第36話 渡辺と愛の求道者


 日も傾いてきたところで気を失っていた小林が目を覚ました。


「よし、起きたぜ。小林、渡辺に謝れぜ!」


 起き抜けの男に容赦の欠片も無い竜二がそこにいた。小林の胸ぐらを掴み、力尽くで起き上がらせる。


「え? 何ですか、これ?」


 突然、気を失った小林には、状況が掴めず部屋を見渡した。すると、窓際で全身をプルプル震わせながら、偉そうに踏ん反り返っている渡辺の姿が目に入って来た。


「うわぁ! 何してるんですか、あの人!」

「何ってお前の謝罪待ちだぜ。なぁ、渡辺(仮)!」

「は、はい!」


 返事のいい渡辺の声はプルプルと震えていた。

 竜二の指示で、いつ小林が起きても謝れるようにと、渡辺は一時間前から踏ん反り返った状態で窓際にスタンバイさせられていたのだ。

渡辺が渡辺の名を守る為とはいえ、足は痺れるは、ケツに窓枠のレールが食い込んで痛いはで、渡辺の顔は「既に限界です」と小林に目で助けを求めた。「お願いだから、謝ってください」という目で小林を見た。


「す、すいませんでした」


 小林は、そんな目を見て「渡辺も被害者なんだ」と悟り、己を殺して謝った。

 マッドセガール工業幼稚園みかん組には、絶対に守らなくてはならない鉄の掟があった。

『竜二の前で、渡辺を侮辱するな』

渡辺も地雷を踏まないように、普段から割と気を使っていたのであった。一度ふざけて「いや、竜二さんが思ってるような男じゃないっすから、俺は」と口にした途端、

「テメェ、本人の分際で渡辺を馬鹿にするな! 自覚ねぇのか、こるぁ!」


 と髭男が園長室から飛んで来て、止めに入る騒動を起こした事もあった。

あまりの竜二の恐怖に、幼稚園の庭にいたノラ猫数匹が生命の危機を察し、大自然の生命保存の法則を発動させ、交尾を始めたほどである。そんな猫達は今じゃ、子猫ちゃん達のお母さんである。


「ふぅ、これで一件落着だぜ、なっ渡辺!」


 普段の竜二に戻って、渡辺にニコッとした。「怖いよ、お前」と渡辺は思った。


「……愛だ」

「は?」


 渡辺達は小林の声に振り返った。


「今のはまさしく愛だ!」


 小林は竜二の両手を掴んで、目をエレクトリカルスパーキングで輝かせ、顔をミジンコのお尻くらいに近付けた。


「アナタの渡辺さんに対する思い、まさしく愛だ! この世で僕しか持っていないと思っていた真実の愛がもう一つあったなんて!」

「え? 俺の何がぜ?」

「是非、今晩、アナタと愛について語り合いたいのですが! 宜しいでしょうか!」

「よ、よろしくねぇぜ! 俺はこれから渡辺と幼稚園に帰って」

「いえいえ! 小林!」


蓬田が遮って、間に入った。


「是非、愛について話し合ってください。俺と渡辺は今日は帰るから、竜二と二人っきりで」

「ちょっと、何言ってるんだよ! 俺はこんな奴と二人きりなんて、嫌だぜ!」


 追いすがってくる竜二を、渡辺が「電子レンジ!」と叫んで振りほどき、蓬田と部屋を後にした。

薄いドアの向こうから竜二の「あーっ!」と言う声がしたが聞かなかったことにした。あーっ!

渡辺と蓬田は、小林に愛で共鳴する友人を提供したのだった。


帰り道、渡辺と蓬田は一言も口を聞かなかった。

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