第31話 渡辺と憧れの男
そんな自分が狙われているとは知らない渡辺は、髭男から呼び出されていた。
「ちょっと渡辺にお使いを頼みたいんだ」
ほぅ。
園長室でそう言われ「そう傾くか」と渡辺は思った。
正直、前回のブックオフ金田戦で苦戦を強いられた渡辺は、「正直、ワルモン退治は暫く面倒くさいなぁ」と思い、ここ最近は「自分の納得する敵としか戦いたくない」とか、体裁を気にするボクサーのようにイチャモンをつけては、ワルモン退治を全て断っていたのであった。
が、今回は退治では無く、お使いだという。これならば、戦わなくて済みそうだ。「やったー!」と内心、気を抜いている渡辺に髭男は仕事の内容を説明して行く。
髭男から説明を聞き終え、渡辺はみかん組の教室に戻った。教室内で手下たちが渡辺の仕事をサポートする気満々で待ち受けていた。
「で、渡辺、今回の仕事はなんだぜ?」
竜二がすでに乗り気だ。
「そうだ」
渡辺は竜二の質問に、意味不明に「そうだ」と頷いて教壇へと歩いた。なにが「そうだ」なのかさっぱりわからなかった。
この時、問題が一つ生じた事に渡辺は気付いたのだ。「ワルモン退治じゃない」と喜んでいて、肝心の髭男が話していた依頼の内容を聞くのを忘れていたのだ。
「何してるんだよ! もう一度、園長に聞いて来いよ!」
「いや蓬田、もう一度行くのはエネルギーの無駄だ」
渡辺はエコを考えて、ここはあえて聞きに行かないと言う選択を取る事にした。どうやって仕事する気なのか?
結局、呆れた蓬田が園長室に向かい、内容を聞いて来てくれた。「これぞエコだ」と渡辺は心の中で思った。
内容は、つい先日、一人のワルモンが警察に捕まってしまったので、引き取りに行ってほしいというモノであった。
「で、男の名前はマイスィートハニー小林って奴らしい」
蓬田は髭男から聞いて来た事を渡辺達に伝えて行く。二度手間だ。
「髭男、何か言ってた?」と渡辺が尋ねる。
「渡辺が何を考えてるか解らないって、頭を抱えて困ってたぞ」
渡辺は『困った肉団子さん』と髭男を命名した。髭男の髭が、美味しいタレに見えてしょうがなかったのだという。渡辺も複雑なお年頃なのだ。
蓬田によると、このマイスィートハニーと言う野郎は、素人ワルモンとして放置されていたが、最近『前座ワルモンに上げようか』と退学生委員会で議題に上がっていた矢先に、警察に捕まってしまったのだそうだ。
渡辺は「そんな組織があるのか」と退学生委員会が何処にあるのかが気になった。「そのうち、バーベキューとかするのかな?」とレクレーションにも興味がある渡辺だ。
「で、蓬田、ソイツは今どこにいるんだぜ?」
ヤル気は一番ある、竜二が尋ねた。
「マッドセガール市警で身柄を拘束されてるんだと」
「よし、行くぞ!」
善は急げだ!
渡辺、蓬田、竜二、家長の四人で小林を迎えに行く事にした。が、「ワルの帝王が、善を急いでどうする!」と渡辺はノリ突っ込みを入れ「ここはワルとしてユックリ行くぞ!」と怒鳴り散らした。
この一連の動きがとても自然で面白く、「渡辺さんは、ユーモアだなぁ」と園児達は、出て行く渡辺を温かい目で見守っていたのだという。優しい部下である。
外に出て五十メートルくらい歩いた所で家長が「疲れた」といい、幼稚園に逆戻りして行った。「どうやって毎日、通学しているのか?」と渡辺は不思議に思いながら、家長のまた太った後姿を眺めた。五十メートル走、何秒なんだろう?
マッドセガール市警。そこは渡辺にとって、第二の家の様な場所だ。「あ、第三だ」と幼稚園があった事を思い出した。
渡辺が園児だった頃は、捕まっては警察署内で一晩を過ごし、幼稚園に登校したものだった。一度、留置場で破水したババァの出産に立ち会い、感動のあまり署長と抱き合った事も懐かしい思ひでである。
ワルという答えの無い正解を求めて彷徨う渡辺にとって、警察と言う場所は己のワルを評価してくれる唯一の場所なのだ。
一回、「刑事課の刑事が好き」って言っていた交通課の婦警の代わりにラブレターを持って行ったこともある渡辺である。結構、縦横無尽に署内を行き来してきた筈だ。その二人から仲人を頼まれた事もある。プライベートに深入りしすぎである。
防犯訓練の時に、警察犬に腕を噛まれる役に立候補した事もあった。蒲田行進曲の平田満のように「渡辺のやられ役が無いと防犯訓練が始まらない」とまで言われ、マッドセガール市中の小学校、中学校を回って、汚れ役まで買って出ていた。
「まさか自分が迎えに行く立場で、ここを訪れる日が来るとは」
渡辺はマッドセガール市警を見上げた。パトカーにゲロ袋が装備されたのは車に酔いやすい渡辺を乗せる頻度が多かったからだという。迷惑な男だ。
「何か、警察に来るの久しぶりだぜ」
竜二がふと呟いた。
「そう言えば、渡辺が退学してからは俺達も、あんまワルをしなくなったからな」
渡辺は「何だかんだで、俺中心に生きてやがるな」と二人の会話を聞いて思った。
「何をしてんだ、お前ら?」
パトカーから、一人のオヤジが出て来た。くたびれたスーツを来て、シケモクを蒸かし、髭など三日は剃っていない。貫録のある、いかにも刑事という雰囲気の男である。
「八つぁん!」
渡辺は、その出て来た男にいきなり抱きついた。
「だから、渡辺。俺は八つぁんじゃねぇよ。俺は源蔵ってんだから」
八つぁん事、平塚源蔵はマッドセガール市警の刑事課の課長で、渡辺が大好きな警官の一人である。平塚源蔵は、取調室で渡辺に人一倍怒鳴ってくれる一番の理解者で、渡辺は『マッドセガールの平塚八兵衛』の異名を勝手に与えていた。
渡辺は街でワルをするとき「こんなワルじゃ、八つぁんを動かすのはしのびねぇ」と手下達にも、中途半端なワルで警察の手を煩わせるなと言い聞かせ、一時期、みかん組の園児らは極悪非道なワルしかしなくなったのだという。警察からしたら、いい迷惑であった。
「で、渡辺。お前、何してんだ?」
渡辺は用事を忘れてしまったので蓬田が「散歩っす」と代わりに嘘をついた。
八つぁんは「あぁ」と曖昧な返事をし、煙草に火をつけた。渡辺は「?」と思った。八つぁんが煙草に火をつけるときは考え事をするときなのだ。
八つぁんは口の中から白い煙をぷはーっと空にはいた。
「そうか……散歩かぁ。渡辺。あんま、変な事で手を煩わせるなよ。じゃな」
八つぁんはそう言って渡辺の肩に手を置き、署の中へ入っていった。
渡辺を初め、その場にいた蓬田と竜二も、八つぁんに頭を下げた。
「カッコいいぜ、八つぁん」
その後ろ姿に、渡辺すら惚れ惚れする男の哀愁が漂っていた。絶対、奥さんに愛想尽かされてる背中だ。
渡辺達も本来の予定に戻り、マイスィートハニー小林を引き取りに行くことにした。
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