第31話 落城④

 エミリアの言葉にイリヌ皇妃とアリューリス側妃は顔を強張らせた。いつもは気高い皇妃、側妃であったが今自分達が置かれているという状況は今まで自分達が経験した危機とは完全に危険度が異なっているのだ。


「まずはあのクズの居所を教えてもらいましょう」


 エミリアがクズと呼んだのはアルトニヌスである事をこの場にいる者はすぐに察したようでイリヌは顔を不快気に歪めると口を開いた。


「何と無礼な!! 恐れ多くも先帝・・陛下に対して不遜極まります!! エミリアあなたはフィルドメルク帝国の貴族としての矜持もなくしてしまったのですか!!」


 イリヌの言葉に反応したのはエミリアの忠実な侍女のヘレンとアミスである。二人は敬愛するエミリアを侮辱するイリヌに対し怒りをぶつけるために一歩踏みでようとした時、エミリアが制止する。


「二人とも良いのよ。この女は自分の立場が分かっていない愚か者だもの。寛大な態度で臨みましょう」

「は……い」

「……わかりました」


 エミリアの言葉にヘレンとアミスは不満気な返答を行う。二人にとってエミリアの名誉は自分の事よりも遥かに大切なのだ。そのエミリアを侮辱しているイリヌに対して好意的ではあり得ないのだ。


「それは失礼いたしました。ところで私はクズ・・としか言っておりませんが、どうしてそれが恐れ多くもアルトニヌス皇帝・・陛下の事だとわかったのです?」


 エミリアは思いきり意地の悪い表情を浮かべてイリヌへと尋ねる。エミリアの質問にイリヌは虚を衝かれたかのような表情を浮かべる。


「そ、それは……」


 イリヌが言い淀むとそれを見てエミリアはさらに質問を重ねていった。


「皇妃様の中に夫が“クズ”であるという認識がないと即座に結びつきませんわよね?」

「この場にいない皇族である以上、先帝陛下に思い至るのは当然ではないですか!!」

「まぁそういうことにしておきましょう。それから貴方はクズのことを先帝と呼びましたね?」

「先帝陛下は今回の件の責任を痛感し第二皇子であったエトラに皇帝位を譲位したのです」


 イリヌの返答にエミリアは嘲るような声で嗤う。その嗤いの意味を察する事の出来ないほどイリヌもアリューリスも凡庸ではない。そして最年少のシュクルでさえである。


「つまりあのクズは年端もいかぬ一四の息子に責任を押しつけた・・・・・というわけね。さすがはアルトニヌス、父親としても皇帝としてもクズとしての評価は揺るぎないわね」


 エミリアの言葉にイリヌとアリューリスは今度は沈黙する。エミリアに言われるでもなくアルトニヌスの行動に対して思うところがあったのだ。


「皇妃、側妃……そして第三皇子……皇帝としても夫としても、父親としてもまったく情けないアルトニヌスを庇う理由は何かしら?」


 エミリアの言葉に三人は沈黙する。どれほど言葉で庇おうとしてもアルトニヌスの行動の全てがそれらをすべて台無しにしているのだ。


「まぁいいわ。それでは最初の質問に戻りましょう。クズアルトニヌスはどこに隠れてるの?」


 エミリアの言葉に三人は沈黙で応じる。エミリアはそれは予想通りであったようでため息を一つ付くとイリヌの耳を掴んだ。


「え……?」


 イリヌが呆けた声を出した。イリヌはエミリアがいつ自分の耳を掴んだのかまったくわからなかったのだ。気づいたら耳を掴まれていたのだ。まるで時間が切り取られ、途中経過を飛ばし、耳を掴むという結果だけが存在したかのような感覚であったのだ。

 もちろん、これはエミリアが完全に気配を消し、イリヌに気づかせなかったという事であり、体術に属するものであったのだがイリヌにとっては得体の知れない能力である事に違いがないのだ。


「この状況でまだ勘違いできるなんて……あなたも相当に愚鈍ね」


 エミリアは柔らかく嗤う。エミリアの笑顔は非常に優しくまるで聖女というような表情であるが、口から発せられる言葉と行動は過激すぎるものである。


 ブチ……リ


 イリヌは何かが引きちぎられる音を聞き、そしてほぼ同時に凄まじい激痛が自分の耳の箇所に発した。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 発した激痛にイリヌは絶叫を放つとそのまま蹲った。痛みを発している部分を手で押さえるとあるべきものがない事にイリヌは気づいた。


「あ……あぁ……私の耳……」


 イリヌが呆然としながら言う。


「勘違いしているようだかおしえておいてあげるわ。私はあなたに頼んでいるわけじゃなくて命令・・しているのよ」


 エミリアの言葉は静かであり激しさとは対極にあるものだ。しかし、イリヌはエミリアの声を聞いた時に体の震えが止まらなくなってしまった。

 エミリアがイリヌの耳を静かな感情のまま引きちぎった事はイリヌにとって衝撃であったのだ。

 人に危害を加える時、どのような人間であっても覚悟が必要でありそれが緊張として体の動きに現れてしまうものだ。しかし、エミリアはまったく感情の揺らぎなくそれを行った。

 これはすでにエミリアが人間以外の存在になっていることの証拠であるとイリヌはとらえたのである。


「あ……ぁ……」


 なおも答えないイリヌに対してエミリアは冷たい視線を向けると蹲るイリヌの顔面を蹴りつけた。顔面を蹴りつけられたイリヌはそのまま吹き飛ぶと壁に激突した。無論、加減はしているがそれによってイリヌの身体的苦痛が和らぐわけではないのだ。


「愚鈍なイリヌに聞いたのが間違いだったわね。アリューリス様ならきちんと自分の立場を弁えておられるでしょうから答えていただけますわよね?」


 エミリアはアリューリスに視線を向けると冷たく言い放った。アリューリスはガタガタと震えだしその場に座り込んでしまった。そこにシュクルがアリューリスの前に立つと口を開いた。


「母上には手を出さないで下さい!! 先帝陛下の行方は私が言います!!」

「シュクル!! お前何ということを!!」


 シュクルの言葉にアリューリスは声を張り上げる。シュクルはアリューリスが産んだ子でありシュクルの行動は生みの母が痛めつけられるのを見ていられないという事の現れであった。


 エミリアはアリューリスがシュクルを責めていても、その目の奥底に安堵感があるのを見抜いた。シュクルがエミリアに先帝アルトニヌスの居所を伝えれば、自分が裏切ったのではなくシュクルが裏切ったという事で責任転嫁を行える。しかもそれにより自己の安全も確保できるというわけである。

 心理的負担は実の息子であるシュクルが負い、自分の安全も確保できるという完全にいいとこ取りである。


(そういえばこの女はいつもそうよね)


 エミリアの心に苦いものが満ちる。アリューリスという人物は、その場では何も言わないくせに後になって『私はそもそも・・・・反対でした』と言って自己保身を図るのである。


「シュクル殿下、あなたが責を負う必要はございませんよ。私はアリューリスに聞いているのですからね」


 エミリアの言葉にシュクルは「ぐ……」という表情を浮かべる。


「もし、シュクル殿下が先帝の居所を話した場合には、アリューリスの四肢を引きちぎりますよ」


 エミリアの言葉にシュクルもアリューリスも言葉を無くした。エミリアの言葉は真実であると二人は理屈抜きに察したのだ。


「わかりました……」


 シュクルはそう言うと悔しそうにうつむいた。その仕草は母親を守る事の出来ない自分のふがいなさに悔しさを滲ませている。


「さぁアリューリス答えなさい。アルトニヌスはどこ? それともイリヌのように体の一部を失わないと言う気が起きないかしら?」

「ひ」


 アリューリスは小さく叫び声を上げると戸惑いがちに口を開く。アルトニヌスがクズであるという意識はあるがやはり売るというのはハードルが高いのだろう。


「ヘレン、アリューリスの目を抉りなさい」

「了解しました」


 エミリアの言葉に喜々としてヘレンが返答するとアリューリスは声を張り上げた。さすがに目を抉られるのは望むところでは無いのだ。


「先帝陛下はこの後宮の奥にある秘密の通路から落ち延びております」

「何ですって!?」

「私達はここで少しでも時間を引き延ばすように言われたのです」


 アリューリスは堰を切ったように話し出した。一度踏み越えてしまえばもはや怖い物はないという心境なのだろう。


「なるほど……それであなた達を連れて行かなかったのは何故?」

「ザルブベイルの方々はお前達を殺すようなことはしないから安心しろと」

「はぁ? そんな根拠のない妄言をあなたは信じたというの? 我々が皇族を殺さないなんてそんなわけないでしょう」


 アリューリスの言葉にエミリアは呆れたような声を上げる。つい素の彼女が出てきてしまった感じであった。


「そ、そんな……それでは陛下は……私達を……」


 エミリアの反応にアリューリスは呆然としたままそう漏らした。


「あなた達はあの男に欺されて、自分達を裏切った男のために今まで時間を稼いでいたのよ。何て間抜けな一族なの」


 エミリアの言葉にアリューリスは項垂れる。


「母上……」


 シュクルは項垂れるアリューリスの肩にそっと手をのせる。母を慰める仕草からシュクルは父親の思惑を察していたようであった。


「そうとばかりは言えんぞ」

「お兄様?」


 そこにクルムが部下を連れて入ってきた。


「少なくともエトラ陛下は先帝の思惑を察していたようだ」

「どういうことです?」


 クルムの言葉にエミリアは首を傾げる。すると家臣の後ろに立っているエトラにエミリアは気づいた。


「エトラ殿下? お兄様、エトラ殿下をアンデッドにしたのですか!?」


 エミリアの言葉にクルムは静かに頷いた。




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