07
「なぁ……レティはさ、なんで冒険者になろうと思ったんだ?」
荒らされた畑は明日、明るくなって片付けることにしよう。
村長がそう言うと、みなはその場で解散。
興奮冷めやらぬクロドは、ベッドの中でそう声を掛けた。
声を掛けられた方、レティスは既に眠ろうとしていたところ。
目を擦り、ふにゃふにゃとクロドの問いを聞き返す。
「じゃあ、クロドはどうして冒険者になるんですかぁ?」
「ど、どうしてって。俺が聞いてんのに、聞き返すなよ!」
「えぇー。僕だけ答えるなんて、ズルくないですかぁ。あと僕、眠いんです。ふわぁぁ」
大きな欠伸を一つして、レティスはシーツに包まってしまった。
その時ぽつりと「僕は英雄になりたいんです」と、レティスは呟き目を閉じた。
「は? 英雄? お前、何言ってんだ。そんなもん、成れる訳ないだろ。そもそもお前、冒険者になりたいって言ったじゃん」
クロドは驚いた様に、同時に呆れたように声を上げたが……レティスは既に夢の中。
これはダメだと、クロドは溜息を吐いて自身もシーツに包まる。
英雄――レティスは本気でそんなことを思っているのだろうか。
クロドは口元を僅かに緩ませ、それから自分とレティスのことを比べ再び笑う。
(あいつは英雄を目指し冒険者になるのか。俺はもっと現実を見てるぜ。俺は――)
そしてクロドもまた、夢の中の住人となった。
「ひっく……ひっく」
泣きつかれたのか、薄汚れた路地裏の片隅で幼子が蹲っている。
(誰だ?)
その光景を見下ろすように、クロドの意識はそこにあった。
見覚えのある、いや、見慣れた街並み。
近くの鉱山から取れる資源によって一時は潤っていた町だが、逆にそれが治安の悪化を招いた。
そんな町で生まれたクロドに両親の記憶はない。
どこの誰が父で、誰が母なのか、それすらわからなかった。
娼館の片隅で女たちに育てられたが、その中に母親が居たのかどうかもわからない。
5歳になる頃、そこから追い出された。
食べる量が増え、活発に動くようになって世話が出来なくなってきたからだ。
クロドに限らず、娼館の女たちが産んだ子供はみな、5、6歳で追い出されていた。
「ひっく……ひっく……寒いよ……」
膝を抱えぶるぶると震える幼子は――。
(俺だ)
娼館から追い出されて直ぐのクロドだった。
それまでも決して満足できるような量の食事をしていたわけではない。
1日2食。
育ち盛りの子供にとって、決して足りているとは言えない量だ。
小さな体を更に縮こませ、少しでも風から逃れようと路地に置かれた木箱の影へと身を寄せる。
ひたひたと音がし、幼いクロドは顔を上げた。
そこには白髪交じりの男がひとり、クロドを見下ろすように立っていた。
「どうしたんだい?」
男の声はか細く、そして優しかった。
(覚えてる。司祭さまに拾われた時のこと。あの時司祭さまに見つけて貰えなかったら俺……きっと死んでた)
その恩を返そうとクルドは必死に働いた。
幼くとも出来る仕事を探し、1日2ギルを貰っては小さなパンを買い、同じように教会で暮らす子供らと分け合って食べた。
町でたった一つの、神に祈る者などほとんどないボロ小屋同然の教会。
極たまに、他所の町から来た冒険者らが立ち寄る程度。
怪我を負い、それを司祭に治療して貰うためであったり、世間話であったりと理由はいくつもある。
そんな冒険者らが小銭を置いて行った日はご馳走が出た。
極僅かな干し肉を、家畜の餌として売られる野菜屑と一緒に煮込めば、いつもより濃厚なスープが出来上がる。
クロドにとってご馳走だった。
そのご馳走をもたらしてくれる冒険者に、彼が憧れを抱くのにそう時間は掛からなかった。
自分も冒険者になれば、毎日肉入りのスープが食べられる。
隙間の空いた教会の壁も修理できる。
ベッドももっと柔らかい物に買い替えよう。
いつしかクロドはそう考えるようになった。
一攫千金を夢みて、冒険者を目指すようになったのだ。
(英雄になるより、現実的だろ)
冒険者を憧れ毎日のように薄暗い倉庫で荷運びをするかつての自分に向かって、クロドは何故かそう語り掛けていた。
翌朝――。
「おい、起きろよ」
「うぅーん」
クロドが目を覚まし、外にある井戸で顔を洗い、野菜の収穫を手伝って戻って来ても、まだレティスは眠っていた。
「おい、宿賃の代わりに、畑仕事手伝うって約束だったろ! なに呑気に寝てんだよっ」
「ふにぃー……畑仕事ですかぁ?」
「そうだよ! とっくにお天道様は昇ってるし、野菜の収穫だってもう終わったんだぞっ」
もそもそとシーツからレティスが出てくる。その目はまだ覚め切ってないようだ。
「お前、寝起き悪いんだろ」
「いえいえ、そんなことーないですけどぉふわぁ〜。寝起きが悪いんじゃなくって、朝に弱いだけなんです」
「夜中に起こした時も同じだったじゃねえか。あれは朝じゃないぞ」
ベッドから下りて来たレティスを連れ一階へと降りると、既に朝食の支度も出来ていた。
顔を洗ったレティスが席に着くと、全員で朝の祈りを始める。
各々が信仰する神に、朝の恵みを感謝する祈りだ。
目を閉じ、手を組んで一心に祈る。
言葉は無く、ただ心で感謝するのだ。
それが終わると全員での食事が始まった。
クロドは最初にパンを手に取ると、その柔らかさにまず驚いた。しかも暖かい。
焼きたてなのだ。
「うわぁ……柔らかいパンなんて、初めてだ」
「え?」
クロドの言葉に村長の妻は驚く。
村ではパン屋などはなく、全て各家庭で手作りするのが当たり前なのだ。
毎日パンを焼く家もあれば、二日分まとめて焼く家もある。まとめ焼きした家でも、二日に一回は焼きたてのパンが食べられるのだ。
「あったかい……」
そんなことを呟きながら、ちぎったパンを少しだけ口に運んだ。
口いっぱいに広がるバターの香りに、クロドは驚愕する。
日頃口にしていたパンは硬く、コストを下げるため高価なバターの使用も極少量。それを食べて、バターの味など感じることは出来ない。
「美味しい……美味しぃ」
呟くようなクロドの声。
「はいっ。美味しいです」
そんなクロドに同意するかのように、レティスは満面の笑みを浮かべそう言う。
レティスはレティスで、旅をしている期間が長かった。
養父であるディラードが冒険者であり、時にはキャラバンの護衛として雇われ、数か月も野宿暮らしが続くこともあった。
クロドのように貧しさ故ではないが、レティスが日頃口にしていたものは日持ちさせることを目的とした、硬いパンが多かったのだ。
二人は境遇こそ違えど、たっぷりのバターが練りこまれた、ただそれだけのパンを「美味しい」と思えるほどには似ていたのかもしれない。
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