第54話 渡辺とタイ旅行

 釈放された筈の渡辺が見当たらない。園児達は、死に物狂いで街中を駆け回り、渡辺捜索を開始した。が、渡辺は何処にもいない。


「何処に行っちまったんだぜ、渡辺!」


 竜二は泣いた。泣き過ぎて、笑った。そして、三日経った今、竜二は教室に布団を敷いて寝ていた。「これは夢だぜ」と結論付けたのだ。これが現実逃避だ。


一方、竜二以外の現実を生きる面々は有力な情報を持ち寄って、この日、教室に再集結していた。

 粘土の時間、お絵かきの時間、お遊戯の時間を渡辺抜きで過ごし、放課後、リーダー蓬田が議長となり、それぞれが持ち寄って来た渡辺の情報を検討する事になった。


「あの玉男の証言によると渡辺さんは、平塚源蔵との『男と男』に負けたという事でした」


 その園児の情報に、蓬田を初め、園児達はざわつき始めた。解っていたとはいえ、改めて報告されるとショックを隠せなかった。渡辺と対等に戦える男など、チャックノリスかスティーブンセガールくらいしかいないと思っていたのに。世間は広い。


「て言うか、渡辺さんは何に負けたんですか?」


 園児の一人、斉藤がボソッと呟いた。その言葉に「そう言われれば、何だろう?」と皆が疑問を持ちざわつき始めた。何だろう? 何点差で負けたんだろう?

 それからちょっと色々議論があったが最終的に蓬田が「まぁ、何かに負けたって事にするぞ」と纏め、会議は再開した。


「他に何かあるか?」

「はい、蓬田さん!」


園児の一人が立ち上がった。


「その玉男の件ですが……」


 園児達は真面目な空気の中、突然「その玉男の件ですが……」と言われたもんだから「プッ」っと吹きだしてしまった。


「続けろ」


 蓬田が笑ったやつの頭を引っ叩いて再開した。


「先ほど、髭男に説教をされていたようです。『何で、渡辺と平塚を戦わせたんだ!』と」

「それで、玉男は!」

「玉男は、悪びれる様子も無く『だって見たかったんだもん!』と、ワガママなロサンゼルス女学院の三年生のように言って、プイッと顔を背けたそうです」


 蓬田も、この報告には「ロサンゼルス女学院……」とつぶやいた。有力な情報だ。


「それはアンジェラかね?」


 家長が業界用語みたいな質問をぶつけたが、「しらねぇっす」と即答された。アンジェラだったら何なのか?


 その後、街で調べてきた情報を園児達は一人づつ読み上げて行った。しかし、園児達の知る渡辺がよく行く店や施設での目撃情報は皆無であった。


「おい、これじゃ渡辺は見つからねぇぞ! 他にはないのか!」


 シーンという思い空気が教室に響いた。その沈黙した空気を持ち上げる様に、スッと上がった手が一つあった。


「よし! おま……え……」


 蓬田はその手の主を指名しようとしたところで、体が凍りついた。右手にメモを持ち、とても真面目に手を伸ばしている家長がいたのだ。

 渡辺が逮捕されて以来、家長は人が変わった様に真面目になった。毎日、幼稚園が終わると何処へも寄り道せず、「今夜はスケベを仕事にするか」と真っ直ぐ嫁の待つアパートへと帰り、公務員の様に真面目に女房のいる布団で優しさを持ち寄る日々であった。

 そして嫁との営みの内容を頼んでもないのに日報にまとめて、リーダーの蓬田のもとに提出しにくるのである。

 蓬田はこの嫌がらせで少し鬱なって、「早く渡辺帰って来てくれ」と普段は渡辺がこのエロの化け物の緩衝材の役割をはたしていたことがわかったのだ。


「い、家長……」

「はい」


家長は立ち上がった。教室内に不安が広がる。「あいつ、返事したぞ」と声がする。


「渡辺と俺しか知らない、風俗や変態クラブ、アフリカの儀式系の店での目撃情報もありませんでした……以上です」


 凄い報告であった。これを真顔で言ってのけた。真面目に仕事してるよ、この人。


「家長、ごくろうさん」


 蓬田は余計な事を言わない内に座らせようとしたが、家長はまだ立ったまま、蓬田の方を見ている。


「ど、どうかしたか?」

「スケベじゃないんだけど……」


 家長はそう一拍置いた。その一拍は教室に恐怖を生んだ。スケベじゃないなら、何をぶちまける気だ。スケベ以上ってなんだ?


「俺と渡辺が良く前を通ってた商店街のマタニティショップの人が渡辺を見たって」


 なに! 園児達が一斉に立ち上がった。


「それはいつだ!」

「一昨日だから、三日前だな」


 一昨日は二日前けど、それぐらい見逃してやろう。


「それで、渡辺は何を?」

「何でも自分のサイズのマタニティが欲しいって言って試着して、買って行ったんだって」


 園児達は騒然とした。変わった人だとは思っていたが、性の方向性だけはまともだと、誰もが最後の拠り所にしていたのに、渡辺のその行為は裏切りに近いモノだ。


「渡辺さん、そっちに目覚めたのかな?」

「家長、どういう事なんだ?」


 蓬田は渡辺のこの行動について、スケベ心理学の見地から、家長の意見を伺いたかった。家長は「うーん」と真顔で考えて「マタニティはエロじゃねぇだろ」と言った。

 確かに。なるほど、さすがスケベ博士。


「じゃあ、何で渡辺はマタニティを買ったんだ?」

「まぁ落ち着け、蓬田」


焦る蓬田を宥め、すごくナチュラルにイニシアチブをとった家長。


「いいか、スケベって言うのはもっと攻撃的なモノであって、こんなのスケベとは言わないんだ。解るか?」

「解らん」


 蓬田は皆の意見を代弁した。代弁したが、また下品だった。


「渡辺は『これお腹が膨らんでもきつくないですか?』って店員に聞いていたんだよ」

「それは……どういう事だ?」

「愛だよ、愛」


 家長はそう言い、腰を下ろした。恐るべきスケベ博士。男がマタニティを買った事を嗅ぎつけ、それを論理的口調で話しきった。


 愛。


渡辺は常々「俺と結婚式場が最も好きな言葉の一つだ」と夕日を見ながらよく言っていた。おそらく、どっかの洋画で聞いたジョークだろう。


「だが、それが何だって言うんだ?」


 蓬田も他の園児も、そこから先を繋げる理論のレールを持ち合わせていない。


「あ、あの……」


 すると、教室の後ろの方に座っていた園児が立ち上がった。


「どうした? 僕の理論に何か間違いでもありましたか?」


なぜか家長が敬語で仕切り始めた。なんで敬語なのかが解らなかった。


「あの、当たっているかどうか、解らないんですけど。今の家長さんの意見を聞いて……ちょっと気になった情報がありまして」

「何だ?」


と家長。蓬田は完全に遅れをとった。


「俺が友人から聞いた情報で、昨日、お昼のFMラジオでaikoの曲をリクエストしている渡辺さんらしきペンネームのメールが読まれたっていう」

「aiko、aikoだと!」


 家長はテーブルを叩き、立ち上がった。何かが家長の琴線に触れた。


「何だ、その渡辺さんらしいペンネームって言うのは?」


 蓬田の問いに、その園児は渡辺が使っていたペンネームを読み上げた。それは『オマ○○○○○○カスオマ○皇帝』という、名古屋のお昼のAMラジオくらいでしかお目に掛かれないクラスの下品で酷いペンネームであった。


「そんなペンネームで読まれたのか!」「お洒落で有名なマッドセガールFMだぞ!」「只者じゃねぇな!」「オマ○○が二回も出て来ただと!」「しかも、一回はダジャレに使ってるだと!」


 オマ○○という言葉を戒名の如く二回も使った渡辺のどぎついペンネームに園児達は度肝を抜かれた。


「いえ、お洒落なFMラジオではあまりにも酷すぎて、DJがそのペンネームを呼んでる間、バズーカー砲のモザイク音で名前の一部を隠していました」

「それがなぜ、渡辺だと言い切れるんだ? まだ七割だろ!」


 家長の「七割」の基準が全くわからないまま、話は進んでいく。


「どうも、その日の番組のお題が『ファーストキスの思い出』というモノで」


「うむ、おしゃれだ」「さすがマッドセガールFM」「恋愛の不沈艦なテーマだ」「リリアンやりたくなるぜ」とこのメールテーマには園児達も納得であった。


「で、そのメールに、蓬田さん達らしい人物が出て来るんです」


 何でもメールの内容は、ブックオフ金田との戦いの事がつづられており、その中で蓬田は『ムッツリ保護者面』、竜二は『一本グソヘアー二号(一号は爆死)』、家長は『我が親友』という名前で語られていたそうだ。


「……で?」


蓬田は怒りでコメカミに血管が浮き出ていたが、我慢して話を続けさせた。


「で、メールの最後に『ちょっと前から好きな人がいますが、私のファーストキスはその人にあげたかったです。ですが、お腹にはその人と私の愛の結晶がいます。これ幸いでござる』って文章でしめられていました」


 報告した園児は「以上です」と言って席に着いた。

「ござる。って何だよ」と渡辺のメールへの文句がアチコチから聞こえて来た。渡辺のユーモアは古かった。


「あの……」


 その発言を皮切りに、今まで発言せずに黙っていた園児達が次々に意見を言い出した。

 その後、出るわ出るわの渡辺、初々しい情報の数々。

youtubeに夕焼けの画像と「歳が離れていても、今、流れている時は一緒だよ」という何かのポエムを合成して、二〇再生しかなかったとか。

「それ、渡辺が自分で考えたポエムだぜ」と竜二が寝言で付け足した。


駅前で路上ライブしているアイドル志望の少女達が歌っていた歌詞が「どうも渡辺が書いたくさい」という情報などなど。


「出だしが『カルーセルは、男根を切腹しぃ……』って感じの語り部から入るんですが……」


「アイドルの路上ライブで、語り部から始まるのは珍しい」と、その園児は足を止めたのだという。

歌の出だしが『南米の鳥はぁ〜求愛の時に〜』というモノだったので、それが渡辺の歌詞だとスグに解ったのだという。で、その園児が「その歌詞どうした?」と尋ねると、少女たちのリーダーが「二日前に甚平の上にマタニティを着た半笑いのお兄さんに貰った」と答えたのだという。

 その後、旅行代理店で『二代目カルーセル麻紀襲名記念旅行三泊四日』のチケット(男根を山芋を摩り下ろす棍棒にしてくれるやつ)が売れたという情報が出た。買ったのは甚平の上にマタニティを着た半笑いの男だったと、一同はいよいよこのヤバさに気付いた。


「そのタイ行きの飛行機、明後日の便らしいです」

「アイツ、男根を斬る気だ!」


蓬田は飛び上がり、園児達は騒然となった。


「渡辺さんが切男だと!」「渡辺さんが女になるってのか!」「切った渡辺さんの男根は何て呼べば良いんだよ!」「『元渡辺さん』でいいんじぇねぇか?」


 園児達があらん思案を巡らす中、蓬田の指令が飛んだ!


「お前ら、大至急、渡辺を探せ! 渡辺を飛行機に乗せるな!」


 主人の息子の危機を察知した竜二が、布団から「とう!」と飛び起きた。


「この街にまだいる事は確かだぜ! 行くぜ、蓬田!」

「よし。死んでも、あいつをタイに行かせるな!」


 蓬田の指令に「うおおお!」と園児達は教室を後にした。で、残った蓬田、竜二、小林(まだいる)、家長の四人は、玉男に話を聞きに園長室へと向かった。

 園長室に行くと「玉男なら、公園にワルをしに行った」と髭男に言われ、四人はマッドセガール公園へと向かった。

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