第63話 渡辺とパン屋さん

 渡辺への依頼内容は、作蔵の匂いがまだ残っている事務所の中で、「サクさん、サクさん」と、泣き止まないシゲさんを励ます事から始まった。「どうせ、人間はいつか死ぬんだから」と渡辺も励ましのエールを掛けるが、シゲさんは一向に泣き止まない。この年には重い一言であった。

 最終的に渡辺は強硬手段に出て、「泣かないの! お母さんになるんでしょ!」とシゲさんに助産婦ばりのビンタを食らわした。その反動で、シゲさんの口から入れ歯が「ブッ!」と飛び出し、壁に跳ね返って、シゲさんのおデコに当たった。

渡辺と家長はそれを見て「ブッ」と噴き出し「何笑っとんじゃ!」とシゲさんは二人をぶん殴って泣き止んだ。結果オーライである。


 髭男が言っていた依頼人と言うのはシゲさんであった。「作蔵じゃなくてよかった」と渡辺は思った。

シゲさんは駐輪場の管理人では無く、電撃駅近辺のゴミ拾いをしているボランティアの一員だった。


「じゃあ、何でこんな所にいるんだ?」


 蓬田が聞くと「サボってたんじゃよ」と悪びれる様子も無く答えた。

 その清々しさが逆に鼻に付いて、渡辺と竜二はシゲさんをじーっと見た。


「い、良いだろ、ボランティアなんじゃから!」


 誰も何も言ってないのにシゲさんは怒り出し「誰のおかげで、戦争ができたと思っとるんじゃ!」とよく解らない言葉で罵ってきた。

聞くところによると、シゲさんのお陰で先の戦争はアメリカに大敗するところを二点差の接戦に持ち込んだのだという。この気概は見習いたいものである。


「で、依頼って何だよ?」


 蓬田が話を戻した。


「実は最近、街にウンコが多発して、犬が凶暴になっていて困っているんじゃ」

「野グソか?」


 シゲさんの切り出しに渡辺は食いついた。


「野グソか?」


シゲさんに顔を近づいけて聞くと「犬のな」と返された。が、そんな答えでは満足できない渡辺。


「野グソか?」


 しつこい渡辺。スッポンのように獲物を逃さない。シゲさんの恥じらいが見たい。


「うるさいわい!」


 ついに、シゲさんに怒鳴られる渡辺。野グソだ。


「でも、おかしいぜ。昨日、俺達はこの辺を歩いてたんだぜ。そんなワルモンがいるなら、渡辺が気付いてるぜ?」


それを聞き、蓬田はハッとした。


「渡辺、お前、昨日は犬まで目を凝らしていたか?」


 渡辺は「扇風機」と言って首を横に振った。否定にユーモアを取り入れた渡辺。ワルモンは人間だけじゃなかったのだ。扇風機なだけに、そこまでは気が回らなかった。


「ワシが犬のウンコを拾おうとすると、邪魔する犬や住民がおって困っておるんじゃ」

「でもよ、ウンコを拾うのは本来、飼い主の役目だぜ。なんで、あんたがやってるんだぜ?」


 竜二が珍しく冴えた質問をした。渡辺もこれには納得した。野糞というワルは、拾う人間がいて初めて成立するワル。拾わなければ、ただの垂れ流しだ。


『野糞はパン屋さん』

 まず、誰かがウンコをする。それをトングで誰かが掴む。まるで、パン屋さんとお客さんのようだ。


 だから、野グソはパン屋さん。


 野グソというワルは、後始末という一番重要な部分がネックになっている。だからこそ、野グソとその野グソを処理するお客さんとの「あ、うん、、、、、こ」の呼吸が必要なのだ。


「昔はちゃんと飼い主が犬のフンを拾っていったんじゃ。だが、最近……ある一匹の犬のウンコが現れた事で、犬と住民達がその犬のウンコを守るようになったのじゃ」

「ウンコを守るだろ?」


 渡辺は眉間にしわを寄せた。そんな事、聞いた事が無い。


『野糞はパン屋さん』


 お客さんが買おうとするパンを邪魔するパン屋さんが何処にいる! じゃあ、店にトングを置くんじゃない!


「ワシがその犬のウンコを拾おうとすると他の犬達が噛んで来たり、住民に文句を言われたりしてな。拾い辛くて困っておるんじゃ。

 それに、ドサクサ紛れに他の犬の飼い主達も糞を始末せずにそのままにしていくようになっておる」


 渡辺たちは、昨日、犬にも目を向けないどころか、新婚夫婦の夜の営みのことばかりにかまけていたので、見逃したのだ! そしてネバネバーギブアップ家長は生まれたのだ!


 上を向いて歩きすぎたぜ! ポジティブすぎて、凡ミスです!


「てか、警察に相談したのか?」

「警察に頼んだら、『住民がウンコがあるままでいいと言っているんだから、いいんだ』と言われてしまってな」

「バカな、ウンコが落ちてて、住民が迷惑してないだと!」


 ありのままのウンコがいいだと! 


 渡辺は驚いた。このワルは、渡辺が思っている以上のワルの恐れがあった。


『野グソはパン屋さん』


 野糞というパン屋さんはお客さんがウンコを処理して初めて、成立するワルだ。先人の野グソのパン屋さんたちは皆、専属のお客さんがいた。それは、ゴルファーがキャディーを持つように。やすしにはきよしがいたように。きよしにはヘレンがいるように。


 見るとシゲさんの腕には犬に引っ掻かれたり、住民と喧嘩した傷跡が腕やアチコチにあった。

 一流の野糞さんは、シゲさんのようなウンコを拾うお客様達への感謝を忘れない。それがワルの人情だ。


 野グソはパン屋さん。


 渡辺の中でワナワナと怒りがこみ上げてきた。礼儀が全然なってねぇぜ!


「じゃから、お主らに、その原因になっている犬を見つけて捕まえて欲しいんじゃ」


 久しぶりに渡辺のワルの心がうずいた。一人のワルとして野グソを尊敬している渡辺は、こんな野グソの冒涜の様な低レベルなワルを許したくはないだろう。


「俺に任せておけ、ワルの代表として、その犬をとっちめてやる」


 その後、「作蔵が危篤」と連絡が入り病院へと向かったシゲさんと別れ、渡辺達はさっそくワルモン探しに電撃町を歩くことにした。


『野糞はパン屋さん』

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