穣神の力
大神は穣神を連れ地上を歩き回りました。水神の仕業でしょうか、地上はさっきまでの光景とは打って変わって、あちらこちらに水たまりが出来ていました。大神は水神の悪戯心にほほえみを隠せませんでした。これこそ、彼が求めていた変化、退屈を消し去ってくれる特効薬でした。
彼のほほえみを見て、穣神は尋ねました。
「なぜ笑っているの?うれしいの?」
「我は変化が好きだ。変わっていく様を見るのが好きだ。だからうれしいのだ、幼子よ」
穣神は大神の腕からするりと抜け出すと、水たまりの中をうれしそうに駆け回りました。両手を高く挙げ、力一杯跳ね回り、穣神の髪の毛はきらきらと輝きました。すると水たまりからたくさんの植物の芽が出てきました。それらは勢いよく成長をとげ、あたり一面に草木が生い茂りました。穣神は大神に振り返り、自分の成果を見てもらおうと、両手をいっぱいに広げました。
「どう?この変化は好き?」
大神はにっこり笑いました。
「ああ、幼子よ。とても面白い」
そう言うと、大神は穣神の額に優しく祝福を与えました。すると穣神の髪は伸び、背丈もぐんと大きくなったようでした。小さな少女の姿から、少し成長したことで、穣神はさっきまでの無邪気さにほんの少し女らしさを加えた表情になりました。その変化に大神はまたにっこりしました。穣神は大神にまばゆい笑顔をおくり、恥ずかしそうにつぶやきました。
「ありがとう」
大神は穣神の手をとり、また歩き始めました。穣神の感謝の言葉を胸の内で反芻しながら、心の奥で新たな感情が芽生えつつあることを感じながら、歩き続けました。一方穣神は、歩きながら繋いでいない方の手をひらひらと振り、様々な印を結んでは、見える範囲の土地に様々な植物を増やしていきました。そしてその植物は水神の残した水と地神の宿る大地を糧に、大きく成長していきました。
大神はとある場所で立ち止まりました。そこは地神が大神を粉々に破壊した場所でした。大神は穣神を抱えて浮き上がると、地面に向かって大きな気をぶつけました。大地はそのエネルギーによって抉られ、土砂が巻き上がり、土埃が舞い上がりました。
「なにを始めるの?」
穣神は少しおびえた声で聞きました。大神を初めて大きな力を持つ者だと認識したためです。
「友人の目を覚ませたいだけだ」
大神は笑みを浮かべましたが、その目はしっかりと土埃の方へ向けられていました。土埃が収まると、そこには怒れる地神が立っていました。その目には驚愕と憎しみと怒りが宿っていました。大神はその激情を肌で感じ、不謹慎にも懐かしさを覚えました。
「なぜ生きている?我はあなたを壊したはずだ」
「いかにも。我は一度、お前に壊された。しかしこうしてお前の前に姿を現した。忘れたか?お前には言ったはずだ、我は全てであると」
大神は空中で地神を見下ろし、尊大な表情を浮かべました。
「我は全てである。我はお前を創った。創られたお前が、我を破壊することは、本当の意味では不可能だ。それはお前がお前を損なうことに等しい。そしてお前が損なわれても、我が完全に破壊されることはない」
地神は憎々しげに大神をにらむと、
「では我に何用か?用がないのなら、我の前に姿を現さないでくれ」
と叫びました。大神はひるみません。
「我は全てである。お前は、我の一部に過ぎない。我に従え。従えば悪いようにはしない」
「拒絶したら?」
「お前に拒絶する権利はない」
大神は哀れみのこもった視線を地神に投げると、隣にいた穣神の肩に手を置きました。手を置かれた穣神の腕は瞬時に緑の葉が豊かに茂る蔦に変化し、すさまじい勢いで一直線に地神の身体を捕らえました。地神はその呪縛から何とか逃れようともがきましたが、蔦の縄はぐいぐいと地神の身体を締め付けていきました。
「何なんだ、この縛は?なぜ我の力が通じぬ?」
地神があまりにも苦しげにもがき続けるのをみて、穣神は大神を仰ぎ見ました。穣神は何かを痛めつけるのは忍びなかったのです。
「幼子よ、大丈夫だ。もう終わる」
大神は安心させるように穣神の肩においた手に力を込めました。
「紹介しよう、これは穣神。我の歯から生じ、大地を肉とし、水を力に育つ幼子だ。木は地を剋す。お前にはこの者の存在が意味するところが理解できるか?」
地神は大神の言葉を理解しようと目を閉じました。そしてまた見開かれた時、その目には深い絶望が宿っていました。
「あなたは我を一生飼うつもりなのか?」
「我は言ったはずだ、我は全てだと。我は全てに宿り、存在する。お前が存在する限り、我から逃れる術はないのだ」
大神はそう言い放つと地神の返事を待たずに、蔦を元の穣神の腕に戻しました。穣神はこわごわと自分の腕にふれると、また大神を仰ぎ見ました。大神はそんな穣神にほほえむと、地神にむけて顎をしゃくりました。
「穣神よ、あれは地神。我が最初に創った、大地から生じた者。お前はあの者をひれ伏させる力が備わっている。お前の根は大地を割り、その内に秘められた養分を奪い取り、自分の肉としていく。我はお前たちをあえてその様に創った。繋がりを持つように」
「大神、あなたの望みはなんなの?」
穣神は畏れの感情を隠しながら、大神に尋ねました。
「言っただろう、幼子よ。我は変化が好きだ。我の思いも寄らぬ変化が。そのためには我とは完全に分離した存在を、ある程度我の思うように従わせることが必要なのだ」
「分離した存在、それが地神ということなら、私は彼を操る手綱なの?」
心なしか拗ねた言い方になったことに、穣神は自分で驚きました。穣神は大神の役に立ちたい、大神に大事に思われたいという思慕を改めて自覚しました。大神はその心の変化に気づいたのか、穣神を振り向かせると、両手で優しく穣神の顔を包み、髪をなでました。
「お前を単なる道具として見ているわけではない。幼子よ、お前が我を喜ばそうとする奉仕を楽しみにしているだけだ」
そう言うと大神は穣神を地上に下ろし、無言で頷きました。穣神はしばし物思いにふけっていましたが、やがて決心した顔つきで地神の元に歩を進めました。そして地神の顔をまじまじと観察しました。
「大神にそっくり」
「我は大神が自分の姿に似せて創った者。見た目はかなり似ておろう」
「でも違う。あなたからは温かな日差しも、澄み切った香気も感じない」
「我は大神とは違うっ」
地神が力強く否定した言葉に穣神は頷きました。
「ええ、そうね。あなたからは土埃と養分の匂いがする。大神と同じ容姿とはいえ、奪うことに躊躇を感じずに済む」
そう言って両手を差しだし、大神がしたように地神の顔を包み込みました。地神は少し後ずさりしましたが、幼女とは思えない力を感じ、逃れるのをあきらめました。そして穣神は地神の唇に自分の唇を押し当てました。その口づけを大神は静かに見ていました。穣神は地神から徐々に力を吸い上げていき、その影響か穣神の姿は変化していきました。幼女から少女へ、そして少女から大人の女性へと変貌を遂げた穣神は、豊かな髪と滑らかな褐色の肌を持つ、美しい女性になりました。大神はその姿を認め、穣神を地神から引き離すと、地神は大地に膝をつき、肩で息をしました。その姿は先ほどより衰えたようでした。
「では地神よ、我の要求に応えてもらおう」
「これ以上何を求める?」
地神は荒い息を鎮めようとしながら、尋ねました。
「水神を呼べ。我はあれとも繋がりを持とう」
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