第49話 渡辺と魔王の復活
渡辺は「かくなる上は」と頭の中で祭りを開く事にした。
渡辺祭りだ。
渡辺の脳内に住む古代人達は、突然の腹痛は神の怒りによって起こるものだと信じていた。渡辺の宝物、松井秀喜のサインボールに火を放ち、燃え盛る炎を囲んで槍を持った古代人が踊りながら周る。
それを想像したら、少しだけ便意が和らいだ気がした。
「ちょっと楽になった」
「ホントか?」
「うん、祭りのおかげで」
その言葉の意味が解らず、蓬田は小首を傾げたが、収まったならそれでいい。
「よし、今のうちに幼稚園まで歩くぞ」
渡辺のお腹の調子が良いうちに、距離を稼ぐのだ。
腹痛、所詮は一時の動揺が生んだ、犬に噛まれたようなモノだったのかもしれないと渡辺は思った。
駅前の商店街を抜け、マッドセガール大通りの交差点に出た渡辺達。
「みかん組の奴らが今、使えそうなトイレが無いか探しているからな」
蓬田の言葉を渡辺はフッと笑い、受け流した。「俺にはもうそんなモノ必要ない」とでも言いたげな腹痛を馬鹿にした態度である。
すでに渡辺祭りによって、腹痛は敗北したとも知らずに、馬鹿な手下どもだ。そんな善意で動いてくれている手下を馬鹿にした渡辺。悪い奴である。
十分後。
「唾液が甘い……」
渡辺は一歩でも前に進めば、尻からウンコの波が吹きだしそうになり、ベンチに座らせられていた。魔王の復活は早かった。
「渡辺! しっかりしろ!」
「もう、駄目……」
動けば爆発する核弾頭と化した渡辺。
と、その時、蓬田の携帯が鳴った。トイレを探していた手下からであった。
「蓬田さん! 一個だけ空いている便所を見つけました!」
「洋式か?」
「はい」
蓬田が頷いたのを見て、竜二と小林がガッツポーズ。勝機が見えてきた。
「で、どこだ?」
「あの、マッドセガール坂を登りきったところに工事してる家があって。その個室トイレっす!」
マッドセガール坂だと……蓬田は今にも死にそうな渡辺を見た。
マッドセガール坂、別名『食い逃げ破りの坂』である。
マッドセガール駅前で食い逃げをはたらいたワルは、このマッドセガール坂の急勾配と長い坂道のせいで心臓よりも先に、食ったばかりの飯が消化不良を起こし、お腹がイタイイタイになるのである。
渡辺も竜二も蓬田も、まだ駆け出しのワルだった頃にこの坂に挑戦し、見事、お腹を痛めてお金を払わされたのであった。
「ここで、マッドセガール坂とか、最悪だぜ……」
竜二も絶句した。
「だが、警察も施設じゃねぇ便所は予想外だったってことだ。やるしかねぇ」
蓬田は手下を全員、一回呼び戻し、アンコールワットよろしく、マッドセガール坂の頂上まで小石一つ無いように道を作った。渡辺のトイレまでの道は完成した。
「渡辺、行くぞ!」
渡辺は巨大ロボットの如く、ユックリと立ち上がり、そしてアームストロング船長並みに大きな一歩を踏み出し、五センチ前進した。その瞬間、周りの手下達から拍手喝さいが湧いた。
二時間が過ぎた。
渡辺は周りの応援のおかげもあり、五十メートル歩くことに成功し、いよいよマッドセガール坂の麓へとやってきた。辺りは既に暗くなっていた。
「渡辺、ゆっくり自分のペースで!」
「渡辺なら行けるぜ!」
「渡辺さん、自分を信じて! そして愛して!」
小林の応援は、心なしか渡辺に力を与えた。
「僕も、人を殴るのを我慢できたんです! 渡辺さんもできますよ! 自分を信じるんです」
この逆境でいささか弱気になっていた渡辺は大切な事を忘れていた。「俺は漏れない!」と信じる心こそが腹痛に打ち勝つ唯一の方法なのだということを。
究極のナルシストである小林は渡辺にその事を教えてくれた。自分を信じる。世界で一番自分しか信じていない男からの言葉。とても説得力があった。
「漏れない、漏れない、漏れない……」
渡辺は、そう自分に言い聞かせながら前に進んだ。
「おお! 小林のエールで渡辺が自信を取り戻したぜ!」
蓬田、竜二、そして手下の園児達はその場を小林に任せてみる事にした。
「渡辺さん、もっと自分をペロペロする感じで!」
渡辺は小林に言われた通りにイメージトレーニングをする事で、渡辺はもう一人の渡辺をペロペロして、どんどん自分への自信を回復させていった。そして、腹痛なんかに負けない強い渡辺像を手に入れたのだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
青白い肌のまま、ゾンビの様な渡辺はみるみる前進を始めた。腹痛なんかに負けてたまるか! 小林のエールによって渡辺はヤル気を取り戻したのだ。肛門よ、お前は俺の奴隷だ!
「おぉ! 小林の励ましで渡辺が復活したぜ!」
園児達の渡辺コールの中、前へ進む。そして、渡辺コールは次第に「あんよが上手」コールへと変わっていった。
「あんよがじょーず! あんよがじょーず! あんよがじょーず!」
園児達と小林に先導され、渡辺がマッドセガール坂を登っていく。そして「あんよがじょーず」コールは次第に通行人達も巻き込み始めた。
ただのナルシストだと思われていた小林の活躍。
しかし、裏を返せば小林ほど、自分に自信を持っている人間はいない。小林の異常なナルシストは渡辺に根拠のない自信を与えたのだ。
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