片思いは報われない

 大神は穣神を巻き込んだまま、猛烈な竜巻となって各地を巡っていました。巡りながら自分の手が水神の腕を簡単にちぎってしまった感触を、必死に頭から振り払おうとしていました。竜巻は大神の胸の内をのたくり回る感情のごとく、無秩序の吹き荒れ、大地の表層を巻き上げました。その竜巻の中心で穣神はひたすら息を詰め、この嵐が少しでも収まることを祈っていました。しかしあまりにも長く地上から離れていたせいでしょうか、穣神の手足は干からびた根っこの様に皺を寄せ、力を失ってきました。それに気づくと穣神は恐怖に駆られました。そして半狂乱になりながら叫びました。

「我が君、止まって!今しばらく止まってください。我の、我の手が、我の足がおかしなことになっています!」

 穣神の悲鳴のような声がようやく耳に届いたのか、大神はぴたりと立ち止まり、我に返りました。その手に抱えていたのはあのみずみずしく、たおやかで、一瞬ごとに違った美しさを放つ水神ではなく、自らの身体を元に造った穣神だと再認識しました。穣神の肌は健康的で、地神の力を蓄えてからは少し豊満な曲線を描いていましたが、大神は水神と比べた結果に改めて残念に思いました。その逡巡を悟られぬよう慎重に穣神の身体を大地におろすと、彼女は一息、ほうっと深い息をして、萎びて小さく固まっていた手と足を大地にぴったりと押しつけ四つん這いになりました。すると海綿が水を含んで膨らむように、徐々に元の形を取り戻し、皺一つない若々しい手足に戻りました。

「そなたが、樹木が地に根を張るものだということを失念していたようだ。木は大地を離れて生きてはおれぬ。我の巡行に巻き込んだのは間違いだったか」

 大神は穣神を観察しながら言いました。穣神は、一度は干からびて、その後戻った手足を動かしたり、さすったりしています。穣神は枯れそうになったことへの恐怖心を忘れてはいませんでしたが、大神を困らせたり、悲しませることを口にすることは何故かためらわれ、反射的に大神の言葉を否定しました。

「いいえ、そんなことはありません。我はお側にいられるだけでも嬉しいのです」

「無理をすることはない。そなたは我を欲するが同じく、地にしがみつく必要があるのだ。それがそなたと地神の繋がりというもの」

「繋がり?我が地神から力を吸い上げたことですか?」

 大神は首を振りながらその場に座り込みました。その目はもう穣神の姿を映していません。

「そうではない。いや、そうかもな。そなたは木、土である地神を剋する存在だ。だが剋する土がなければ、木は育たない。土は水を剋する。だが土は水がなければ貧しい荒れ地のままだ。そなたは生まれながらにして、繋がりを持っているのだ。そのように造った。我はお前をそのように造ったのだ」

 大神は忌々しげに傍らの土を握り、手中で粉々にすると、その細かな粒子を風に舞わせました。

「だが我にはその繋がりがない。我は誰が我を造ったのか知らず、また我と繋がりが持てるほどの力を備えた者を知らない。我は全てだ。しかし地神を造ったとき、我は完全に我を外側から見ることの出来る他者を造ることしか頭になかった。だから我から完全に切り離した。だからこそ、今度はそなたを生みだそうと決めたのだ。あれとの繋がりが持てるはずだった」

 穣神は興味深そうに聞き入り、大神のそばに座りました。

「水神は地神の涙より生まれしもの。我との繋がりがまだない故に、我はあれを思うようにしておけない。しかもそなたと地神を通じて繋がりを持とうとしたにも関わらず、我には指一本触れられない。我はあれを壊してしまう。我の内なる火が、強すぎる火が水の剋制を受け付けないと。我には我の内側を簡単に変えることができない。それは地神を造った時に、厳密に我と地神を分け、それを定義したたせいだ」

「でも我を造る時には、その身を削ってくれたではありませんか。同じことが火を造るにも出来るのではないのですか?」

「そなたは我の歯を中核に造られただけ。我が身を削るのとは少し違う。もし同じやり方で火を生み出すとしたら・・・」

 大神は思わせぶりに言葉を切り、哀れみを含んだ視線を穣神に向けました。

「我を中核に、穣神、お前を燃やさなければならない。火は木より生じる。だが我に灯る火は強い。水の剋制を受け付けぬほどに。火は木を焼き尽くし、後には灰しか残らないだろう。そうなれば残るのは、繋がりを持たぬ我と、水に剋されるかもしれぬ火と、緑の蔦の呪縛から解放された地神と我から逃れようとする水神だけだ」

 大神は視線を自分の足下に戻しました。穣神は自分が燃やされるかもしれない可能性から、逃れられたことに安堵して、もう一度手足をしげしげと眺めました。もう二度と枯れて、萎びることのないように気をつけなければ。爪先を気にしながら、穣神はまた思いつきに顔を輝かせて言いました。

「では我が君、地神に火を取り出させれば良いではありませんか。火は地を剋すことはないのでしょう?」

「幼子よ、確かに火は地を剋す事はない。むしろ乗する関係にある。だから地神は力を付けるだろう。また地神の後ろには水神がいる。水神は我の庇護をなくした火を簡単に剋するだろう。それは地神にも容易に想定できたはずだ。だからあえて我は言ったのだ。策を講じよと」

 穣神はあからさまにがっかりしたため、彼女の髪の毛は艶を失い、暗い緑色に変化しました。その様子には目をくれずに、大神は自分の置かれた状況に皮肉っぽく笑いました。

「だから我にはどうすることも出来ない。地神が我の意図をくんで、対策を講じない限りは」

 穣神は大神を哀れに思いました。自分の失望を忘れてしまうくらいに。穣神はなんと言っても、大神のことが大好きで、自分の造り主として敬愛していましたし、大地に満ちる養分や水とは別次元で渇望を感じる存在でした。そして彼女はただただ大神に愛されたかったのです。

「きっと何とかなります。きっとなるはずです」

 そう言って穣神は傍らの大地に蔦を茂らせ、その枝を器用に引きちぎると環にしました。そして立ち上がって、その環を大神の頭に、冠のように乗せると、大神を背後から抱きしめました。

「そうだな。少なくともこの膠着から抜け出せるよう祈ることにしよう。そしてほんの少し希望を持つことにしよう」

 そうして大神は穣神を背中に負ぶったまま立ち上がると、さっきよりは少し穏やかな風を巻き上げて、水神たちの元に飛び立ちました

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