メェ博士と愉快な案件
真摯夜紳士
番犬の反逆
人型ロボットは夢を見るか?
著名な古典のタイトルに、私は胸を張って「イエス」と答えよう。
人型ロボット、羊型ロボット、それらを組み合わせた人造羊だろうとも――眠っている間は、夢を見る。
夢といっても、正しくは
私にとって、それは生まれたばかりの記憶。
眩しい世界に人の影が二つ、私を覗き込んでいる光景。
『――き、かいな――が、サンプルとしての価値は――』
『育てるしか――上の命令には――』
断片的な言葉は、後々になって理解した。
だが、どういう意図で話していたのか。それは今になっても分からない。
生まれたばかりの私は、ただ貪欲に世界の形を知ろうとした。
人との違い。
食事と太陽光によりチャージされ、眠りもすれば夢も見る。
それが私だ。
「モコモコモコ~……にょほぉ、今日も堪らんのですぅ」
体が締め付けられている。脇腹の辺りにグリグリと熱を感じた。
「……何をしているのかね、アイリー
「メェ博士にハグ。フワッフワで、とっても気持ちいいの」
「そういうことでは、ないのだよ」
腰にまとわりついたピンク髪の幼女を引っ
どうやら椅子に座ったまま寝ていたらしい。昨晩は深夜まで働いていたので、
最効率になる前の呆けた頭で、事務所内を見渡す。壁際の棚に並ぶ電子機器。部屋の中央には来客用のソファーとテーブル。奥まったところに最低限の居住空間が広がっている。ワンフロアの事務所は、自宅と職場が合わさった生活感を
ドアは……開けっ放しか。
こういう時、何かしらのセンサーでも
「
「前来た時に、メェ博士がボタン押してるとこ見てたの。あ、ポストに入ってた干し草ロール、ちゃんと冷やしてあるからね」
「余計なことを。君の祖父母には断ってから来ているのだろうね?」
「うん! おじいちゃんも『遊びに行っておいで』って」
「ここを遊び場にしてくれるな。まったく」
早急に暗証番号を変えなければ。あるいは羊にしか開けられないように、ドアのメーカーにでも相談するか。
ふんわりとボリューム感のある、ピンク髪の幼女――もといアイリー嬢は、とある案件を機に、私の事務所に入り浸っている。
初めは『仕事の邪魔だ』と追い返した。だが頑として
せめてもの抵抗も、ご覧の通り
「ふーんだ。メェ博士が遊んでくれないなら、ワンちゃんとゴロゴロするもん」
トマト色のフリルを
言われて気が付いた。
「あ、ワンちゃん! ご飯食べた? 一緒に遊ぼ!」
台所の方から元気よくアイリー嬢に駆け寄る、白毛のプードル。おかしい。飼い主たる私が
ワンは吠えるどころか、アイリー嬢の周りをクルクルと回って、盛大に尻尾を振りまいている。どうやら番犬としての誇りは捨てたらしい。
注意しようとして言い
「静かにしてくれたまえよ」
「はーい!」
はにかむアイリー嬢に、私は溜息を
やはりバイタルチェックくらいの機能は、必要ではないか?
一息入れて、浴室のミストシャワーで全身を洗う。真っ白い羊毛は温風で
そうこうしている内に機械が
文明が発達した今の時代、手足がヒヅメでも人並みの生活が送れてしまう。
例えばボタン一つでオンとオフ。紳士服を脱がすも着さすも自由自在。取っ手の要らないティーカップに――眼球の動きだけで制御と入力が出来る、
内部の処理が複雑になるほど、外部の入出力は単純化される。
大抵のことを機械で
人であれ、人工知能であれ。かく言う私も、それを
職場は事務所の机。こんな身なりをしている手前、頭脳労働が主である。
ハーブティーを楽しみながら、昨晩片付けた案件をメールで送った瞬間――ピロリンと着信音が鳴った。
私は届いたばかりの半透明な封を宙に投げ、二本の前足で拡大した。
件名:【極秘】親愛なるメェ博士へ
またか。相変わらず羊使いが荒い。
奴の依頼は主に極秘で、早急な対応を求められる。いわゆるブラックな仕事。
経済的な事情さえ無ければ強く出れるのだが、今は食い
私は苦虫を噛み潰す思いで、メールの封を開けた。
『どうもメェ博士。そろそろ退屈にしているだろうと思って、案件を持ってきたよ。今回も奇妙で愉快な内容さ。喜んでくれ。
さて、君も知っている大手セキュリティ会社セコーム。つい昨日、そこの人事部長であるサエグサ邸に泥棒が入った。留守の間を狙った犯行だ。
お察しの通り、まだ世間では騒がれていない事件だよ。情報
いやはやセキュリティ会社の上役が空き巣に
盗まれた金品は微々たる物だが、それ以上に置き手紙が物騒でね。
――この事実を公表してやる、と。
まあ、そんなわけで、メェ博士の知恵を借りたい。
もしこれが明るみに出れば、セコームの社会的損失は計り知れないだろう』
ちょうど半分ほど読んだところで、机越しにアイリー嬢が顔を出した。ぬいぐるみのように抱かれているワン。満更でもなさそうだ。
「お仕事のメール?」
「そう、奴からの案件でね」
「あの人キラーイ。なに考えてるか分かんないんだもん」
くるりと反転したアイリー嬢は、
「……たった一回会っただけで、ずいぶんと嫌われたものだね」
「頭なでてくるし。メェ博士のことモフってくるし」
「それについては怒っていい」
「メェ博士のオトモダチでも追い返したくなるの」
「やめたまえ。というか君も部外者なのを忘れないように」
「ひっどーい! もう家族みたいなものだもんね、ワン?」
懐かないでくれないか。ワンも返事をするんじゃない。
奴とは施設からの腐れ縁だ。私の人格を多少なりとも歪ませた張本人でもある。だが色々とツテを用意してくれた友人でもあるわけで。邪険にはしても無視は出来まい。
それに……この仕事は、アンドロイド羊である私に、
操った小型ドローンでティーカップを
『本題に入ろうか、メェ博士。
サエグサ邸にもセキュリティシステムがあってね。
多目的防犯安全ペット——通称ウォッチドッグ。
こいつのセキュリティ
詳しい
期限は明日の午前二時。そこまではメディアの目を閉じていられるだろう。
最低条件はウォッチドッグの
依頼人には申し訳ないけれど……僕としては、そろそろメェ博士の悔しがる顔が見たいものだね。
期待通りの報告を待っているよ。
心の友、クロイス・メトロノーム』
何が心の友か。アンドロイド羊に言う台詞では無いだろうよ。
軽薄さが
それにしても、ウォッチドッグか。
セコーム社で売出し中の人気商品。防犯と
正直なところ、大企業が倒産しようと、どうでもいい。
が、機械の謎は気になる。
私は添付された警察の書類を、一覧にして天井へと貼り付けた。背もたれに深く体を預ける。
警察はサエグサ氏の身辺調査と、彼が怪しいと思う内部の人間を追っているようだ。聴取した内容も細やかに裏付けされていた。
それと、空き巣に入られた日の自宅記録。こちらは当たりだ。
インターホンとドアには、クラッキングの
ドアノブ等に犯人と
これらのことから、まずもって計画性のある犯行だろう。
凄腕のクラッカーによる愉快犯か。あるいはセコームのセキュリティシステムを熟知している人間か。
いずれにせよ、警察の捜査方針は間違っていない。犯人は身近な人物に絞られる。
と、なると……やはり問題はウォッチドッグか。
認証システムの欠陥。
何故、泥棒を犯罪者だと判別しなかったのか。
まともに機能していれば、すぐさま警察に通報しているはずだが。
私は続けて、サエグサ邸にあったウォッチドッグのメーカー見解と、
「メエェ」
思わず
それを
「メェ博士、楽しそうなの」
「……まあね、実に愉快な案件だった。あとはクロイスの奴に報告するだけだが、解いてみるかね?」
「やりたーい!」
「今回も極秘で頼むよ。アイリー嬢なら心配いらないと思うが」
「にへへぇ。お口、カタイもんね!」
「うむ。並行して報告書も作ってしまおう――口伝書記アプリ、オン」
机の上にあった四角い端末がヴンと起動する。これは口に出した事柄を箇条書きする装置だ。
私は天井にやった電子書類を束ね、カードを配るようにアイリー嬢へと放った。
抱きとめられていたワンが、ようやく解放される。アイリー嬢は私のメールを指の間でキャッチして、テーブルの上に広げていった。
「これは要らないの」
真っ先に弾かれるクロイスの文章。よろしくする暇さえ無いとは。哀れだ。
「ふーん……ふむふむ」
速読するように次々とページを
アイリー嬢が一通り読んだタイミングを見計らって、私は声をかけた。
「それでは、疑問点を挙げてくれたまえ」
「んー……メーカーが調べても『問題なし』って結果が出てるの。でも、それって『何が原因か分かりませーん』ってことでしょ?」
「そう、つまりウォッチドッグは『正常状態で泥棒を認識できなかった』ことになる。情報セキュリティ上、
日々更新されていく高度な顔認証システムと、センサーによるバイタル識別。回収の後に検査したところ、それらに異常は見られなかった。当然、他の通報システムにも。
「メーカーが出した
「なのに通報モードにならないなんて変!」
「だから面白いのではないか」
私が声を弾ませると、ほんのりと顔を赤くするアイリー嬢。
「サエグサちゃんって人、きっと自分で騒いでるだけなの!」
「自作自演か。私も疑ったが、それは無いだろう。デメリットしかない。そうすることで何かをしたいのであれば、もっと
「アリバイは……犯人と本人の、どっちかに化けちゃうとか」
「良い考えだが、それも不可能だ。事件当時、サエグサ氏は社内で彼にしかできない仕事をしていた。氏に成り代わる方法も、人工
もし成り代わりを実現させるのであれば、氏の記憶と思考をトレースしたクローン・アンドロイドが必要だ。とても一個人が所有できる
それこそ施設に関わる人間でなければ。
決して飼い主を
「うー、うー……あとはサエグサちゃんの家族くらいしか思い当たらないの」
「家主の留守中に訪ねて通報モードに入らないのは、氏が家族と認識させた人物のみ。システムを正しく理解した上での推理だ」
「なんだか今日のメェ博士、いじわる!」
ソファーのクッションに倒れ込むアイリー嬢。
からかうつもりは無かったのだが、これはこれで効果的かもしれない。ここらで大人の厳しさを見せてやれば、事務所に寄り付かなくなるやも。
いや、レディに対しては紳士的でなければ。私は口直しにハーブティーを飲み干した。
「君の為を思ってだよ。知恵は知識と経験で養われる。誰しも苦い
「……知ってるの。読んでたもん」
そうだろうとも。だが有り得ない選択肢を口にしなければならないほど、演算の幅は狭かった。
泥棒は誰なのか。
本人ではない。成り代わりでも、恋人や親族の類でも。
何故、忠実なる
各センサーに異常は見られなかった。顔認証、バイタル識別も正常に稼働している。
アイリー嬢が困惑するのも無理はない。
この事件は
だからこそ、私には謎が解けたのだ。
どういった人物が犯人で――どうして人事部長であるサエグサ氏を狙ったのかも。
ふて寝したアイリー嬢の背中に、そっと投げかけた。
「潜在的な
△▼△▼
アフターサービス。
案件を片付けた翌日。奴が私の事務所に訪ねて来たのは、昼時のことだった。
耳下まであるサラサラの金髪を、センター分けにした青びょうたん。明るめなグレーのスーツを着ている所為か、その無駄に長い足が強調されている。
「どうもぉメェ博士、会いたかったよ~!」
「私は会いたくなかったがね、クロイス。出会い頭に抱きつこうとするな」
「つれないねぇ。せっかく君の好きなドレッシングを買ってきたんだ、笑っておくれよ」
「馬鹿め。羊は笑わないのだ」
鋭い切り返しも何するものぞ、クロイスはニコニコと笑みを崩さない。私と同い年だというのに、落ち着かない男だ。
定例の挨拶を済ませ、きょろきょろと室内を回し見るクロイス。タイルカーペットの床でワンと遊んでいるアイリー嬢を発見するや、糸目を
「近寄らないで」
後ろに目でも付いているのか。髪に触れる寸前で、ピシャリと言い放つアイリー嬢。あまりの冷え切った声に、ワンの方が固まってしまった。
「や、やぁアイリーちゃん。よく気付いたね」
「気持ち悪い音で分かるの。ハァハァ、ドクンドクンって」
「んんん、いやいやいや……僕、そんなに興奮してたかな?」
「帰って」
「まあ待ってくれ! お土産もあるんだよ。ほら、最先端のヘアブラシさ! これでアイリーちゃんの髪も、よりフワッフワに仕上がって――」
「要らないの。帰って」
「何をしているのかね、君は」
見るに見かねて割り込む。私が出した助け舟に、クロイスは歯を輝かせた。
「コミニュケーションさ! 円滑な関係性はタッチから始めるものだしね。可愛いは正義、そう思うだろう?」
「手をワキワキさせるな。いいから座りたまえ。アイリー嬢が本気で嫌がっているのが分からんのか」
「え、照れ隠しでしょ? 嫌よ嫌よも好きのうちで」
「メェ博士。やっぱり、この人……頭が変なの」
「それは認めよう。だが仕事のパートナーとして、やむを得ず相手にしないといけないのだよ」
「うんうん、愛されてるなぁ、僕」
静まり返る事務所内。真の間抜けとは、奴のことを指すのだろう。
「無駄話は終わりだ。事後報告を聞こうではないか、クロイス」
半ば強引にソファーへ座らせる。
薄い唇を湿らせたクロイスは、世間話のような調子で切り出した。
「さてね、どこから話そうか」
「……犯人は、捕まえたのかね?」
「ああ、何もかもメェ博士の読み通りだったよ。
「なるほど。まだニュースに出ていないということは、今回も隠すのか」
「事が事だからね。全回収してプログラムの書き換え、加えて信用損失。それじゃあ事件を暴露されたのと同じだろう? 平たく言うと、セコームが手間とリスクを嫌ったんだよ」
ウォッチドッグは、泥棒に対して異常を起こしていたのではない。
潜在バグとして
忠実なる番犬は飼い主を忘れたりなどしないのだ。長い眠りを経て、新たな飼い主の元へ届けられたとしても。
何度でも思い出す。認証システムを作った、生みの親を。
「そのヨドミ氏というのは?」
「最近までセコームのエンジニアをやっていた人間だよ。さながら防犯システムの番人と言ったところでね。多くの商品を手掛けるも、アレンジ精神と
わざわざ人事部長の宅を狙ったのは、
大方、サエグサ氏の所為で会社に損失を与えた――という筋書きにしたかったのだろう。自分の非を棚に上げて、責任転嫁。犯罪者の常套手段である。
クロイスは笑顔で「なんにせよ」と続けた。
「ヨドミ氏には法の裁きを受けてもらって、綺麗な身で施設に
「……初めから、それが目的ではないだろうな」
「まさか! 僕を信じてよ、メェ博士」
ふん、と鼻を鳴らす。疑いたい気持ちは山々だが、私はクロイスに騙されたことが無い。私という存在を教えてくれたのも彼だ。その事実をもって信じるしかあるまいよ。
「捕まる前、ヨドミ氏は何か言っていたかい?」
意外な質問だったのか、クロイスは笑みを消して、再び口の端を吊り上げるように
「なぁに、ただの恨み言だよ。『悪いのは俺を飼い馴らせなかった会社だ』と」
クロイスを帰した後、私は椅子に座って天井を仰ぎ見ていた。
無気力に、ぼんやりと。案件のことを考える。
人間という
もし、機械が人のように移ろうのであれば、それは――
ふと横を見ると、アイリー嬢が立っていた。何かを言いたそうに、もじもじとフリルの
私が優しく「何かね」と
「ねぇ、メェ博士……どうして人は、ロボットの犬なんて飼うの?」
それは――その難解な問いには、慎重にならざるを得ない。
「事情があるのだろう。単に番犬として置いているのか、それとも家族に迎え入れているのか。どういった価値を見出しているかは当人次第だ。技術の進歩により、物と生命の境界も
「……でも生きてないと、命の大切さなんて分からないと思うの。ワンちゃんの温かさとか、気持ちとかも」
「どうだろう。東洋では物にも魂が宿るとされているからね。何が大切かは個人が決めることだ。命より物の方が大切だと唱える人間を、私は嫌というほど見てきた。その逆も然りだがね」
機械が人のように移ろうのは、生命であろうとするからだ。
それを知る為に、アイリー嬢は人と暮らし、この事務所にも来ているのだろう? あの祖父母は、君を何よりも大切に思っているはずだ。
私も人というものを学んでいきたい。だから案件を
「メェ博士は生きてるの。フワッフワで、温かくて」
「……ありがとう、アイリー嬢」
私からすれば、誰かに大切にされているアイリー嬢の方が、命に近いと思う。
特異なアンドロイド羊に――欠陥を抱えた、幼女型アンドロイド。
人との違いは永遠に埋まらないのかもしれない。
それでも私達は……たとえ創造主に逆らったとしても、夢を追い続けるのだろう。
しゅんとしたアイリー嬢を気遣ってか、ワンが擦り寄る。屈んだアイリー嬢は、そのモコモコとした体を愛おしく抱きしめた。
「立派な番犬にはなれずとも、寂しさは埋めてくれる。やるではないか、ワン」
「――ウォン!!」
かつてないワンの返事に、私は驚いて椅子から落ちそうになった。
前言撤回だ。
飼い主に吠えるんじゃない、バカ犬め。
メェ博士と愉快な案件 真摯夜紳士 @night-gentleman
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