第17話 閑話:ある男の絶望②
騎士は都市の中を駆けていく。都市の内部はいつもとほとんど変わりない。酒場では酒に酔った者達が騒ぎ立てている。まったくいつもの様子であった。
しかし、注意深く観察すれば道行く人達の目が笑っていないこと、建物に修繕の後がある事に気づくだろう。
だが、騎士はそれには気づかない。疲労と安堵感の為と妻の安全を確認するという思いのために意識に留めておくことが出来なかったのだ。
(急がなければ)
騎士の中にあったのはそれであった。その急がなければという思いが、対応を求めるためのものなのかそれとも他国への逃亡なのかは本人にすらわからない。
本来であればそのまま都市の上層部に伝えるべきであったのだが騎士の中にはまずは自分の家族の無事の確認であった。
「良かった……」
騎士は自分の家に明かりが灯っている事に安堵の息を漏らした。その安堵からか騎士の目から涙が自然とこぼれ落ちる。
ギィ……
騎士はドアを開けるとそこには愛しい妻が椅子に座って編み物をしている姿が見えた。
「シェリー……」
突如帰ってきた自分の夫に妻はびっくりした表情を浮かべるがすぐに顔を綻ばせた。
「旦那様、おかえりなさいませ」
妻は立ち上がると騎士に一礼する。いつも通りの妻の仕草であり騎士は心の底から安堵した。
「無事だったのだな。良かった」
「え?」
騎士の言葉に妻は訳が分からないという表情を浮かべた。そして妻はゆっくりと微笑んで口を開く。
「はい、無事ですよ。変わりはありましたけどね」
妻の言葉に騎士は冷や水をかけられたように心が冷えるのを感じた。何かあったのかという不安が即座に顔を覗かせた。
「な、何かあったのか?」
「はい、隣に住んでいたコームスさんが引っ越して、すぐに新しい隣人の方が入りました」
「え?」
妻の言葉に騎士は心をなで下ろした。しかし、一抹の不安を消すことがどうしても出来ない。
「そ、そうか……新しい隣人の方がそれにしてもコームスさんは随分と急に引っ越したのだな」
「はい、
「あの方達?」
妻の言葉に言いようのない不安が騎士の中から次々と湧き起こってくる。
「ねぇ旦那様……私聞いてしまいましたの……あの方達に」
妻の声の温度が急に下がったように騎士には感じられた。底冷えするような声に騎士はぶるりと身が震えた。
「ザルブベイルで旦那様方が何をやったか……」
ザルブベイルの名が出た時に騎士の心臓が跳ねた。自分達の悪行を家族に知られるというのはやはり良い気分ではないのだ。
「皆様方の蛮行をあの方達に聞かされて、おぞましく思いました」
妻は騎士の反応を無視して淡々と話し始める。
「待ってくれ……」
騎士は弁解のために口を開こうとするが口からは適当な言葉が出てこない。ザルブベイルで自分達が行った蛮行は事実であったからだ。
「逃げ惑う方達を後ろから斬りつけ、親の前で子どもを斬り殺したそうですね」
「やめてくれ!!」
「恋人の目の前で強姦したという話も聞きました」
「やめろぉぉぉぉぉぉぉ!!」
騎士は絶叫する。妻の冷静な一声一声が騎士の心を抉っていたのだ。自分の罪を突きつけられる事ほど辛いことはないだろう。
騎士の絶叫に妻は口の端をゆっくりと上げる。その笑顔は今まで騎士が見たことの無い不気味なものであった。まるで別のものが妻の姿を真似しているような不安を覚えるほどであった。
「あら? どうされたのですか……まさか旦那様も蛮行に参加していると言う事ですか?」
妻の言葉に騎士はまたも冷や水をかけられ心が冷えていく。心が冷えると同時に妻の言ったあの方達という存在が気にかかり始めた。
「シェリー……あの方達とは誰の事だ?」
「新しく我々の
「主?」
騎士の声が震え始める。もはや事あるごとに打ち消してきた嫌な予感は急速に形になりつつあった。
「今、この都市で
「ひぃ!!」
妻の言葉を聞いた瞬間に騎士は叫び声を上げると家を飛び出した。飛びだした先に十数人の男女が立っていた。
「お、お前……」
騎士はその中の一人の少女の顔を見て声を絞り出した。それはザルブベイルで騎士が陵辱した少女だったのだ。騎士の顔を見た少女は凄まじい憎悪の籠もった目で騎士を睨みつけた。
「あら覚えていたのね。加害者はやった事を都合良く忘れるから思い出すために拷問してやろうと思っていたのだけど手間が省けて助かったわ」
「こいつか?」
「ええ、良かったわ。生きていてくれてこの手で報復してやれると思うとたまらなく嬉しいわ」
少女は憎悪の籠もった声を騎士に叩きつけた。
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