第18話 閑話:ある男の絶望③

「ふふふ、まさか会えるなんて思ってもみなかったわ」


 少女の言葉に周囲の者達も残酷な笑みを浮かべる。猫がネズミを、いや、虎がネズミを嬲る際にこのような表情を浮かべるのだろうと騎士は場違いにも思った。完全に思考が麻痺しているのだ。


「ぐはっ!!」


 騎士の脇腹に凄まじい衝撃が発すると騎士はそのままその場に倒れ込んだ。傍らに少女が立っており少女が騎士に何かをしたのは確実であった。

 騎士は何をされたかは分からなかったが周囲の者達は少女が何をしたかをその目にとらえていた。神速と称してもいい速度で騎士の懐に潜り込むとそのまま拳を騎士の腹部に叩きつけたのだ。

 騎士は少女の動きを見きれなかったが周囲の者達は見切ることが出来ていたという事実に騎士は気づかなかったのだ。実力のひらきは相当なものである事がこの段階わかるというものだ。


「この程度で死なないでくださいね」


 少女の手にはいつの間にか黒い戦槌が握られていた。それを容赦なく振りかぶるのを見て騎士はその意図を悟り叫んだ。


「待て!!」


 騎士の声を聞き少女は嬉しそうに嗤うとそのまま右腕に振り下ろした。


「ぎゃあああああああああああああ!!」


 耳を劈くような絶叫が響き渡るが誰も様子を見に来る者はいない。騎士はそれがたまらなく恐ろしかった。すでに都市がアンデッドに支配されている事を思い知らされたのである。


「良い声で泣きますね。そうそうあなたの奥様も良い叫び声を上げてましたよ」

「え?」

「両手両足を砕いて泣き叫ぶ所に顔面を潰してやりました」

「な……」


 少女の言葉に騎士はガタガタと震えだした。妻の殺害を聞いても騎士に怒りの感情はまったく湧いてこない。それよりも恐怖が後から後から湧き出てきているのだ。


「奥様の最後の言葉は『旦那様助けて』でしたよ」

「シェリー……」

「とても楽しく拝見させていただきました。貴方方が私達にやった事と同じ事をしてあげたわけです。ご満足していただきました?」


 少女の憎悪に満ちた言葉に騎士は何も返答する事は出来なかった。


「さて地獄は始まったばかりですよ」

「た、助けてくれ……許してくれ……」


 騎士は少女に懇願する。少女は騎士の懇願を見て楽しそうに嗤う。


「助けませんし、許しませんよ。せいぜい苦しんでくださいね」


 少女はそう言うと騎士を嬲り始める。三十分の拷問の末に騎士は許しを乞うのではなく殺してくれという言葉にその内容を変えた。


「さてこれから忙しくなりますからいつまでも貴方のような小者に関わっている場合ではありませんね」


 少女はそういうと扉の前で無表情で立っていた妻を手招きする。妻は手招きに応じるとそのまま無表情のまま少女の元に歩いてくる。


「……シェ……リ……」


 息も絶え絶えに愛しい妻の名を呼ぶ。妻の表情は相変わらず無表情のままである。これはそのように強制されているために無表情なのであり、心の中では夫が拷問されているのを見て心の中で絶叫を放っているのだが、騎士には当然それはわからない。

 騎士にとって愛しい妻までもが自分を庇うことすらしないという現実は心が砕かれる思いである。


「最後は奥様に食われて終わりにしてあげるわ」


 少女はそういうと妻の肩をポンと叩いた。その瞬間に妻の体を黒い靄が覆うと妻の体が倍以上の巨体を持つ死者の騎士へと変わった。


「あ、あ……」


 変貌した妻が瀕死の状態の夫を両腕を無造作に掴むと掲げ上げた。両腕が砕かれている騎士にとって凄まじいばかりの苦痛が襲うが、その苦痛よりも愛しい妻が醜悪なアンデッドに変貌した事が何よりも騎士の心を傷付けた。


「ああ、このままじゃ奥様に殺されるという感覚が薄れるわね」


 少女はそう言うと死者の騎士となった妻の体を先程のようにポンと叩いた。すると死者の騎士の顔だけが美しい妻の顔に変わった。


「う、うわっぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁっぁぁぁっぁ!!」


 死者の騎士が妻の顔に変わった瞬間に騎士は狂ったかのように絶叫を放った。顔だけが愛しい妻の顔、それ以外が醜悪なアンデッドの騎士というアンバランスさは妻の存在すべてを侮辱しているように騎士には思われたのだ。騎士にとって肉体的な苦痛よりも遥かに苦痛であった。


「あらら、壊れちゃったかしら?」


 少女は楽しそうに嗤うと視線を妻に向けた。妻の口が頬まで裂けると妻が口を開いた。開かれた妻の口には細かい歯がびっしりと生えておりそのおぞましさは例えようもない。


「ひぃぃぃぃぃぃ!! 止めろぉぉぉぉぉぉぉ!! やめてくれぇぇぇ!! シェリィィィィィ!!」


 騎士は最後の声を振り絞り異形の姿となった妻に懇願するがガブリと頭部を口内に収められるとそのまま少しずつ無数の歯が頭部を押しつぶし始めた。


(ぎゃぁぁぁぁっぁぁぁぁっぁぁぁぁ!!)


 口内から漏れ出る騎士の叫び声は妙にくぐもっていたが、その音が消え代わりに硬い骨を咀嚼する音が周囲に響いた。


「あ~すっきりした」


 少女は妙に清々しい声でそう言うと仲間達をみやる。仲間達もまた満足そうに少女へ頷いた。

 彼女が殺される際に受けた仕打ちを聞いていた仲間達は自分を殺した加害者に報復できた事を心から喜んでいたのだ。


「ジュラリア、良かったな」

「ええ、でもこれから忙しくなるわね。こいつだけがこの都市に帰ってくるわけじゃないでしょうしね」

「もちろんだ。俺の仇もこの都市出身なら楽しいんだけどな」

「ジュラリアは運が良かったな」


 仲間達にそう声をかけられてジュラリアと呼ばれた少女はニッコリと嗤った。アンデッドとして甦ったザルブベイルの領民達はその憎悪を元に帝国内の都市へと侵攻を開始していたのだ。

 兵力の大部分が帝都へ向かったために各都市の制圧はとんとん拍子に進んでいるのである。これから命からがら逃げ帰ってきた兵士達はすでにアンデッドと化した故郷の者達に容赦なく狩られていく事になるだろう。

 この騎士のように自分の悪行の直接の被害者に当たったときには凄まじいばかりの苦痛が襲うだろうが、それはもはや運の領域に関する事であるので領民達もそこは納得しているのだ。


「それでは次の獲物を待つとしようか」


 ザルブベイル一党がそう言うと全員がこれからやって来る哀れな獲物達へ向け笑みを漏らした。


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