5-92 ヴァスティーユ4
男の目は見開いたまま、自分の身に何が起きたのか理解できていなかった。
口からは血が溢れ出し、飲み込もうにもその量は嚥下の許容範囲を超えていた。
この集落で一番の体格を持つ男の身体は、一本のか弱い腕に持ち上げられた。
そして、その腕の持ち主は腕を振って、突き刺さった身体を振り払い腕を自由にする。
大量の体液が流れ出て意識が薄れていく中、男が見た最後の景色は今までに見たことのない女性の後姿だった。
感情を抑制していたヴァスティーユの視界には、事の一部始終が見えていた。
だが、その女性がどこから現れ、この男に気付かれないように近づいたのかはわからなかった。
ヴァスティーユは女性の後ろの、助けてくれようとしていた女性とその子供も全く動いていない。
突然現れた女性が、始末したのだろうと理解した。
それでも、ヴァスティーユの中に恐怖などの感情は生まれてこなかった。
「へー、あんた平気なんだね。でも悪いけど一度死んでもらうからね。運がよかったら……またお合うね」
その女性は掌をヴァスティーユに向け、そこから黒い渦巻く固まりが飛び出しててきた。
ゆっくりとした時間の中、瘴気にヴァスティーユと腕の中にいた妹の身体は引きずり込まれていった。
「……そう。よく思い出せたね。まぁ、あんたはあたしが行かなくっても、ろくな死に方はしてなかったけどね」
ヴァスティーユの視界は暗闇に慣れ、もう一度辺りを見回した。
うごめく肉塊の中に、腕がちぎれ頭部が砕けた肉の塊が見えた。
その横にはさらに数体の肉塊があり、穴の開いた胸から黒い粘体が蠢いているのも見えた。
「あの……これは」
「あぁ、それね……それ、ぜーんぶ失敗作。成功したのは”あんただけ”だよ、ヴァスティーユ」
「私……だけ?」
サヤの言葉に引っ掛かるものがあるが、ヴァスティーユの心に感情の波は立たない。
それとは別に働く思考が、その感じた違和感に到達した。
「妹……ヴェスティーユ……」
「あぁ、あんたの妹だった子だよね。それなら……ほら」
サヤは袖の中に一度手を入れ、再び袖から手を出すと見たことのない小さな透明な容器が親指と人差し指の間に挟まっていた。
その容器の中には、黒い粘体が蠢いていた。
「それ……は?」
「これがあんたの妹の意思だね。一回あたしの中に取り込んでそれを解析して……って。そんなことはどうでもいいんだけど、妹の意思を抽出したのがこれなのよ」
ヴァスティーユの集落では、生き物が死ぬと自然の中に還っていくと考えられていた。
土に埋めると土に、火で燃やすと空にと言ったように。
その考えとは異なる事実を突きつけられて、ヴァスティーユの思考はさらに混乱する。
「……今のあんたじゃわからないよ。それにこれはこの世界にはなかったものだからね」
「あなたは……一体」
「あ、そういや名前言ってなかったね。あたしの名前はサヤっていうんだ……まあ、今のあんたの生みの親みたいになるのかねぇ」
「親……おかあさま」
ヴァスティーユは、随分と昔に使ったきりの言葉を久々に口にした。
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