第47話 渡辺とフランス革命

 電車から降りた渡辺達は、階段を下りて改札へと消えて行った。平塚は追わずホームの喫煙所でタバコを吸い出した。


「こんな余裕してていいのですか、警部?」

「花井警部がちゃんと見てるよ」

「でも、渡辺を捕まえる隙はやはり見当たりませんが」

「俺ら一流の警官と、お前ら二流以下の警官の違いは何だと思う?」

「わかりません。なんでありますか?」

「必殺技があるかどうかだ」

「必殺技?」

「この場合、得意技って意味じゃない。文字通りの意味。必ずどんな奴でも逮捕できる技があるかどうかだな」

「なっ! それじゃあ……」


 平塚はタバコを灰皿に押し付けて歩き出した。

 

「そろそろ、花井警部が仕掛けたモノが効き出す頃合いだ」

「え? 何を?」

「まぁ、見てな。渡辺は必ず逮捕する」


 平塚はニヤッと笑った。



 駅の外に出ると、花井警部は己の垂れ乳を結び、そこに座っていた。

これは花井警部と数名の選ばれたお婆さんにしかできない高等技術である。腰を下ろした体重を胸筋の力で引っ張る事によって、垂れた乳を椅子にする事が出来るのだ。聞くと、胸筋をもっと鍛えると体は浮かび上がり、理論上は宙に浮く事も可能である。


「スゲェ、これが必殺技か!」


 警官らは、花井警部のポテンシャルの高さに呆気にとられた。


「それじゃあ、アタシは」


 と花井警部は胸筋に力を入れて、本当に垂れ乳に座ったまま空を飛んで行った。米寿間近、花井警部、焦らすタイプ。飛ぶときは「げそげそげそ」という音がした。


 マッドセガール市警には例外を除けば、大きく分けて二種類の警官がいる。最初のタイプは、渡辺の『泣けるワル』を見て感動していた警官の様なタイプだ。

 マッドセガール工業幼稚園が排出するスター犯罪者達に憧れ「俺達がいつか捕まえてやる!」と夢見て警察学校の門をたたく。渡辺をライバル視しているが、渡辺は自分で捕まえなくてはという恋に近い憧れを抱いている。

 渡辺は園児時代(読者モデルの様な時代)から『泣けるワル』など、華のあるワルで警察や市民の注目を集めていた。退学生となり「やっと渡辺を逮捕できる」とウキウキしている警官は多い。署長がチラシ寿司を作るほどだ。

 しかし、平塚源蔵は違う。「ただ犯罪が許せない」というタイプの警察官だ。数字としてみれば、明らかに優秀なのかこちらのタイプである。しかし、時にその正義感が仇となる事もある。そして、そう言うタイプは渡辺の様な犯罪者を心の底から憎んでいるのだ。


 だから、逮捕の仕方もたまにエグい。

 現在のマッドセガール市の警察優位の状況で、市民が生きづらくなっている原因は、平塚らのそう言ったタイプが猛威を奮っているからである。


 駅の改札を抜け、蓬田は髭男からの携帯を切った。


「……と、恐らく幼稚園までの道のりは警官達で溢れているから、やっぱり幼稚園まではワル禁止だとよ。これは命令だとさ。竜二、俺達もケンカ売られても逃げるぞ」

「解ったぜ!」


 その時、通りすがりの男が小林の体にぶつかった。それを皮切りに、行き交う人々が次々に小林の体に触れていく。


「僕に触るんじゃなぁぁぁ……」

「竜二!」


 蓬田と竜二が小林を羽交い締めして殴るのを止めさせる。


「小林、殴ったら、渡辺も逮捕されちまうんだぜ!」


 それを聞いて、小林は「はっ!」とピクピクと震える拳を、歯を食いしばりながら押さえ込んだ。


「……竜ちゃん。僕を殴らないように紐で縛ってくれ」

「?」

「このままじゃ、僕のせいで渡辺さんが逮捕されてしまう。竜ちゃんにも渡辺さんにも迷惑をかけたく無い」

「小林……お前ってやつは、泣かせるぜ!」

「よし、竜二、紐だ」


 竜二は涙を拭い、リーゼントから紐を取り出した。


「縛るのは、ワシに任せてくれ」


 ここぞとばかりに、家長が前に出てきた。はぁはぁはぁ。

グルグル巻きにされた小林、これでどんなに触られても殴れない。

 渡辺は家長の縛りの速さに冷や汗が出た。すげぇ!

そして次の瞬間、突然、渡辺の腹に稲妻が走った。


「きえええええ!」


 渡辺の雄叫びに、人々が振り返る。

「渡辺? どうした? 汗がすごいぜ」


 竜二の声が遠くに聞こえた。唾液が甘い。これはケツの中で革命が起きている甘さだ。マズイ。


「渡辺、どうかしたか?」

「……お腹が痛い」

「なっ!」「ぜっ!」


 その言葉に、蓬田と竜二は絶句した。あのワルに敏感な渡辺が「お腹の調子がワルい」と言わず「痛い」と表現した事に、余裕の無さが見て取れたのだ。普段は、こういう処も貪欲にワルにしてくる渡辺にあって。


「渡辺、フランス革命に例えると、どの辺だ?」


 渡辺達は昔、大きなワルをする際、一日がかりになる事もあった。その時に一番の問題はトイレ事情だ。二十人いれば、二十通りの便意がある。二十通りの便意でもゴールは同じ便器なのだ。ワルで手を離せないときに便意に泣かれるのは困ると、渡辺達は当時いた歴史に詳しい園児からフランス革命を勉強し、反乱する尿や便を革命軍に置き換えたのだ。


「ル、ルイ十六世が処刑された……」


 渡辺の表現は、すでに肛門の指揮権は市民達にとってかわられ制御不能になっている事を意味していた。


 竜二と蓬田は辺りを見渡した。便器などない。便器などない。


 便器などない。


「何で今まで我慢してたんだ!」

「ごめんなさい……お尻が無防備でゴメンなさい」


 蓬田にきつく言われて、精神から弱っていた渡辺は泣き出してしまった。

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