第57話 渡辺と昼ドラ
翌日。
蓬田の命令で、朝一に警察署へ渡辺を迎えに行った園児数名が青ざめた表情で幼稚園に戻ってきた。
「……あれは、渡辺さんじゃない」
漂流から救出されたような顔をした三人の内の一人が、弱弱しい声で言った。
渡辺は居た。
蓬田の予想通り、警察署内で一日中、平塚の身の回りの世話をし、空いた時間で平塚の家に向かい、奥さんに「別れて下さい」と要求し、その足で埠頭の倉庫の掃除などをして、また警察に戻り平塚の為の夕食を作るという生活をしていたのだった。
もともと渡辺を歓迎ムードであったマッドセガール市警側は「もう警察署の子供になれよ!」と渡辺を署長の養子にする段取りまで組んでいるそうだ。
署内には『渡辺室』という一〇八課の内の一つを潰して、渡辺の為に部屋を設けている始末であった。
今、渡辺室の前は渡辺と遊ぼうとオモチャ片手の警官達が長蛇の列をなして、マッドセガール市警は仕事どころではなく、警察の機能を失っている状態であった。
で、バカな署長も、よせばいいのに「ワシの体と退職金が目当てなら」と渡辺のための、養子縁組書類を作成し、渡辺歓迎ムードは一層高まった。
しかし、平塚への愛を貫く渡辺は『鳩胸も 歳をとれば うつむく乳』と一句詠んで署長の求愛を拒否。マッドセガール市警内は、三角関係の様相を呈してくる。しかも、ハチミツとクローバーも真っ青の『全員、実らない三角関係』である。
これに警察署内のF1層が黙っているわけがない。もともと渡辺の得意なF1層へのワル。署内のF1層は、この三角関係で持ちきりであった。
まず、黙っていないのが署長である。
こんなに愛しているのに平塚一筋の渡辺への嫉妬。そして、ちらし寿司を作ったのに冷ました上に、余計な玉男までもを捕まえてきた平塚源蔵への嫌がらせが始まったのだ。
平塚の手錠の二つ穴にブっといドイツのソーセージを突っ込んで使えなくしたり。平塚の拳銃の銃口にホッそいドイツのソーセージを突っ込んで使えなくなしたり。
しかし、「渡辺の幸せが第一」の警官達は渡辺が平塚の身の回りの世話をする姿を見て「よっ! オシドリ夫婦!」と茶化し署長を牽制し、渡辺も満更ではない笑みを浮かべた。
今、警察署内は渡辺を巡るドロドロの恋愛劇が繰り広げられており、とても外野が中に入っていける状態ではなかった。
「お前ら、渡辺にワルを訴えたのかよ! そんな平凡な人間、ワルでもなんでもねぇぜ!」
竜二の必死の訴え。
確かに、あのワルをとったらスケベと半笑いとセンスのないポエムしか残らない男がそんな簡単に家庭に入ろうとするとは思えなかった。
「竜二さん! 俺らもその事を訴えましたよ! あんな渡辺さん、見たく無かったです!」
「なら、なんで、手ぶらで帰って来てんだぜ!」
園児達は説明を続けた、この三人は渡辺に「ワルを捨てて、見損ないましたよ!」と訴えかけたそうだ。
しかし、渡辺は「浮気、悪女、これ以上のワルはこの世に無くってよ」と今まで体験していない、未知のワルにどっぷり浸かってしまっていたのであった。あの敗北と逮捕を糧にすでに次のワルへと向かっていた。
恋に恋する少女のように、渡辺は平塚への愛というワルに恋する青年であったのだ!
「そりゃ、手ぶらで帰って来ちゃうぜ!」
手下のその報告に、竜二は納得し、満面の笑みを浮かべた。
「あの野郎、恋をしてまで、ワルをしやがったぜ! ちきしょうだぜ!」
何故か竜二は、「今日もアイツは、渡辺だぜ!」と清々しい笑顔で言った。そして、瞳から涙を流した。こいつも純粋な馬鹿であった。
「なに嬉しそうにしてんだよ、竜二」
竜二とは裏腹に、蓬田はその報告を聞いて、背中に汗をかいていた。
渡辺は本当にもう幼稚園には戻ってこないんじゃないか?
渡辺がいない幼稚園。
それはハンドルが無い車。エンジンが無い車、ガソリンが無い車、タイヤが無い車、鍵が無い車。車庫証明が無い車。車が無い車。地球が無い車。
「俺は渡辺抜きでこの組をまとめられるのだろうか?」
カリスマ渡辺がいないという現実の恐怖を感じていたのだ。
「蓬田」
呆然としているそこに髭男がやって来た。
「……平塚源蔵から、お前に電話だ」
「俺に?」
「なんか困ってるみたいだぞ」
髭男の話では、「渡辺を引き取ってくれ」と平塚から直々に連絡が来たのだという。
蓬田が園長室の受話器を取ると「もう、俺を許してくれ」とマッドセガール市警の四天王、直々に懇願された。
蓬田は一人で警察まで渡辺を引き取りに行くことになった。
「くれぐれも竜二には言うなよ。竜二が知ったら、平塚の命が危ない」
と、平塚の生存に気を使った蓬田は、竜二にバレないように裏口から幼稚園を出て警察署へと向かった。
警察の入り口の前に、ちょっと前まで「逮捕か? 釈放か?」の戦いをしていた筈の平塚源蔵が気まずそうに待っていた。
「悪いな……」
「いや」
蓬田も何を喋ればいいのやら。怒ろうにも、この男もある意味、渡辺の被害者なのだ。
「で、渡辺は?」
「そこで寝てる」
平塚がタバコで指差したパトカーの中で、渡辺は眠っていた。平塚曰く「タイに行く準備を完了させたところを麻酔銃で眠らせた」のだという。
本当にマタニティを着ている。甚平の上に。
いざ、リアルに見るととんでもない事をしようとしている男だった。ワルに関しては本気だから怖い。
よく見たら、駐車場のアスファルト、警察署の壁に、外れた弾丸の痕が百発近くあった。俺らのリーダー、この至近距離で相当かわしやがった。バケモンかよ。男根切るだけにどんだけマジになってんだよ。
「コイツには参ったよ。お前ら、毎日よく一緒にいるな」
「しばらく、渡辺から手を引くってことでいいのか?」
蓬田が聞くと、平塚は顔を背けた。
「あの晩の勝負は俺の圧倒的な勝ちだったけどな。でも、それから今日までの勝負はコイツの完勝だな。俺はコイツに根負けして、お前らを呼んじまってるんだから」
平塚はそう言って、タバコの煙を吐いた。警察の強敵をも渡辺は唸らせたのであった。
「こいつを捕まえたら警察が機能しなくなるし、なんで、こいつはこんなに人気なんだ?」
「俺にもわからん。ワルは生き様だと、渡辺はいつも言っていた」
蓬田の言葉に平塚は「?」という顔を一瞬して、「そうか」と笑った。「あとF1層にワルをしているのがいいらしい」と蓬田が付け足した。「それはどうでもいい」と平塚はその意見を捨てた。
「コイツなら、この街を変えられるかも知れねぇな」
「え?」
「みんなが幸せになる街、か」
平塚は、そう言って渡辺を我が子を見るような目で見た。
「……忘れんなよ。次会う時は敵同士だからな、あくまでも今日だけだ」
「うす」
平塚は吸っていたタバコを近くの灰皿に捨てて、署内に消えていった。
一人になった蓬田はパトカーのガラスの向こうにいる渡辺を見下ろした。ドアを開け、少し強めに渡辺をげんこつで叩いた。
「先生、起きろ」
渡辺はビクッと起きて、蓬田の顔を見て「お母さん」と呟いた。起きて最初に見たものをお母さんだと思い込む、渡辺の鳥のような習性である。
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