第60話 渡辺といつものあれ


 渡辺もワルの全てを手に入れようとした男だ。野グソを目指した過去も当然ある。だが、当時の渡辺は野グソをすればするほど、その奥深さに魅せられていった。

 まず、スペースを見つける能力。木の木陰や、墓の後ろなどは当然である。さらにゆっくり走る選挙カーに並走して排便したりなど周囲の人間の視界から逃れられれば、障害物が無い場所でも野グソをする事が出来るのだ、「アッチ向いてホイ」とか。


 この発見には渡辺も驚いた。野糞、なかなかやるじゃん。


 次に、ズボンを脱いで糞を捻り出すまでのロスタイムを省略する作業。全力疾走のスピードを落とさないで、和式便器で糞をするポーズまで流れるように移さないといけない。

 それは、さもボブスレーのように。

 渡辺は最初、補助輪がてらスケボーを利用していたが、やはり自分で走らないとワルにならないと特訓の日々が始まった。


 ズボンを脱いで糞をするまでの映像を竜二に撮影して貰い、第三者視点から自分の糞までのアドレスを分析した。

 渡辺は空から岩肌に降り立つ鷹のあの気高き姿勢を参考にした。

 野糞のポイントにズボンを脱ぎながら鷹のように着地。

 そして茂みから羽ばたいていく。このとき、ズボンを履きながら流れる様に人混みに逃げ込む。ここは陸上のクラウチングスタートと、殺し屋が群衆に気配を溶け込ませていくイメージを利用した。


 さらに、糞。


 これは一本で勝負を決めなければいけないと考え、食生活にも気を配った。大豆しか食わない日々。鼻血を噴射しまくる日々。ヤクルトを水替わり飲み、とにかく固い糞を心掛け、一刀のもとにひねり出す努力を重ねた。二の太刀は世間の視線が許してくれないのだ。


 それらすべてをマスターし、渡辺は街へと掛けだした。


 しかし、そこでとんでもない大きな壁にぶつかる事となった。


 人前で糞をするなど、緊張でウンコなんか出るはずもなかったのだ。


 見張りの竜二が「誰もいないぜ!」と報告しても、渡辺は「嘘だ、お尻さんに視線を感じる! 視線を感じる!」とすぐにズボンをあげてしまう。振り返ると確かに誰もいないのに、お尻を出すと絶対に誰かに見られている気がして、怖くて怖くて、たまらない。


 妖怪の仕業かなぁ?


 こんな状況でウンコなんかできるはずがなかった。


 なぜ、トイレが狭い個室なのかを渡辺は悟った。地球全部が便器とか、開放感が凄すぎてできない。

 そのため、尻を出した状態で味噌を生クリームのようにウニュ~っと出して、ウンコと代えさせていただいた。


 その甲斐あって便意から脱糞、ズボンを履いてダッシュまでの一連の動作をわずか五秒という短時間で仕留める事を可能にしたのであった。(練習後の味噌はスタッフが美味しくいただきました)

 その素早さに当時のマッドセガールの園児達は驚愕し、竜二はその渡辺の流れる様なストライドを、一枚に引き延ばしたストロボ写真にし、部屋の壁一面に貼ったという。

 更に幸運は続き、フランスのファッションウンコ雑誌『ル・ンコ(フランス語で「暖かい家庭」という意味)』において、渡辺の投稿した茂みの写真が『ジュデーム ノグソ シュドュドュブェ』のコーナーで採用された事が、渡辺の自信を確かなものとした。


「俺は凄い」


渡辺は己の野グソを過信した。いや、ここまでの栄誉を自分のものにすれば、過信しない方がおかしかった。


 が、調子が良い時ほど足元をすくわれるものである。所詮は、ホイップの味噌で代用していた男である。


 手下がネットで「野グソの日本大会がある」と知らせ、渡辺は意気揚々とそれに出場した。だが、そこでの日本チャンプの「一秒五」という圧倒的記録を見て驚愕した。

「ドーピングだ!」と渡辺は運営委員会へ文句を言いに、制止を振り切って運営側のテントに行った。

だが、そこに飾ってあったチャンプの作品を見て、渡辺は自分が恥ずかしくなった。

「どこの有名な書家が書いた『一』の字だよ!」と言いたくなるほどの、洗練された美しい一本グソ。しかも味噌の渡辺と違い本物。

 それを見れば、チャンプがどれほど、この野糞というものに人生を込めているかなど、バカでも解った。


「野グソはワルを越え、すでにスポーツだ。いや、芸術だ」


 渡辺は、その場を無言で後にした。全野グソ選手達にリスペクトを込めて去ったのだ。


「自分はまだまだ野糞じゃない」


それは、目指すべく目標がまだ存在しているという喜びでもあり、尊敬できるモノが近くにある事を幸運(ウンコ)と感じている喜びでもあったのだ。


(ここまで出て来た野糞は、スタッフが指導の元、安全に持ち帰りました)



 そんな昔話を教室で話し終えた渡辺は、窓から差す日差しを浴びながら、遠くを見た。あの頃の自分を空に見たのだ。


園児たちはシーンとしていた。「あの人、教室に戻ってくるや、いきなり野糞の話をしてるぞ」と前後の関係が全く理解できなかった。


「あの、脈絡を話せよ。いきなり、野グソの過去を離されてもよぉ」


 蓬田が窓の外を遠い目で眺めている甚平を着た保育士に注意を促した。


「ウンコは俺がリスペクトを込めた芸術、いや最高のワルの一つだ。それを無下に利用している奴らがこのマッドセガール市内に居るのだ! 許すわけにはいかん!」


 渡辺は教卓に戻り、悔しさで机を強く叩いた。バァン!


「しかも、雑魚ワルモン。死んでも、負けるわけにはいかんぞ! ここで負けたらウンコさんにもう顔向けができん!」


 渡辺は園児達に発破をかけた。


「つまり負けたら、もう渡辺さんはウンコをしないのか!」「どうやって明日からウンコを出すんだ!」「死ぬまで我慢するんだよ!」「渡辺さんに糞で喧嘩を売るとは、バカなやつだ!」「糞を売る奴だ!」


 園児達も自ずと気合が入る。これは渡辺の朝の便意を賭けた戦いなのだ。


「よっしゃ! いつものあれ行くぞ!」


 渡辺は勢い良く教壇を下りて、園児達の円の中心で立ち膝をついた。いつものあれのポーズに入った。


が、そんな渡辺をキョトンと見下ろしている園児達の視線。


「あれ?」


ノリの悪い周囲に、渡辺は、あたりをキョロキョロ見回す。


「おい、どうした?」

「渡辺、いつものアレって何だぜ?」


 竜二がポカーンとしながら尋ねた。後ろにはポカーンとした手下達。


「かけ声とかなかったっけ? 俺達」


 渡辺は周りの園児達を見回した。そんなモノは一度もあったためしが無かった。「じゃあ、この立ち膝がなんだ?」と渡辺は疑問に思った。

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