第74話 渡辺と地元の漁師さん

「じゃあ、その全裸の味噌職人だけ、捕まって貰おうかしら。退学生って事はそうとう埃が出てくるんでしょ?」


 ワイーン川島は勝ち誇った顔で高笑いを決め込んだ。


「いいのか? 渡辺は警察で全部を話すぞ。そうなれば犬は、もうこの街に居られなくなるかもしれないぞ」

「え……」


 蓬田の言葉に、川島は一瞬、言葉を失い、表情がスッと引いた。


「そ、そんな事ならないわよ。エリザベスちゃんは何も悪い事していないもの」

「渡辺がその犬の手下のことを警察に言えば、その犬は今のままじゃいられないだろ」


 渡辺は犬歯によって優しい尻に空いた風穴をワイーン川島に見せた。かわいそうに。サイコロの4みたいになってしまっている。


「だからって、アナタ達の言いなりになんかならないわよ!」


 川島は語気を強めた。


「オバサン、俺も動物は好きだ」


 蓬田は、一歩前に出て、川島に語りかけた。まるでアイドルのダンスパフォーマンスのように、それに合わせ渡辺は尻を引き下げて後ろに引いた。


「だから、動物が意味なく殺されたりするのは好きじゃねぇ。ここはアフリカじゃねぇし、その犬を食う敵もいない。別に縄張りを広げる必要なんてある様には見えねぇけど」


 川島は黙り込んだ。


「お願いだ。犬の為にも大人しく暮らしてくれ」

「嫌よ!」


 蓬田の手を振り払う川島の声。なんて奴だ! と渡辺は思った。普段、蓬田にそんな優しいこと言われたことのない男の嫉妬である。


「元々、エリザベスちゃんの故郷のアフリカだって日本人のせいで電柱が無くなっちゃったのよ! それなのに、細々と暮らせなんて、可哀想よ!」

「アフリカオセロチワワは、自分から攻撃的に縄張りを広げる様な事はしねぇ。自分の命の危険を感じたときに、電柱にウンコをして縄張りを広げるんだ」

「それがどうしたのよ!」

「こんな閑静な街中で、危険を感じる事って何だ?」


 蓬田のその言葉に、川島の表情は明らかに変わった。渡辺はそれを見逃さない。ワルの帝王は人の弱さを敏感に察する。ブックオフ金田もそうだったが、このオバサンにも何かしら事情がある様だった。


 これはやはり動物ではない、ワルとワルの闘いのようだ。


 時は来た。


 誰かが言った。

『鍋の具が無くなったらウドンを入れるしかない』と。


 渡辺が蓬田を制止し、前に出た。いよいよ渡辺のお出ましだ。やる時はやる。そこもまた渡辺の美味しい部分なのだ。

 地元の漁師さんも魚介の鍋がひと段落すると「この後に渡辺を入れると美味しいぞ」と言ってくれるだろう。


 渡辺がワイーン川島に話しかける。


「おい、糞ババァ」

「誰がババァだ、こら!」


 本音で喋ったら、渡辺はとんでもない恐い顔で睨まれた。ヒュン。渡辺は怯んだので、言葉を変えることにした。


「じゃあ、ブス」

「お前、殺されたいのか!」

「じゃあ、なんて呼べば良いんですか!」


 ワイーン川島に首輪を胸ぐらみたいに掴まれ、渡辺は泣きながら訴えた。

 ババァとブスしかボキャブラリーを持ち合わせていない渡辺にとって、ワイーン川島は呼ぶ事すらもできない強敵であった。


 強すぎる。名前が呼べないだと! 会話できねぇじゃん! 化け物かよ!


 頭を抱える渡辺に「おばさんで良いぜ」と竜二がアドバイスをくれた。


「ありがとう、竜二のクソ野郎」

「いいぜ」


 甘やかす竜二。


「お、おばさん」

「通れ」


 ワイーン川島はギリギリ許した。

 渡辺は自分に嘘をついた事が悔しかった。何がおばさんだ。女の原型なんか止めてねぇじゃないか!


「憎しみでやったワルからは憎しみしか生まれないんだ」


 渡辺は川島に言った。もう、間延びしすぎて、カピカピになってしまった名言。誰の心にも響かなかった。


「ババァ、俺はワルが好きだ」

「誰が糞ババァだ、全裸のクソガキ!」

「ひぃぃぃ!」


 また、癖でババァと言ってしまった。めんどくせぇ敵だな。

 「渡辺、頑張れ! お前は味噌職人だぜ!」と竜二が後ろからエールを送り、渡辺は持ち直した。

「冷静に考えたら、なんだよ、味噌職人って」と渡辺は客観的に呼ばれたことで、味噌職人がダサいことに気づき出した。


 だが俺は、警察に褒められた変態なんだ。それが味噌職人。今日もカワイイぞ。


「悪事は大抵、憎しみでやるんでしょ! ワルのエリートなら解るでしょ、それぐらい」

「そんな汚いワル、俺の目が黒いうちは許しておけないな」


 渡辺は、味噌の入った壺を片手に川島に歩み寄った。まるで宇宙飛行士がヘルメットを持ってロケットに乗り込む様である。味噌職人、宇宙へ。


「俺と勝負しろ」


 渡辺がそう言うと、遠くからパトカーのサイレンが聞こえて来た。


「渡辺、警察がこっちに来るぜ!」


 え? 


渡辺は、竜二と蓬田に急いで甚平を着せられた。逮捕はマズイ。


「勝負って何よ?」


 渡辺は「ちょっと待って」と川島を止めた。それどころじゃない。全裸逮捕は洒落にならんのだ。

 パトカーからさっきの警官が降りて来て、渡辺が素っ裸で無い事を確認。

そして「テメェら電柱に味噌を塗ってんのか!」と渡辺の胸ぐら掴んで取り調べた。渡辺は「塗ってません、塗ってません!」と首を振って応えた。


 警官は「異常なし!」と確認してまたパトカーに乗り込もうした。


「あの、僕、お尻を噛まれました」と渡辺はまた褒めてもらおうと、ワイーン川島に褒められた優しい尻を警察に見せた。これは地元の漁師さんの間で美味しいと話題だから、ちょっと街にで割烹料理でもやろうと考えるようなものであった。


「テメェ、全裸になったら逮捕って言ったよな! ああ!」

「いや、嘘、嘘です!」


 渡辺はお尻をしまって仕切り直した。ふぅ〜。お店を畳んで漁師に戻った。


 警官は帰って行った。


「さて、だぜ」


 竜二が気まずくなった場に一息入れた。ナイス、竜二。


 渡辺は何事もなかったかのように、話を続けた。


「お前と犬が勝ったら、この件について俺は手を引く。もし、犬がどっかに連れて行かれそうになったら全力で協力して、犬が死ぬまで護衛する」

「ほ、ホント!」

「その代り、お前らが負けた時は、その犬のウンコを全部、回収しろ」

「い、嫌よ!」

「俺だって嫌なのに尻を噛まれたんだ。少しは我慢しろ!」


 渡辺は三度、優しい尻を見せた。かわいそうに、塗る薬すら見当たらない。


 これはエリザベスちゃんの責任問題なので、尻を見せられるとワイーンは何も言えなくなってしまう。


「……何で対決するのよ」

「それは公平にお前達の得意分野でやる。明日、この時間にマッドセガール公園でだ」


 それから、渡辺達は一旦、川島と別れ、幼稚園に登校した。

 教室から明日の対決用のセットを作らせている手下達の作業を眺めている渡辺と蓬田。


「手下の一人に調べさせたが、あのオバサンは動物のトラブルで近所住民から疎まれていたみたいだな」


 蓬田の言葉に「そうか」と返事する渡辺。


「お前にしては、珍しいな。あんな、感情的になるなんて」


 渡辺の言葉に、蓬田はバツが悪そうに頭を掻いた。


「小学校の二年ぐらいまでは、俺は勉強が割とできたんだよ。だから、他のクラスメイトからは勉強ができる奴は、あんまり良いように見られなくてな」

「ほう」

「親は俺を良く褒めてくれた。けど、それより『あの馬鹿たちとは付き合うな』って友達を作ることは許されなかったからな。あの犬見てて、色々と思い出しちまった」


 渡辺は「ウンウン」と話を聞いてあげた。優しい先生。


「出しゃばって悪かったな。お前の仕事なのに」

「いいよー」


 渡辺は許してあげた。偉い。


「やっぱ、可愛がられてても。空気が不味かったら居心地悪いよなぁ」


 蓬田は手下が作るセットを見ながら呟いた。

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