渡辺とアフリカの刺客

第59話 渡辺とウンコの奴

 恋の季節、夏が終わった。


 そして、世間はまた新たな恋の季節、秋になっていた。この後、恋の季節、冬。恋の季節、春と季節は移り変わっていく。


つまり、お盛んなのだ。


 渡辺逮捕騒動も落ち着き、渡辺自身も、何て事の無いアンチョビの様なワルと幼稚園とオルガンの繰り返しの日々がしばらく続いた。


そんなある日。

渡辺は園長室に蓬田と共に呼び出された。

渡辺は髭男に「コイツはチンチンがキノコだと思っている馬鹿だ」と蓬田を紹介した。まだ言っていた。


 蓬田には髭男の「いつもすまんなぁ」という気遣う顔だけが唯一の救いだった。恋の季節、冬が来るまで言われる覚悟をすでに蓬田は決めていた。


「なんか用か?」


 渡辺がいうと、髭男は思いつめた顔で語り始めた。


「この前の逮捕の件は、我々にも落ち度があった。新しい退学生に警察が脅しのように強行逮捕に出る事は、珍しくない……正直、平塚源蔵と戦って帰って来ただけでも良かった。あの警察官を目の当たりにして、ワルを語るのが恐くなった退学生もいたほどだ」


 渡辺もあの時のお尻を押さえ、時に苦しみながら、キスを迫って来る八つぁんの姿を思い出した。

 あんなのが治安を守っているとは、他の街の奴らには知られたくなかった。もっとカッコいいやつと切磋琢磨していきたい。


「やっぱ、八つぁんは、それほどの警官なのか」


 髭男は頷いた。平塚源蔵は警察四天王の一人、あんな人生に汚れた刑事が、あのコンクリートの建物の中にあと三人はいるという。「国はなぜ、爆弾を落とさないのか?」と渡辺はいささか疑問に思った。


「それで、渡辺。お前は平塚源蔵をどう思った?」


 渡辺はしばらく考え込み、口を開いた。


「柔らかい唇だった」


 髭男は咳払いをした。蓬田はどっか遠くを見た。


「他には」

「だが、ブックオフ金田の方が、柔らかかった」


 髭男は咳払いをした。蓬田はソファーに座り直した。


「他は?」

「F Mラジオでメールが読まれて嬉しかった」

「他!」


 ひげ男に怒鳴られ、渡辺は「言わすなよ」とニヤけた顔で返した。いよいよ本丸のご登場だ。


「……キスはいいもんだ」

「もういい! しね! 馬鹿が」

「これ以上、何を期待してるんだ、髭野郎が!」

「ワルの事に決まっとるだろ! 誰がキスのことを聞くんだ!」

「なに、そっちか!」


 こりゃ意表を突かれた渡辺。フェイントをかけられたぜ。

 姿勢を治して、ワルについて考えることにした。「ていうか、男としかキスしてねぇな、俺」と渡辺は改めて自分のキス歴を見て、酷すぎてちょっと凹んだ。だが、渡辺はまだ若い。


「……少し頭にきた。正直、金輪際、八つぁんにだけは逮捕されたくない」

「どうしてだ?」

「あんな汚い方法で逮捕している奴が正義だなんて、俺のワルは認めない」

「そうか」


 髭男はそれ以上なにも言わず、頷くだけだった。蓬田は「なんで、そんな全否定する男に、あんだけ尽くしていたんだコイツ」と心の中で思った。毎日、弁当を作っていた男を全否定する男、渡辺。


「恐ろしすぎる正義の力はワル以上の恐怖を作る可能性もある。正直、今のこの街の警察の力は強すぎる。我々はワルという力を駆使し、市民に心の余裕を届け、警察の抑止力にならねばならん」

「政治家みたいない事を言うな、髭男」

「なんでもいいが、そのためには人々が感動するワルを世に提言していく事、ワルのイメージを悪化させるワルモンの退治。そして強すぎる警察への対抗。お前の今後の任務だ」

「当たり前だ、俺はワルで人々を感動させて、ワルの帝王になる男なのだ」


 渡辺の目に曇りはなかった。


「ていうか、剃れ」


 蓬田は、この前の平塚の辟易した顔を思い出した。あれほどの強敵を目の当たりにしても、渡辺のワルへの意欲は留まることを知らない。「この男は確かに底知れない」と改めて自分たちのリーダーの凄さを感じた。


「あと、いい知らせだ」

「お、剃るのか?」

「小林が占い師を目指すと言って来た。お前のおかげで、『自分の力を使い方が解った』と言っていたぞ。人を励ますのはいい気持ちだと言っていた」

「そうか、あの男には俺も助けられたからな」


 渡辺は小林のことを思い出すと、あの地獄を腹痛を思い出しそうになる。しかし、小林がいなかったら渡辺はきっと坂道の途中でウンコを漏らしていたのも事実。微妙な思い出の人として、今後は付き合っていこうと思った。


「改心したワルモンの事後処理も忘れるな。たまには顔を出して、様子を見てこいよ」

「解ったぜ」


 渡辺は強く返事をして『竜二に行かせよう。仲よかったし』と心で誓った。蓬田は『竜二に行かせる気だな』と渡辺の嘘くさい返事を聞いて瞬時に思った。


 とは言っても、情けなく逮捕されてしまった事は事実の渡辺。今後、逮捕されるわけにはいかない上に、今まで以上に凄いワルをしなければいけない。その事は誰にも言わなかったが、渡辺は心で強く誓っていた。


「で、話は変わるが渡辺」


 髭男のその言葉に渡辺はため息が出た。これで三つ目だ。おいおい。


「お前はどれだけ、俺に用があるんだ? 俺が好きなのか? なら剃れ」


 最近は恋にもうるさい渡辺。この髭男の話題の豊富さは見過ごせなかった。完全にセンサーが反応中だ。


「……ワルモン退治だ」


 髭男はツッコミも入れる事なく、真面目な口調で渡辺に告げた。

ここからはオフザケ無しの本業である。渡辺は何を隠そう幼稚園の先生なのだ。幼稚園の先生の本業、それはワルモン退治である。


「またかよ」


 渡辺はため息が出た。もはや新鮮味も何も無い出来事である。OLが資料のコピーを取る感覚でワルモン退治である。これでは「どっかにいい男いないかしら」と渡辺だって肘をついて言いたくもなる。


 渡辺はソファに肘をついてため息を吐いた。


「ワルモンワルモンって、他にないのか? いい年なんだろ髭男、お前も? 女の一人でも紹介してみたらどうだ?」


 渡辺のやる気の無さに、髭男はムッとした。


「そんな事言っている暇があったら、少しはマシな働きをしてみろ。新人とはいえ、平塚に完敗した事で、今、お前の評価は急激に落ちているんだぞ!」

「なんだと!」


渡辺は目を見開いた。


「あの敗北が、負けだと!」

「当たり前だ! あんなニュースで堂々と逮捕されおって! 負けに決まっとるだろ!」

「馬鹿な!」


 ガーン!


 髭男の一言に渡辺は言葉を失った。

平塚源蔵には確かに負けた。

だが、負けはしたが、見る人がよく見て、よく考えて、よく探したら、「たぶん、なんだかんだで、どっかしらは勝っていただろ」と、タカを括っていた渡辺だったが、どうやら、どこもかしこもボロ負けだったらしいのだ!


「解ったか、文句があるなら結果を出せ! 結果だ、結果!」


 渡辺もこれには返答のしようが無く頭を抱えた。「負けたにしてはなかなか勝ってた」と踏んでたら、まさかのボロ負けです。気持ちの整理が追いつかない!


「次のワルモンも下位の弱いワルモンだ。これがお前の今の評価だ。現実を受け止めろ!」

「ふん! どうせ、世の中には弱いワルモンしかいないんだろ! 騙されるか!」

 

渡辺は口答えしてみた。ご自慢の悪あがきである。


「そんな訳あるか! 玉男ですら上位級のワルモンと生きるか死ぬかの戦いをしているんだぞ! あんなカスですらな! お前の闘いなんぞ、ウンコだ、ウンコ!」


 カッチーン!


「なんだと、貴様ぁぁぁ!」


 この髭男の心無い言葉は、ボロ負けでお馴染みの渡辺ですら、許せなかった!


「ウンコを馬鹿にするなぁ!」


 バゴーン! 


髭男の顔面に怒りの渡辺の凄いのが飛び込んだ。不意を突かれた髭男は「え?」と殴られた頬を抑えた。


「そっち?」


 壁にまで吹っ飛んだ髭男は、頬を押さえながら、蓬田の方を見た。



『ウンコ程のワルもいない』


 社会のクズと呼ばれる事もある渡辺、そしてマッドセガール工業幼稚園の園児達。さらにそんなクズの男達の体内ですら「要らない」とレッテルをはられ、肛門から出て行くドグサレた物体。


それがウンコだ。


 毎日、渡辺は便器に堂々と恥もせず君臨している姿を見て「自分はまだまだウンコじゃない」とふっと笑い己を戒めるのである。

それは、目指すべく目標がまだ存在しているという喜びでもあり、尊敬できるモノが近くにある事を幸運(ウンコ)と感じている喜びである。


「ウンコを馬鹿にする奴に、ワルを語る資格は無い」


 壁に吹き飛ばされキョトンとしている髭男にそう言い「出直せ、髭」と渡辺は部屋を後にしようとした。


「どこへ行く、まだワルモンの名前も言ってないだろ」

「聞くまでも無い。ウンコを馬鹿にする奴の話など、俺にとっちゃウンコ以下だ!」


 ウンコの凄さを知らない男など、鼻にもかけない渡辺なのだ。偉い。


「そのウンコが敵なんだ」

「何だと!」


 渡辺はドアノブを手に取ろうとした体勢で立ち止まった。ついに牙を剥くか!


「次の敵はウンコの奴だ。場所は電撃町」


 馬鹿な……ウンコの奴だと。すでに、ジャンルになってやがる!

ついにワルモンはウンコ界隈にまで侵略していたのか。


残酷な現実に渡辺は肩を震わせた。おのれぇぇ、ウンコの奴!


「戦うしかないのか……」


 拳で壁を叩く渡辺。そして、壁に顔を当てて涙を流す渡辺。俺がウンコを止めるしかない。

 遠くで見ていた蓬田は「何にマジになってるんだ?」と渡辺をボー然と見ていた。髭男も渡辺に殴られたショックで泣き出した。


 大の男が同じ部屋で二通りの涙を流している。とっとと帰りたい蓬田であった。

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