ると大きくなり、火の底からどくどくと粘性のある火があふれ出しました。地神はそれを地面に置き、溶岩があふれ出るままにすると、火から遠ざかった溶岩が冷えて固まり、火球を天に向けて押し上げていきました。ようやく溶岩の流出が収まったときには、大地に刺さった不格好な木のような形で、内側に燃えさかる火を抱えた一本の杖が出来ました。地神は満足そうにその杖をとりました。
「ちょうど良い。礼を言うぞ、火神よ」
地神は満足そうな笑みを火神に送りました。火神はそれに、また肩をすくめて応えました。今度は地神の番になりました。地神は金神に向き直ると、造られて間もない杖を高々と掲げました。
「我から金神へ、我が金を乗することを契った証としてこれを贈ろう」
地神は杖の先を大地に突き刺し、大地は突き刺したところを中心に隆起しました。地面から顔を出したのは大きな岩です。金神は地神へ深々と頭を下げ、火神を取り出した時のように腕まくりをしました。
「我に贈られたもの、その価値に見合うだけの働きを約束しましょう」
そう言って金神は岩に向かって両手を伸ばしました。金神の手は、まるで泥のような柔らかい素材に手を入れるがごとく、ずぶりと岩の中に飲み込まれましたが、すぐにその手は引き抜かれました。その右手には大きな槌が、そして左手には大きなやっとこが握られていました。
「さて我はなにを贈れば良いのやら・・・」
金神は悩んでいるようで、しかし楽しんでいるような口調で呟きました。日はいつの間にか傾き月が顔をのぞかせようとしていました。太陽は西の地平線に落ち、わずかな橙色の光線を残すのみでした。それを見て、金神は顔を輝かせました。そして彼は大地に散逸する夕日の光線をやっとこで引っ張り上げ、槌でたたいて形を作り始めました。大地から引き出された光線は、熱された金属のように暗く赤く光っており、金神が槌で叩くほどに形を変え、その熱量を失っていくようでした。金神がいくつもの光線を引っ張り上げたからか、あたりはすっかり暗くなり、空にはぽっかりと白い月が上っていました。金神は自分の造りだしたものを様々な角度から見定め、満足そうなため息をつくと、水神に近づきました。
「これを。我があなたを、水を乗する証として受け取っていただこう」
金神は両手で大事そうに包むように持っていたものを、水神の手に渡しました。それは水差しでした。水神がその水差しを受け取ると、それまで黒っぽい色をしていた水差しが煤を落とすように変化し、月の光を受けて輝きだしました。そしてみる間に水差しから水が溢れてきました。あふれ出した水は大地に染み込むことはなく、水神の周囲に浮遊し、水神の身体を彩る美しい衣を織りなしました。一連の様子に大神だけでなく、地神も火神も穣神も、はたまた贈り物をした張本人である金神でさえも、その美しさに呆気にとられました。
「素晴らしい贈り物に感謝します。これほどまでに我を力づけてくれる存在を、我はあなた以外に知りません」
水神の笑顔があまりにもまばゆかったために、月の灯る夜空が一瞬だけ昼間のように明るくなった気がしました。そうして水神は穣神に向き直りました。
「穣神、我があなたに何を贈ることが出来るのか、ずっと考えていました。正直、地神を苦しめるあなたを乗する事は、本意ではありません。我はその地神より生まれ出た者。我が親に根をはり、穿つあなたに、他の生命同様の慈悲を与えなければならないのは皮肉なことです」
水神の語り口はとても淡々としていましたが、目はひたと穣神に向けられていました。その目にはとても強い意志が込められているのが、誰が見ても明らかでした。
「我はあなたを乗するもので、それはこの契りによって確約されてしまいますが、我の力があなたの力よりもほんの少し強ければ、あなたの根を腐し、損なうことが出来るでしょう。また我は火を脅して、あなたを燃やすことも出来るかもしれません。火は我に屈することを好まないでしょうが、燃やせるものならば、何でも燃やしたい性分でしょうからね。そしてあなたを剋する金は、我に力を与える存在であることを忘れないでください。我はあなたが地神を必要以上に苦しめることがないよう、期待しています」
そう言って水神は水差しから大地に水を注ぎました。水神の足下に落ちた水は広がり、深みを増していき、ちょうど良い大きさの泉となりました。
「どうぞ。そこからあなたへの贈り物を受け取ってください」
すでに穣神は、その身体を水神を同じ背丈まで成長させ、成熟した肉体としていましたが、水神の細身の身体から発せられる威厳に畏れを感じ、その大きな目を見開きました。そして視線を水神に向けたまま、ゆっくりと泉のそばにひざまずき、両手を水の中に浸しました。穣神がその濡れた手を泉から引き抜いたとき、繊細な細工を施された、美しい水色の腰紐を手にしていました。穣神は震える手でその腰紐を巻き、水神に向かって深くお辞儀をしました。
「もったいない贈り物をありがとうございます。我は我を繋ぐ環の意味を理解し、その調和を乱さぬよう、足並みを揃えるよう努力いたします」
水神はその言葉に首を振りました。穣神は自分の発言を否定されたことに驚きを禁じ得ませんでした。
「我はあなたの生み出す生命に轡をつけろと言っているのではありません。足並みを揃えると言っても、我らはそれぞれ違った特性を持っている訳で、それぞれの行動の結果が揃う事はありえません。あなたはこの環の中で一番、大神の御心に素直に応えたいと思っている人物。だからこそ地神から根こそぎ吸い上げてしまわないか心配なのです。もし大神を喜ばせたいのであれば、大地に根を張らない生命についても考えてしかるべきでしょう。多方面の可能性を考えることです。我は我の存在を、どんなに美しい生命にも、いかに醜悪な生命にでさえも、平等に与えることを厭いません。それを忘れないでください」
穣神は水神の言ったことを考え込むようにうつむき、自然と手を腰紐に這わせました。その様子を見届けると、水神は改めて大神に向き直りました。
「我は他の生命と同様、あなたの呼びかけに応じる準備があります。それは他の生命に我を与えることを禁じない限り、守られる契約となるでしょう。あなたは我に何をくださるのですか?」
大神はわき上がる喜びを感じながら、冷静に水神の言葉を吟味しました。そして大きく息を吸い込んで、口を開きました。
「我はそなたが自らを他の生命に与えることを禁じず、その慈悲が全ての生命の中を巡ることを許そう。そして我はそのために、そなたの力を増幅させ、そなたの力が行き渡るようにしよう。それが我がそなたに与えるものだ」
大神はその言葉を言い切ったときに、ふと地神の方へ振り向きました。彼の言葉は水神の力を増幅させ、巡り巡って地神の力を強める事に等しいため、大神にとって実は極めて危険な約束だったのです。しかし大神は誰かに壊されることよりも、自身の退屈に飲み込まれることの方が心配でした。退屈は彼の心に必ず潜み、その大きくて暗い口をぱっくりと開けて待っていることを考えると、大神は相手に自分の運命全てを投げ出しても良いと考え始めていました。地神は大神の考えを読みとったのか、杖をぎゅっと握りしめ、深く頷きました。地神の求める平静はこの環を維持することでもたらされると確信していたからです。
「異論はあるまいな?」
大神は地神以外の者にも問いました。穣神は反射的に頷きました。火神は関係ないとでも言うように笑って肩をすくめ、金神は大神の言葉に乗り出さんがごとく、笑顔で応じました。
「ではここに結婚の契約を執り行う」
大神は力強く宣言し、おそるおそる水神の手を取りました。もう彼の手が水神に触れても何かが蒸発するような音はしません。彼らはつないだ手からそれぞれの体温を感じました。大神は水神に愛情のような感情をもちつつありました。それはくすぐったいような、相手を失うことを絶対に避けたいとでもいうような、焦燥感に包まれた感情でした。彼はそれを確固たる形にしようと思いました。
「婚姻の指輪を持て」
大神はもう水神の瞳以外、目に入りませんでしたが、声だけで他の者達に指示しました。すると穣神は足踏みすることで足下にはやした松の若木を引き抜き、手頃な松明を作りました。それを火神に手渡すと、火神は両手の上に載せ燃やし始めました。それが紅く美しい炎から、白い炎へと変わると、地神はすくい上げた土を被せて、白い火を白い煙に変えてしまいました。
「もう、消えちゃったじゃないか。これからがきれいなのに」
火神がぶつぶつと呟く中で、地神はおどけた顔をしながら、火神の両手を杖の先でかき混ぜ始めました。ようやく白い煙が出なくなると、地神は杖でかき混ぜるのをやめ、自らの手を使って何かの塊を取り出しました。金神はそれを受け取り、槌とやっとこで加工し始めました。塊は引き延ばされ、輝きを増し、きらきらと輝く金属であることがわかりました。そうして金神はあっという間に美しい指輪を二つ作り出しました。同じ金属からできたはずが、一つはお日様色に輝き、もう一つは月の光のごとく静かにきらめきました。
水神はお日様色の指輪をとり、大神の指にはめました。
「これをもって、我から大神への婚姻の証とします。あなたの呼びかけに、必ず応えることを約束します」
大神はもう一方の指輪を手に取り、水神の指にはめました。
「これをもって、我から水神への婚姻の証とする。我の呼びかけに応じるがため、他の生命に自の力が行き渡らないことのないよう、そなたの力を増幅することを約束しよう」
そうして、世界は新たな約束の元に環を描きながら回り始めました。
これが始まりの神話。この世界に広がる生命や物質、事象全てが縛られる原則が生まれた瞬間でした。そして婚姻がその原則に次いで、神聖なものであると決まった所以となったのでした。
はじまりの神話 木原 美奈香 @minakakihara
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