第33話 渡辺と木魚

 その後、小林に頭を下げて、なんとか頼み込み、「服の袖を摘むだけなら、構わん」と許可を得て、逃げないように捕まえておくことを可能にした。

 警察署を出ると、一台のパトカーの中から覆面を付けたジャージ姿の男が出て来た。それを見た瞬間、渡辺は目を逸らし、気付かれないように速足でその場を立ち去ろうとした。


「おい! 渡辺、待てよ! そんな急ぐなぜ!」


 竜二の馬鹿野郎。その声に覆面男がこっちに気づいた。


「おぉ! 渡辺じゃないか!」


 渡辺は知らん顔で前進を続けた。


「おい! 何で無視するんじゃ! お前はワシの弟子みたいなもんだろ! おい!」


「誰がだよ!」と怒りたいのを我慢し、渡辺は絶対に振り向かない覚悟で前に進んだ。なんかの妖怪から逃げる方法のようだ。


「おい、渡辺! ワシじゃ、玉男じゃ、忘れたのか、おい!」


警官に引っ張られた玉男の声は段々と小さくなり、警察署の中へ消えて行った。覚えているから振り向かないのだから、複雑だ。


「知り合いか、渡辺?」


 蓬田に聞かれたが、「さぁ」と返事した。全く、世の中、変な奴ばかりだ。


「僕をどうする気だ? 僕は疲れているんだ! 早く家に帰してくれないか!」


 元気が出てきた小林は、さっきから駄々ばかり捏ねる。


「疲れてても、少し我慢しろ。こっちにも事情があるんだ」

「別に僕が疲れているわけじゃない! 僕が疲れてるから、言ってるんだ!」


 ああ、イライラする。

 理屈っぽい蓬田にとって、小林は水と油だった。


 とりあえず、髭男の元に連れて行くのがスジだろうという事で、渡辺達は幼稚園に戻る事にした。

 帰りの道中。

渡辺は「人づてに触ったらどうなるんだろう?」と気になった。

興味を持ったら、基本実験するタイプの渡辺は、竜二の手を無理やり掴み「おい! 渡辺、止めろぜ! おい!」と嫌がる竜二の手を無理やり、小林に触れさせた。


「ぎゃああああ!」


 案の定、我を忘れ悲鳴をあげた小林の拳が顔面に直撃した。渡辺に。

渡辺は「なんで?」と思いながら地面に吹っ飛び、頬を抑えた。竜二は無傷だった。それを見た蓬田は「この世界に神はいるのかもしれない」と思った。


 髭男はどこかに出掛けていた。

渡辺と幼稚園で待っていた家長は、この隙に園長室の中をいろいろ調べる事にした。


「部下たるもの、自分を命令する上司を監視する使命があるからな」


と、渡辺と家長は嬉しそうに髭男の机の周りを漁って行く。髭男の座っている机の引き出しの一番上の鍵がかかっている処に注目した。そこには「あけるな!」と書かれていた。こう言われて開けなければ、逆に失礼にあたるだろう。と、二人は引き出しを無理矢理こじ開ける事にした。


「髭男のベストお経集『スケベは静電気を越えて、ピップエロキバン!』」


そう書かれた半裸で股間を木魚で隠した、若かりし頃の髭男が映ったレコードジャケットが出て来た。あおり文に『七〇年代。フォークソングに酔い狂った毛深い男が、ロドリゲスの静電気でダメになっていく』と赤い文字で書かれ、レコード会社らしい人からポストイットで「木魚が近すぎるので撮りなおしたい」という連絡が張り付けられていた。

一体、どこにニーズにあるCDなのか解らないが、とんでもないモノを見てしまった事には変わりなかった。

 

 部屋はしばらく無言になった。


「おぉ、戻っていたか!」


 ドキッ! 

髭男が入って来た瞬間、渡辺と家長は動揺を隠せないままにCDを引き出しに戻した。人間には色々あるという事だけが解っただけでも、良い経験だった。しかし、その経験を得た代償はあまりにも大きすぎた。


「何をやっとるんだ、渡辺と家長?」


 髭男に聞かれた二人は無言で蓬田達の向かいのソファに腰掛けた。


「小林は?」


そう聞いた髭男の右手が渡辺達が漁っていた引き出しに伸びる。一瞬「?」と言う仕草を見せたが、ちゃんと家長が瞬時に鍵を閉めていたので助かった。


「今はみかん組に待機させている」


蓬田が答える。


「そうか、ご苦労だった」髭男はそう言って渡辺を見た。


「渡辺。今、退学生委員会の会議に出席して来た」


 退学生委員会とは、渡辺を初めとするマッドセガール工業幼稚園の退学生で構成された委員会である。そこではワルモンの出現予測や、凶悪ワルモンの対策が練られる場所であり、ワルの巣窟中の巣窟でもあるそうだ。


「まずは、渡辺がデビュー戦のブックオフ金田を倒した事を報告して来た」


 おぉ! 渡辺は身を乗り出して「ヒップエロキバン!」と叫んだ。

 それを聞いた瞬間に「やっぱり開けやがったな、テメェ!」と髭男が怒鳴り出した。さっきのお経のジャケットに書かれてた言葉だ。


「言っておくが、ブックオフ金田はワルモンの中でも最低ランクだ。本当に強敵のワルモンはあんなハッキリとオーラを出していないし、弱くも無い。強敵程、一般人と見分けがつかんからな、日々、精進を忘れるなよ」

「うるせー」


 渡辺は嬉しくて悪態をついた。


「まぁ、それでも初めての仕事でワルモンを退治した事は、委員会も評価していた。渡辺に今後も仕事を任せよう、と言う事で話は落ち着いたぞい」


 渡辺はとりあえず褒められたので「やったぁ!」と両手を上げて喜んだ。


「もう一つは渡辺、お前にマイスィートハニー小林の性格改善を命じる事になった」

「はぁ? ナメんなよ! 何であんな野郎のお守をしなければならんのだ?」

「ワルモンの更生は退学生の重大な仕事の一つだ」


 髭男はそう言って蓬田と竜二を見た。


「お前達の渡辺サポートの許可も取ってきた。よろしく頼むぞい」

「更生と言うのは、具体的に何するんだ?」

「決まっているだろ、アイツが事件を起こさないようにするんだ」

「そもそも、アイツは何をして捕まったんだ?」

「アイツは自分の下着を盗もうとして、自宅のベランダに忍び込んだんだよ。そこを逮捕されたんだ」

 ええっ! ド変態! ナルシスト! ていうか……えぇ! ただの帰宅!

 渡辺は、心のど真ん中をドリルで突き刺された。朝に考えた「エコなワル」はすでにマイスィートハニー小林によって実践されていたのだ。しかも……自分が尊敬するワルの先人ではなく、あんな糞変態によって。これがワルモンの実力。


 ちびったぜ。ちびったぜ、小林。


「おむつが何枚あっても追いつかねぇぜよ」と思う渡辺であった。


「小林が警察のお世話にならんようにしろよ。警察も今まではこんな事で逮捕なんてしなかったんだがなぁ」

「やっぱり、警察の取締りは厳しくなっているのか?」

「その通りだ」


 髭男はそう言って、渡辺だけを残し、ほかの三人を部屋の外に出した。


 蓬田達は園長室の外で渡辺を待つことにした。

中から怒鳴り声が何度も響いた数分後、渡辺は半泣きになって部屋から出て来た。「大人の性欲は怖いよ」と愚痴を溢したという。中で何があったのか。

渡辺はその後、思い出したように髭男の部屋のドアをまた開け「髭野郎。そういえば、玉男が捕まってました!」と中の髭男に報告した。


「罪状は?」

「痴漢っす」

「アイツはホカッとけ」


突き放した言葉が帰って来た。玉男のポジションがイマイチ解らない渡辺であった。

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