第32話 渡辺と愛の理屈
警察内には詳しい渡辺は『牢屋課』に向かい、牢屋野郎達からマイスィートハニーを引き取った。署内の無線に「玉男と名乗る覆面の老人がマッドセガール駅で痴漢を働いた」と入電が入った。渡辺は知り合いだと悟られないように聞かなかった事にした。
「申し訳ありません、僕の為に……」
俯いたマイスィートハニー小林は、気の弱そうな男だ。ガリガリで顔も青白い。
渡辺は小林の金髪の髪の毛に興味を持った。
「アメリカ人?」
「いえ、違います」
「じゃあ、金髪触らせて」
渡辺は、興味本位でちょっと髪の毛に触れてみた。蓬田は「じゃあ」の意味がわからないと思った。が、
「僕の髪に触るなぁあああああ!」
突然、渡辺の顔に小林の平手打ちが飛んできた。渡辺は不意を突かれて避けきれずに吹き飛ばされ、警察署の床に倒れた。
「え?」と、突然、殴られ呆然とする渡辺、そして蓬田と竜二。
小林の呼吸は荒く、四月の種馬みたいな目で渡辺を睨みつけている。これはマジギレだ。「僕の髪の毛に触った。僕の髪の毛に触った!」とずっと呻いている。
なんだ、なんだ? と騒ぎを聞きつけた警官や市民が、こっちを見に来た。
警察の中で、揉め事は良くない。しかも、今回が極秘任務。蓬田は瞬時にその場を収める事が優先だと察知した。
「渡辺、謝れ」
「えっ?」
蓬田のまさかの言葉に、殴られた男、渡辺は耳を疑った。
「なんで?」
「そうしないと、コイツの怒りが収まりそうに無い。謝れ」
小林さんは未だに髪の毛をかき上げてお怒りの様子である。
「何をそんなに怒ってるんだぜ、コイツ?」
「ナルシストなんじゃねぇぁ? 他人に髪を触られるのが嫌なんだろ」
「僕はナルシストじゃない!」
小林は突然、会話に参加して来た。
「僕は、好きなんだ!」
小林のカミングアウトに、蓬田と竜二は顔を見合わせ「何が?」とハモって尋ねた。
「そ、それは……」
小林は頬を赤らめ、俯いてしまった。「面倒くさい奴が現れた」と蓬田は思った。
が、ここで渡辺が「好き」と言う言葉を聞きつけ、立ち上がってきた。恋には五月蝿い、ポエム癖の男の乱入だ。
「おい、詳しく聞かせてくれ。誰が好きなんだ、お前」
渡辺が興味津々に聞くと、小林は目を逸らした。そんな小林をドキドキしながら見ている渡辺。
「ぼ、僕が好きなのは……」
小林は、ついに重い口を開いた。
ドキドキ。
渡辺の心臓が、破裂しそうな程、高鳴った。誰だ、誰が好きなんだ、コイツ?
俺か?
「お前は何を期待してるんだよ」
蓬田に怒られた。
「僕が好きなのは……僕です!」
小林は「きゃっ! 言っちゃった!」と顔を真っ赤にしてその場でクネクネ、ナメクジ音頭をはじめた。
「だから、ナルシストだぜ? お前」
「ちがぁぁう! ナルシストは自分自身なんか愛していない。アイツ等は自分自身を性欲処理の道具ぐらいにしか思ってないんだよ!」
「ほぅ」
渡辺は「これは興味深い」とひざを叩いた。ポエム主義者として、この論文は是非、拝聴したい。そして今後のポエムに生かしたい。
「例えばだ!」
小林は急に饒舌になって来た。身振り手振りも大きくなっていく。
「例えば、何でしょう?」
渡辺はいつの間にか、小林の生徒になっていた。例えばだ、いただきました。
「もし、僕が崖から落ちそうになっていたとする。そこに僕がやって来る!」
ええ? 蓬田と竜二が苦い顔をする。面倒クセェ……。
「お前はもう崖に落ちかけてるんだろ……」
「たぁ、トゥー、エバー! だって言ってるだろ! 想像力ゼロか!」
小林は地団太を踏み出した。警察署の入り口付近でやってていいのかこんな事を。蓬田は周囲を警戒した。早く帰りたい。
「で、崖から落ちそうな僕を助けようと、僕は手を差し伸べるんだ」
小林は話を続けた。
「だが、所詮僕の非力な腕力では僕一人を引き上げる事は出来ない! そんな時、どうする!」
小林は渡辺を指差した。
突然、刺され「え? 心理テスト?」という顔で蓬田と竜二をキョロキョロみる渡辺。
「どうするの?」
渡辺は聞いた。
「知るか」と蓬田。「解んねぇぜ」と竜二。
「そう、答えなんか無い。ファック! しかし、後悔しない選択は確かにあるんだよ!」
うぅむ。
渡辺は予想外の話の展開に唸った。聞かせるねぇ。
「ナルシストは崖から手を放す。アイツ等は所詮、自分がカワイイ。自分が大好きなだけだ! 自分が良ければ、それで良いんだ! だから、自分だけ助かりたいから、手を離して自分を見捨てる。だがな、僕は違う。僕は僕を愛している」
「ど、どうするんですか?」
渡辺は身を乗り出した。はぁはぁと呼吸は荒くなる渡辺。どうする? どうするんだ、こやつは?
「よくぞ聞いてくれた」と言う顔をする小林。その時、小林の腕時計のタイマーがなった。
「おっと。その前に、ちょっと待て。キスの時間だ」
小林はそう言って、ポケットから鏡を取り出し、鏡の自分にキスをした。蓬田と竜二はその行為を見て、「うわぁ」と本物の人を見たときの引いたリアクションを見せた。渡辺は小林のそれを見て、バイト先の店長を思い出してしまった。店長は元気だろうか?
「それで、だ」
小林は鏡をしまって、話にまた帰ってきた。マグロの漁師の様に、どんなに遠くへ行っても、ちゃんと帰ってきてくれる小林のトークに渡辺は安心感を感じた。
「で、どうするんですか? 小林さん、アナタは!」
いつの間にか、さん付けで小林を読んでいた渡辺だった。
「僕は、助けるよ……崖から落ちそうな、僕を」
「でも、そんな事をしたら、崖の上にいる小林さんが……」
「確かに、上にいる僕も一緒に崖から落ちてしまう。理屈で言ったら非効率な行動だ。でも、僕は僕を助ける。たとえ、落下しても僕が下敷きになる事で、僕を守り抜くんだ……そりゃ痛いし、怖いよ……でもさ、僕の命には代えられないじゃない? 僕が死んでも、僕が生き残れば、それで良いんだ」
小林はそう言い、窓の外のシカゴの方角を眺めて、涙を流した。
「この自分自身への気持ちに何て名前を付けたらいいのか、僕も長年苦しんできた。でも、今は堂々と言える。これは、愛だと」
「愛……」
それは渡辺の最も好きな言葉の一つであった。愛。それさえあれば何でもできる。それが人間だ。
「素晴らしい」
渡辺は小林の熱弁に感動した。何言っているのかは解らなかったが。渡辺は小林に感銘を受けた事を伝え、握手を求めた。
「触るなぁぁぁぁぁ!」
手を握った瞬間、また小林に平手打ちをされてしまった。
「お前は馬鹿か! 何を聞いていたんだ、今まで!」
「す、すいませぇん!」
小林は鬼気迫る顔で渡辺を見下ろして罵倒し続けた。鬼だ。
「僕に触っていいのは、僕だけだ!」
渡辺は訳も分からず、とにかく謝った。スイマセン、スイマセン、スイマセン。
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