第47話 高貴なる者の挽歌④

 アルトニヌスの死刑の日、ザルブベイル領は興奮状態にあった。


 憎きアルトニヌスをついに死者の列に加える事が出来るともなればザルブベイル一向が冷静さを保つのは難しいというものである。


 一方でアルトニヌスも前日に火刑に処されることを聞いており眠れぬ夜を過ごしたのだ。どれだけ苦痛を受けてもアルトニヌスは死をなによりも恐れていたのである。


 コツコツコツ……


 アルトニヌスの耳に靴音が聞こえてきた。それは自分に死を告げるために現れた死神の足音に等しい。


「ヒィィィ!!」


 アルトニヌスの口から恐怖の声が発せられた。


(こんな事ならザルブベイルを滅ぼさねば良かった)


 アルトニヌスの心に後悔の念が襲ってくる。


(何故あの時、ザルブベイルが無実である事を訴えなかった? なぜあの時、バーリング達にザルブベイルの虐殺を命じた?)


 アルトニヌスは心の中で叫ぶ。それはフィルドメルクの者達すべてが等しく思っている事だ。エミリアがアルトスにより婚約破棄された時に皇太子の愚行を止めていればという思いである。

 また殺された平民達も処刑されるザルブベイルの者達に嘲笑を向けなかったら違った結果になっていたのかも知れない。


 だがそれはすべて夢想の中にしか存在しない世界であった。


「出ろ!!」


 扉が開き処刑人と思われる男達が現れるとアルトニヌスの両腕を掴み上げ後ろに手かせをつける。


「ぎゃああああああああああああ!!」


 アルトニヌスの両腕は砕けたままでありそれを乱暴に掴み上げられれば激痛を感じるというものである。

 処刑人はまったく心動かされることなくアルトニヌスを引き摺っていった。


「止めてくれ!! 助けてくれ!! 死にたくない!!」


 アルトニヌスの悲痛な叫びは当然の如く無視され、そのまま引き摺られていった。


「ひ!!」


 連れ出されたアルトニヌスの視界に火刑台が入るとアルトニヌスはさらに叫んだ。高さ三メートルほどの鉄柱が広場の中央に打ち付けられておりその足元には薪が積まれている。


「私が悪かった!! 止めてくれ!! この通り謝るから命だけは助けてくれ!!」


 アルトニヌスの叫びは当然の如く無視され立てられた鉄柱に鎖で繋がれた。すでにザルブベイル一家、家臣、領民達がアルトニヌスを見つめている。処刑場に来ているザルブベイルの者達の目に好意的な光を宿している者は皆無であったし、同情の光を宿している者もまた皆無であった。

 その目の恐ろしさにアルトニヌスは心の底から震えた。生きているものは自分一人であるという状況はさらにザルブベイルの恐怖をもたらしたのである。


「どうだ?」

「え?」


 オルトの言葉にアルトニヌスは呆けた返答を返した。


「怖かろう?」


 オルトはそんなアルトニヌスの返答を無視して続ける。


「生物は 必ず死ぬ。それが今日になっただけのことだ」

「頼む。ザルブベイル侯、殺さないでくれ。助けてくれ」

「アルトニヌス陛下・・、それだけは出来ないのですよ。あなたにはどうしても死んでもらわねばならないのです」

「どうしてだ!! すでにフィルドメルク帝国は滅亡した!! 最後の皇帝であるエトラが死んだ事で事は済んだではないか!! これ以上の殺生は無益であろう!!」


 アルトニヌスの言葉に周囲のザルブベイルの者達は軽蔑しきった視線をアルトニヌスに向けた。この後に及んで自分一人助かろうという心根に対して軽蔑の念を持たないことは困難であると言えた。


「陛下は本当にご理解できてないのですね」


 オルトの丁寧な口調は敬意から来るものでは無く嫌味である事はアルトニヌス以外・・の者には当然の如くわかっていたがアルトニヌスはオルトの丁寧な口調にわずかながら忠誠心が残っているのではと縋る気持ちだった。

 常識的に考えて忠誠心が残る者が皇族を皆殺し、貴族を皆殺し、家臣を皆殺し、民を皆殺しなどするわけないのだが、アルトニヌスは死の恐怖でもはや狂っていたと言えるだろう。


「我らがお前を殺すのは単なる憂さ晴らし・・・・・のためだ」

「……憂さ……ばら……し?」


 オルトの憂さ晴らしという言葉にアルトニヌスは呆然としつつ返答する。皇帝である自分が憂さ晴らしのために殺されるとなれば唖然とするのも当然であろう。


「そうだ。お前を殺してももはや意味の無い事などとうに知っておるわ。だが、お前が天寿を全うするのだけは見たくない。だから殺す。この単純な理由をどうしてお前は理解できぬのであろうな」

「あ……あ……無意……味?」


 オルトに自分の死は無意味と言われて呆然とアルトニヌスは呟いた。そしてポロリと涙が一滴アルトニヌスの目からこぼれ落ちた。


「その顔だ。我々はお前のその顔が見たかったのだ。どこまでも空虚に無意味に死んでいく。それは絶望の表情よりもよほど我らに暗い喜びを与えてくれる」


 その時のオルトの表情はアルトニヌスの見たことの無いものである。憎悪という言葉すら生ぬるい激情がそこにはあった。チラリとザルブベイルの家族達に視線を移すとオルトの家族達も同様の激情があった。


 アルトニヌスはこの時、ザルブベイルの憎悪の源泉を理解した。


 ザルブベイル一家のアルトニヌスへの憎悪は家族を殺された憎しみ、一族、家臣を皆殺しされた憎しみ、領民を虐殺された憎しみは木に例えれば、“幹”の部分にあたる。だが、ザルブベイル一家のアルトニヌスへの憎悪の“根”は“忠誠の対象として失格”であったということである。


「お前は“失格”だった。正直期待外れであったぞ」


 オルトの言葉はアルトニヌスに自分の理解が正しかった事を確信させた。


「みな聞け!!」


 オルトの言葉にザルブベイルの者達は沈黙する。


「これよりすべての元凶であるフィルドメルク帝国先帝アルトニヌスの火刑を行う。この者はフィルドメルク帝国の先帝として何一つ義務を果たすことなく我らを死に追いやった。それだけでなく自分の責務を自分の子に押しつけ自分だけ逃げようとした卑劣漢である」


 オルトの弾劾を周囲の者達は黙って聞いている。アルトニヌスは表情を無くしオルトの言葉を聞いている。


「もちろん、この火刑だけでこの男の罪が贖えるはずはない。この者は火刑の後にアンデッド化しこのままここに縛り付ける。皆の者はその憎悪を思い切りぶつけるが良い」

『うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!』


 オルトの言葉にザルブベイルの者達が一斉に雄叫びを上げ大気を揺らした。いや、その雄叫びは大気のみならず地響きすらおこした程である。ザルブベイルの憎悪の巨大さが現れた現象であった。


「きゅへへへへっへえへへへくぉりゃへへっへへっへ」


 その時、アルトニヌスの口から奇妙な笑い声が発せられた。アルトニヌスはその巨大な憎悪を受けて心が壊れてしまったのだろうか訳の分からない笑い声を発し始めたのである。


「壊れたか。ならさっさと修理・・するとしよう。火をかけろ」


 オルトは冷たくそう言うと処刑人がアルトニヌスに油をかけた。油をかけられたというのにアルトニヌスは不気味な笑い声をあげているだけである。


 アルトニヌスに油をかけたことで火刑の準備が整ったと言う事で松明を持った処刑人がオルトに視線を移すとオルトは即座に頷いた。もはや、精神崩壊したアルトニヌスなどに興味は無いと言う事であろう。


 処刑人はアルトニヌスに松明を当てる。しばらくして体にかけた油に引火するとアルトニヌスの体を炎が包み込んだ。


「きゅへへへへへへへっへえっへへへっへへへえへえっははあははいああはいああ!!」


 炎に灼かれてもアルトニヌスは不気味な笑い声を止める事はない。しばらくして不気味な笑い声が小さくなっていき完全にアルトニヌスは沈黙する。


 これがフィルドメルク帝国皇帝であったアルトニヌス二世の人生の最後であった。


「さて、それでは始めるか」


 オルトはクルムに視線を移すとクルムが瘴気の塊を焼死体となったアルトニヌスに向け放つとアルトニヌスを瘴気が覆った。


「え? ……余はどうしたのだ?」


 アルトニヌスは意識が戻ったのだろうキョロキョロと周囲を見渡しながら言う。


「アルトニヌス、死者の世界にようこそ」

「へぁ!!」


 オルトに声をかけられたアルトニヌスは恐怖の声をあげる。それを見てオルトは満足そうな表情を浮かべた。修理・・が上手くいったという思いである。


「アンデッドとなった気分はどうだ?」

「あ、あ……」


 オルトの言葉にアルトニヌスは事情を察すると恐怖の表情が浮かんだ。


「精神が壊れてしまったのでな。さっさと焼き殺してアンデッド化したのだ。さぁ貴様には永遠の苦しみを味わってもらおう。アンデッド化した以上、精神崩壊などという逃げの一手は使えぬ」

「あ、あ、許して……」


 アルトニヌスの慈悲を求める言葉を無視してオルトはクルリと背を向ける。それに従って家族達も踵を返した。


「後はお前達が自由に使う・・が良い」

『うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!』


 ザルブベイル当主一家の言葉を受けて家臣、領民達の雄叫びが地を揺らした。その憎悪の巨大さに生前ならば精神崩壊を起こしたアルトニヌスであったがアンデッド化した以上精神崩壊を引き越すことは無かったのである。


「た、助けて!! 許してくれぇぇぇぇぇ!!」


 アルトニヌスは声の限り叫ぶが周囲の憎悪の雄叫びに呑み込まれてしまい誰の耳にも届かなかった。ザルブベイルの者達は瘴気で作った武器をそれぞれ構えるとアルトニヌスに殺到した。


「ぎゃああああああああああ!!」


 ザルブベイルの憂さ晴らしのための道具として、永遠の恥辱と苦痛にまみれたアルトニヌスの新たな人生が始まったのである。

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