第51話 渡辺とじゃない方
辺りはすっかり暗くなり、マッドセガール港の海上にも満月が浮かんでいる。
渡辺を乗せたオマルスクーターは埠頭の貸倉庫街の一角で停車した。
「それじゃ、渡辺さん! 頑張ってください!」
オマルスクーターを運転していた白バイ隊員は渡辺のファンらしく握手を求めて来た。
「何を?」
あんなに便意を我慢して、次に何を頑張ればいいのか? 今日はもういいだろ。
「とりあえず、色々と頑張ってください。僕、渡辺さんのファンなので応援してます!」
「何を?」
白バイはそれ以上何も言わず、渡辺だけを残して去っていった。こいつは俺の何を応援しているんだ。今日はもう応援されることはないだろ。一日二回はきつい。
さて……どこだここは?
辺りを見渡したが、初めて来る場所なので検討がつくはずがない。
「お前、警官どもに人気らしいな」
「八つぁん」
街灯が届かない薄暗い部分から平塚源蔵が歩いて来た。
「八つぁんがどうしてここに」
平塚は吸っていた煙草をアスファルトに捨て、革靴でもみ消した。刑事の流儀だ。
「お前を逮捕するんだよ」
渡辺の眉間に皺が寄った。今までの八つぁんとは雰囲気が違う。親が急にエロいことを話して来たときのような、大人の仲間入りをしたような雰囲気を渡辺は感じた。
「今までみてぇなお遊びじゃねぇ。本気でお前を捕まえんだよ」
平塚は海に向って、しゃがみ込んだ。
「この街は良い意味でも悪い意味でも無法地帯だ。芸術家、芸人、昔から何かを極めようと思う人間はこの街に集まってきた。何かを極めようってのこの街はうってつけだ。……なぁ、渡辺。お前は何の為にワルをやっているんだ?」
「さぁ」
「惚けるんじゃねぇよ。まぁ、いい。やっとお前をこの部屋に招待できるって訳だ」
八つぁんがそう言ってリモコンを操作すると、倉庫のシャッターが自動で上に上がり始めた。
渡辺は倉庫の中から飛び出してきた、歪んだ空気にゾクっとした。外の光が倉庫内に差し込むと、学ランを着せられ、ボロボロになった人形がいくつも重なり山になっていた。
「何だこれ?」
平塚は渡辺の質問など無視して、中に入って行った。
錆びた匂いがする倉庫の電気がバッと点くと、人形の山の真ん中に柔道場の様な畳があり、畳のあちこちに赤から黒に変色した部分が斑点のようにあった。
平塚が革靴と靴下を脱いで、畳にあがると、黒い斑点と平塚の足がピタッと一致した。
「ここはお前ら退学生を逮捕する為に造ったリングだ」
そう言った平塚の冷たい視線に刺され、体が硬くなった。今までの八つぁんとは雰囲気が確かに違う。
山積みにされている人形は皆、顔付近が真っ赤でボロボロにされている。それは畳の床にある赤いモノと同じ形をしていた。
「お前みてぇな雑魚に負けるなんて万に一つも無いが。負けられねぇからな」
平塚はそう言いながら口に口紅を塗って行った。何でだ? その威勢でなぜ女装に入る。渡辺には脈絡がわからない。人間の脈絡じゃない。女装をなめていた。
「俺みてぇな刑事は、世間に馴染めなかった犯罪者達の墓場みたいなもんだ。だからこの街に来る事を選んだ。正義だとかはもう忘れちまった。残ったのはアイツらへの歪んだ愛情ぐらいだ」
「それと俺、なんの関係がある?」
「復讐だ……お前ら、ワルへの復讐だよ。俺じゃねぇ、お前らとは違い、世間に疎ましくされて犯罪に走るしか無かった奴らの」
「八つぁんは、ワルを勘違いしている」
「勘違いしてるのはお前だ。芸術だか感動だか知らねぇが、お前らの陰でどれだけの不幸を見てきたと思ってんだ。悪なんざ、消え去るべきなんだよ」
壁に映った平塚の影が渡辺を見つめていた。それはもう平塚一人の影ではなかった。黒い壁にへばりついた黒い憎しみが幾重にも重なった影だった。
「上がれ、渡辺」
このシリアスな状況で八つぁんは完璧な女装を完成させた。顔だけ。
顔は気持ち悪い女装の女。それ以外はスーツのオッサン。人魚とか鵺とかケンタウルスとか、過去に生物の良いところ取りした生き物はいた、人間のダメなところが合わさった物体がなんか言っている。
そんなお笑い芸人の「じゃない方」がコンビを組んだみたいな八つぁんに誘われて、渡辺は畳に上がった。
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