第58話 渡辺とサイレントマジョリティー
で、問題は自分達の先生である。うわさ通り、甚平の上にマタニティを着ている。
パトカーで幼稚園まで送ってもらい、幼稚園の前に待たせていた園児達総動員で『飛行機が出ちゃう!』と暴れる、このボンクラ先生を気絶させ、教室まで運び込んだ。
蓬田は、家長の持っている方の渡辺から重みを感じていた。ぜってぇ力を入れてねぇとバレバレだった。どうしてこうも陰湿なのか。
教室に運び込んだ渡辺は二十分後に目を覚ました。ムクッと起き上がった渡辺は、まず目に入って来た蓬田を見て「お母さん!」とまた抱き付いて来た。
蓬田は首の裏をもう一度手刀で叩き、気を失わせ、五分後に蘇生、その辺にあったスパナを渡辺に見せ「お母さん」だと思わせる事に成功した。古いテレビみたいに扱われる渡辺であった。
その三分後に渡辺は、お稲荷さんをスパナに挟んで悶絶した。お母さんに何をするんだこの人は、と手下は引いた。
渡辺は、お母さんに挟まれた衝撃でそこが自分の職場だとやっと気付いたようであった。この男の本業は幼稚園の先生である。
その後、苦戦の末にタイに行こうとする渡辺を教室の隅に追い込んだ園児達。渡辺のバケモノじみた体力を痛感した園児達。束になってやっとであった。弾丸を百発近く至近距離で交わした男である。
「タ、タイには行かさ、ないぞ」
息を切らした蓬田。
「なぜ、それを!」
「渡辺、お前はワルで天下を取る男だろ、家庭に入ってどうするんだ!」
「ウルセェ! 俺のワルに指図するな!」
その後、みかん組で『なぜ、渡辺が男根を切るとアフリカの子供達の笑顔が増えるのか?』というテーマで、渡辺自らのプレゼンが開かれた。渡辺は己の行っている行為がいかにワルで、それでいて愛すらも網羅しているのかを説明して行った。
「で、その平塚さんの奥さんへの説得は上手くいってるのか?」
蓬田の質問に渡辺は不敵な笑みを浮かべ「痛いトコを点くね、ヨモちゃん」と指差した。なんか吹っ切れたようにも見えるし、奥さんを刺しそうにも見える、気持ち悪い笑みであった。
渡辺は平塚の奥さんに「お腹にはあの人の子供がいる」と言ったら鼻で笑われた事。後日、「産みます」と言ったら「産めるなら産んでみなさいよ」と大爆笑された挙句、最後は家の門の前で記念撮影をして「アンタ、面白いからまた来なさいね」とお土産を渡されて帰って来た事までを話した。
渡辺は首を傾げて「何で信じて貰えなかったんだろう?」と不思議がった。そのペッタンペッタンなお腹で正面から切り込んで行ったのだから律儀な男だ。
「で、お前はその、平塚のオッサンを愛してるのか?」
「……はい」
渡辺は「きゃっ!」と恥ずかしそうに自分の顔を両手で隠した。ムカつく。
「だがな、渡辺。確かにお前のやっている悪女ってワルは、前人未到の境地かもしれん。でもな、できるワルとできないワルがあるんじゃないのか? 性別を超えるのはいくらお前でも不可能だ!」
「だから、タイに行って怪物を切るって言ってんだろうが!」
蓬田の正論に、渡辺が正論で怒鳴りかえした。
「俺だって考えてるんだよ、蓬田!」
渡辺はそう言って、いすに座り、頭を擡げで悩み出した。こりゃ重症だ。
想像以上に真剣に将来を考えていた渡辺に言葉を失い、教室内はシーンとなった。
「切らしてあげなよ! 怪物の一本や二本!」
それは小林の声だった。
「そうですよ、そんな因果なブツ、切っちまえばいいんですよ!」
小林の勇気のある訴えをきっかけに、密かに渡辺賛成派であったサイレントマジョリティーが一気に声を上げた。
世論が動いた。
キーれ! きーれ! きーれ! カルーセル! カルーセル! カルーセル!
「でもな渡辺、一度切った怪物は二度と生えてこないんだぜ! リスクがでかすぎるぜ!」
竜二が渡辺に訴えかけるが「嘘つけぇぇ!」とあしらわれた。どうやら、怪物が何度も生えて来ると思っているようだ。
渡辺は「とりあえずタイだ」と荷物を持って部屋を出て行こうとした。今夜出発の『五万円で怪物を切って、しかも切った怪物を太鼓のバチにしてくれるツアー』に申し込んだのだという。情報とは別のツアーであった。
「お前になんでそんな金があるんだよ!」
「バイトしてたんだよ! 最近まで!」
あ。
渡辺の怒鳴り声に蓬田たちは「そうだった」と思い出した。この男、週7でバイトをしていたのだ。しかも、クソ真面目に。
ちょっと前など、そのバイト先のバーベキューに呼ばれた渡辺は、例の女子大生と写真を撮って来て「なんだかんだで、俺をキープしてぇんだよ、あの馬鹿女」とセリフとは裏腹に顔を真っ赤にさせて写っている写真を見せて来ていた。かわいい。
言動はおかしいのに、なんだかんだでリア充を楽しんでいる渡辺に強烈な敗北感を抱く園児たち。
その弱音を渡辺は見逃さなかった。
「うおおおお!」
今度は渡辺擁護派もディフェンスに入り、蓬田と竜二の渡辺否定派とスクラム対決になったが、渡辺のリア充に怯んだ蓬田達を一気に押し返す渡辺!
しかし、悪女ばかりでワルを怠った渡辺は、パンティーラインを気にする癖が生まれてしまい、スキができ、手下の園児に旅行鞄を奪われ、
苦闘の末にトライを決められてしまった。
「しまった!」
その後、渡辺は「返してよー」と旅行鞄を取り返すために、蓬田たちを必死で追いかけたが、蓬田チームは竜二のリーゼントにこれを隠し、鞄を死守した。
その後、『切れよ、いや切るな論争』は続いた。蓬田は、女に終電の事を忘れさせようとするスケベな男のごとく、渡辺を飛行機に乗せないよう反論を続けた。
「生えるに決まってるだろ! しいたけさんだって毎年、生えてんだよ!」
と机を叩いて蓬田達に訴える渡辺。蓬田はこれを頑として認めず、議論は平行線に入ろうかとしていた、そのときであった。
その時、歴史が動いた。
園児の一人がネットで調べてきた『もし生えると仮定した場合の、今までカルーセル麻紀が負担してきた費用』を発表した事で状況は一変する。
渡辺が桁外れなその額を聞いて「これ無理だ」と、一瞬で『生えない派』に寝返ったのだ!
「よろしくな、蓬田」
なんとこのバカ、背中を押してくれた「生える派」を呆気なく裏切り、蓬田チームにやってきた。
「生える派の息の根を止めるぞ」
と、渡辺は殺気を身にまとって戦闘態勢に入った。切り替えの早さが人間業じゃなかった。
これで議論は終わりかと思いきや「生えないけど切る」と感情的になっている渡辺が言い出し、蓬田と竜二は「これでは、議論が終わっちまう」と、二人で『生える派』へと即座に鞍替えた。
右往左往する教室内。
「蓬田、冷静になれ! 生えるわけないだろ!」
さっきまで「生える」と訴えていた渡辺、今度は生えない派となり、議論を引っ張る。本来の目的を忘れ始めていた。
「東北の方に、生えてくる村があった気がする」
と、蓬田はただの時間稼ぎで、ありもしない伝説を急場拵えで作った。
「そんなわけないだろ! 馬鹿か、お前は!」と渡辺が反論する。
生えないと知っていながら、生えるフリをして、諸悪の根元の渡辺から「馬鹿か!」と罵られる、蓬田は究極の屈辱に耐えながらもなんとか議論を長引かせた。
そして、全く理解するそぶりを見せない『生える派』の馬鹿どもの目を覚ますべく、渡辺は「この決着は明日つける」と捨て台詞を吐き、『生えない派』の同志達と作戦会議へと向かった。
蓬田が『生えない派』の一人に連絡を取ると、飛行機の時間になっても渡辺はファミレスで「蓬田はいろんな意味で金銭感覚がない!」とテーブルを叩いて激怒し、タイへ発つ事をすっかり忘れていた。
蓬田は「金玉と手術の金額をかけて、金銭感覚」と言っている渡辺のジョークに「うめぇ」と度肝を抜かれるのであった。
翌日。ガラガラガラ。
「話し合おう、愛すべき馬鹿ども」
そう言って渡辺が教室にやって来た。
先生を教室に止まらせるためだったとはいえ、もう引くに引けない蓬田。
「渡辺、怪物がもしちょん切れて無くなったら困るだろ。神様はそこまで嫌な奴じゃない」
蓬田が「すまん、神様」と心で思いながら意見を言った。神様がこんな馬鹿じゃないことは賢い蓬田ならわかっていた。
しかし、渡辺はこれに、鬼の首をとったような顔で立ち上がり「だからな、蓬田、昨日も言っただろ? もし生えたら、カルーセルはこんだけの予算が掛かっちまうんだよ」と、バラエティでよく見るテロップに書かれた、よく解らない根拠の試算表を見せてきた。
で、蓬田は最終的に「そんなに生えるって言うなら、タイで今すぐ切ってこい!」と渡辺に激昂され、無駄な説教を喰らう屈辱を味わった。
埒があかない渡辺は、蓬田に軽蔑の視線を向け「いいか、ああいう大人にはなるな!」と新入りの園児に忠告したという。予想だにしない仕打ちで、やりたい放題にされる蓬田であった。
その後、チンチンが生えないと知った渡辺。もう、タイ行きのチケットを買うお金もなく、平塚への愛は貫けないので、「このワルはここで断念じゃ!」と、諦めて。
幼稚園には日常が戻った。無駄に長かった。
蓬田は心労で、幼稚園を三日休んだ。
「男根が生えるとか、馬鹿なこと言ってるから、風邪なんか引くんだよ」と、渡辺に嫌味を言われ、「こいつ、いつか殺す」と思った。
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